プロメテウスの少女 ⑪
コウキは鉛のベストを纏ったように重くなった体を引きずって、日中にノゾミとフウタを隠した民家まで戻った。
片腕に抱えられたままのアジサイが、地下に続く階段を穴が空いてしまうほどに見つめている。
「なるほど民家のシェルターに匿ってくれたのだな。きっと家の家主はプレッパーだったのだろう」
コウキが壁を手すりに階段を下っていく。
「プレッパーって?」
「大規模な災害や戦争に備えて、自前で大量の物資やシェルターを所有する人たちの事だ。私が初めて戦場に出た年では珍しくなかった筈だ」
「ノゾミの親父さんは何時から――動いてた? 生きてた?」
どちらの表現を選ぶべきか迷いつつ、コウキが言い直す。
「2146年の10月が初稼動だ」
「確か今年が2169年の4月だからー、32歳?」
「単純な稼動時間でならそれくらいだな。今の『私』を確立したのが15年前。ついでに言えば、ここにいる私は今回の緊急時に塔の私が作った完全な複製体だ。必要な物が揃っていれば、我々は簡単に自分を増やせる」
「機械って器用なんだな……ノゾミの迎えに直接は来れなかったんだ」
コウキが分厚い扉に片手で掴もうとして留まった。
「私自身も遺憾だ。出来ることなら、隊の者を皆引き連れて総動員で迎えに行きたかった――あの子が今回、こんな思い切った行動に出た事に驚いてもいるが……同時に驚いている自分が恨めしい。仕事で長く留守にしていたせいだな、自分を複製して初めて娘に向き合えた」
球体のアジサイがコウキと視線を合わせずに扉をただ見つめる。
コウキは頭を振ってアジサイを降ろし、両手で扉に手をかけ直す。
「後でちゃんと、ノゾミと話し合ってくれよ」
「ああ、解っている」
怠い体に満身を振り絞ってコウキが扉をこじ開けていく。
ぶ厚い扉が引きずられながら開いていき、中に夕焼けの光りが差し込む。
茜色の陽に染まった焦げ茶の毛玉と淡い金の一房に纏まった長髪がコウキに体当たりしてきた。
「――ぐふッ」
「パパ! コウキ! お帰りなさい!!」
「アウアウオオオォッ」
押し倒されたコウキの上でノゾミがしがみ付き、フウタが体を擦りつけて踊りまわる。
長い間に堪りこんでいた不安と恐怖を全て発散させようとする勢いは今のコウキでは圧し留め切れない程にパワフルだ。
「ちょ、ふたりとも、スト――」
「本っっっとーーに、冷や冷やして見てたんだからね!? パパが燃え始めた時なんか失神しそうだったんだから!!」
「バウアウッ! フス」
上げようとした弁明をノゾミとフウタの剣幕に押し潰された。
コウキと一緒に床に倒れていたアジサイがゆっくりとノゾミの方へと転がる。
1つ目だけになったアジサイとノゾミはお互いに目を合わせると、ノゾミがアジサイを自分の両手で抱えて抱き寄せた。
「パパ……ごめんなさい……パパはさっきの私よりもっと心配したんだよね……勝手に飛び出して本当にごめんなさい」
「君が無事でいてくれて何よりだ。こちらこそすまない、恐かっただろうに」
多くを語らずに親子はお互いの存在を喜びあう。
その様子を下敷きになって見守っていたコウキの視界にフウタのおでこが飛び込む。
「ちょ、ぐりぐりすんな」
「ワンッ」
フウタがお構い無しにコウキのヘルメットに眉間を擦りつけ、舌でバイザー箇所を舐めた。
「あー、解ってるよ。ありがとうな」
「ワフ」
観念した台詞でコウキが笑いながらフウタを撫でる。
コウキは数時間振りに再会した家族とのスキンシップを堪能すると、ノゾミに任せ切りだった自分の荷物を纏め始める。
「荷物を纏めて地下鉄に行こう、きっと今日はマシなベッド眠れる」
陽が沈み夜に染まった交差点の雑草が、月と星明りに照らされ風でなびく。
鎖と金網のバリケードで封鎖された地下鉄の出入り口から、陽気なカントリー・ミュージックが宴の声に色彩を添えていた。
手に入った物資の量に安堵する歓喜が椅子とテーブルが不揃いの食堂に溢れ、自家製の蒸留酒に男たちが酩酊しながら、携帯音楽プレーヤーから流れる曲のリズムに合わせて消えた故郷への歌を愉快に合唱する。
醜態を晒す男たちの横で、子供と一緒に食事を取る女性たちが何時もより一品多いおかずに舌鼓をうつ。
「このウサギの干し肉、美味しいねえ。味付けしたのは誰かしら」
「あそこでお馬鹿になってる家の亭主よー、最近は干し肉作るのに熱心なのよ塔製の味を俺も再現してやるんだって」
――チャレンジャー精神スゴイな。
食堂に隣接された蒸し風呂の中で、届いて来た女性の会話にコウキが内心で感想を漏らす。
薄いベニヤで仕切られた壁一枚では視覚以外に遮れるものは無い。
地下栽培に使用しているビニールハウスの余りを、そのまま使いまわした蒸し風呂の室内は、コウキを含んだ男たちが薪ストーブを中心にしてぎゅうぎゅうになって汗を流している。
密着しあう腕と肩の汗が不快だが、ストーブに使っている薪、熱せられた石から水蒸気を出す為の水は無駄遣い出来ないのだから仕方無い。
蒸し風呂で汗と共に体から老廃物を排出させ、塔からの配給である石鹸を全身に塗り込むようにタオルなどで泡立て、限られた水を使って洗い流すのが地下鉄生活での入浴だ。
――人が少なければ足を伸ばせるんだけどな。
「おれ……もうギブ」
「もうちょっと入っとけよ、三日振りなんだから。ほれ、そこのヒーローを見習え、余裕しゃくしゃくって顔だ」
のばせ上がった部下の自警団員に引き止める為に、エイデンがコウキに顎をさす。
コウキが紅葉したまま、汗のしたる顔を伏せた。したった汗の雫が痣が出来ている腹筋の上に落ちて流れていく。
「久しぶりの入浴でゆっくりしたいだけだよ」
「なんだ、照れてんのか? にしても……ふむ。お前さん、素人が出鱈目につけた筋肉じゃないな。体格に合わせて、そうバランスよく体が締まるもんかね」
「どうかな? 親父には鍛えられたけど、筋トレの内容自体は普通だったと思う」
「天然って事か、両親に感謝だな」
自分の二の腕を掴んで筋肉を揉むコウキの横で閉じていたビニールハウスの出入り口が外側から捲られる。
タオルに頭を撒いている中年の女性が逞しい顔を出し、中にいた男たちの何人かが悲鳴を上げた。
「アンタたちー、そろそろ交代の時間だよーさっさと体洗いに外へ出な!」
「ちょ、母ちゃんわざわざ浴場にまで入って来て言うか!?」
「アンタたちが長風呂してるからわざわざここまで来たんだよ、のぼせ過ぎて全員倒れちまってたら大変だからね」
せっつかれてサウナを全裸の男たちが抜け出していくと、コウキの横顔を観た中年の女性が目を白黒させる。
「あらウチの男衆にこんな美丈夫いたかしら」
「はじめまして。えーと、今日の騒動で手伝った流れの漁り屋で伝わるかな」
「あらあら、アンタが。どうもありがとうね、家の旦那が世話になったよ。食堂の冷蔵庫にお手製のレモネードが冷やしてあるから持っていきな」
「ありがとう、おばちゃん」
入浴後のレモネードに惹かれたコウキが、サウナ前にある流し場で他の男たちと混じって意気揚々と体を洗っていく。泡立った体を水で流し綺麗になっていく感覚がコウキは好きだった。
コウキは入浴を終えて脱衣場まで戻ると、荷物から取り出して持って来ていた代えのインナーに着替える。
――こんなに身軽な格好出来るの何時振りだろうな。
サッパリとして温まった体に溜め込んでいた疲労が吐き出されているのを感じながら、コウキは入浴前につけていた衣服が無くなっている事に気付いた。
「ああ、お前さんが着てた服なら俺達のと一緒に洗うってさ」
一足先に浴場から出ていた男がコウキに教える。
「何を払えばいいかな、弾丸なら今回のでタップリあるけど」
「対価は気にすんな、お前さん達はここの皆の恩人だ」
「いいの? 塔の物資も幾らか分けて貰ったのに?」
「助けくれた相手2人分の分け前に、文句いうやつなんていないさ。お互い体を張っただろ」
男は軽く口笛を吹きながらさっさと先に出て行ってしまう。コウキはそういうものかと納得しながら、脱衣所を出る。外で待ちくたびれていた女性陣の中に、コウキはフウタを両腕で抱えていたノゾミを見つけた。
ノゾミはコウキに気付くと顔を輝かせて近づいて来る。
「流石にお風呂場ならヘルメットは外すのね」
「俺の顔をなんだと思ってるのさ」
「うーんとね、恥かしがりやさんはどうかな?」
「あー……当らずといえども遠からず、だな」
「今の諺? どこの国の言葉?」
「親父の生まれ故郷だよ」
コウキが何の気なしにノゾミの前髪を手ぐしする。外の砂埃でパサついていた。
ノゾミがやんわりとその手を払う。
「む、今は駄目よ。私の髪に触りたかったら、お風呂上りにね」
「そういうものなのか」
「そういうものよ、綺麗な時に触って欲しいもん」
「ワッフ」
「さっき、おばちゃんに食堂の冷蔵庫からレモネード持っていって良いって言われたんだけど、ノゾミも欲しいか」
「もちよ! あ、冷やしてあるなら私が後で持っていくわ。こういうのって、入浴直後が美味しいものなんでしょ?」
「確かに、俺の両親もよくドラム缶風呂の後でやってたな……それじゃ後でな」
「うん、後でレモネード持って部屋に行くね」
ノゾミはフウタを抱えたまま、男性陣が抜けた脱衣所に向かう。
コウキも足取りを今日の宿である、ノゾミが世話になった老医の診療所へ向けた。
――さて、今後はどうするべきかな。
コウキは現在の状況と自分の目的を照らし合わせる。
ノゾミを連れ帰る積もりのアジサイがあの状態である以上、護衛を自分が買って出れば塔を目指すのは独りで行くよりも大分現実味を得れるだろう。
だからこそ、気になる点が1つあった。
あどけなさが色濃く残るノゾミの笑顔が脳裏にチラつく。
――ノゾミが家を出た目的は何だろう?




