プロメテウスの少女 ⑩
風化し崩れた路肩のコンクリート片が、カーキ色に塗装されたアジサイの脚部に押し潰された。アジサイはコウキを背に乗せたまま、市街地の瓦礫を粉砕して疾走を続ける。
「今のうちに偵察してくるね」
ノゾミがコウキの耳元で緊張に張った声を出すと、コウキのコートの内側でしがみついていた「ギンちゃん」が飛び出して上空を目指していく。
「ノゾミが周囲を探るってさ」
「了解した、屋上と窓の死角を注意深く頼む」
「はい!」
軍用人形の激しい駆動に揺さぶられ続けているコウキは激しく上下する視界の中で、店内でアジサイに見せられた街のミニチュアと現在の光景を突き合わせる。
感覚任せに辺りを探ると、視界の右端に小さく見えるガソリンスタンドの看板が現れた。目標地点だ。
「いたよ! 左側の白い建物、2階の開いてる窓!」
「ノゾミナイス!」
イヤホンマイク越しで伝えられた潜む危機にコウキが反応する。
アジサイから片手を離し、ヒップホルスターから自動拳銃を引き抜いて伝えられた場所へ3度引き金を弾く。
「あぎゃ」
潜んで手榴弾を投げ込む機会を窺っていた、軍服を着たバンダの鎖骨付近に一発命中し、手にしていた手榴弾を自分の足元に落とす。
アジサイが全速で白い建物を横切ると、バンダのいた場所が爆発した。
「お見事だコウキ」
「そうでもない、安全運転だからね」
「シートベルトは無いがな。このまま正面を行くのは愚策のようだな、コース変更だ」
「ノゾミこっちへ!」
「わかったわ」
コウキのコートの内側に「ギンちゃん」が戻ると、待ち伏せを仕掛け隠れていたバンダ達が爆発の音を皮切りに一斉に飛び出す。全員、つい先ほど爆発したバンダと同じ軍服を着ている。
アジサイが通りを横切り目の前の廃墟で崩れずに残った螺旋階段の手すりに飛びつく。
螺旋状の手すりはアジサイの自重に引っ張られて、悲鳴を上げて歪むが崩れる前にアジサイが上の手すりへと、コウキを背負ったまま登っていく。
――キングゴリラみてえ。
コウキはこの状況で幼少期に夢みた怪獣漫画に想いを馳せる。夜の闇を感じさせない眩い街の電光の中で、自分が大好きな怪獣の背に乗って、高いビルの屋上を飛び移り回るのだ。
現実では夜が来れば人間以外の夜行性動物たちの時間であり、人間は自分を守るために地下なりへと身をひそめなければならない。無傷でインフラが機能している地上の施設などは「塔」の様な極一部だろう。
だからこそ、コウキはアジサイやノゾミを通して「塔」に希望を見出す。塔にはきっとこの世界を今よりまともに出来る何かが在るはずだと、自分の目と足で確かめたくて仕方ない。
アジサイが螺旋階段の手すりを登り詰め、建物の屋上端へと手を移す。
鋼鉄の嘶きを上げてアジサイが屋上へ到達と同時に走りを再開した。屋上で待ち構えていたバンダが、突進してくるアジサイに悲鳴を上げて隅に転がる。
「突っ切るぞ」
「了解!」
今度は屋上の端を飛び越えて、隣の映画館の屋上へと飛び移る。
赤と獣の虚心で彩られた戦前のプロパガンダ映画の看板が、アジサイが飛び移る余波のコンクリート片で大きな穴が開いた。
「こうやって誰かを抱えて走り続けるのは久しぶりだ」
地面から放たれるバンダ達の銃弾が壁に当たるのを尻目に、アジサイは変わらぬ調子で自分の思い出を語る。コウキには懐かしむ様に見えた。
「それってノゾミの事?」
「――そうだ。大切な私の記憶だ」
「いいね、塔の中は子供をおぶって走り回れる程に広いんだ」
「とても広いとも。塔から外に出している物資も、我々が丹精を込めて内部のバイオプラントや工場で作っているものだ」
バンダが下から一球入魂の姿勢で手榴弾をコウキ達の屋上目掛けて振りかぶる。
コウキがブーツの踵で蹴飛ばし、穴が開いたプロパガンダ映画の看板に手榴弾が入り込むと内側から裂けて爆発した。
「にしても、なんでわざわざ地下鉄の人たちの手助けをするのさ。アンタなら、ノゾミを連れて飛行機呼ぶなりして、帰る事くらいは出来そうだけど」
「救助を呼ぶ事は出来ない、込み入った事情がある。それに、この世界は1機と独りで塔を目指すには余りにも広くて危険だ。集団の社会から離れると、我々は途端に無力になる」
「えーとつまり?」
「情けは人の為ならずだ。彼らの協力を得るためにも助けなくては」
「なるほど、真理だ」
目標のガソリンスタンドの看板がアジサイ達と同じ高さで、目前へと迫る。
アジサイが走り続けた速力を保ったまま屋上の端で、コウキを背負ったまま体を大きく下へ曲げた。
鋼と人工筋肉による膂力を溜め込んだ体が大跳躍を果たす。
ガソリンスタンドの看板を跳び越えるアジサイにしがみ付きながら、コウキの足は浮き上がってアジサイの体から離れる。下半身が浮き上がり、頭と腕からアジサイと共に地面に引っ張られていく。
見下ろす眼下のガソリンスタンドには、アジサイと比べて太く厚い西洋甲冑を思わせる人型がいた。こちらに気付かず腕を組んで不動のまま、部下のバンダ達を睨んでいる。
――あれがボスの『ゴリアテ』か。
「このまま一気に強襲するぞ!」
「跳ぶ前に言って欲しかった!」
「昔部下にも似た様な事を言われた!!」
それは反省してくれと、コウキが言葉を繋ぐ暇も無くアジサイはゴリアテへ急降下を仕掛ける。
迫る不審な影とコウキ達の叫びに気付いたゴリアテが空を見上げる。
ゴリアテの密閉された西洋甲冑式のヘルメットと、コウキは互いにヘルメット越しで視線を合わせた様な気がした。
アジサイが落下と共に己の右腕を振りあげる。
「鉄拳――制裁!!」
運動量によって放たれたアジサイの剛腕を、ゴリアテが自分の両腕を差し出してとっさに受け止める。短く重たい衝突音が鈍く木霊すると同時にゴリアテの両腕が表面の装甲部のみひしゃげ、アジサイの右腕が関節部から火煙を吐き出した。
コウキが衝撃に体を震わせながらもアジサイの背中を蹴り上げてゴリアテへと跳びかかる。片手に持っていた小型EMP兵器のピンは既に外していた。
「くれてやるよ、きっと痺れるぜ」
小型EMP兵器をゴリアテの甲と首元の隙間に突っ込むと、コウキはゴリアテから蹴りを入れる様に離れ、地面へと落ちる。見届けたアジサイがバックステップで後退すると、ゴリアテを中心に眩い放電が青白く円系に奔り直ぐに治まる。
コウキは焼け焦げた金属の臭いを感じながら、地面を横に転がり膝で身を起こす。負い紐を引っ張り背にしていたショットガンを両腕に構えた。
「脚部の関節を狙ってくれ!」
火煙を上げ続ける右腕を抑えたアジサイの言葉を聴いてコウキは照準をゴリアテの脚部、人体で膝の皿にあたる装甲の繋ぎ目を狙う。ショットガンには散弾とストッピングパワーを目的にした一発弾が交互に装填されていた。
コウキが体に染み付いた動作でポンプアクションの連射を敢行する。
初撃の散弾を受止めたゴリアテが呆けた瞬間に、レンガ壁を容易に撃ち砕く一発弾が脚部の繋ぎ目に撃ち込まれる。ゴリアテの体が衝撃で硬直し、続け様に散弾とスラッグ弾のシャワーを息つく暇も与えずに装甲の繋ぎ目に浴びせる。
装填していたショットガンの弾をコウキが撃ちつくすと、ゴリアテが低い呻き声を上げる。倒れた衝撃で砂塵が舞い、装甲に穴の空いた左膝から新鮮な赤い液体が溢れ出した。
――金属の中から、血が――。
息を切らせたコウキの背に冷たい感覚が蟲になって這う。
「投降しろ、そうすれば怪我の手当てをしてやる」
アジサイが毅然としたままにゴリアテの内部にいる者へ投降を促す。
ゴリアテがコウキとアジサイに向って中指を突き立てた。
「くそが、くそがあぁ……いってえぇ……とまらねえ、いてえよくそ」
ゴリアテの搭乗者が乱れて絶え絶えになっていく息の中で悪態を吐きまわる。
「セントラルの軍から……脱走ついでにかっぱらって抜け出して、いい気になってたら……野良犬が調子に、乗るもんじゃねえなあ…………でも、いいか、最期まで、好き勝手に、出来たぜ」
いまわの際でゴリアテの搭乗者が痛み混じりに笑う。
コウキはどうするべきか迷いながらヒップホルスターの自働拳銃を掴みあげると、アジサイが横からゆっくりとコウキの手から自働拳銃を取り上げゴリアテに突きつけながら、搭乗者の頭部を狙うために兜型のヘルメットを外す。
コウキより幾らか年上の男だった。
「遺言を聴こう。出来る限り尊重する」
「遺言? あああ、ああそうだな、なら……」
アジサイがかけた言葉にゴリアテの搭乗者が定まらぬ視線でを激しく動かし、血管が浮き上がった瞳でアジサイとコウキをみる。口の端が吊り上がった。
コウキが危険を感じて背後を振り返る。1人のバンダが赤いラベルの手榴弾を両手で掲げ嗤っている。
「ブリキ人形は俺と一緒に死ね!」
「焼夷手榴弾だ、コウキっ!!」
「おあっ」
アジサイが自働拳銃ごとコウキを左腕で突き飛ばす。
焼夷手榴弾が投げ込まれ、鉄骨をも溶かす5000℃の炎が燃え上がりアジサイとゴリアテを飲み込む。
突き飛ばされ炎を眺めて呆然と立ち上がるコウキのコートから「ギンちゃん」がふらつきながら出てくる。
「パパ? ――パパ!」
炎に惹かれる様に飛んで行く「ギンちゃん」の尾をコウキが捕まえる。それでも「ギンちゃん」は炎へ向って飛び続ける。
焼夷手榴弾を投げたバンダが笑みを引き攣らせながら走り去ろうとし、コウキがその背中を無言のまま、手にしていた自動拳銃で撃ち抜いた。
遠巻きで事態を眺めていた残りのバンダが顔色を青くして走り去っていく。
30秒も経たない内に炎は消え、溶けた2つの鉄くずが人型の原型を留めて鎮座している。
先程より強い金属の焼けた臭気に肉が混じってコウキの鼻腔を刺激した。
「そんな……せっかく再会出来そうだったのに……」
コウキがどうしようもない消失感に襲われ、アジサイだった軍用人形に近づき手を伸ばそうとする。
「やめた方がいい、金属が手にくっ付いてしまうぞ」
つい先程まで聴き覚えの在る声が足元から発せられる。コウキが慌てて足元を観るが何もない。
「こっちだ、コウキ。球体だからなかなか止まれない」
今度は先程よりも少し離れた場所から同じ声が届く。音の響いた方向へコウキが体ごと視線を彷徨わせる。
「見つけた!」
先に目標を見つけた「ギンちゃん」が体を回転させてコウキの手から逃れて飛んで行く。
コウキが視線で追うと、ダストボックスにぶつかって回転を止めた球体がある。思わず走り出した。
コウキが転がっていた球体――アジサイの1つ目を抱え込む。
1つ目は多少煤けてはいるが、ボディに嵌っていた時と同様に動いてコウキを見つめ返した。
「部下のツバキに、中枢ブレインを多少大きくても着脱式のコアにした方が絶対に良い言われていたのだが――言う事を聴いて正解だったようだ」
「パパ! …………よかったぁ」
「ひ、人騒がせだ……」
「ギンちゃん」がアジサイの1つ目に飛びつき、コウキの耳元で安堵で崩壊したノゾミの泣き声が聴こえて来る。コウキの全身から力が抜けて、思わずその場でアジサイの1つ目を抱えて座り込んだ。
「すまない、心労をかけた」
遠方から合流してきた自警団達の声が聞こえる。
声の様子からして一度地下鉄まで戻って増援を呼んだらしい。
コウキが声の方へ顔を向けて手を振り、今日一番で深い溜め息を吐き出した。
ボールサイズになったアジサイを片腕で抱え込んで立ち上がり、コートをはたく。
「……後片付けと戦利品はおっちゃん達に任せて、ノゾミとフウタを迎えに行こう……流石に疲れたよ」
「了解した」
死線を越えて脳内麻薬が切れたコウキの体中の筋肉があちこちから悲鳴を上げていた。
連続で続いた緊張から解放され、体がどうしようもなく弛緩しているのが嫌でも解った。
真昼だった筈の空が赤焼けに移りカラスの鳴き声が響き始める。
意識を閉じて睡眠の泥沼に沈み込みたかったが、コウキは睡眠への欲求をもう少し後にする。
少女と弟分の顔をみて、今日の血生臭さを先に幾らか落としたかった。




