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俺を殺してお前も死ね  作者: 和達譲
『目を逸らす』
39/82

:第九話 懐疑の種 4



「───さすがに、沢井先生と楓の親父さんがどんな話をしたかまでは、オレも知らないですけど……。

沢井先生と楓と、二人の間に因縁があるのは、確かだと思います」



みぞおちの奥から、吐き気に似た衝動が込み上げる。

熱くなった目頭から、生理的な涙が溢れ出そうになる。


特定の誰かに対する、猛烈な"怒り"。

こんな感覚に陥ったのは、久しぶりだ。


葵くんのコーヒーがいつ無くなったのか、自分がいつから相槌を打てなくなったのかさえ、もう覚えていない。




「わかった。

だいたいは、わかったよ」



俺の中で燻っていた、疑念の正体。


"沢井先生の印象と実体が異なっていた"こと。

俺の知る"印象"の部分と、相良の知る"実体"の部分とが隔たっていたからこそ、俺は相良との出会いを経て、沢井先生に疑念を抱くようになったんだ。



「(どうして俺は、会ったこともない人を、人格者だなんて思い込んだのか)」



写真で見た優しい笑顔も、電話で聞いた穏やかな声も、人づてに教わった丁寧な教育方針も。


少し前まで、信じてしまっていた。

俺は沢井先生のことを、評判に違わぬ人格者とばかり思っていたのに。


現実は、こうか。

葵くんの証言だけでは確実性に欠けるが、沢井先生が相良の家庭問題を引っかき回したのは間違いない。



「(相良に出会わなければ、俺も、惑わされたままだったのか)」



当時の相良の心境は、どんなものだったのだろう。


信用した相手に裏切られるのは、沢井先生が初めてじゃない。

虐待の事実を告白するだけでも、相当にしんどかったはずだ。



「(そりゃあ、警戒するわけだよ)」



自分にとっては悪人、みんなにとっては善人。

一対一で向き合わなければ、瞳の奥に焦点を合わせなければ、疑念すら持てない。


自らの虚飾を真実かのように錯覚させる魔性が、沢井先生にはある。

相良に降り懸かった悲嘆と絶望が、より鮮明になって、俺の目に浮かんだ。




「もう一度だけ確認するけど……。

葵くんはあくまで、第三者として、二人のやり取りを見てただけなんだよな?」


「そうです。

オレが見たのは、沢井先生が楓に迫ってるところと、楓の親父さんの件で、沢井先生が事後報告をしてる場面だけです。

だからちょっと、オレの主観っていうか……。想像とか、推測で補ってる部分もあります。すいません」


「いいよ。顛末は十分わかったから」



葵くん自身は、相良の家庭問題に関与していない。

相良と沢井先生の攻防を、付きっきりで観察していたわけでもない。


せいぜい、ターニングポイントとなる場面に居合わせたり、小耳に挟んだ程度のようだ。




「ちなみに、例の事後報告の場面って、どんな雰囲気だったか覚えてる?」


「覚えてますよ。

温度とか、色とか匂いまで、昨日のことのように」


「たとえば?」


「当時は、冬も始まる頃だったんで、寒かったです。

教科準備室なんて特に、外れのほうにあるから、オレのいる廊下も、二人のいる部屋の中も、暖房届かなくて、寒いし暗いしで。

匂いは……、ちょっと埃っぽいのと、窓の近くは結露のあれで、ちょっと湿っぽかったかな」


「よく覚えてるなぁ。

二人の様子は?どうだった?」


「……そこは別に。

詳しく言わなくても、先生ならもう分かるんじゃないですか?」


「え?」



という点を踏まえた上で、葵くんが"確か"だと断言したターニングポイントは、以下の二つ。


相良が沢井先生に虐待の旨を打ち明けていたらしいことと、

沢井先生が相良の父親のもとに直談判へ行ったらしいこと。


前者は二人の普段の会話から判明したもので、

後者は沢井先生本人の口から聞いたものだそうだ。



ちなみに、後者の事後報告が行われたのは、放課後の教科準備室。

奇しくも、相良と鈴原先生の因縁が始まったのと、同じ場所だった。


俺は葵くんと冴島さん、相良は鈴原先生と沢井先生。

それぞれで、音楽室と教科準備室に縁があるのかもしれない。




「一応は内密な、二人だけの内緒話、ってていだったみたいですけどね。

その割に、大きな声で話してましたよ、沢井先生は。

単なる報告ってより、物語を朗読するような、って言えば伝わります?」


「……なんとなく」


「たぶん、あれかな?

実はオレみたいに、誰かにこっそり聞かれちゃって、やっぱり沢井先生はスゴイって噂されたかったんじゃないすかね?

オレはしなかったすけど」


「……相良のほうは?どんな?」


「死人ですよ。

いつにも増して、青ざめた顔。

生気がない、でも表面的には薄く笑ってる。

傍から見たら、作り笑顔だってすぐ分かるやつ。

分かってないのは、目の前にいる"おしゃべりジイさん"だけ」


「……だからこそ、君は最後まで立ち会ったんだね。

君以外に誰か、立ち聞きされることのないように」


「………。」



話していくうちに、葵くんは沢井先生への嫌悪を隠さなくなっていった。


敬称だけは欠かさずにいるが、"おしゃべりジイさん"呼ばわりまで落ちるとは。

生まれついての正義感の他に、相良個人への肩入れがないと出ない発言だろう。




「葵くんってさ、相良と同じ小学校出身なんだよね?」


「え?ああ、はい」


「"楓"、"俊介"って、下の名前で呼び合ってるくらいだし、その頃から仲は良かったのか?」


「あー……、はい」



そういえば、葵くんと相良は同じ小学校出身だっけか。

肩入れするくらいには、当時から親しい間柄だったのか。


俺の改まった問いに、葵くんはコーヒー代わりの水を飲んでから答えた。




「昔は特に、色んなとこ遊び行ったりしましたよ。

オレんで一緒に宿題やったこともあります」


「へー……。

普通に友達だったんだな。ちょっと意外だ」


「ですかね」


「今は?

あんま話してるとこ見ないけど、喧嘩でもした……?」


「いいえ」



"昔は"、と前置きするということは、今は違うのか。

俺が追求すると、葵くんは寂しそうに眉をひそめた。




「急に仲が悪くなった、とかでは、ないです。

オレは今でも、楓のことを友達と思ってます」


「……じゃあ、いつ頃から疎遠に?」


「小学五年の中頃なかごろ───、くらいだったと思います」


「きっかけは?」


「きっかけ───、ってほど、特別なことはなかったです。

……なかった、はず、なんですけど」


「うん」


「気付いたら向こうが、あんまり喋ってくれなくなった、みたいな……」



あえて言葉を濁すのではなく、要領を得ない言い方をする葵くん。

どうやら葵くんのほうが、一方的に距離を置かれてしまったようだ。




「特に何かあったわけじゃないけど、少しずつ、あいつの方から離れていったと?」


「はい」


「葵くん的に、心当たりがあるとしたら?」



"ガシャーン"。

葵くんが返事をしようと口をひらいた瞬間、厨房から食器の割れる音が響いてきた。

次いで従業員の謝る声が響いてきて、厨房内でトラブルがあったことが窺える。


驚いた葵くんは咄嗟に口をつぐみ、数秒の間を置いて仕切り直した。




「ちょうど、楓の親が離婚した時期でもあったから。

そのせいで気持ちが不安定になったんじゃないかと、オレは思ってます」


「なるほどな。

ご両親の離婚は、割と最近の話だったわけか」


「もっと昔のことだと思ってました?」


「想像ではな」



"相良が小学生の頃に、相良の両親は離婚した"。

沢井先生が残してくれた資料には、そう書かれていた。

俺としては低学年を想像したのだが、実際にはもう少し後の出来事だったようだ。


今から約3年前。

相良が小学5・6年生だった時期に、相良の両親は離婚した。

そして、両親の離婚を機に、父親から相良への虐待は本格化した。


離婚をする前の状況は、どうだったのだろう。

一時いっときでも円満な時期はあったのか、相良が生まれた時にはDVも虐待も常態化していたのか。


いずれにしても、相良の父親は我が子を殴る男で、相良の母親は我が子を捨てていった女だ。

どうしても、相良が救われない展開ばかりで、俺は頭を抱えたくなった。




「あともうひとつ、いいかな」


「なんですか?」


「ずっと聞きそびれてたんだけど……。

沢井先生のことは抜きに、葵くん自身が相良の虐待について気付いたのは、いつだったんだ?」



ここまで来て今更な気もするが、もうひとつ。

相良の家庭問題について、葵くんが予め把握していたことにも、俺は追求しておきたかった。


音楽室での一件から、葵くんが何かを知っていそうな気配はあった。

だから当然のように、"虐待"というワードが葵くんの口から出てきても、"やっぱり知ってたんだな"としか俺は思わなかった。


葵くんも葵くんで、俺がどこまで相良を知っているか、俺と相良の間で何があったのか、まだ掘り下げていない。

お互い暗黙の了解というか、空気を読んで割愛していた感じだ。




「さっき言ったのと同じくらいの時期ですよ。

急に楓がよそよそしくなったから、どうしたのかなって意識してたら、"あ"、みたいな」


「直接、相談されたわけじゃないのか?」


「まさか。楓は誰にも話してませんよ。

オレ以外に気付いてるヤツも、多分いないと思います。

……あいつ、自分の辛いことだけ、隠すのスゲー上手いから」



言葉尻に、葵くんは目線を下げた。

相良本人は心配をかけまいと黙っていたのだろうが、それが却って葵くんの不安を煽ったようだ。


葵くんのほうは未だに相良を友達だと言っているくらいだし、本当は色々と相談してほしかったのかもしれない。

相良だって、葵くんに愚痴のひとつでも零していれば、少しは気が晴れたかもしれない。


子供同士の、それも男同士のすれ違いというのは、女同士のそれより縺れたり、長引くことが多いものである。




「そっか。

君も、色々あったんだな」



今となっては過去の話。

葵くんと相良には仲直りしてほしいところだが、沢井先生には二度と相良に関わってほしくない。


やっとの思いで、相良は沢井先生を遠ざけたんだ。

同じ悲劇を繰り返さないためにも、二人の因縁は蒸し返すべきじゃないだろう。

相良の現状を、沢井先生にだけは知られてはならない。



とはいえ、全く放っておける話でもない。


葵くんの語ってくれた全てが、どこまで事実で推測なのか、裏をとる必要はある。

沢井先生のやり方を肯定できないからこそ、彼の犯したミスを無駄にしたくない。


直談判に行ったのなら、父親の人となりも垣間見えたはずだ。

俺の知らない相良の父親について、沢井先生は多少のアドバンテージを持っている。



目立つな、感情的になるな。

相良に倣え、俺も優等生になれ。


復帰される前に、今度こそ会って、真相を確かめる。

よくも相良を追い詰めてくれたなと、糾弾するのは俺の役目じゃない。




「───話してくれてありがとう。

君みたいな子が、周りに一人でもいてくれるなら、相良も少しは救われると思うよ」



腕時計に目を落とすと、もうじき午後の8時を示そうとしていた。


店内に散らばる客層は、俺が来店した当初と比べて、様変わりしている。

当初は学生風の若者が多く見受けられたが、今は仕事帰りのビジネスマンや家族連れが中心だ。


俺も葵くんもコーヒーを飲み終えたし、そろそろ葵くんを解放してやらねば。




「先生って、やっぱりちょっと、変わってますよね」



ふと、葵くんが独り言のように呟いた。



「え、そう?どのへんが?」


「すごくお人好しで、情に厚い人なのかと思ったら、実は冷めてるとこあったり。

冷たい人なのかと思ったら、意外と優しかったり」


「どっちだよ」


「どっちもってことです。

お人好しだけど、冷めた視点も持ってて。

安定してないのに、何故かバランスはとれてる、みたいな」



溜めていたものを吐き出したおかげで、スッキリしたのだろう。

リラックスした様子で、葵くんは座席の背もたれに寄りかかった。



「哲学者みたいなこと言うんだな」


「大した意味はありませんよ。

ただ、そういう人だから、楓と相性が良かったんだなって、思っただけです」



葵くんの視線が横に逸れる。

店舗の前を一台の乗用車が通り、乗用車のヘッドライトが窓に反射し、反射した光を葵くんの視線が追いかける。



「優しいだけじゃ、あいつとは付き合えないから」



"君のような子が周りにいるだけでも、相良にとってはプラスになるだろう"。

先程の俺の言葉に他意はないが、悔しい気持ちは少しあった。


葵くんは、俺なんかよりずっと相良に詳しいし、理解している。

俺より付き合いが長い分かもしれないが、埋めようのない"時間"の差を、酷くもどかしく感じてしまう。


俺も、もっと早くに、あいつと出会えていたなら。

この悔しささえも、葵くんには見抜かれている気がして、俺は更に悔しかった。




「聞かないんだな。俺と相良のこと」



俺も独り言のつもりで呟いた。

葵くんはこちらを一瞥だけして、窓の向こうに再び視線をやった。



「聞かないでおきます。今は」


「"今は"───、っていうのは?」



葵くんが姿勢を戻して、こちらを向く。

に、と口角を上げた顔は、なにかが吹っ切れたような笑顔だった。



「"先生からは聞かない"、って意味です」



あれ、この感じ、どこかで。

記憶を遡った先に、俺は孝太郎さんとぶつかった。




"───先生。

俺にも何か、力になれることはありますか。"



そうか。

葵くんは、孝太郎さんに似てるんだ。


顔立ちは違っても顔付きが近くて、性格は別でも表現が一緒なのは、根っこにあるのが相良だから。

俺たちの共通項は相良で、互いに相良を主語にしているから、いざという時同じスタンスになるんだ。




「葵くんって実は、俺より年上だったりする?」


「あはは。

先生こそ、オレが"強くてニューゲーム"してるって言ったら、信じます?」



てことは、俺も。

俺が二人のことを、なんか怖くて、でも信じられると思ったように。

二人も俺のことを、同じように思っていたとしたら。


だから葵くんは、"あんなこと"を言ったのか。



「(どうやら俺は、誤解をしていたらしい)」



"優しいだけじゃ、あいつとは付き合えない"。


俺たちみたいなタイプが、相良に惹かれやすいのか。

相良に惹かれたからこそ、俺たちは似通ってきたのか。


要するに、類が友を呼んだ、と。

揃いも揃って、相良に人生観を変えられてしまったわけだ。




「叶崎先生。

これからはちょっと、難しくなるかもしれないけど。

楓にとって先生は、やっと会えた、大人の理解者なんです。


オレも、オレなりに頑張ってみるから、どうか。

楓のこと、よろしくお願いします」



テーブル越しに、葵くんが頭を下げてくる。


たとえ俺が、葵くんより年下でも、侮られる立場であったとしても。

葵くんはきっと、こうして頭を下げたのだろう。




「こちらこそ。

また以前のように、楓と仲良くしてやってくれ」



"あ"。

俺も頭を下げると、葵くんが短く反応した。

俺が顔を上げると、葵くんは"してやったり"な顔と声で、こちらを指差した。




「今、楓って言った」



今度は俺が、"あ"、と呟いた。



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