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赤雪姫の惰眠な日常  作者: 長野 雪
惰眠3.惰眠の代償
12/21

3.たかられる姫君

「随分と世話になったようじゃの」


 あれから2日後。

 鉱家に着くなり放たれた言葉に、なぜか家長である鉱南だけがピシリと固まった。


「まぁ、赤雪姫様。ようこそお越し下さいました。今、お茶を入れますね」


 妻の明玉はニコニコと愛想よく応対し、手ずからお茶を入れると、石像のようになった夫の首根っこを掴み、兄弟二人と紅雪だけの室を作りあげた。


「明玉殿は相変わらずよのぅ」


 遠慮なく茶をすすると、紅雪は向かいに座る翡翠と瑠璃に向き直った。琥珀はその日のうちに都に帰ってしまっているので、今は二人だけだ。


「えぇと、もちろん、琥珀にもお礼はするんだよね?」


 先に口を開いたのは瑠璃だった。


「勿論じゃ。先ほど、都に言って礼をしてきた。あやつの上司にもな」

「上司?」

「うむ。帝からわしに関わることは優先させて良いという通達もあったようじゃが、迅速に送り出してくれたようなのでな。当の本人は固辞しておったが、見るからに足りないものがあったので、改善薬を押し付けた」

「……改善薬?」


 どこかイヤな予感を抱えつつ、瑠璃が尋ねると、「毛生え薬じゃ」と端的な答えが返ってきた。


「頭頂部が寒そうであったからのぅ。まぁ、わしの薬を使えば3日で若かりし頃のようなふさふさした姿に戻るであろうよ」


 危うくお茶を吹きそうになった瑠璃が、げふんげふんと変な咳をする。翡翠も視線を明後日の方へ向けた。

 3日でふさふさ。

 寂しかった頭のてっぺんが3日でふさふさ。


(それ、絶対にカツラ疑惑が出るよねー?)


 琥珀も大変だ。下手をすれば上司から逆恨みされるかもしれない。


「琥珀だが、あやつも中々考えるようになってきたぞ? 小鈴に都の刺繍製品を見せたいからと、往復に使う符と、小鈴が遠慮なく使える小遣いを要求してきおった」


 弟が要求したものを聞いて、瑠璃も「へぇ?」と面白そうに相槌をうった。どこから見てもデートの誘いだ。


「どうしてくれようかと思ったのじゃがな、まぁ、小鈴が了承したからには仕方がない。明後日に丸一日使って都を散策することになっておるわ」


 もちろん、小鈴が断ったら『どうしてくれようか』なのだろうが、とりあえず了承をもらえて良かったね、と次兄は頷く。


「そっかー、琥珀はそういう手を使ったのかー」


 瑠璃はちらり、と隣の翡翠をうかがった。元々、あまり感情を表に出さない兄だが、今も何を考えているか分からない。


「じゃぁ、兄ちゃん、先に僕、いいかな?」


 こくり、と頷いたのを確認して、瑠璃は目の前の美女に向き直る。


「かなり前に見せてもらった『樽』が欲しいな」

「タル? ……もしかして、水の入った樽か?」


 紅雪の質問に、瑠璃は首を大きく上下に振った。


「そう、その樽だよ。取っ手を捻ると水が無限に出てくるヤツ。あれ、ずっといいなーって思ってたんだ」


 瑠璃が話すのは、今は亡き小鈴の両親から見せてもらったものだ。小脇に抱えられるぐらいの小さな樽に取っ手のついただけのもの。しかし、そこには紅雪によって無限に水が湧き出るようにされていたのだ。行商に出る時、あれがあればと思ったのは1度や2度ではない。


「別に構わんが……あれは、わしの力で動くゆえ、今、力を込め直しても50年ぐらいしか持たぬぞ?」

「十分だよ! あれで一儲けしたいわけじゃないんだ。行商に出ている間、僕の喉を潤すのに必要なんだよ」


 ふむ、そうか、と納得した様子の紅雪は、ぱむっと両手を胸の前で叩き合せた。すると、何もない中空から、ゴトッという音とともに例の樽が出現した。


「しばらく見ないうちに薄汚れたか……」


 埃を被った様子の樽に眉根を寄せたが、すぐに胸元から出した符に指で何かを書き入れると、ぺたり、と貼り付けた。ゴゴゴゴ……という低い音と共に、樽が鈍く光を帯びる。だがそれも数拍で落ち着くと光と一緒に符も消え失せた。


「これでよかろう。まぁ、埃は適当に払っておくが良い」


 おー、と弾んだ声をあげた瑠璃は、試しとばかりに飲み干した茶碗を取っ手の下に置き、きゅるっと捻る。チョロチョロと出てきた水に小さく歓声を上げた。


「相変わらずすっごいね、紅雪ちゃん」

「無論じゃ。……それで、翡翠、お前はどうする?」


 それまでムッツリと黙り込んでいた長兄の目に、僅かな逡巡が覗く。


「先んじて言っておくが、わしのできる事であれば構わぬぞ? まぁ、わしの意に沿わぬことでは拒むしかないがのぅ。―――1年前の話を飲めと言われても断るぞ?」


 一年前という言葉に、翡翠が小さく嘆息した。

 隣で聞いている瑠璃は何のことかはサッパリ分からないまま、成り行きを見守る。


「それなら―――というのはどうでしょう?」


 想像もしなかった兄の言葉に、瑠璃は顎が外れるかと思った。



 ◇  ◆  ◇



「では、行ってきますね。雪ねえさま、翡翠さん」


 にこにこと微笑む小鈴は、いつもよりも少しだけおめかしをしている。

 琥珀からもらった簪、細かい刺繍の施された上衣、家事には向かないひらひらとした袖口。手にした更紗の巾着は紅雪が手を加えたもので、可愛らしい外観に不似合いのえげつない窃盗防止のまじないがかかっている。

 都に行けるだけでなく案内までしてもらえるとあって、期待に胸を膨らませている小鈴の頬も上気している。

 ……上気しているのは、敬愛する姉と共に見送りに来た翡翠のせいかもしれないが。


「うむ、琥珀によろしくな」

「思う存分楽しんできてください」


 都に行く符を太陽にかざすように掲げると、小鈴の華奢な身体は光の矢となってヒュンと遠くの空へめがけて飛んで行った。


「……さて」


 翡翠は一向にこちらを見ようとしない紅雪を見つめた。


「分かっておる。―――まぁ、短い話ではない。中に入ろうではないか」


 彼女は、その美しすぎる顔をやや曇らせ、それでも室に招き入れた。


―――翡翠の要求は、居合わせた瑠璃の度肝を抜くものだった。


「それなら、あなたが私の求婚を断った理由をすべて聞かせていただく、というのはどうでしょう?」


 さらりと出てきたその要求は、もしかしたらずっと彼の心の中にあったものかもしれない。

 瑠璃は兄が紅雪を好いていることは知っていたが、既に求婚済みとは知らなかったようで、口をあんぐりと開けて隣の兄を見つめていた。


(あやつのあんな顔は、久方ぶりに見たのぅ)


 その時の光景を思い出し、思わずくつくつと笑う。


「何か、おかしいことでも?」

「……いや、大したことではない。瑠璃の驚いた様が面白かったのでな」


 いつだったか、紅雪の頼み事を聞いてくれたイボガエルに羽根を生やしてやった時に、同じ顔をしていた。

 卓につき、向かいに座るよう促した紅雪は、視線で急須と湯のみを探すと、それらに向かって人差し指を突きつけた。すると、音もなく浮き上がった茶道具が二人の前に飲み頃のお茶を淹れる。もちろん、そんなことぐらいで、目の前の男は驚きもしない。


「さて、何から話そうか」


 翡翠から求婚されたのは、1年近く前のことだ。前々から好意の視線は感じていたが、そこまで思いつめているとは気付かなかったのでとても驚いた記憶がある。キッパリと断ったが、諦めてはいなかったらしい。


「あの時は、自分の宿命に巻き込みたくないと言ってましたね。ですが、その宿命はみだりに他言できないと。そして、年齢も違い過ぎる、と」

「年齢、か。……翡翠。わしは生まれてから何年になると思う?」


 翡翠は逆に尋ねられ、小さく嘆息した。


「私はあなたの正体にある程度の見当をつけています。それが正しければ、130歳以上でしょうか?」


 彼の口にした数字は、紅雪の予想していたものだった。それは、この灯華国が建国されてよりの年数。


「残念ながら、わしはまだ50歳ぐらいでしかないな。この村の月丹や麻尋殿よりも若造よ」


 目をみはる翡翠に、柔らかな笑みを浮かべてみせた紅雪は、味気も何もない茶をすする。自分で淹れる茶ほどつまらないものはない。


「お前の予想は間違ってはおらぬ。じゃが、わしは当の本人ではないゆえ、な。いや、ある意味においては、本人ではあるのじゃが……。むぅ、自分にとって当たり前のことを説明するのは、存外難しいものよのぉ」


 自分の正体については、かつて何度か説明した記憶がある。それを掘り返しながら紅雪は口を開いた。


「わしの役目は、必ず一人が背負わねばならぬ。じゃが、役目を放棄して男と添い遂げ、共に老いていく術はある」

「それなら……」


 どうして拒否したのか、とまでは口にしないが、翡翠の目が強い光を帯びていた。


「人と添い遂げ、子を為せば……それが次の『わし』じゃ」


 どこか懐かしいものを見るかのように細められた紅雪の瞳が、暗く深みを増した。


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