入隊届け
俺が不意に視線を萩原達が居る方へ合わせると、ソファーの中心に座る川辺が自分の肘を使って萩原の体を少しばかりド突いているのが見えた。川辺にド突かれた事で我に返ったのだろう、今まで何をされても、何を言われても全く喋る気配を見せなかった萩原の口が少しばかり動いた。
「あっ、あの……僕……」
地の底から聞こえて来そうな、掠れた声に周り皆が驚いた。
マーキスの威圧が相当効いているのだろう。
「何かね、全く聞こえないんだが」
萩原の怯懦な態度を良い事にマーキスは直、威圧を続けた。
「静かにしてくれないですか? 萩原さんの声が聞こえないんですけど」
助手の言葉からは憤りすら感じられた、自分の意見を受け入れてくれない上司への怒り、ここまでやったのに未だ引っ込み思案な萩原に対しての怒り。この二人に対して憤りを覚えているのは確かだ。
状況を見かねて萩原の隣に座る川辺が耳に手を当てると、何やら言葉を吹き込んでいる。何を吹き込んでいたかは分らない。だが、川辺が耳から手を退けると萩原は勢い良く立ち上がった。
「あのっ僕、ボタンを押してたんです」
川辺以外の全員の頭から「?」が噴き出した。全く内容がつかめない。萩原は場違いな発言だと思ったのだろう、直立したまま視線を川辺へ戻していた。
「そうや、言うたれ」
少しばかりの間が流れ萩原は何かを閃いたらしく、先程自分の言った発言の補足を始めた。
「通信用のボタン押してたんです」
相変わらず怯懦な者の、先ほどよりかは幾分聞きやすくなっていた。だが、そう甘くないだろう。
萩原の意見一つでこの男が引きさがるはずかない。
「ほう、それはどのボタンの事かね? コクピットのキーボードには109のボタンがある、更に両サイドの操縦用を合わせると120以上もボタンがあるのに、君の言う通信用ボタンとはドレの事かね?」
何と意地の悪いことか、マーキスの発言を聞いて萩原は又硬直した。だが先程とは少し様子が違うようだ、手の平を拳にすると力強く握っていた。それに、萩原が知らないはずは無いのだ、試験終了した後に俺達に本人が聞いて来たのだから。
暫く沈黙した時間が流れていた、硬直状態のまま萩原はボタンの配置を思い出したらしく、閃いた素振りを見せるとまた喋りだした。
「え、えっと、右小指のボタンですよね……」
確かにそうだ、弱々しい言葉は自信が無いようで当てずっぽうに聞こえるが、答えは合っている。
マーキスは萩原の言葉を聞いて深く溜息を付いていた、観念したのだろうか。
「もう良いだろうマーキス、彼本人の口から出たんだから疑う余地は無い」
慎重に言葉を選びながらも高島は喋った。既に部屋に見方が居なくなったマーキスは、1人だけ道化と化していた。
「高島、だからと言って採用枠の数は変わらないんだぞ? 定員500名、大体の目星は付けてある。序盤から情に流されて人を選んでいてはこの先人選が危うくなるではないか」
「断言しよう、今回だけだと。それに、助手の顔も立ててやってはくれないか? 彼女は研究は今一なんだが目利きは良くてね」
「研究だってちゃんとやっています」
そう言うと鈴木助手は高島の肩に手を乗せると力任せに握った。ミシミシと音を立て助手の指が高島の白衣に減り込んで行く……かなり痛そうだ。
横で燥ぐ二人を気にする事も無くマーキスは静かに俺達の方を見つめると大息を付いた。
「やれやれ、今回だけ助手の面を立ててやろう」
俺達はその言葉に胸を撫で下ろした、俺達がこの施設に残る事が決まったのだ。
「まあ、今ある採用通知は二人分しかないんだ。萩原君と言ったかね? 君は後で私の所に取りに来てくれるかね。マーキスに頼むと何をしでかすかわからないからな」
高島の嫌味を聞いてマーキスは軽く舌打ちをすると、何処となく残念そうな表情を伺わせていた。
「マーキス、後で余分に出来た採用通知にサインを頼むよ、僕のサインだけでは効果が無いからね」
「上官の命令となれば仕方がない」
「さて、これが君達二人の採用通知だ、持って行くと良い」
そう言うと、高島は徐にソファーの脇から A4サイズの封筒を二通取り出した。
そして、二通の封筒を机に並べて置いて見せた。封筒には俺と川辺の名前が書いてあり、机の上に置いたと言う事で、自分の封筒を自由に取って行ってくれという事なのだろう。
「じゃあ、お言葉にあまえて」
「その封筒を受け取るという事は軍隊の一員になったという事、扉を開けて外に出たが最後もう客として扱われないと思え」
封筒に手を掛けた時、低い声で威圧するようにマーキスの声が聞こえた。この先俺は軍人になるのだ、昨日まで引き籠りがちな学生ライフを満喫していたというのに、翌日には無理矢理軍人だなんて……。
「そんなん構わへん、徴兵でも軍人には変わらんのやったら給料やってちゃんと出るんやろ?」
川辺は受け取った封筒を団扇の様に使い相変わらずの態度を見せた。半ば開き直った態度にマーキスは目を丸くしていた。
「それは……出るだろ給料くらい」
「ワイは内定貰ってたんや、そろそろ田舎の親に仕送りせなあかん歳やし、給料もらいながら世界最高峰のロボット技術を見られるんや、こんな旨い話なしそう無いわ」
川辺は上機嫌に心の内を言ってみせた、どちらにせよ浮かれる川辺を煙たく思ったのだろう高島は少しばかり咳き込むと言った。
「あぁ、君達そろそろ出て行ってもらえるかね? 私にだって分刻みの予定がある、これ以上一つのチームに付き合う時間はないからね」
気がつけば俺達が応接室に入ってから既に三十分という時間が流れていた、それに、願っても無いチャンスだ。この噎せ返るような威圧感から早々に退散出来るのだから。
俺はマーキスの小言がまた始まる前に席を立つと、連鎖する様に二人も立ち上がった。深くお辞儀をし、不慣れ故にやっと耳で聞き取れるような小さい挨拶を重ね、応接室の出入り口へと向かった。
出入り口の重い木製扉に手を掛けると、後ろから高島の声がした。
「ああ、川辺君だったかね?」
その声に驚き川辺は慌てて応接室の奥へと目をやった、未だ位置を変えずソファーに座る高島へと視点を合わせる。時間が無いという割にはのんびり構える三人は優雅に訪れたコーヒーブレイクを楽しんでいる様にしか見えなかった。
でも、俺達との話が始まった直後高島は確かに時計を見ていたし……。
「なんっすか?」
川辺は相変わらず敬語を使わない、ぶっきら棒な返事が室内へと響き渡った。
「君は少し短気だね、その性格は考え直した方が良い、この先障害になるからね。それと目上の人間には敬語を使えよ」
変らぬ口調で話していたが高島の眼はまるで笑っていなかった。背筋に寒気が走る視線はマーキスの威圧以上の効果を持っている。叱られているのが俺では無いのにこの威力とは……この男、普通の科学者じゃないな……。
まるで、学校の先生が吐くような正論に川辺は面を食らいながらも今度は礼儀正しく御辞儀をした。
「す、すみません……気を付けま……す」
「解れば良いんだ、解れば」
高島のその言葉を最後に俺達は一目散に応接室を後にした。