お針子と兄君様1
お針子と兄君様1
兄君様の衣装を見た瞬間に奥様は言い放った。
「だめよ」
師匠がうなだれるのを横目に、俺たちはテーブルの上に布を敷き、装飾用の毛皮やレース、リボンを並べ始める。
「地味すぎます。もっと華やかに、豪華に、威厳をもって。この子は嫡子なのですから」
薄い水色の絹の上着には銀糸と真珠で一面に刺繍が施されていて、窓からの光だけでは薄暗い部屋で昼でもともされた燈明の下、きらきらと輝いている。結構盛ったけど、まだ駄目だったか、と俺と同僚のお針子はため息を飲み込み、師匠の指示を待った。
「あの子の刺繍は金糸じゃないの。どうしてこちらは銀糸なの」
そこか、と師匠の肩が震える。
衣装を着せられた当の本人は困ったように自分の母親が文句を並べ立てるのを聞いていた。
銀色の光を帯びるその衣装は、ほっそりとした優し気な風貌の彼にとてもよく似合っていて、俺たちとしても結構な自信作だったので、まさか金と銀とかいう理由で駄目出しをされるとは思いもよらなかった。
「袖口を銀ぎつねの毛皮で縁取り、銀糸のレースで彩るというのはいかがでしょう」
銀ぎつね、と奥様が口の中でつぶやいた。銀は銀でも銀ぎつねなら許せるらしい。
「裾も飾ってちょうだい」
は、と師匠が頭を下げ、蔓のモチーフの銀糸のレースと銀ぎつねの毛皮を選び出して俺に押し付けた。
俺ですか?と目で問うと、師匠はうなずいて奥様にちらりと視線をやった。どうやらこれから奥様のドレスのお直しがあるらしい。
師匠と奥様とお針子たちが隣室へ向かう後姿を礼をして見送った後、
「失礼いたします」
と、声をかけて兄君様から上着を脱がす。
控えていた侍女が捧げ持つ普段着の上着を受け取ってはおると、兄君様は眉を下げて笑ったような顔をした。
「ありがとう。申し訳ないね」
早速窓際で上着を広げて袖と裾の装飾にかかろうとしていた俺は面食らって、礼儀知らずにも兄君様の顔をまじまじと見つめてしまった。
侍女がともしていた明かりを消す。途端に部屋の中が暗くなった。針仕事は窓際でしかできない。明かりが足りないからだ。
「あ、いえ、とんでもない。お気に召すものをお作りできず、申し訳ありませんでした」
首を横に振って、兄君様はまだ広げられたままだった装飾用のレースや毛皮のそばの椅子に腰を下ろした。
「仕上がりましたら、お持ちいたします。あの」
どうしたらいいのか、と俺がしどろもどろに言ったのに、兄君様はただ、うん、とだけ答えてそのままそこから動かない。
俺のほうもあまり、というかかなり時間がないので、もう兄君様にかまってもいられず、その存在を気にしないことにして作業を始めた。
開け放した窓から冷たい空気が入ってくるけれど、鎧戸を閉めたら真っ暗だし、暖炉に火を入れてもらえるような立場ではないしで、裁縫部屋はいつも寒い。
少し寒いくらいのほうが眠くならなくていいというのは俺たちの負け惜しみで、手はかじかむし肩はこるし薄暗くて手元はよく見えないしで、正直作業環境は最悪だ。
しばらくそうしていると、かさり、と兄君様が動く気配がした。
顔を上げると、手に持った一枚のレースをぼんやりと眺めている。
「花ですね」
ぽつりとつぶやいた声は、いつも彼の声として聞くものよりも低くて小さかった。
そのレースは、かわいらしすぎて彼の衣装に使うには向かないものなので、たぶん用意をしたときに紛れてしまったのだろう。
「ヒナギクです」
「ヒナギク……」
そおっと、彼の指がレースの表面をなでる。壊れ物でも扱うような、こわごわとした手つきだった。
「一面に咲く、ヒナギクを、見たことがあります。南の国で。明るい、よく晴れた空の下で、風にゆれて、とてもきれいでした」
笑った、ような気がした。ゆるく口のはしが上がって、ほおがゆるむ。それだけで、顔の印象ががらりと変わる。
「お好きですか?少しさしましょうか。あ、いや、裏地の刺繍に紛れてさしてしまえば目立ちませんし」
好きなものを思い浮かべるだけで、あんな顔をするなら。
いつでもそばにあったら、どんな顔をするだろう。
出過ぎたか、と顔を手元に向けると、相変わらず低くて小さな声が俺の耳を震わせた。
「ありがとう、うれしいです」
弱い日の光。
薄暗い部屋。
豪華な絹の衣装に銀糸と真珠の刺繍。
銀ぎつねの毛皮。
浮かび上がる白い頬に、まつ毛の影が落ちる。
俺は寒さとは違う理由で震える指にうろたえながら、水色の衣装の濃紺の裏地に一番細いやっぱり濃紺の糸で三輪のヒナギクをさした。
左胸の上に。
ちょうど、心臓の位置に。
裁縫室での噂話によれば、ご兄弟は妹君様も含めて奥様のお子様ではないそうだ。
領主さまの寵愛を受けたご婦人が、領地の端の湖のそばにいらっしゃったとか。
お子様のいらっしゃらなかった奥様は、兄君様が5つだか6つだかの時にそのご婦人から預けられて、それからご自分のお子様として育てた。
聡明で穏やかな兄君様は奥様やご領主や家臣たちの期待を一身に受けて成長したけれど、その関係がおかしくなったのは、ご婦人がなくなられて弟君様と妹君様が城に引き取られてきてからだ、と裁縫室では語られる。
兄君様は聡明で穏やかで優しく。
弟君様は英明で朗らかで。
弟君様を次期当主にという声は年々大きくなる。
別に、兄君様に否があるわけではない。
ただ、弟君様が何事にも突出しているだけで。
奥様は兄君様を推していらっしゃる。
ご自分が育てた方だから。
ご自分のお子様だから。
家臣たちは弟君様を推している。
秀でた領主は、領土を栄えさせるだろうから、と。
あいた時間を費やして、少し大きめの楕円形で麻の手巾を作った。
縁をていねいにかがって、一面に刺繍をさす。
麻なんて、普段使いにもしないだろうからかわいらしさなんて気にしないで一面にヒナギクを。
でも、もしかしたら使ってもらえるかもしれないと白一色で。
火熨斗をかけて、なかなかの出来上がりに満足して、そしていまさら渡すすべのないことに気がついた。
裁縫部屋に二人きりなんて言う、この前の状態が異常だったのだ。ただのお針子の俺が兄君様の前に出る機会なんてない。
なにをやっているのか、とため息をついて、手巾をたたんで小物入れにしまった。蓋をして、しばらくしてたまらなくなってまた取り出した。
一面の、ヒナギク。
一条の日の光のような、あの、笑顔。
あきらめてもう一つ麻で袋を作った。
持ち歩いても汚れないように。
いつかまた会えたら、その時はすぐに渡せるように。
奥様の深紅のビロードのローブにひたすらにツタの刺繍をさす。
長く裾を引いたローブの表面に、細い糸で密にさしていると、永遠に終わらないのではないかという気分になってくる。
でも、続けないと本当に絶対に終わらないので、とにかくさす。ひたすらさす。
一緒に作業をしていた同僚が師匠に呼ばれて行ってしまい、一人になるとまた永遠に終わらないんじゃないかという気分が増してきた。
「おわる、おわる、いっぽいっぽがだいじ、のぼらなくちゃ、ちょうじょうにはつかない、くだらなくちゃ、ちじょうにつかない」
自分を励ますためにぷつぷつと歌いながら手を動かしていると、ひそやかな笑い声がした。
顔を見なくたってわかる。
聞かれた、と俺の耳が赤くなった。
こほり、と咳ばらいをして、兄君様が張りのある優しい声で言った。
「この間はありがとう」
よそ行きの声だ、と思った。
いや、元気になっただけかも、と思い直して、そろそろと俺は顔を上げる。
「ヒナギクがある、と思うと元気になります」
穏やかな笑ったような顔で兄君様は俺の前に立っていた。
「よかったら、こちらも」
もう、この人には必要のないものかもしれないけれど、もし、まだ少しでも喜んでもらえるなら、と俺は懐から袋に入った手巾を取り出した。首をかしげながら兄君様は袋を受け取り、中を覗き込んだ。
息をのむ音がして、兄君様が固まってしまった。
「あ、申し訳も、このような粗末なもの」
バカみたいだった。
何でも持っているこんな人に、少し喜ばれたからって、手巾とか、勝手に。
恥ずかしくて、慌てて取り返そうとそばによって腕を伸ばす。
「あ、違うんです。あの、あ、まって、お願いですから」
伸ばした俺の手から逃れようと両手で胸のあたりに俺の手巾を握りしめたまま兄君様が後ろに下がる。
渡さないというように、首を横に振って、そして、俺の目の前でそれを広げた。
「ヒナギクですね」
小さな、低い声だった。この前みたいな。
「ヒナギクです」
俺の作った手巾を手の上に広げて、まるで宝物のように見て、そおっと表面をなぞった。
「ヒナギクは、希望なんです。日に当たって、希望が見える。あの、ありがとう。とても、うれしいです」
そして、兄君様は笑った。
雲間から漏れて、地を照らす、日の光みたいだった。




