虹ドライブ
生まれて初めて、俺は喧嘩をした。
しかも、よりにもよって大親友であるこいつとだ。
「なあ、悪かったって。もうお前に隠し事とかしねぇーからさ」
「そうやって、なんどお前は約束破ってきたんだよ。脳みそまで筋肉でできてるんじゃないか?」
「そんなことねぇーて。なっ、とにかく機嫌直してくれよ。今日はちょっとドライブにでも行こうぜ」
「ドライブって、車は?」
「もう外まで回してきてるよ。なあ、お前も来いよ。ゼッテー、楽しいからよ」
俺の返事も聞かずに踵を返し、親友は階段を下りていった。
奴が視界から消えると、ハァーと呆れ気味に嘆息をする。
あいつはいつだって、俺の考えを聞き入れず自由奔放に行動する。なにが苛立たしいって、こんな風に振舞わされていて顔がニヤけてしまう自分が一番業腹だ。
擦り切れたスニーカーを履いて、照りつける陽の下に出ると、一台の車が止まっていた。
そして、その助手席には、憎い女がこちらの心情も知らずに、はにかむように会釈した。髪型はいかにも男ウケしそうな姫カットで、ヒラヒラしている純白のワンピースを恥ずかしげもなく着こなしていた。
僕は親友を睨みつける。
「おいっ! なんでこいっ――いるんだよ!?」
「なんでって、とにかくお前に紹介したくてさー。お前のこと紹介したら、こいつも会いたいって言ったから」
咄嗟にコイツ呼ばわりしそうになった、悪魔のような女は「もうっ、ご本人に言わなくてもいいでしょ」と、親友の肩をやんわりと叩く。ボディタッチされた親友がまんざらでもなさそうに、顔を綻ばせる姿は見るに耐えない。
だらしなく表情を緩ませている親友の隣。助手席に座っているのは女。そこに座っているのが当然とばかりに居座っている女は、庇護欲を誘うには十分すぎるほどの華奢な腕と、女らしい容姿。男子校に通っていた親友が陥落したのも頷ける。
俺たちはいつだって一緒だった。
――俺、実は彼女ができたんだ。
昨日、突如として告白された秘密を聞くまでは、俺たちの絆は永遠だと信じていた。
だから、これは俺に対する裏切りだ。
……なんて、そんな訳がない。
だって俺は、親友に自分の気持ちを告げる勇気すら持っていなかった。ただ、今まで自分の恵まれた環境にあぐらをかいて、呆けていただけだ。聞けば、目尻の下がっていて温和そうな女は、自ら親友に猛アタックしたらしい。
俺に彼女ほどの勇気が備わっていたら、なにかが変わったのだろうか。いやきっと、俺は何も変わらないだろう。あの時から俺は、何一つ変わっていない――
入梅の季節。
水分の吸った生暖かい空気の中、降り始めた突発的な土砂降りは、俺たちの髪を濡らし始めた。
「おい、もっと早くこげよ! ずぶ濡れになるぞ」
「俺がペダルこいでるんだから文句言うなよ。ただでさえ部活で疲弊してんだからさ」
自転車を必死でこいでいる親友のシャツが、どんどん濡れて透けてくる。隆起して力強い筋肉は、日頃から筋トレしている賜物だろう。ゴツゴツしていて骨ばっている背中に見蕩れていると、尻が一瞬浮く。
小石に躓き上下した自転車に驚愕した俺は、思わず目の前の腰に腕を回してしまう。しまった、と顔を顰めるが、平然とこいでいく親友に、俺はほっと安堵する。
そしてそのまま、背中に鼻を寄せる。むっと部活あとの汗臭い臭いが、鼻先に漂ってくるが、嗅いでいるとどこか落ち着く。
「おっ、もしかして雨止んできたか?」
「えっ……ホントだ」
キキッーと、自転車が音を立ててブレーキングする。
親友に習って掌を空に向けるが、雨の感触が弱まってきている。
おっ、という親友の驚いた声。視線を追っていくと、そこには空に架かる鮮やかな色彩の虹がその存在を誇っていた。
「綺麗だ……」
天気雨が降り注いだ後に登場する虹は、どこか仄かな希望を思わせる。儚く即座に霧消してしまう期間限定の現象だからこそ、あそこまで綺麗に見えてしまうのだろうか。幻だからこそ、自然と涙が溢れそうになってしまうのだろうか。
ただ一つだけ確証を持って言えることは、こいつが傍にいたからこんなにも胸がずきずき疼ってことだけだ。
「後ろ乗れよ、さっさと探し出さないと日が暮れちまう」
「はいはい、それでどこに行くんだ?」
バン、とわざと大きく音を立たせてドアを閉める。後部座席に座ると、そのスペースが妙に広く感じてしまう。
もう、俺はお前の傍にいることはできないんだな。
あの時のことを、お前はなにも憶えていないだろう。記憶の片隅にすら置いてもらうこともできなくて、だからといって自分から距離を置くこともできない。そんな俺にできることは、こいつに嫌われないように自然体でいることだけだ。
「場所は決めてない。というか、わかんねぇな」
「分からないって、なにしにドライブ行くんだよ?」
「ちょっとばかし、虹が見たくなったんだよ! お前とさ!」
思わず俺は俯く。
憶えていてくれたんだなって思うと、じぃんと胸の内が熱くなってくる。たったそれだけのことなのに、やっぱり嬉しい。
変わらないな、お前も。
よくよく考えれば、あの時と同じでお前が前で俺が後ろ。乗り物が違っていても、乗り方は一緒。気がついたら、少しだけ心が軽くなった。
「ああ、行こうか。虹を探しに!」
永遠に変わらないものがこの世にはあるって、俺は信じている。
一時間、二時間プロットなしで書きましたので、つまらなくてもご容赦ください。