プロメテウスの少女 ⑫
コウキはこれまで自分が見て来たノゾミを振り返る。幼く無鉄砲な所はあれど、芯の強さを幾らか垣間見てきた。その強さ故に多少は強引に行動してしまう所もあるが、行動力の向う筈だった目的は在りそうだ。
――それとなく尋ねるべきか、素直に聴くべきか。
なるだけ波風を立て無い方法を思案しながらコウキは診療所の扉を開ける。
1つ目だけのアジサイがテーブルの上に置かれた状態で、この地下鉄のまとめ役兼医者であるドックと話し込んでいた。
「――なるほど、地下の道も楽では無さそうだ」
「そうだね、あっちの線路はインフラが生きてないから真っ暗闇だ。危険な動物がいるかも知れないし、あの先とは交流が無い。どんな危険が在るかさえ、予想も出来ないんだ」
「戦前のあそこの駅周辺には合同軍の港が在った筈だ。使えそうな警備用の軍用人形が在ればと考えたのだが……ふむ、塔から物資配給の記録データを頭の中に入れて持ち出せばよかったな」
コウキが解りやすく物音を立て、近くの椅子に座り込む。穴の空いたクッションから空気が漏れた。
「新しい体をどっからか調達する積り? ノゾミの持ってる信号を出す機械を使って、塔から新しい体を持ってくるのはどうかな、楽だろ」
「コウキか。悪くない考えだ、信号の発信する間隔を弄ればメッセージを送れるかもしれない。ただ時間はかかるだろうな、物資の中にこっそりと混ぜる必要がある」
「まるで密輸だね」
「密輸だ、ドクター」
コウキが風呂上りの頭をかいて訝しむ。
「それが解らないな、何でコソコソする必要があるんだよ。ノゾミの救出を塔が表だって出来ない理由は?」
質問にアジサイが1つ目の全身でコウキを注視する。中のレンズが3度大きさを変えた。
「――恩のある君たちには話をするべきだな……ノゾミが家出してしまった事は、塔の中では伏せているんだ。付け加えれば、セントラルにノゾミの存在を知られてしまう事も恐れている」
「ノゾミの家出が秘密ってなんでだよ、それにセントラル? ……もしかして、塔とセントラルは関係が好くないのか」
「今は緊張状態だ。戦闘機を飛ばした事で、更に悪化してしまった」
「先日のノゾミちゃんの件だね。墜落したって言うのは……ああ、なるほど、セントラルの軍が撃墜したのか。それは……なんとも」
ドックが皺よれの頬を揉み、自分の言ったことに納得する。アジサイが1つ目を上下して肯定した。
「セントラルも以前は素直に塔からの支援を受け取っていたのだが、在る程度の自活を取り戻した最近では、塔を管理している我々に対して懐疑的だ。今までの実績で、支援物資の輸送機なら許されていたが、今回ノゾミが彼らの近くを戦闘機で横切ってしまったからな。刺激してしまったのだろう」
「ノゾミだけのせいじゃないんだろ?」
「勿論だ。ノゾミがその行動をとるに至ったのには我々の責任が在り、セントラルの者たちには今まで支援して来た我々の戦闘機を無警告で攻撃した責任がある。似た様な事が起きるのは、時間の問題でもあっただろう」
アジサイが感情を示さない機械の1つ目で壁を見た。壁にかけられた犬たちが人の服を着て、愉快そうに様々な娯楽に興じている。
「彼らなりに立ち直ろうとしているのだろうな」
「詳しくは知らないけどさ、セントラルも今まで俺達と同じ様に支援物資を貰ってたんだろ? それ、恩を仇で返されるの間違いじゃない?」
「疑問を持つ事は間違いではないさ、セントラルには戦前の軍の中枢と政府が生き残っている。あそこは国として、もう一度立とうとしている」
アジサイの言葉に、皮肉でコウキの頬が釣りあがった。
脳裏に浮かぶのは今日の死闘。殺したバンダの何人かは軍服を着ていた上に、ボスは強化外骨格を身につけていた。
「外で健気に生きてる俺らには、善い事じゃなさそうだ」
「まあ、少なくともセントラルはまだまだ復興途上と言う事だろうねえ……君達が今日戦ったのが本当にセントラルの脱走兵なら、ノゾミちゃんの乗っていた戦闘機を墜とした件も合わせて考えると、どうにも一枚岩とは言えないね」
ゆるく回転する天井のシーリングファンでは払いきる事の出来ない重い沈黙が辺りを包む。
コウキが知った事実を己の中で反芻し、アジサイに向って言葉を選ぶ。
「塔がセントラルっていう場所と問題を抱えているのは解ったよ。そっちの奴らにノゾミが塔の人間だってバレちゃいけないこともね、あいつ等にとってはノゾミを人質にする価値が在るって事だろ?」
「そうだ。出来るならばセントラルと関わらずに、ノゾミを塔へ連れ帰りたい」
コウキが片手の人差し指で眉の間を軽く叩き、ふっと息を吐く。憧れのセントラルは諦めなければならないようだ。
「もういっこの方も教えてくれ、塔でのノゾミの立場は? ――まさかお姫様とか?」
「――言葉本来の意味とは違うが、似た様な立場では在ると言える。あの子の祖父にあたる存在は塔の中枢を仕切っているご老体だ」
「……あー、マジなのか」
訊かなきゃよかったと呟きコウキは片手で顔を覆う。ドックが正反対に柔和な笑みを浮かべた。
「ああ、なるほど正真正銘のお嬢様だった訳だね。どうりで育ちの良さを感じられる筈だ」
「父親としても誇りに思う。コウキ」
ちょっとした親切心から、かなりの大事に首を突っ込み始めた事にようやくの自覚を持って頭を抱えているコウキにアジサイが体――目ごとコウキに向き直り、名を改めて呼ぶ。
コウキにはそれが、大切なビジネスの話しである事が解った。間違いなく危険で魅力的な話しだろう。
「君に協力を依頼したい。私とノゾミの塔までの帰路を協力して欲しい」
「…………いいよ、俺も塔に行きたかったからね」
「そうか、君も塔への移住希望者だったのか。互いに渡りに船、と言うことだな。無事に辿り着けた時には、君とフウタ殿のベットを用意しよう。高い場所から日干しした寝具は最高だぞ」
「楽しみだ」
アジサイの1つ目ボディの真横から細くくねったマルチ接続端子がコウキへと伸びる。アジサイの意図を察してコウキは端子の先頭を指でつまむ。
「差し支えなければアジサイ隊長と呼んでくれ、部下達にはその愛称で通ってる」
「よろしく、アジサイ隊長」
慣れない握手を交わすと事の成り行きを見守っていたドックが満足して一人で頷くと、椅子から立ち上がり伸ばして大きなあくびをつく。
「すまない、年寄りになると早く寝たくなってね。一先ず今日はこれくらいにしておいたらどうだい?」
ドックが顔を窓の方に振る。レモネードの小瓶を両手にしたノゾミと、湯気を立たせたフウタが遠巻きから診療所へまっすぐと向かって来るのが見えた。
「旅の計画は数日間の間にこの場所でゆっくりと練ればいいさ、急患が来たら場所を空けて貰うがね」
「ありがとう、ドック爺さん」
「私の方からも礼を言わせて貰うよ、お陰で暫くの間は昨日よりも深く眠れる。お休み」
ドックはよれよれの白衣の襟元を正すと、診療所の寝室へと帰っていく。
ノゾミがフウタを伴い、内心を隠せない足音で診療所に入って来た。
「パパ、コウキ、ただいま!」
「おかえり、ノゾミ。初めての蒸し風呂はどうだった?」
「まさに生活の知恵だったわ。水の消費を節約しつつどうやって体の衛生環境を保つか……私たちが配給している浄水フィルターを想定より長く使用できているのも意外だったし、余った素材をああやって有効活用するなんて素晴らしい倹約術よ!」
ノゾミが興奮した勢いで両手に持ったレモネードを振りながら、徐々にコウキとアジサイの方向へ前のめりに迫る。
コウキはノゾミの勢いにたじろぐが、落ち着かせるようにノゾミの前頭を手で軽く押さえ込む。風呂上りの湿り気を帯びた薄い金の前髪がコウキの手に埋まる。
「とりあえず落ち着け。というか、アジサイ隊長は蒸し風呂の使い心地を尋ねたのに、なんか違う方向に行ってないかその感想!?」
「あれ、そうかしら? まあそれは置いといて、貰ったレモネードを飲みましょ」
「あ、ああ貰うよ」
ノゾミがコウキの隣に椅子を持ってきて座り片方のレモネードを瓶ごと手渡す。
コウキは受け取る間際にノゾミの寝間着である、薄い水色のシャツと濃紺のショートパンツから、のびのびと出ているほんのりと上気した柔らかそうな首元、腕、脚に一瞬だけ視線が移りそうになるが、即座にノゾミの顔へ戻してレモネードを受け取る。結露の浮き出た瓶が内側から滲む様に冷たい。
「あれ、この格好何か可笑しかった?」
「ああいやそうじゃない、似合ってるよ」
「本当? やった」
――何処見てたなんて父親の前で言えるか。……いや、居なくても言えない。
コウキは誤魔化す勢いで手にしていたレモネードに口を付ける。ほんのりとした甘さが冷涼を連れて口内を液体で満たすと、爽やかな酸味が心地良く喉に流れていく。大立ち回りを演じた今日の肉体に、レモンの酸味が全体に染み渡った。
「美味しい!」
「うん、疲れた体にはありがたい」
「ワフ」
フウタが何時の間にか紙皿を口に咥えてコウキの足元で自分にも分けてくれと催促をした。
桶のぬるま湯で漬かり汚れを落とした毛並みが、室内の光源を照り返している。
「あれ、お前酸っぱいの平気だっけ?」
「ワウワゥ」
「いや、確かに犬の体にもビタミンCは大切だけどもさ……まあ、無理はするなよ」
慎重にコウキが自分のレモネードを紙皿に垂らしていく。
少量のレモネードを注ぎ終えると、フウタが紙皿のレモネードを舐めた。
フウタの体毛が一気に逆立つ。
「いわんこっちゃない……っておいおい」
酸味で衝撃を受けて震えたフウタが止まった勢いを取り戻すように紙皿のレモネードを舐めるのを再開する。
紙皿に注がれた少量のレモネードがあっと言う間に消えた。
「……ああ、むしろ気に入ったのか」
「ワッフ」
満足したフウタの顔にノゾミが笑みをこぼす。
ノゾミの小柄な頭が隣に座るコウキの右肩へゆっくりと倒れこむ。
自分の肩に寄りかかるノゾミの感覚にコウキは驚くが、落ち着いているノゾミの様子をみて直ぐに平静さを取り戻した。
「結局、今日も大変だったね」
「仕方ないよ、幾ら予防を心がけても何時かは起きるのがトラブルってもんさ。大切なのは、問題が不意に起きても対峙できる心構えだよ」
「それもコウキのお父さんに教えてもらったの?」
「まあね……教えることを教えたら、さっさと逝っちゃってさ。日に日に弱ってたから、なんかの病気だったんだろうな……塔でなら、治せたかな」
「クゥン」
自分が思わず口にしてしまった事をコウキは直ぐに後悔した。
今まで蓋をしていた両親への想いが心の奥から止めどなく溢れていく。
何時も抱き締めてくれた母の笑顔。外に出る度に追いかけた父の背。
疲れた自分を収穫物ごと抱えて帰路を進む父の腕の力強さ。丁寧に作ってくれた母のスープの温かさ。
雨の音の中で消えていく母の鼓動と胸の匂い。悲しみを記憶と共に愛おしく持ち続けた父の瞳。
赤茶けたコウキの瞳に寂しさが滲み、コウキの右腕にノゾミが自身の右腕を添えた。
旅に出た時からどこかで感じていた、父も母がもうどこにも居ない寂しさが僅かにノゾミの体温で和らぐ。
「……ごめん、しめっぽくなった」
「ううん……イヤじゃなかったら、しばらくこうしてるね」
「ありがとう、助かる」
アジサイがフウタと視線を合わせると互いに頷き、フウタがテーブルに登りアジサイを落としてカーテンで仕切られた隣室へと器用に頭で押して運んでいく。
――ノゾミをきっと、無事に家族のいる塔へ送り届けよう。
自分の寂しさを紛らわしてくれる少女が生きるには、この世界はまだ過酷で不安定だ。添えられたノゾミの手は握り返さずにコウキは自分の目的とは別の決意を胸に秘める。
診療所の外から聴こえるカントリー・ミュージックがコウキにはやけに遠いものに思えた。