:第二話 秘密 3
4月17日。
相良の秘密を目撃して三日後。
俺は担任の権限を使い、相良の素性を内密に調べた。
結果、相良の両親が離婚していること、現在は相良と父親の二人暮らしであることが分かった。
父親は工場勤めで稼ぎが少ないらしく、支払えるのは授業料と給食費でせいぜい。
炊事遠足や宿泊研修などの学校行事は、貧しさを理由に相良だけ不参加となる事態もあったそうだ。
両親と三人で暮らしていたとされるマンションは、とうに引き払い済み。
父親と二人で暮らしている現住所は、学校から徒歩40分以上かかる古いアパート。
どういう経緯かは定かでないが、父親が相良の親権を得て以降、母親は一度も相良に会っていないという。
「───なになに、熱心だね〜。担任の勉強かい?」
「ええ、ちょっと」
「さすがは期待の新星。良ければコーヒー、どう?」
「ついでなら是非、お願いします」
ちなみに。
これらの情報の大よそは、前任の沢井先生が作ってくれた資料に依る。
他の先生がたに至っては、相良の家庭事情について無知も同然だった。
裕福でないことは認知されているようだが、切迫するほどでもないと軽視する人が多いのかもしれない。
良くも悪くも、相良が気丈に振る舞っているためだろう。
「(どこにでもいるもんだな、毒親ってやつは)」
相良に暴力を振るっている犯人は、この父親とやらに違いない。
始まったのもきっと、つい最近のことではない。
三日前。
更衣室で相良の裸を目撃した時。
相良の肌に残された痣は、新しいものと古いものとで、まちまちに色が分かれていた。
少なくとも一年は前から、虐待行為はあったと思われる。
加えて母親は、離婚を機に相良の一族と縁を切っている。
元々は母親がDVを受けていて、代わりに相良が八つ当たりされるようになったのだとすれば、辻妻が合う。
「あの、コーヒー、入ったけど……」
「ああ、どうも。ありがとうございます」
「大丈夫?怖い顔して……。頭、痛かったり……?」
「大丈夫ですよ。
集中すると、つい。ご心配なく」
引っ掛かるのは、母親の所業だ。
なぜ彼女は相良を、息子を置いて、自分一人で出て行ったのか。
自分がいなくなれば、相良に矛先がいくと分かっていたはず。
夫と変わらない収入があったのなら、自分が引き取ってやれば良かっただろうに。
相良だって、どうせなら母子家庭を望んだはずだ。
たとえ冷酷無比な母親でも、暴力を振るう父親よりは、遥かにマシに決まっているのだから。
なのに母親は、相良の尊厳を無視してでも、相良を置いて行くことを選んだのか。
「(父親のDVが原因なら、普通は母親に親権が渡るはず。
ってことは、本人がそれを拒んだ、ってことだよな。
シングルマザーになるのが嫌だったのか、相良を生贄に差し出すことで、自分だけでも逃れたかったのか……。
そこを考えても、しょうがないか)」
子どもの相良に、この仕打ちは、あまりに酷ではないか。
俺はあくまで部外者だが、相良の気持ちを考えると、無性に腹が立ってくる。
自分の両親と重なるからこそ、余計に。
「よし。やるぞ」
「えっ、なにを?」
情報はまだまだ足りないし、更衣室でのほとぼりも冷めていないけれど。
気まずいだの億劫だのと、二の足を踏んでいる暇はない。
善は急げ。悩むより進め。
とりあえず行動を起こしてみよう。
方針は追い追い決めるとして、まずは本人へのアプローチだ。
**
「───あ、相良!ちょっといいか?」
「すいません。
古賀先生に呼ばれてるんで、おれ行かないと」
ところが。
「───相良!いま大丈夫か?」
「すいません。
次の授業の手伝い頼まれてるんで、また今度にしてください」
何度アプローチしに行っても。
「───相良!」
「今日早く帰んないといけないんで、おさき失礼します」
ことごとく袖にされ、
俺は蚊帳の外へと追いやられたのだった。
「"また今度"って、言ってたくせに……」
態度は以前と、さほど変わらない。
挨拶程度であれば普通に、にこやかに応じてくれる。
しかし、いざ話をしたいと頼むと、急に塩対応になる。
なにかしらの理由をつけては、俺と二人きりの状況を避けている。
途中から俺もムキになって、強引にでも捕まえてやろうとしたが、相良はどんな手段にも絶対に屈せず、絶対に従わなかった。
「(同じだ。一年前の彼女と)」
いくら手強いと言っても、根気強く接していけば、話くらいはさせてもらえるだろうと思っていた。
どうやら、野良猫を手なずける感覚で挑んだ俺が馬鹿だったようだ。
こんな不毛なやり取りを、葛西先生は二年近くも続けていたのか。
女の人の辛抱強さには、つくづく恐れ入る。
「───カナエくん!前ぶつかる、まえーッ!」
「んあ?ゴッ────」
「あはははは、ぼんやりしすぎだよ~」
にしても、困った。
一度や二度の空振りで諦めるつもりは毛頭ないが、正面突破が通じる相手ではない。
かといって、振り向いてもらえるまでと執拗に迫れば、贔屓をしていると周りに誤解されかねない。
相良本人にも、悪い意味で注目が集まってしまうかもしれない。
俺が構い過ぎたせいで、虐待の事実が明るみになったりしたら可哀相だ。
できるだけ目立たない方法で、確実に近付けるアプローチを考え直さないと。
「よし。切り替えよう」
善は急げ、改め、急がば回れ。
今度は外堀から攻めてみるとしよう。
***
命名、"相良とバッタリ事件"から四日後の昼休み。
丸一日かけて練った作戦を、実行に移す時が来た。
「───葵くん!」
作戦内容は単純明快。
"相良について詳しそうなヤツに探りを入れてみる"、だ。
沢井先生の資料によると、葵くんと相良は同じ小学校出身。
下の名前で呼び合う程度には、打ち解けた仲であるとのこと。
実際、葵くん以外のクラスメイトを、相良は名字で呼んでいる。
普段の様子からは特に親しい印象を受けないが、葵くんにだけは多少なり心を許しているわけだ。
「なんですか?」
「ゆっくりしてるとこ悪いな。
ちょっと相談したいことあるんだけど、いい?」
「……いいですよ」
そこで俺は、葵くんを三階音楽室まで呼び出した。
音楽の授業で使う以外は、滅多に人の寄り付かない場所だからだ。
「うん。誰もいない」
先客がいないかを確認してから、音楽室に入る。
葵くんも後ろに続き、出入り口のドアを閉めた。
「いきなり連れ出してごめんな。人の多い場所でできる話じゃなくてさ。
なるべく手短にするから、付き合ってくれるか?」
「いいですって、ぜんぜん。いつでも聞いてくれって言ったのオレだし。
で、どうしたんですか?」
急だったにも拘らず、葵くんは嫌な素振り一つせずに応じてくれた。
相良との落差が際立つが、葵くんと比べたら誰でも不出来に感じられそうだ。
「とりあえずまぁ、座って。
二人だけだし、畏まんなくていいから」
生徒用の席、椅子ではなく机に腰掛ける。
葵くんにも促すと、彼は俺の二つ隣の机に腰掛けた。
さすがに真隣は近すぎるからだろうが、なんとなく。
精神的な意味でも、距離を置かれた気がする。
「じゃあ、改めて。この間の続きなんだけどさ。
葵くん、うちのクラスにちょっと気になるヤツがいる、みたいなこと言ってたろ?」
「……ああ、はい」
本題に入った瞬間、葵くんの表情が変わった。
眉は上がり、口角は下がり、目線は明後日の方向に逸れてしまった。
ばつが悪そうというか、腹に一物抱えたような感じだ。
最初に吹っ掛けてきたのは葵くんなのに、掘り下げられると困った反応をするのは何故なんだ。
「あれから、俺も考えてみたんだけど……。
その"気になるヤツ"って、相良だろ?」
葵くんは一瞬だけ目を丸くして、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。
「どうしてそう思ったんですか?」
質問に質問で返してきた。
葵くんの指していた人物は、相良で確定と見ていいだろう。
だが、もし違っていたら。
俺から相良の話をすると、秘密の暴露になってしまう。
相良が虐待を受けているだろうことを、葵くんも把握しているのであれば、問題ないのだけど。
「これっていう理由はないよ。
ただ、彼があまりに、非の打ち所のない優等生だから。
その隙の無さが、俺には却って胡散臭く見えただけだ」
「胡散臭い、ですか」
「そう」
俺は自分からは明言せず、葵くんの出方を窺うことにした。
「どんなに大人びていても、君達はまだ中学生だ。
思春期には悩みも多いし、だからこそ苦しむこともある。
そういうのを一個ずつ乗り越えていって、みんな大人になっていくんだと、俺は思ってる。
───けど、あいつは。
彼は、なんというか。そういう、子ども特有の感じが、しない気がしたんだ。良くも悪くも」
「どういう意味ですか?」
「大人から見ると、子どもが悩んだり、傷付いたりしてるのって、なんとなく分かるもんなんだよ。
悪く言えば、取り繕うのが下手。良く言えば、純粋さの証明でさ」
「鋭いんですね」
「俺じゃないよ。注意深く観察してりゃ、誰でも分かることだ。
……それが、相良には感じなかった。
時にはうっかりミスを、なんてことはあるかもしれないが、基本、彼には隙も無駄もない。
だから不気味っていうか、俺からすれば、危なっかしい対象なんだよ」
葵くんの手が、膝の上で組まれる。
葵くんの足が、机の下で交差する。
「危なっかしいですか?楓」
「だって、失敗してもやり直し利く年頃のくせに、ぜんぶ完璧にやろうとすんでしょ?」
「駄目なんですか?」
「駄目じゃないけど、大人でも儘ならんことを、子どもの内からやんなくていいのにって話。
むしろ、周りに尻拭いばっかさせて、怒られてるヤツのが、俺は見てて安心する」
論点は少しズレてしまったが、嘘はついていない。
相良の貼り付けたような笑顔を怪しんだのは本当だし、あの手の利口なタイプを俺は好きになれない。
大人が口を揃えて"イイ子"だと評する子供ほど、本人が大人になって苦労するケースが多いから。
いっそ呆れられるほどにヤンチャで、自分に正直に生きているヤツの方が、将来的に大成したり、幸せになれる。
少なくとも俺はそうだったし、そう思っている。