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贈りもの

 古ぼけた室内を舞う埃が、窓から差し込む光に照らされて輝きながら机の本に積っていく。

 少しだけ埃が重なった本の表紙を、旅支度を整えたフルフェイス・ガスマスクの男がグローブの指でなぞった。


「日記なんてつけてたのか」


 ヘルメットに覆われた頭部が日誌を見下ろし、マスク下の若い声が好奇心に惹かれて表紙をめくる。

 先を見越した様に、彼の足元にいた犬が一休みする為に体を丸めた。


 ――あの頑固な男が書いた手記だ。苦労させられた身としては、笑い話の一つも欲しい。



 ――2149年 12月 24日

 3年間かけて戦場から故郷に帰り着いた。

 かつて家だった瓦礫から、妻と子供達らしきものを埋葬してやる事が出来た。

 帰り道で、今までの世界がとっくに終ってしまった事など理解した積もりだったが、今日になってようやく受け入れられそうだ。

 装備はまだ十分に動く。

 待たせて悪かった、皆。


 ――2149年 12月 25日

 引き金を引く事が出来なかった、くそったれ。


 ――2149年 12月 31日

 人を求めて廃墟を彷徨い、ようやく首都圏に辿り着いた。

 繁栄の跡が、植物のコーディネートに溢れている。

 動物たちが我が物顔で交差点を闊歩していた。

 今の私は大切な人を護る筈だった技術で、自分の生を繋いでいる。

 来年には誰かに会えるだろうか。地下鉄になら生きている人間がいるかもしれない。


 ――2150年 1月 1日

 地下鉄には人の集落が在った。最低限のインフラが生きており、風呂は一週間に1回入れるかの生活ぶりだが、人々は暮らしている。

 問題は支配しているのが元同僚だと言う事だ。

 なにが彼らを暴君に仕立て上げたのだろうか。

 いや、嘘だ。きっと私との違いはそんなに無い。

 私が中へ潜入するのを協力してくれた民間人に、持っている装備でどうにかしてくれと頼まれたが、気が進まない。数的な不利はさておき、これ以上自分の手で誰かを終わらせたくない。

 話し合いで収める方法は無いだろうか。


 ――2150年 1月 2日

 協力者に、自分たちの境遇が如何に非道いかを見せ付けられた。

 3年間の帰り道で散々と見飽きた光景だ。

 やることをやったら、食べるとは思わなかったが。

 次は自分の家族だと泣きつかれた。

 わかったよ、やるよ。家族への土産話くらいにはなるだろうさ。


 ――2150年 1月 16日 

 片付いた。

 地下鉄の住民たちが私の誘導に、それとなく協力したお陰だろう。

 鬱憤の溜まった人間の静かな殺意は凄まじい。

 まだ合同軍が生き残っていたら、グリーン・ベレーを貰えたかもな。

 それに、暴君たちも私が小型の生物兵器を持っていたとは思わなかっただろう。でなければ、あんなに愉快そうに私を追い立てはしまい。

 密閉空間の中、悶えて息絶えていくかつての同僚たちを、私はガスマスク越しで観ていた。

 リーダー格の男が、黄色い泡と血の涙を吐きながら

「ベテランのレンジャーにやられるとは思わなかった」と最期に嗤っていた。

 私もだよ。私も君達に手を下すとは思わなかった。本当に、なんでこうなってしまったんだろうか。

 礼として貰った酒と缶詰で最後の晩餐といこう。


 ――2150年 1月 18日

 自分が酒に強い事を始めて恨んだ。


 ――2150年 4月 18日

 夜が過ごし易くなった。

 ハッピー・バスデー、死にぞこないで人殺しのプロのろくでなし。

 地下鉄とは今でも交流している。狩りと戦いの技術を教える見返りに、彼らはろ過水と日用品、室内栽培された野菜をくれる。盲目的に生きる分には気楽だ。

 最近になって気付いたのだが、廃墟の屋上から、とても遠くで徐々に背が大きくなっていく塔らしき建築物が見える。生き残った勢力があそこで、アーコロジーでも創っているのだろうか。


 ――2150年 4月 25日

 地下鉄で泣きついた男が血相を変えて押し掛けて来た。

 囮で作った非殺傷用の罠にかかってくれてよかった。

 話しの内容は把握がつく。今朝の上空を飛んでいった飛行機とそれが落としていった物についてだろう。


 ――2150年 4月 26日

 何から書けばいいのか混乱している。

 地下鉄の男達と落とし物を漁りに行った。

 巨大コンテナの中には、説明書と一緒に合成食料と清潔な水を生産出来る機材一式と、女の子と言っても差し支えない見た目をした人間が入っていた。

 機械みたいな駆動音を立てて起きた、その子の開口一番の言葉はこうだ

「この地域で一番強い人間は誰ですか?」

 地下鉄の連中は、黙って私を指差した。野蛮の間違いだろうに。

 無理矢理ついて来る形で、寝床に連れ帰ったが、私にどうしろと。

 彼女の寝顔に、妻と子供たちの事を重ねた。普通の人間では無いのだろうけど。


 ――2150年 4月 26日

 起きると、彼女が卵と燻製にした肉で朝食を用意してくれた。

 料理を誰かに作って貰ったのは何時ぶりだろうか。

 出来立ての料理が温かいのは当たり前なのだが。

 彼女は表情に乏しいが、会話は明瞭に行える様だ。

 やはり、普通の人間ではないらしい。人類復興支援のバイオロイドだそうだ。

 なんでも塔を建造している連中が、男女のバイオロイドと復興支援の道具をばら撒いて、種の進化と保存を円滑にしたいらしい。

 つまり、私は種馬か。

 ふざけるな。


 ――2150年 5月 10日

 彼女は相変わらず私の家にいる。

 放り出したいが暴力をしらない顔付きに、乱暴を出来る気はしない。

 バイオロイドを造ったやつらは、以前からこの地域を下調べしたのだろうか。彼女を産み出した奴らだ、ステルス性の高いドローンぐらい、わけもないだろう。

 もしかしたら、私の情報を軍のデータベースから引っこ抜いたのかもな。

 これじゃまるで妄想症(パラノイア)だ。


 彼女の寿命は設計通りきっちり10年らしい。

 あと10年は生きる理由が在るか。

 彼女は自分が知りたいと思った事を聴いてくる。

 好奇心が生き物になったみたいに質問責めの毎日だ。

 子供達も彼女くらいにはなっていただろうか。


 ――2150年 5月 20日

 彼女が怪我をした犬を拾って来た。

 交代で看病したが駄目だった。

 火葬で送る時に、彼女は炎に包まれて灰になっていく犬を静かに見つめ涙を流していた。

 人の社会が壊れてしまった世界で、命が一つ失われた事実を悼んでいたその横顔が、美しいと思った。

 そうすると私の目の奥が熱くなった。

 忘れていた。悲しいなら、泣くべきだったんだ。

 ようやく家族の為に泣けた。


 ――2150年 7月 7日

 今日は廃墟になったスーパーを探索して状態のよい雑貨を回収して来た。まだ読めそうな本も幾つか手に入れた、彼女の娯楽になるといいのだが。


 帰り道の途中で主を失った軍用人形を見かけた。念のため接触は避けておこう。大戦時に起きたEMP合戦後に動いているのだ、近づかない方が吉だ。


 ――2150年 8月 17日

 自己嫌悪で死ねそうだ。

 しかし、責任を途中で放り出すのはもっと酷い。

 私はこんなに節操無しな男だったか。

 見た目はともかく、1歳になってもいない相手を。

 消沈とした私の横で不思議そうな顔をされると、余計に罪悪感が募る。

 妻と彼女に自分の不誠実さを謝りたい。

 彼女が私に初めて頼み事をして来た。

 名前を2人分考えなくては。

 彼女と、来年には居るかも知れないもう1人の為に。


 ――2150年 10月 8日

 人の社会は終っても四季は変らず移ろう。

 現れる動物の姿は変り、廃墟を牛耳る植物は紅葉して葉を散らせて行く。

 サクラ達の為に出来る限りの準備を行わなくては。

 久しぶりに、地下鉄へ行こうと思う。

 助けが欲しい。


 ――2150年 12月 24日

 覚悟を決められない齢50を過ぎた男を他所にサクラのお腹は大きくなっていく。

 命は確かにサクラの中で育ち、いずれは世界の事情とはお構い無しに産声を上げる。

 至極当然の事なのだろう。

 私は、その当然さに救われた。

 サクラとお腹の子は私の生き甲斐だ。


 ――2151年 6月 16日

 この世界になってから、始めて喜びで涙を流せた。

 腕に抱いたあの子の熱で、自分の胸に強い炎が灯った。

 サクラ、地下鉄の皆、コウキ、ありがとう。

 世界がどんなに移ろいでいこうとも、命の温度は我々が人間である限り不変だ。


 ――2151年 9月 21日

 今日は塔からの「定期便」を確認し、地下鉄の男たちと再び漁りにいった。

 月に一度の恒例となった早い者勝ちのチキチキレースだ。

 最初の頃は、タトゥーを統一したチンピラ紛いの武装集団と幾度となく衝突したが、私に弾薬と装備を与えているだけと気付いたのか、見かけなくなった。

 問題はクマだ。

 彼らなりにこの世界を生き抜く過程で進化したのだろう。

 集団での狩りを覚え、ご自慢の嗅覚でより慎重に行動するようになっている。


 私が一番厄介に感じているのは、これは他の動物達にも言えることだが人を無闇に恐れなくなった事。つまり、彼らは人間が以前より力が無い事を知っているのだ。

 おめでとう人類、動物達が我々のピラミッドに追いついたぞ。

 単に人類が下がっただけか。


 いずれにせよ開拓魂が泣いて喜ぶ武装の正当性だ。

 やってやるさ、私にだって護りたいものがある。


 ――2152年 4月 2日

 サクラが鹿肉と香草のスープを作っている横で、コウキをあやしながら地下鉄に引っ越す積りは在るか尋ねてみた。

 サクラは中の様子は是非とも目にしたいらしいが、私が地下に住む事に乗り気でないのを知っているらしく断られた。

 あそこの人たちは善人で在るのだろうが、私は彼らの王様になりたくはない。その方が双方の為だ。


 明日は狩りで余った鹿の皮と肉を地下鉄へ持っていく積りだ。サクラとコウキも連れていこうか。


 ――2156年 7月 13日

 コウキが子犬を拾って来た。

 帰す様に言い聞かせると、黙って子犬の家族の元へ連れて行かれた。

 今度からは犬一匹分働かないと駄目だな。

 次の狩りから、コウキに技術を教えていこう。

 内容は私が伝えられる事を全てだ。


 ――2156年 7月 14日

 各々で出した子犬の名前候補。

 サクラ:ケルベロス、バーゲスト、クー・シー。

 コウキ:ポチ、ニャンコ、ゴリラ。

 私:ハヤタロウ、フウタ、ギン。


 ・選定方法

 名前を書いた紙切れを丸めて投げ、子犬が自分で持って来たものにする。

 結果:フウタに決定。


 気になった事:人の感情の揺れにとても敏感だ。とりあえず、トイレの躾けは楽そうだ。


 ――2156年 8月 22日

 寝ているコウキとフウタの横でサクラと話した。

 今や山よりも高くそびえ、天気にも左右されずに遠くに観えるあの塔についてだ。どれほど歩けば辿り着けるか予測も着かない。

 サクラは残った時間を穏かに過ごしたいそうだ。

 私も同じ気持ちだった。


 ――2158年 4月 1日

 2人と一匹で狩りを終えて、家に戻るとサクラが倒れていた。

 サクラが言う分には辛くはないが、時々、体に力が入り難くなっているらしい。

 残っている時間は後、2年ほど。

 胸の内側を掻き毟りたくなるが、この痛みから逃げ出したくない。


 ――2160年 4月 26日

 1日中、家族で抱き合っていた。

 外で振る雨の音が私たち家族を静寂に包み込んでいた。

 サクラがコウキを抱き、フウタが膝に乗ったまま、私が2人を両手一杯に抱き締めた。

 出合った時と同じ駆動音を聴いた。寝ているようにしかみえなかった。

 サクラ、君は私の事を支えてくれた大切な女性の1人だ。


 ――2166年 10月 2日

 今日は始めてコウキに土をつけられた。

 射撃の精度はまだ私の半分程度だが、自分の身体能力を把握し始めたかのか、近接格闘の思い切りのよさは立派な凶器だ。

 後はいざと言う時に人を撃てるかどうかだが、何度か無法者と私の殺し合いを背中で見ていた筈だ。

 親としては複雑だが、自分の命を無闇に落とすよりも選んで生きて行く苦悩を背負って欲しいと思う。


 ――2168年 12月 24日

 コウキに教えられる事は全て教えた。足りない所はフウタと補い合っていけばいい。

 丁度狙ったかのようなタイミングで体にガタが来ている。

 今ならコウキが成長する時まで、待ってくれてた様にも思える。

 コウキ、お前はきっと塔に行きたがるだろう。止めはしないよ。

 その為に私が教えられる事は全て教えたのだから。

 辿り着けたら、サクラとお前を私に授けた事への感謝と、お前が必要だと判断したなら鉛玉をくれてやれ。

 お前は私より過酷な道のりを歩む事になるかもしれない。

 その時は、私が胸の中の痛みを自分の手で無理矢理引きずり出そうと思うたびに、脳内で彼女達が止めてくれた様に、私もサクラも、コウキの中で息づいている事を忘れないで欲しい。


 P.S 親の恥かしい手記なんて読むんじゃない。

 愛しているよ、コウキ。 



「うあ、ばれてる」

「ワフッ」


 最後に記された追記を見て、コウキの胸に驚きと笑いが起こり、ほんの少しだけ涙を流す。迷いつつも、日記をバックにしまって年季の入った装備を手に取り、家の扉を開けた。

 春風がお下がりのアーマーの上に羽織ったコートを(なび)かせて、廃墟の上に芽吹く緑の大地が朝焼けを差し込んでくる。


 遥か彼方に影になってそびえる塔は、父の頃よりも高く大きい。


「ま、望むところだよな」

「アンッ!」


 フウタが肯定と共に声を上げて先陣を駆る。

 コウキはお古のヘルメットとマスクを深く被りなおして、もう一度だけ景色を見た。


「上等だ。かかって来いよ、世界」



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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読開始です。 あまりに自然な状況説明を兼ねたドラマティックな導入部。圧縮された”ある家族の半生”…素敵です。 読み進めていきます<(_ _)>
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