:第八 破けた殼
6月21日。
一学期で最も大きな学校行事、体育祭の日がやってきた。
我が校の体育祭は毎年、町外れの競技場を貸し切って行うため、参加者は会場まで現地集合する。
内容は午前と午後に分けての二部構成。
走り高跳びや砲丸投げなどの個人競技が午前の部、借り物競争や選抜リレーなどの団体競技が午後の部。
すべての競技が終了次第、優勝クラスの選出、優勝旗の贈呈、総合成績の結果発表と、順々にイベントは進行していく。
そして実行委員による閉会式で締めくくられ、西嶺中学校・生徒体育祭は幕を下ろすのだ。
ちなみに。
今年の3年1組は身体能力の高い生徒が集まっているそうで、昨年はぶっちぎりで学年優勝を果たしたという。
当人たちも意気込んでいることだし、連覇達成も夢じゃないかもしれない。
「────我々、西嶺中学校・生徒一同は、スポーツマンシップに則り、すべての競技を正々堂々戦い抜くことを、ここに宣言します!」
午前8時45分。
教員を含めた参加者全員が会場に集結。
体育祭開始の祝砲が、満を持して鳴らされた。
開会式で選手宣誓を行ってくれたのは、実行委員長の谷口と副委員長の女子生徒。
谷口といえばお調子者の代表だが、今日ばかりは真面目モード全開だ。
今やサッカー部のキャプテンを務めるほどだというし、競技でも彼の活躍が楽しみだ。
「───これより、午前の部を開始します。
競技選手の皆さん、関係者の皆さんは、グラウンドに集合してください」
開会式が終わり、それぞれが持ち場で動きだす。
俺は裏方担当なので、観客席とグラウンドとを行ったり来たりする予定だ。
「───ッシャ気合い入れていくぞー!」
「オー!」
「ゼッテェ勝つぞー!」
「ウオオー!」
「───大人組も気合い入れてくぞ〜」
「お〜」
「覇気のなさ〜」
「午後からが恐怖です〜」
選手として挑んだ当時と、裏方として臨む今回。
気構えこそ異なるが、熱量はほとんど変わらない。
むしろ、今回の方が胸が躍っている実感さえある。
これは多分、あの感覚に近いんだろう。
実際に挑んでいる子供たちよりも、応援する親たちの方が楽しい、小学校の運動会。
俺に子供はいないけれど、1組のみんなには親目線を向けがちなので、彼らの勝敗にはつい一喜一憂してしまう。
勝負事にアツいクラスだからこそ、余計に。
「ワッ、叶崎先生、力持ちぃ〜!」
「体育教師たるもの、これくらいはね!」
「ですって佐山先生」
「そっちの筋肉ゴリラと一緒にしないで!」
もちろん、勝敗に関係なく、全員の思い出になるのが一番だ。
贔屓目はほどほどに、誰も傷つくことなく、最後まで平穏無事な体育祭でありますように。
**
午前10時53分。
競技開始から2時間弱。
ここまで走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げと、滞りなく進められてきた。
お次は個人競技の花形である、短距離走のターン。
我らが3年1組からは、帰宅部界のスピードスターこと、相良楓くんも出場する種目だ。
「やっぱ一・二年の子と比べると、三年生ってデカいっすね〜」
「男の子は特にね〜。
高校より中学のが、年齢差と体格差って分かりやすいかな?」
「うちの弟、中学までは列の先頭でしたけど、高校上がってから20センチ伸びましたよ」
「そういうタイプもいるか〜」
走り終えた下級生と交代で、三年生が配置についていく。
相良の出番は第2レース。
俺は砲丸投げの撤収作業を手伝いながら、念入りに屈伸する相良の姿を遠目に眺めた。
『───短距離走、三学年、二組目。参加選手を発表します。
ゼッケン番号14番、1組、相良楓。
28番、2組、田崎徹。
43番、3組、吉岡悠仁───』
実行委員の女子生徒によるアナウンスが流れ、第2レースのメンバーがスタートラインに並ぶ。
長い髪を後ろで束ね、端正な顔を珍しく露にさせた相良も、他の選手たちと共に低くスタートの姿勢をとった。
俺は両手に砲丸を抱えたまま一時停止して、相良の走りに注目した。
「位置について、よーい───」
コース脇に控えた古賀先生が、数秒の間を置いて空砲を鳴らす。
パンと弾ける音が響くと、選手たちは一斉に走り出した。
スタートダッシュから凄まじい加速を見せる相良は、華奢な手足をめいっぱい動かして、他との差を瞬く間に広げていった。
茶色の髪が風に靡き、太陽を浴びて金色に光る。
普段は痩せすぎと言われる体も、今だけは無駄のない完全体だ。
真剣に、それでいて優雅に駆ける姿は、息を呑むほど美しく、神々しさすら感じさせた。
「砲丸集まった人は、こっち持ってきてくださーい」
俺は思わず見入ってしまい、誰かに声をかけられた気がしても、返事をしなかった。
『───三学年、二組目。参加選手の順位を発表します。
1位、ゼッケン番号14番、相良楓。
2位、ゼッケン番号43番、吉岡悠仁。
3位、ゼッケン番号───』
第2レース終了後。
先程の女子生徒の声で、順位発表のアナウンスが流れた。
最初に告げられた名前は、相良楓。
2位以下の選手とは、1秒近くも差をつけたとのこと。
疑っていたわけではないが、スピードスターの噂は本当だったらしい。
尚も本人は平然としていて、実行委員の少年と話し込んでいる。
片や2位に終わった吉岡くんは、恨めしげに相良の背中を見つめていた。
吉岡くんは運動部所属なので、帰宅部にしてヒョロガリの相良に負けた事実が、すぐには受け入れられないのだろう。
「せーの───」
「相良くーん!」
「さーがらくーーーん!」
「あ、みてみて汗の拭き方!」
「ヤバーイ!」
観客席の方から突然、女子の歓声が湧いた。
いつも相良をカッコイイと持て囃している、同じく3年1組の生徒たちだった。
ファンクラブなどの組織活動はしていないようだが、相良のファンであるのは間違いない。
「おーい相良、ご指名だぞ。営業スマイルしたれよ」
「別に営業なんて───」
「いいからいいから、ほれ。
ちょっとニコニコバイバイするだけ」
"こっち向いて"の要望に応え、相良は恥ずかしそうに観客席へ手を振った。
すると相良のファンたちは、いっそう甲高い悲鳴を上げて喜んだ。
こりゃあ今回の体育祭を機に、本格的にファンクラブが結成されるな。
「お疲れい、王子サマ~」
「オレにも投げキッスしてぇ~ん」
「してねーし、こっち来んな」
確かに、走り姿には俺も見惚れてしまった。
フォームは安定していたし、意外と馬力もあるようだったし、なにより顔が崩れないままだった。
少なくとも、短距離走に出場した選手の中では、相良が一番の俊足だろう。
どこで習ったんだか、まったく軽やかに走るものだ。
「───せえ。……せんせー。………叶崎せんせえ!」
「ぉあ、ハイなんでしょう」
「集めた砲丸移動させるんで、早くこっち持ってきてくださーい」
「ああ……。
ごめんごめん。今いくよ」
担当の実行委員から催促され、俺は集めた砲丸を専用のケースに詰めた。
作業の片手間に再び相良の様子を盗み見ると、自分も観客席の方へ捌けていくところだった。
「よ、おつかれー」
「さすがのBダッシュやんな!吉岡の顔見たかよ?」
「この調子でリレーの方も頼むぜぃ!」
「……うん。頑張る」
クラスメイトたちに称賛され、笑顔で対応する相良。
その横顔と首筋には透明な汗が伝い、なにやら呼吸も酷く浅い。
「(あいつ、あんな顔色だったか……?)」
たかだか100メートルを走っただけで掻く汗の量、にしては多すぎるような。
気温の高い夏日ならまだしも、今日の天気は曇りのち晴れで、特別暑いわけじゃない。
それに相良は、もともと汗を掻きにくいタイプだ。
ちょっと体を動かした程度では、ああはならないはずだ。
もしかして、体調が悪いのを隠して、無理に競技に参加しているとか。
気温は低いといっても屋外だし、熱中症の可能性も十分ある。
いずれにせよ、放置していい事態ではなさそうだ。
「先生ー。次こっちお願いしまーす」
「今いく!」
昼休憩まで、あともう一時間。
午後の部が始まるまでに、俺は相良に話を聞きに行くことにした。