依頼主
初夏のさわやかな気候の中、町はいつものように喧噪に包まれている。市場が近いせいか人口密度も高く、僕のような小間使いや主婦、若い娘さんで賑わっている。
この町に昔から住んでいる人に聞くと、このあたりも随分様変わりしたそうだ。昔は市場ももっとこぢんまりとしていて、露天や店舗を構えていても木造のものばかりだったそうだ。それが、町の中央の市場から露天商が少なくなり(町の入り口付近は露天商が多い)、魔術で特殊加工された鉄や石材を使った建物の店舗が軒を連ねるようになった。この他にも上下水道が整備され、一般家庭で使われている魔導技術の水準が向上し随分と便利になったと語っていた。
『キリの町』は『キリの街』になるため、意欲的に発展している。そんな町中を『癒しの乙女亭(←ハゲ熊がマスター。完全に名前詐欺)』へ戻ろうとしていたんだけど…。
「…うぅ、やっちゃった」
買い出しを終えた僕の背中には、『台車使いなよ、馬鹿なの?』と言いたくなるくらいの食材が山を築いている。そして両手には、主婦も苦しめられている洗剤などの台所用品や、安かったからつい買っちゃった特売品のトイレットペーパー。
…言い訳させてください。僕は冒険者なんです、腐っても。未だDクラスなので毎日修行なんです。買い出しもできて筋トレにもなる、一石二鳥なんて考えにワクワクしてしまったんです。
「過去の僕、死ね」
下手なやる気を見せたばっかりに、いや、マスターが僕のことを完全にアルバイトと勘違いしたばっかりに、こんなことになってしまった。そう、マスターがすべて悪い!
「だから、地面に無残に打ち付けられた可哀想な食材たち。恨むならマスターを恨んでおくれ」
もうすでに、取り返しのつかないことになっていた。原形をとどめない野菜や果物。割れて中身がこぼれたミルクやアルコール。お魚やお肉は洗えば大丈夫か?
荷物の(控えめに言って)4割ほどを落とし、呆然とする僕。「あ~あ、やっちゃったな」的な視線を向けるだけで、足早に去っていく通行人。視線が痛いって、こういこうとだったんだ。
「おーおー、こいつはまた…。呆然としてるところ悪いんだが、ちょいと聞きたいことがあんのよ。構わないか、少年? 礼はするから」
全く空気を読まない中年は、辛うじて無事だったフルーツを踏み潰した。
「あーっ!!」
「うん? ああ、気にしなさんな。ちゃんと弁償するから」
そういって手をパタパタと振る。それに合わせて、綺麗な色彩の布が舞う。
東方の女性用衣装『キモノ』を羽織った無精ヒゲのうさん臭い中年男性。ボサボサの髪を後頭部でまとめ、ラフに見えるが旅慣れた服装(遊び人風)。
(東方人じゃないみたいだけど…。なんか変なのに捕まっちゃったなぁ)
「あっ! 今なんだこの変なおっさんは? って思ったろう、少年?」
そんなの思うに決まってるだろう。とは流石に言えず、曖昧に笑ってみせる。
中年は、『仕方ない』とでも言いたげな表情で溜息をつきつつ、潰れたフルーツを拾う。
「まぁいいや。そんな目で見られるのは慣れっこだし。それより、おじさんが聞きたいのは……」
そう言いながらこちらに近づき、拾ったものを僕に手渡してきた。
「えっ!? これ…」
僕の手に乗せられたのは、このうさん臭い中年が踏み潰し拾い上げたフルーツ。その無傷な状態のものだった。
「魔法使いの話、なんだけどね?」
僕が落としてダメにしてしまった食材は、うさん臭い中年『ブックマン』さんが全部元に戻してくれた。
「大きな『杖』を持った少年探してるんだけど、知らない?」
どうやら、『杖』を持った魔法使いの少年を捜しているらしい。僕は『杖』を持った魔法使いの少年に心当たりはなく、そう答えると弁償というかお礼をしてくれた。
全く原理は不明だが本人曰く、
「ああ、これは魔法なんて高等なものじゃないよ。おじさん人間だし。単なる魔術の応用だよ」
魔法としか思えない魔術の力で、食材たちは落とす前の姿に戻った。まぁ、それを運ぶ労力と、マスターに殺されずにすむという安心感は、正直トントンだと思う。
で、そんなブックマンさんは、何故か僕と一緒に『癒しの乙女亭』にきて、今はマスターと話している。何でもマスターとは旧知の仲らしい。
僕は冷蔵室に食材を直しながら、二人を盗み見る。ブックマンさんは、僕と出会ったときと同じでヘラヘラと話しかけ、マスターは苦虫を噛み潰したような顔をして、明らかに不機嫌にしている。
「そんでさ、お宅のところにも行ってるとは思うけど、家出した少年を捜してるのよ」
「チッ! やっぱりうさん臭ぇことこの上ねぇ。初心者用クエ? 冗談じゃねえ。テメェが噛んでる時点でAクラスの案件だ」
「ええ~、せっかく正規のルートで依頼だしてんだからさぁ。そっちで勝手に握りつぶさないでよぉ」
マスターが破棄しようとしていたクエは、この人が依頼主らしい。魔法使いが絡んでることを考えると、詳細を伏せたり報酬が相場の二倍なのも頷ける。ただ、マスターが言ったように初心者用のクエではない。Aは言い過ぎでもBクラスのクエストだと、駆け出しの僕でも判断できる。
「ならさ、ならさ。誰か紹介してよ」
「うるせぇっ、とっとと帰れ!」
マスターにあれだけ怒鳴られ、凄まれてもヘラヘラとしているブックマンさんは正直すごい。マスターと同じか、それ以上の冒険者なのかもしれない。
そんなことを考えつつ、台拭き片手にテーブルを磨いていく。見た目はそんなに良くはないが、作りは頑丈でアジがある。欠点を言えば、埃が目立つ。だからこまめに…、
「あれ? さっき拭いたのに」
何故か埃が積もっていた。
「バイト、伏せろっ!!」
マスターが叫んだ直後、側の壁が爆ぜた。外から大きな固まりが突っ込んできたのだ。
「…っ!」
マズイと思ったときには遅かった。大きな固まりに弾かれカウンターに叩き付けられた。
「バイト!」
「ら、らいりょうぶれひゅぅ…」
何とか受け身はとれたし、頭を打たずにすんだ。ただ、もの凄く目が回る。
「おや、こいつはすまないねぇ。これ以上の迷惑がかかるか否かは、そこのお嬢ちゃんの出方次第さね。ひゃひゃひゃっ」
そう言って壊れた壁から侵入してきたのは、マスターと同じくらい大きな老婆だった。