:第十二 冬夏祭
相良が我が家に避難しに来て、一週間が経った。
初日の一件が尾を引いて、最初の二・三日は気まずい感じになってしまったが、今やすっかり元通りだ。
相良の父が出した外泊の条件も、相良自身のアルバイトも、滞りなく進められている。
なにより、ひとつ屋根の下で共同生活を送ることで、以前よりぐっと親密になった実感がある。
以前には遠慮していた話題を、互いの顔色を窺わずにできるようになったのが、いい証拠だ。
「───東京!?また思い切ったことするなぁ……」
「まぁ、やりたいことと、やりたくないことが決まってんなら、それくらいは朝飯前だったんじゃね」
「……具体的に、なんの勉強って?」
「わかんない」
「そこまでは教えてもらえなかった?」
「おれはね」
「ん?」
例えば、相良の母親について。
相良母には、予てよりの夢があった。
夢を叶えるためには専門の知識と技術が必要で、その第一段階として、相良母は単身上京した。
現在は数少ないコネクションを頼りに武者修行中であり、順当にいけば、来年か再来年あたりに独立できる予定らしい。
要約すると、
相良父と別れて自由の身となり、
自分の人生をやり直したいと新天地を目指し、
無事に生まれ変われた暁には、生まれ故郷に出戻る可能性も無きにしも非ず、というわけだ。
「おれだけ知らないのか、ジイさんバアさんも、全員誰も知らないのかは、おれは分かんない」
「……連絡先は、変わってはないんだよな?」
「たぶん。
電話もメールも、返ってこないだけで、届いてはいるみたいだから。
まぁ、おれはどっちも、送ったことないけど」
「そっか」
とはいえ、すべては一方的な事後報告。
出奔後に大まかな行先と目的を告げたきり、相良母は音信不通のままだという。
今度戻ってくる時には、洗いざらい白状させてやる、と。
平素は温厚な祖父母も、珍しく立腹した様子だったと相良は語る。
「───進学はしたいよ。せめて高校までは」
「そりゃあ、まあ、そうだろうけど……」
「おれじゃ無理だって?」
「そうは言ってねーよ。お前の成績と素行なら、むしろ引く手数多だろ。
ただ─────」
「お金のこと?」
「……奨学金とか色々、制度を使えば、進学自体は、無理じゃないとは思う。
ただ個人的に、それで予後が悪くなった人たちを知ってるから……。
気軽に提案できるものじゃないというか……」
「言うと思った。
大丈夫だよ。他にも選択肢、ちゃんとあるから」
あと、相良の高校受験についても。
こちらの主な問題は、成績より素行より、まず学費だろう。
アルバイト代から少しずつ貯金に回している、という話は以前にも聞いたが、箪笥預金レベルで賄えるほど高校の学費は安くない。
最も手頃な公立校を受けたとして、入学金すら納められるか怪しいものだ。
そのあたり、どう算段するつもりでいるのか。
そもそも、相良自身に進学の意思はあるのか。
心配する俺をよそに、意外にも金銭面での目処は立っているらしかった。
「なるほどな。
そういうことなら、うーん……」
「はっきり言っていいよ」
「………。」
「……責めないであげてね、二人のこと」
「責めてはないよ。
みんなが静かに暮らせる方法がないかって、それだけ、どうしても」
「そうだね。
けど、これはおれが選んだことだから。
一緒に住もうって言ってくれたの、断ったのおれだし。今んとこ、あいつの側にいるのが最小限だって、納得したのもおれだし」
「うん」
「活路を作ってあげようって、あっちはあっちで色々頑張ってくれてんのが、勿体ないくらい、十分すぎるくらい」
「お前はお前で無欲すぎるんだよ」
「ふふ。
まあ、さ。先生の言いたいことも分かるけどさ。おれだって馬鹿じゃないし、考えてるしさ。
おれ以上におれのこと、考えすぎて、苦しくならないでよ」
「……そうだな。うん。はい」
例の祖父母が、両親に代わって工面してくれるそうなのだ。
相良親子が貧しい日常生活を送っているのも、これが理由。
日常の援助ができない代わりに、今後の相良の支度金を貯めているとのこと。
きっと少ない資産と年金の中から、コツコツと捻出しているに違いない。
「あと、自分のこと責めんのもやめてね。何度でも言うけど」
「はい」
「"俺がもっと金持ちだったら、もっと偉い立場だったら、全員のこと守ってやれるのに"。
とかさ。勝手に想像して、勝手に自己嫌悪すんのもやめてね」
「お前はエスパーをやめてね?」
「本当に困ったら、その時に改めて、相談するから。
いよいよになる前に、ちゃんとSOSするから。
心配してくれてありがとうだけど、ずっと、全部は心配しないでね」
「わかりました」
「話、聴いてくれてありがとう」
「……俺こそ。話してくれてありがとうな」
僅かばかりの光明だが、光は光。
真っ暗闇の中で、一人きりで手探りで、あてどなく彷徨い続けるよりは、ずっと希望がある。
相良の未来がひとつ約束されたようで、俺は嬉しかった。
「───ちなみにさ」
「うん」
「ついでなんだけどさ」
「うん」
「あのー、………」
「なに、この際」
「……お前の、お母さんのことさ」
「うん」
「お母さんはお前のこと、敬遠ってか、親子の縁を切ってしまいたい、みたいな感じではないんだろ?」
「らしいね」
「お前はお前で、気持ち的には色々あるだろうけど、二度と会いたくないってわけじゃないんだろ?」
「一応ね」
「で、来年か再来年には、一回帰ってくるかもなんだろ?」
「母さんね」
「だったら、………」
「"それを機に、母さんと暮らすのもアリなんじゃないか"って?」
「提案じゃないよ、別に。俺がそうしてほしいって思ってるわけじゃない。
ただ、"選択肢がある"って話だったから、その選択肢の中に、そういう可能性も、お前的にあったりするのかなって……」
"お前の未来に、母親はいるのか"。
"ついで"と口では言いながら、本当はかなり踏み込んだ質問。
母は相良を疎んではおらず、相良も母を憎んではいない。
だったら何故、いつまでも他人行儀な関係が続いているのか。
身近な父親への怨嗟より、行方知れずな母親への渇望を尋ねるほうが、俺には勇気のいることだった。
「ないよ」
「そっか」
「誤解しないでほしいんだけど、嫌いだから憎いから、一緒にいたくないってんじゃないよ。
前向きに検討しても、一緒にはいられないって、最終なるだけ」
「そこは掘り下げないほうがいいか?」
「別に。掘り下げても、特に何もないだけ」
「そ、か」
「なんだっけ、ヤマアラシのジレンマ?
一緒いても、どうせ、お互い傷つけ合うんだろうし。だったら近すぎないで丁度よくねって、そんだけ」
「そうだな。うん。お前がそれでいいなら、いいんだ。ごめん」
「……ふ、へんなかお」
"変な顔"、と。
俺の眉間を人差し指で小突いた相良は、いつも俺が、自分の母を思う時と同じ表情をしていた。
***
あれからもう数日が経ち、夏休みも中盤に入った8月8日。
先日から密かに企んでいた俺は、機が熟すのを待って行動に移した。
ソファーにて一人、テレビ鑑賞中の後ろ姿へ近付き、背後から声をかける。
「───なあ、相良。
今日ってシフト入ってなかったよな?」
「ん?うん」
相良はテレビに目を向けたまま答えた。
俺も相良の隣には並ばず、斜め後ろに陣取ったまま重ねて問うた。
「アパートの掃除も行ったばっかだし、宿題もほとんど終わったって言ってたよな?」
「うん……?」
二度目の問いにも答えてから、相良はこちらに首だけで振り返った。
俺はソファーの背もたれに手を置き、横目に相良を見下ろした。
「てことは、今日一日ヒマってことだよな?」
「そうだけど……。
なに、さっきからニヤニヤ気持ち悪い。用があるなら早く言え」
さすがに不審を覚えたのか、相良は僅かに仰け反った。
ポーカーフェイスを装ったつもりが、俺の心のニヤニヤは表に出ていたようだ。
「今日がなんの日かは、もちろん知ってるよな?」
「なんの……。
───ああ、お祭りのこと?」
「正解!
初日は過ぎちゃったけどな」
相良の言った通り、今日こそは、夏の冬見市における一大イベント。
"冬夏祭"の日なのである。
冬夏祭とは、朝の10時から夜の10時まで連日開催される、スタンダードな夏祭りのこと。
期間は計三日にわたり、様々な露店が立ち並ぶうえ、近隣の飲食店でも限定のサービスが実施される。
初日は相良のシフトが入っていたため逃してしまったが、盛況さなら二日目の今日でも十分のはず。
俺が企んでいた計画というのは、この冬夏祭に相良を連れ出すことだったのだ。
「こないだも言ったと思うけど……。おれ、祭りなんか行かないよ?
興味ないし、一緒に歩く相手もいないし」
当の相良は、祭りに対して酷く消極的だった。
先日に話題に出した時だって、今のと全く同じ返しをされたくらいだ。
だが、俺は知っている。
単に興味がないだけでなく、こういったイベント事に対して、相良が乗り気にならない理由を。
"一緒に歩く相手もいないし"。
最後にポロッと零した一言が、相良の本心を表しているということを。
「じゃあ、一緒に歩く相手がいれば、行ってもいいんだな?」
俺が念を押すと、相良は口元を強張らせた。
「まさか、先生と?」
俺は笑みを深くすることで肯定した。
相良も困った笑みを浮かべて、今度は前のめりに否定する姿勢をとった。
「まずいでしょ、それは。
祭りなんて、ただでさえ人多いんだし、ぜったい誰かと出くわすよ。
特定の生徒と遊び行ったとかバレたら、おれより先生が怒られるじゃん」
一教師が特定の生徒とプライベートな付き合いをするのは、道徳的にも規律的にも宜しくないことだけれど。
それはあくまで、"教師と生徒"で対だった場合だ。
"教師と教師"、"生徒と生徒"で分ければ、なんの問題もない。
こいつは多分、気付いていないんだ。
"まずい"とか"怒られる"とか、俺を案じる言葉ばかりで、自分自身が"行きたくない"とは一言も言っていないことに。
「大丈夫だよ。俺だって、考えなしにこんなこと言ってるんじゃない。
お前だって、一回くらいは行ったことあるんだろ?夏祭り」
「まあ……。小学生の時に……」
「まあまあ楽しいもんだったろ?」
「……つっても小学生だし」
「否定しないってことは、嫌いなわけじゃないんだな。
よし決まり」
もごもごと口ごもる相良に、俺は畳みかけた。
すると相良は突然、俺のシャツの袖を掴んできた。
「や、でもさ。
───やっぱり、やめといた方がいいって。
祭りなんて別に、行こうと思えばいつでも行けるし。いま無理して、先生の迷惑になりたくない」
相良の視線が右に左に宙を舞い、最後に下に落ちて動かなくなる。
この浮き足立った感じからして、イベント事自体を嫌っているわけではないのだろう。
華やかな社交の場に、自分のような日陰者は相応しくないと、どこか後ろ向きな気持ちでいるだけで。
"───昔は特に、色んなとこ遊び行ったりしましたよ。"
道連れがいないから。
楽しむ資格がないから、楽しめる状態にないから。
きっと、ずっと。
遠巻きに眺めるしか出来なかったんだ。
賑やかな笑い声も、美味しそうな露店の香りも、今日のためにと拵えた浴衣姿も。
そんな有り触れた特別を、当たり前に共有しあう、見慣れたはずのクラスメイトたちを。
"オレは今でも、楓のことを友達と思ってます。"
確かに、祭りなんて何時でも行ける。
露店の食い物なんてそのへんに売ってるし、射的や型抜きや金魚掬いだって、探せばいくらでも機会があるし体験できる。
でもな、違うんだよ。
理屈じゃないんだよ、相良。
いつでも行けるからじゃなくて、行ける時に行っておくのが大事なんだ。
冬夏祭は末永く続いていくだろうけど、中学生のお前にとっての冬夏祭は、今回を逃せば二度と訪れないんだ。
"聞かないでおきます。今は。"
"先生からは聞かない、って意味です───。"
真面目で辛抱強いお前を、俺は心から尊敬している。
同時に、子供は遊ぶことも本分なんだと、理解してほしいとも思っている。
俺のように、したい理由よりも、しなくていい理由を先に探す、齢ばかりの大人になってしまわないように、願っている。
「お前のことで迷惑に思ったことなんか一個もないよ。
むしろ俺のが、相手いなくて困ってるくらい」
「ぜってーウソ」
「嘘じゃないよ。
……大人になると、どこどこ遊び行きましょーって、気軽に誘えなくなるんだから。
いつもつるんでる仲間でも、古くからの友達でも」
相良に掴まれていた手をそっと離し、俺はソファーのアームレストに浅く腰掛けた。
「だからって、おれなんか……。
せっかく楽しい場所なのに、楽しくなくなっちゃうよ?」
「楽しくないならないで、意外とつまんなかったなーって、思い出話にすりゃあいい」
「………。」
「トラブルにならないように、策はもう練ってある。
だから後は、お前次第。お前自身が行きたいか、行きたくないか」
「……後悔しない?」
「俺がお願いしてんだって。
まあ、お前と一緒なら、このまま家でダラダラすんのも悪くないけどな」
うなだれる茶髪頭を撫でてやる。
相良はゆっくりと顔を上げると、観念したように小さく吹き出した。
「わかったよ。
そこまで言うなら、つまんない思い出作らせてやろーじゃん」
「ヤッター」
「けーど。
もし知り合いに出くわした時は、おれがゴネて先生を連れ回したってことにするから。
そこらへん、設定合わせてよね」
「ラジャー」
"いざという時は、自分が無理を強いたせいにしろ"。
健気爆発な相良に、俺は父性が爆発しそうになりながら、ある人物のことを頭に思い浮かべた。
これから落ち合う予定にある、元野球部所属にして、現学級委員長の彼のことを。




