私の尊敬する人
尊敬する人は?と聞かれれば昔なら歴史上の偉人を挙げたことが多い。
すると決まって歴女扱いされてうんざりしたものだ。
自国の活躍した人くらい知っていてもおかしくないと私は思うのだが。
ちなみにこの質問において[両親]は不可らしい。
そして今同じ質問をされたなら、私は間違いなくアン・サリヴァン氏と答えるだろう。日本ではサリバン先生というほうが馴染み深いようだ。話の主人公はヘレン・ケラーで、聴覚・視覚・発声に障害を抱えながらも努力を重ね、自身も障害を抱える人達のために教育・福祉の方面で尽力された方で、彼女のことも尊敬している。
それにも関わらず、私がアン・サリヴァン氏と答えるのはやはり親近感のせいだろうか。かぐやが[かぐや]が自分の名前だとというより、[名前]と言うものを理解したことがきっかけで、彼に色々教えてみよ9うと思ったのだ。一緒に散歩していた時に見かけた猫達、彼らを一様に[猫]と私は言っていた。かぐやは[猫]であるが、私は[かぐや]と呼ぶ。後に聞いたところ、常々疑問に思っていたらしい。[ごはん]と言って食事を取るうちに[ごはん]と言ったら食べると言うことを覚えたようだった。私は小さい紙に[ごはん]と書き、料理を盛った器の前で[ごはん]といい、紙を見せる。同様に[水]も。
そんなことを幾日か繰り返していたある日、私はパソコンの前につきっきりでアプリ開発を行っていた。あくまでも趣味の範囲だが、そこそこ売れているものもあり、いろいろな理由でお金のかかる私にとって助けになっている。そのときは作ったアプリの仕様テストをしていたのだが、すっかり夢中になっていたところ、ディスプレイの前をひらひらと紙が落ちてきた。キーボードの上に舞い降りたソレを裏返すと[ごはん]と書かれており、慌てて時間を見ると早14時。かぐやにとってはお腹すいいてただろうなぁってそんなどころじゃない!ディスプレイの上に手を・・・前足をのっけてたかぐやを抱えて、
「言葉、わかる?」
と尋ねたが無反応である。あまりの慌てように私もおかしな行動をしてしまった。私はひとまず、ご飯を用意し、かぐやと食べることにした。ともかく落ち着く時間が必要だったのだ。以降、いろいろとかぐやにモノを教えることに従事した。その際に、絵本がかなり有用であると知った。いや、絵本というか、実物の写真入の子供向け様の図鑑というほうが正しい。大量に絵本を買うところを同僚に見られており、隠し子説が研究所内に広まったり、養父に相手を連れてきなさいとか言われたのはのは別の話である。
モノの名前を教えるのは簡単だったわけではないが、地道に進み、むしろ問題だったのは形容詞とか感情である。[車]はわかっても[危ない]と伝えることができない。実際にモノを見せてコレで済ませられないからである。私はここで大いに悩まされることになる。
障害を抱えるヘレン・ケラーにモノを教えたサリバン先生。
視覚聴覚に以上無しの猫にモノを教える私。
こうして私はアン・サリヴァン氏に敬意を抱くのである。
Yes! No! ???を理解させられないものか?
研究所内で私が悩む姿が見られたのであった。




