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俺を殺してお前も死ね  作者: 和達譲
『目を逸らす』
18/82

:第五話 少女Sの告白


4月30日。

西嶺中での教師生活にも、すっかり体が馴染んだ。

人間、一ヶ月もあれば、新しい環境に順応できるものらしい。


順風満帆だったと言えば、嘘になるけれど。

業務に伴う疲れやストレスより、対人に於ける喜びや遣り甲斐の方が、まだ勝っている。

出勤してくるたびに、充実した日々だと実感する。




「───カナエちゃーん、聴いてくれろぉー!」


「なんだ甘えた声出して。もう10分で試合だぞ」


「そうなんだけどさぁー、古賀センがさぁー」


「なに?」


「部活中にお菓子食うなって」


「そりゃそうだろ。

つか持ってくる自体ダメだよ普通は」


「分かってるけどぉー、帰るまでに腹持たないんだよぉー」


「あ、オレも」


「お前もかい」


「てか、ほとんどのヤツ言ってます。

さすがに給食だけじゃ足りんよなって」


「うーん……。

俺の時代は、スポーツドリンクも禁止だったもんだけど……」


「マジ!?鬼やん!」


「確かに、給食だけで夜までは厳しいよな。

なんか軽く食えるもん、オッケーなやつないか、あとで古賀先生に聞いとくわ」


「さっすがカナエちゃん!」


「昭和に生まれんくて良かったすオレ」


「人を勝手に昭和生まれにするんじゃない」




同時に、こんな感情も芽生えてきた。

"板に付いた"と胸を張れる頃にはもう、俺は彼らの担任の先生じゃないんだと。


本命の沢井先生が戻られるまでの間、俺は俺のやるべきことをやるだけ。

その決意のもと、定められた範囲内で全力を尽くすつもりだったのに。


沢井先生が復帰された後も、担任の座を明け渡したくないなどと。

いつからか、嫉妬に焼かれる自分に気付いてしまった。




「───そうだ。

お伝えしなきゃいけないこと、あるんでした」


「なんですか?」


「実はアテクシ、こう見えて結構な呑んべえでして……」


「知ってます」


「ありゃりゃ。

ってわけで、行きつけの飲み屋があるんだけどね?

なんと、そこで、出会っちゃったんですよ」


「誰ですか?」


「叶崎先生の、中学時代の同級生!

久々に帰省したとかで、隣で呑んでるうちに意気投合しちゃってさ!」


「へー」


「で、私が学校の先生やってるって言ったら、えらい食いついてきて!

もしやと思ってキミの名前出したら───」


「はい」


「……あり。あんま興味ない?」


「そんなことないですよ。

佐山先生のお話には興味あります」


「つまり、その同級生に興味がないと?」


「そうですね」


「良ければ連絡先をって言われてるんだけど、相手が誰かは……?」


「どうでもいいですね」


「……キミでもそんな顔、するんだね」




みんなの笑顔と、来たる別れの日。


担任代理の任期を終えたからといって、二度と会えなくなるわけじゃない。

頭では分かっていても、どうしようもない不安と焦燥に駆られてしまう。


本当は、なんとなく気付いているんだ。

俺が嫉妬している相手は、沢井先生だけじゃないってことも。




"豊。

お前は、俺のような大人になってはいけないよ。"




段々と背が伸び、視野が広がり、まだ見ぬ世界へと旅立っていく彼ら。

徐々に皺が増え、覇気を失い、見知った中から終の栖を選ぶしかない俺。


子供の彼らと、大人の俺。

悲しいかな、未来ある彼らにこそ、俺は嫉妬しているのだ。


彼らの成長が嬉しくて楽しくて、愛おしくて。

同じくらいに妬ましくて悲しくて、そんな自分がみっともなくて、嫌になるのだ。




「地元だからキモいのか、母校だからキモいのか」




人間になりたい。

だから俺は教師になって、子どもたちと触れ合うことで、少しずつでも人間らしさを学んできた。

昔よりは、人の心ってやつを、取り戻したはずなんだ。




「やっぱ、故郷になんか帰ってくるもんじゃねえな」




結局のところ、俺は。

人間として見られたいだけで、人間の痛みや苦しみとは無縁でいたいのか。


どうりで、警戒されるわけだ。

手放す前の心は、ここまで重くはなかった、はずなんだけどな。




**


放課後。

全校生徒が部活に帰宅にと動きだすなか、俺は3年1組のみんなと別れて職員室へと向かった。




「───お疲れ様です」


「お疲れ様でーす。

古賀先生なら、もう体育館行きましたよー」


「ああ、今日はいいんです。別行動の日なんで」


「あ、そうなのー。

まあ、顧問とコーチは違うもんねー」


「ええ。

お気遣い、ありがとうございます」



いつも話し相手になってくれる葛西先生と古賀先生は、女子バドミントン部と男子バスケットボール部の顧問。

既にそれぞれの持ち場についているため、今しばらく顔を合わせることはないだろう。


俺も男子バスケ部のコーチをやらせてもらっているが、今日の放課後はお休みだ。




「さっき来てた女性のかた、誰かのお母さんとかですかね?」


「違うんじゃない?

学校にボディコン着てくるお母さんとか、どんなよ」


「誰にしても奇抜な格好ではありましたね」


「お母さんですよ」


「えっ、そうなんですか?」


「もしかして有名人?」


「結構ね。

ボランティア系の行事には毎回参加してくれてるから」


「いい人なんだー」


「見かけに依らないねー」


「有名人って言うから、例の人かと思いましたよボク」


「誰?」


「ちょっと授業で注意されるたびに、うちの子がイジメられた!って怒鳴り込んでくるお母さん」


「あー、新入生の」


「その人もこないだ来てましたよ」


「うそ、どんな人でした?」


「パステルのカーディガンにロングスカートで、めっちゃ大人しそうな見た目の人」


「うわあ……」


「そっちも見かけに依らないんだねー」


「ねー」



職員室で仕事中の面々は、俺を含めて六人。

時おり談笑を交えつつ、デスクワークを進めている。


運動部の子たちが校内ランニングする様子をBGMに、俺もプリント作成などの作業を行う。




「(なんの音……?あ、これか。)」



そこへ、微かな振動が伝わってきた。

ズボンのポケットに入れっぱなしにしていた、スマホのバイブレーションだった。


確認してみると、"新着メッセージあり"の通知が、画面に表示されていた。

差出人の名前は、相良楓だった。



『これからバイト いつも通り異常なし』



本文のみのメールが一件。

相変わらず素っ気ないが、どうやら今日も、あいつは無事に過ごせているようだ。



「("無事で、なにより"……)」



アドレス交換の申し出以来、相良は俺との約束を守ってくれている。


学校終わりにバイトへ行く時と、バイト終わりに自宅へ帰った時。

一日二回の定時連絡を、あいつは一度も怠っていない。




『今日も無事でなによりだ。無理しない程度に頑張れ。

ところで、またそっちにメシ食いに行きたいと思ってるんだけど、顔出していいかご主人に聞いてくれない?』



作業の片手間に、さっと返信する。

10分ほど間を置いて、返信の返信があった。



『是非いらしてくださいってさ

俺としてはウザいから是非来ないでほしいけど

つか仕事しろ』



飾り気もクソもない、辛辣な文面。

相良がどんな顔をして、これを送ってきたかが想像できて、思わず笑ってしまった。




「(最初のうちは、報告して終わり、だったのに。

最近は、俺の軽口にも反応してくれるようになった。

"ウザい"とか"仕事しろ"とか、中学生らしくて大いに結構)」



俺と相良の関係が、不格好ながらも進展した証。


まず、俺が構いに行っても逃げなくなった。

以前までは貼り付けた笑顔で躱されていたところを、三度に一度のペースで応じてくれるようになった。


前述したメールの内容についても、そうだ。

店に変な客が来たとか、まかないに好きな料理が出されただとか。

いわゆる世間話的なことをしてくれる時が、あったりなかったり。


引き換えに、悪態をつかれる頻度も上がったけれど。

まったく取り合ってもらえないよりは、遥かにマシだ。




「あれー?なんですか、先生。ニヤニヤしちゃって。

カノジョさんですか?」


「そんなんじゃないですよ。ちょっと思い出し笑い」



しかし、一難去ってまた一難。

第一関門を突破しても、第二の関門が立ちはだかる。




「(その人のパーソナルスペースに入るためには───)」



相良との関係は改善されつつある。

そこは俺の思い上がりではないと思う。


難しいのは、むしろここから。

相良との関係を維持すること、より深くまで相良の懐に入っていくこと。

矛盾に等しいアプローチを、俺は両立させなければならない。



「(どうしても、傷付けることを前提にしないと、いけないんだろうか)」



現時点で判明している相良の許容範囲は、以下の三つ。

学校の授業のこと、同じ学年の生徒のこと、バイト先の常葉亭のこと。

内容によっては相良の機嫌が良くなることもあるし、表面的になら触れても拒絶されない。


逆に、相良にとって最も触れられたくない話題といえば、家庭のことだろう。

いざ踏み込んでいくとなると、今度こそ修復不可能なほどに拗れそうで、迂闊に動けない。




「───ナエせんせい、」



どうする。

一度は持ったナイフを、タイミングまでは下げておくべきか。

この勢いのまま、刺しにいくべきか。


上手くいってもいかなくても、二の足を踏み続けてしまう癖は、きっと死ぬまで治らないんだろうな。




「───カナエせーんせ!」



作業そっちのけで"考える人"になっていたところ、葛西先生が現れた。

何度も呼び掛けられたのか、目の前でひらひらと掌を翳されて、やっと彼女の存在に気付いた。



「おぁあ、あ、葛西先生。

すいません、ちょっと考え事してて……」


「あらごめんなさい。お邪魔しちゃいました?」


「いえいえ。大したことじゃないんで、大丈夫ですよ。

先生こそ、女バドの面倒はいいんですか?」


「みんなには今、ネットの組み立てをやってもらってます。

……それより、こっち。叶先生とお話したいという子がいるので、お連れしました」


「俺とですか?」



葛西先生いわく、俺と話をしたがっている人物がいるとのこと。

その人物との仲介をするために、部活動を中断してきてくれたらしい。



「入っていいよー」



葛西先生が出入口に向かって声をかける。

すると一人の女子生徒が、職員室に怖ず怖ずと顔を出した。




「こちら、冴島さえじま佳花よしかさん。

うちのクラスの子で、できれば先生と二人で、話がしたいそうです」



葛西先生に背中を押され、緊張した面持ちで俺の前に立ったのは、"冴島佳花"さん。

葛西先生の受け持つクラス、2年1組に在籍しているという。



白い肌に太い眉、毛量多めのセミロングヘアー。

鼻の頭と涙袋には薄くそばかすが散り、化粧はおろか制服を着崩した様子も見受けられない。


まさに文学少女。

1組(ウチ)の東野と対極と言っていい雰囲気だが、顔立ちは整っている。

地味というよりは控えめな印象を受ける子だった。



とはいえ、冴島さんと俺はほぼほぼ初対面。

廊下で擦れ違えば挨拶くらいはするが、機会を設けるほどの共通項はなかったはずだ。


そんな子がわざわざ訪ねてくるなんて、一体どんな用向きだろうか。




「あの、お忙しいところ、失礼します。

突然、なんですけど、叶崎先生に聞きたいこと、というか、話したいこと、が、あって。

少し、お時間もらっても、いいですか?」



申し訳なさそうに頭を下げた冴島さんは、中身も大人しい感じだった。


喋り方はスムーズでないし、目線も右へ左へ泳ぎっぱなし。

かなり人見知りをするタイプなのかもしれない。



「もちろん。大丈夫だよ。

ここじゃなんだし、ゆっくり話せる場所に移動しようか」



俺が了承した途端に、冴島さんの表情が和らいだ。


ただでさえ人見知りで、しかも接点のない男に頼み事をするのは、さぞ勇気がいったに違いない。

件の"話したいこと"とやらは、冴島さんにとって重要な意味がありそうだ。




「じゃ、おたくの生徒さん、しばらくお預かりしますね」


「はい、よろしくお願いします。

───佳花ちゃん、またね」


「はい。ありがとうございました」



デスクに並べていた資料を引き出しに仕舞い、俺は席を立った。

葛西先生は冴島さんと別れの挨拶を交わすと、一足先に持ち場へ戻っていった。



「(ゆっくり話せる場所といったら、あそこしかないよな)」



俺も冴島さんを連れて、三階音楽室へ。

なにかと縁のある場所だが、俺は楽器も歌も覚えのない、ただの体育教師である。



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