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赤雪姫の惰眠な日常  作者: 長野 雪
惰眠3.惰眠の代償
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10/21

1.見つかる姫君

 その朝、小鈴は寝苦しさのあまりに目を覚ました。

 山間のこの村では、朝方に寒さで目を覚ますことはあっても、暑さで目を覚ますことは滅多にない。

 小鈴は寝汗でじっとりとした上衣の胸元をくつろげ、はしたなくもパタパタと扇いで風を作る。


「……雪ねえさま?」


 いつもなら、はしたないと注意をしてくる姉の声はなかった。どんなに惰眠を貪っていたとしても、そういうところは厳しい姉なのだ。

 むわっとした空気の中、小鈴は異変を感じて寝台から降りた。そして、その熱気の強い方へと何かに突き動かされるように足を向ける。


「雪ねえさま!」


 彼女の叫びは明朝の静かな空気を破るように響いた。



 ◇  ◆  ◇



 史家は言う。

 この灯華国には、神仙の加護があると。

 建国の祖である皇帝・章。彼は火を自在に操ることを得意とする神仙に師事した。

 彼は群なす兵を薙ぎ倒し、小国同士の諍いの絶えないこの地を統一した。

 彼の傍らには、花をこよなく愛する仙女が侍っていたと伝えられている。彼女は敵味方関係なく、戦死した者のために涙を落とし、花を贈った。

 火を操る皇帝。花を咲かせる仙女。

 皇帝は国に名前をつけなかったが、誰からともなく、火と花の国、灯華国と呼ばれるようになった。

 時を下った今もなお、皇帝の血筋は絶えることなく、その権威が失墜することなく国は存続している。

 時に愚帝が権力を握ることもあったが、そうした際にはどこからともなく、神仙が現れ、後始末をつけていったという。ある時は失政の尻拭い、ある時は愚帝の暗殺、そういった形をとって。

 神仙は権威の象徴でもあり、反権威の象徴でもあった。だが、その仙女は有事の際を除き、人前に姿を現すことはないと言う。

 それゆえ、仙女が存在するか否かは史家の議論の的となるのである。



 ◇  ◆  ◇



 村で商いを営む鉱家の長男、翡翠は顔を洗いに外へ出た所でその異変に気付いた。


「何ですか、あれは……?」


 村の一角から、白い煙がもくもくと上がっている。

 火事にしては、特有の焦げ臭さもない。この村に焼畑をする者はいない。


「いつものあの人の悪ふざけですか?」


 その方角にある家を思い出し、翡翠は肩を小さく竦めて背を向けた。

 鳥肌が立つほどの冷たい水で顔を洗い、肩にかけた手巾で水滴を拭う。どこかぼんやりとしていた頭がカチカチといつも通りに動き出す。


「……」


 考え込む翡翠の眉間にしわが寄った。


「あー……、兄ちゃん、はよ~っす」


 弟が同じように顔を洗いに出てきたのを見て、彼の心は決まった。


「瑠璃、私は念のため様子を見に行ってきます」

「うえ~? あぁ、また紅雪ちゃんが何かやってんのー?」

「……だといいんですけどね」


 手巾を弟に放り、翡翠は足早に煙の立つ方へと足を動かした。


「う~ん? ま、いっか?」


 ふわりと落ちてきた手巾をキャッチし、瑠璃は柄杓に手を伸ばした。



―――違和感があった。

 普通に(あくまでこの村の中でだが)考えれば、また赤雪姫がよからぬ実験をしているだけだ。別段、心配するようなことなどない。

 ただ、何の変哲もない白い煙、という所に引っかかったのだ。


(あの人なら、そんなつまらないことはしない筈)


 翡翠の知る紅雪は、嫌がらせに血道を上げている。実験をするならするで、事前に周囲の人間に知らせて脅えさせるか、桃色だの紫色だの無駄にカラフルな煙を発生させるぐらいはするだろう。


(それが、異臭も何もない単なる白い煙ですって?)


 あり得ない。

 それが翡翠の出した結論だ。

 ひたすらに足を動かしていくと、煙が紅雪の家ではなく、裏手に流れる川の方から立ち昇っていることが分かった。


(なんでしょう、これは……湯気?)


 この季節、この時間に似つかわしくない熱気に身体を包まれ、反射的に口元を覆う。


(いったい川の方で何を煮立てているんですか、あの人は!)


 非常識な人間とは分かっていたが、ここまで来たら、とりあえず原因を突き止めないと気が済まない。先の見えない湯気を掻き分け、翡翠はゆっくりと発生源を探し歩く。

 ザバァッっという水音、そして間を置かずにじゅわっという蒸発音が聞こえてきた。やはりこの白い煙は湯気で間違いないらしい。


「ん、……しょっ」


 疲労を含む女の声と共に、再び水音と蒸発音が聞こえてきた。


「その声、小鈴ですか?」

「? 翡翠さん、ですか?」


 再び水音が聞こえ、湯気がもわっと強くなる。


「朝早くから、何をしているんですか? またあの人が何か……」

「違うん、です。雪ねえさまが……」


 じょわっと湯気が立ち昇る中、翡翠はようやく小鈴の姿を見つけた。袖を大きくまくり、額に汗するその顔は真っ赤になっていた。


「あの人はどこに?」


 湯気を立てる風呂桶のようなものを迂回し、小鈴の隣に立った翡翠はぐるりと周囲を見回したが、紅雪らしき人影は見つけられなかった。


「その中です。あ、いけないっ……!」


 風呂桶を覗いた小鈴が慌てて川の水を汲みに行く。

 翡翠もその風呂桶の中を覗き、絶句した。


「……これは」


 かろうじて言葉を紡ぐと、桶に水をいっぱいにした小鈴が風呂桶の中にざばぁっと流し込む。だが、それはすぐにじゅわぁっと音を立てて沸騰、蒸発していく。


「わたしが起きた時にはもう……」


 言いかけた小鈴がふらり、とよろける。慌てて足を踏ん張る様子に翡翠はようやく気付いた。


「小鈴、いつからこんなことをやっているんですか? 桶を貸して下さい、私が代わります」

「だ、大丈夫です。合間に頭から水を被っているので、見た目ほど汗はかいてないんですよ」


 大丈夫と重ねる小鈴だが、どこか的外れなその答えに、翡翠は無理やり桶を奪い取った。つまり、暑さに耐え切れなくて自分でも水を被ったと。しかも、1度ではなさそうだ。


「そんな顔で何を言いますか。いいから休みなさい。そして状況の説明を」


 赤雪姫が何かを『煮込んでいる』のではなく、赤雪姫が『煮込まれている』この状況を説明して欲しい。翡翠は切に願った。


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