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俺を殺してお前も死ね  作者: 和達譲
『目を逸らす』
25/82

:第六話 鳴らない電話は親愛の始め 4



「でも、今まで無事に来てるってことは、あいつが本当は中学生ってのも、まだバレてないわけですよね?

過去に一回くらい、ピンチになったりはなかったんですか?」



ちびちび減らしていたコーヒーを、俺はここで飲み干した。

孝太郎さんもぐいっと自分のコーヒーを飲み干すと、空になった容器を片手で握り潰した。


容器のギシリと軋む音が大きくて、調子に乗るなと怒られたように感じられて、俺は饒舌になりかけていた口をとっさに閉じた。



「そのことなんですけど。

もうひとつ、先生に確認しておきたかった話があるんです」



孝太郎さんの雰囲気が変わった。

穏やかだった声は別人のように冷たくなり、もともと鋭かった目付きは人を射殺せそうなほどになった。


どうやら、ここまでは前座で、ここからが本題であるらしい。

俺の言動に怒ったんじゃないなら良かったが、いちいち所作にキレがあって怖いんだよな、この人。




「さっき、あいつをウチで働かせるのに、俺は反対したって言ったでしょう?

人員を増やすだけならまだしも、そこらの中学生に飯屋のバイトは勤まらないって」


「……ええ。

それが普通の反応だと、思います」


「ですよね。俺もそう思います。

ただ俺の場合、あいつをウチに引き入れたくなかったのには、別の理由があるんです」



駐車場前の道路を軽自動車が横切る。

ヘッドライトの眩い光が夜の闇を散らし、安っぽいエンジン音は周囲に余韻を残していった。




「はじめ、あいつを見た時。ずいぶん貧相なガキだなって、正直思いました。

……同時に、こうも思ったんです。

こいつはいわゆる、ワケあり(・・・・)の子供だなって」


「………。」


「俺があいつを引き入れたくなかったのは、あいつがただのガキ(・・・・・)で、まともな子供(・・・・・・)じゃなかったからなんですよ、先生」



相良を雇うことに反対した理由は、相良がまだ"中学生だったから"。

一方で、個人的に相良と関わりたくなかった理由は、相良が"普通の中学生ではなかったから"。


相良の姿を一目見た瞬間には、孝太郎さんは気付いてしまったのだ。

相良の内に潜む毒、相良の纏う闇の気配に。




「例えばあいつが、よそで事故や事件に巻き込まれた場合。少なからず、こっちにも火の粉が来る。

あいつの存在自体が、店に悪影響を及ぼさないとも限らない」


「はい」


「もちろん、可哀相だと同情する気持ちはありました。できれば力になってやりたいとも。

……それでも、はっきり言って、あまり難しい事情を抱えた子供には、近付きたくなかった。近付けたくなかった」


「………。」


「相手が誰であろうと俺は、我が家にトラブルを招きたくなかったんです。

我ながら、薄情と呆れますがね」



自らを蔑むような口ぶりで、孝太郎さんは語った。

彼の真摯な告白に、俺は圧倒された。




"例えばあいつが、よそで事故や事件に巻き込まれた場合"。



どんなに手厚く遇したって、店から一歩出てしまえば、相良はただの中学生。

社会的には庇護される立場にある以上、本人の意思のみでは生きられない。


相良は自分で戦うためのすべを持たず、孝太郎さん達は手の届く範囲でしか相良を庇ってやれず。

孝太郎さん達が相良のプライベートに干渉できない反面、相良のプライベートで起きた問題は孝太郎さん達に影響する。



"少なからず、こっちにも火の粉が来る"。



接客業とは、顧客との信頼関係あってこそ成り立つものだ。

一度でも悪いイメージがついてしまえば、完全な汚名返上はほぼ不可能だ。


つまり孝太郎さんは、店のため家族のために、悪役を引き受けようとしたのだろう。


相手は爆弾・・を抱えた子供。

子供だから人間だからと容赦してやりたいところを、あえて爆弾として扱うことで、被害を最小限に留める。

自分たちも巻き込まれるくらいなら、抱えた本人だけで爆発させる。


たとえ、非道な行いと分かっていても。



"あいつの存在自体が、店に悪影響を及ぼさないとも限らない"。



あともう一年すれば、あいつは中学生じゃなくなる。

高校生になればアルバイトなんて普通のことだし、年齢を聞かれたら堂々と事実を答えられるようになる。


でも。

中学生じゃなくなっても、あいつの毒や闇は消えてはくれない。

大人になっても、あいつの生い立ちが"普通じゃない"事実は変わらない。


相良が相良であるが故に、あいつは苦しみ続ける定めだろう。



"我ながら、薄情と呆れますがね"。



いつどのタイミングで、相良自身が毒や闇に転ずるか。

俺でさえ懸念していることを、孝太郎さんだけの責任にできるものか。


触れたら最後、無傷では済まない。

覚悟の上で受け入れたご主人は立派だし、心を鬼にして突き放そうとした孝太郎さんも立派だとしか、俺には言えない。




「薄情だなんて、まさか。

ご家族とお店のことを考えれば、そのくらい───」


「いいんです。フォローして欲しくて、こんな言い方をしたわけじゃないですから。

客観的な事実として、そうであるというだけです」



俺の月並みなフォローを、孝太郎さんは受け取らなかった。

俺は空になったコーヒーの容器を、車のカップホルダーに入れた。




「先生、俺はね。

詳しいことは知らないけど、あいつが無理して笑ってるってことは分かるんです。

親父もお袋も、態度には出さないだけで、たぶん気付いてる」



孝太郎さんの目線が再び、こちらを向く。



「先生はどうですか?

俺は虐待かネグレクトのどちらかだと思うんですが、先生の見解は?」




まただ。この感じ。

自分のことを聞かれているわけじゃないのに、自分が責められている気分になる。

相良の人生を俺が成り代わって生きているような、俺が相良になったかのような錯覚を覚える。


相良の秘密を俺から明かしてしまうのは無論、忍びない。

だが、それだけではない。

忍びなさ以外にも、なにか。

自分の口から、あいつを語ることに、強烈な抵抗がある。




「……虐待です。

あいつは、父親から虐待を受けてる」



意を決して明かすと、今度は俺が相良の父親になった気分になった。

俺が相良に虐待をしている、俺の罪を告白している感覚だった。




「そうですか……」



孝太郎さんは薄く眉を寄せ、鼻から溜め息を吐いた。



「なんとなく、そんな気はしてましたけど。

本当にいるんですね、我が子に暴力を振るう輩って」



目元を掌で覆い、途切れ途切れに呟いた孝太郎さんの声は、怒りに掠れていた。



「最初は、関係を持つことに少し、───いやかなり、抵抗がありましたけど。

今となっては、出会えて良かったって、心から思うんです。

楓は本当に、いい子だから。イチ戦力としてだけじゃなく、一人の人間として、あいつはいいヤツなんです」


「ええ」


「あれだけ警戒しておいて、虫のいい話ですけど。

気付けば俺も、楓のことを好きになってました」


「……ええ」


「だから……。

あんなに綺麗な、優しい子を、当然のように傷つける輩がいるんだと思うと……。

殺してやりたいです、今すぐにでも」




葛西先生、葵くん、冴島さん。

そして、孝太郎さん。


一人、また一人と、相良の物語に登場人物が増えていく。

あいつの味方をしてくれる人が増えるのは、俺としても喜ばしい。


そうだ、集中しろ。

余計なことを考えるな。

俺が見ているのは相良・・であって、ではないのだ。


学校にいる間は俺が、店にいる間は孝太郎さんが、相良を守る。

あとは"家"という檻から、どうやって相良を解き放つかだ。




「やれるもんなら、俺もぶっ殺してやりたいですよ。

……けど、無理やり引き離して、まるっと収まるかと言えば、そうもいかない気がする。

きっちり清算しない限り、あいつは一生、父親の影に怯えて生きることになる」


「ですね……。

人間って、なんで生きるだけで、こんなに手間がかかるんでしょう」


「……ええ、本当に」



自嘲気味に笑う孝太郎さん。


生きるだけで手間がかかる。

確かにその通りかもしれない。


こうして俯瞰を気取っている俺たちだって、大なり小なり罪や恥を抱えて生きている。

本能の赴くまま生きられる人間なんて、この世に一人もいないのかもしれない。




「先生。

できることは限られますが、俺にも何か、力になれることはありますか」



上体ごとこちらを向いて、孝太郎さんは尋ねた。

俺は少し考えてから頷いた。



「見守ってあげてください。何事もなかったみたいに。

事情があるからって気を遣われるより、そういうの全部抜きにしてやった方が、あいつのためにはいいと思います」


「……わかりました。

じゃあこちらは、今後とも平常通り、やらせてもらいます。

それで、先生は?先生のほうは、これからどうされるおつもりなんですか?」


「そこはまだ、なんとも言えませんが……。

どうにかして、虐待を防ぐ方法を考えます。力づくでも消去法でもなく、あいつが自然に、自由になれる道を探します」


「自然に自由に、か。

いいですね、そうなれば一番」


「ですから、孝太郎さん。

少しの間でいいので、あいつに、普通でいられる時間を与えてやってください。

……お店にいる時はどうか、相良のこと、よろしくお願いします」



俺が頭を下げると、孝太郎さんは肩を叩いてくれた。



学校では優等生を演じなければならず、家では父親との距離感に神経を擦り減らせている。

そんな相良が唯一、自分らしくいられる場所が、常葉亭だ。


念願叶ったあいつの居場所を、俺も大事にしてやりたい。

可能な限り、あいつの最後の砦として、常葉亭には機能していてもらいたい。


相良が幸せになるために、孝太郎さん達は最も近い位置にいる。

俺には持ち合わせのないものを、彼らなら相良に分け与えてやれるんだ。



"今となっては、出会えて良かったって、心から思うんです"。



離れ離れにならないように。

出会わない方が良かったと、後悔させないために。


今後はアルバイトの件も、常葉一家との繋がりも含めて、見守ってやらないとな。



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