キリの町にて
ここ、キリの町は比較的大きな町だ。
この国は央都(行政の最高機関がある主要都市)を中心に一二の街道があり、その街道沿いに村~街規模の集落がある。キリの町は『街』と言うにはやや小さく『町』に甘んじているが、活発で活気のある町なので近く『街』に昇格するだろうと目されている。
そんな大きな『町』なので、宿泊施設も充実している。木賃宿からホテルと呼ばれる高級志向の宿泊施設。さらには、近くに温泉の源泉があるらしく、東方風の佇まいをした温泉宿もある。
で、そんなキリの町で僕が何処にいるのかというと。昔ながらの酒場を兼業する木賃宿。その男子トイレにいる。カツアゲとか暴行とかのメイン舞台に思われるかもしれないが、そんなことはここでは決して起きない。臭くて汚くて入っただけで病気になりそうなんてイメージも、今し方僕が掃除を完了したので完全に払拭できた。むしろ、この建物の中で今、一番清潔な場所だ。
……いっそここに住みついちゃおうか。
床にゴロゴロしながらそんなことを考えていると、丸められた紙切れが落ちていた。立っているときはちょうど死角になっていて見逃してしまったのだ。…許せない。
僕のテリトリーを汚す憎き紙切れをなにげに広げてみると、
『またもやお手柄!? 美少女盗賊アリシア』
と言う見出しの踊る号外だった。日付は昨日のものなので、昨夜ここを利用した酔っぱらいが捨てていったのだろう。
正直ひどい見出しだけど、インパクトはある。内容は新進気鋭の美少女盗賊のアリシアさんが、悪さをしていた魔法使いを打ち倒して、館を『額面通り』潰した、というものだった。
魔法使いを倒したという事実は素直にすごいと思う。でも、それよりもこの『美少女盗賊』。イケてなさ過ぎる称号が、とにかく読み手に痛々しさを提供している。その痛々しい号外には、現場の崩壊した館の写真が載っているばかりで、アリシアさんの姿はない。
まぁ、犯罪者だから当然だけど…。
記述によると、アリシアさんは長い赤髪にスラリとした体型。猫のような愛らしさがあり、口調はとんでもなく訛っているそうだ。…こんなに特徴を書かれると、お仕事しにくいだろうに。
「おいっ、バイト! いつまで便所掃除やってんだ、さっさと終わらせろ!」
「す、すみませんマスター、すぐ終わらせます!」
人のことよりも自分のこと心配しましょう。でないと、元Bクラス剣士でこの酒場のマスターに殺される。禿頭の熊としかいいようのない巨漢で、外見だけみれば凶悪犯。
「ちっ、早くしろ! それが終わったら買い出しだ」
言い終わると、壊れるんじゃないかという勢いで扉が閉まる。
こんな怖いマスターがいるからこそ、この宿の利用者は安心できるし、不良さんたちは怖がって近づかない。そして、被雇用者の僕はコキ使われる。
掃除道具を大急ぎで片付けた僕は、カウンター(料理もここで作る)に向かって声をかける。
「ヴィエイユ=クロワ、買い出しに行って参ります! …て、マスター?」
カウンターの中にマスターはいなかった。いつもならそこで、今日は何人殺そうかと思案顔で包丁を研いでいる(本当は、明日の日替わりランチの献立を考えているらしい)。
「おう、こっちだ」
振り返ると、マスターは冒険者用のクエスト掲示板の前にいた。どうやら新しいクエストを張ろうとしているらしい。
「店は判ってるな? いつものところだ。買ってくるモンはこのメモに書いてある。金はこっちの袋だ。昨日の補充分の金も入ってる」
昨日は大忙しで、夕方に食材が切れてしまい、急遽補充分を持ってきてもらっていた。
「あれ? マスター、そのクエスト…」
「ああ、初心者用の家出人捜索クエだ」
見たことのないクエだが、張る方ではなく破棄する方にまとめられていた。
「こいつはきな臭い。報酬が相場の二倍ってだけでも怪しいのに、概要も捜索ってだけで詳細は依頼を引き受ける奴にだけ直接話すときた。真っ当でないって言ってるようなモンだろう」
だから、人目につく前に破棄してしまおう。それは、冒険者の支援がライフワークのマスターの優しさなのだろう。このバー兼木賃宿も冒険者の、とりわけ初心者から中級者くらいのための価格設定になっている。クエストが張り出される掲示板も、初心者・中級・ベテランと分けて張り出されているし、それぞれのクエストにマスターのコメントがついている。
元とは言え、Bクラス剣士。冒険者としてそこそこ名を馳せていた人なので、このコメントはかなり重宝されている。…ハゲ熊のくせに。
「…て、そんなことはいいから、とっとと買い出しに行ってこい! あんまりチンタラしてると、クビにすんぞっ!!」
僕にもその優しさとか、ぬくもりとか気遣い的なモノをください。とは流石に言えず、買い出しに出かけた。俗に言う、後ろ向きに前進!
「風のように素早く行ってきま~す!」
「材料落としたらぶっ殺すぞ!? 普通でいいからさっさと行け」
マスターの暖かい声援を受けて、僕は(イメージだけ)風のように(実際は泥沼をかき分けるような遅さで)駆けだした。
……最近思うけど、本当にこの仕事が板についてしまった。マスターなんて、僕のこと完全にバイトだと思ってるし。これでも冒険者なんだけどね?