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徳用バレンタイン

「夕暮れな色は緑64」


夕暮れな(ユーグレナ)=みどりむし

緑64=みどりむし


 微生物ミドリムシ盛りだくさん!


 名取 竜睦(なとり りゅうむ)狩雨 武(かりう たけし)は、大学の同級生であり、同じゼミの親友で、彼女いない同盟の一員である。彼らの属する理系学部にはありがちなことだが、致命的といえるほどに女子が少なかった。しかし、名取と狩雨の所属するゼミにはその数少ない女子ひとりがいる。彼女の名前は、風浦 りん(ふうら りん)。だがしかし、紅一点である彼女は変人だった。いや、むしろ人として何かがずれている天然さんであった。




「おはよう、名取くんに狩雨くん。どうした? 浮かない顔して……」


 研究室に入ってすぐ彼女はそう言った。そしてすぐに何か思いついたように、ハッと気が付いたような表情を作って、笑顔でこう言った。


「そうか、今日はウァレンティヌスの命日だったね。喪に服していたのか……」

 彼女は「くくく」と笑いながら、大学生協からさきほど買ってきたばかりであろうビニールの袋を机の上に置いた。


「わかっているよ。ほら、チョコのレイトくんの登場!」

 彼女は意味不明な言葉を言いながら、ビニール袋をあさった。徳用チョコの袋を開け、中から2粒のチョコを出し、彼らに1つづつ贈った。手渡されたそれは、トランプの模様が表面に刻してある小さなひとくちチョコだった。



「あ、ありがとう(ク、クローバーのマーク。せめてハートのを……)」

「ありがとう(義理だとしても、ほどがあるだろう。せめてチロルチョコ……)」

「どういたしまして!」

 彼らは不満そうな顔を浮かべているが、しかし、彼女は嬉しそうにそう言った。


「ちなみにお返しはいらないから。このチョコは小さいとはいえ、3倍の数の飴やらマシュマロやらお菓子をもらっては、さすがに飽きるし、どこかになくして賞味期限がわからなくなった頃に、やつらはどこからともなく現れるからね」

 徳用の袋の口を数回折り、痕をつけながら彼女はそう言った。



「まさか、それ全部配る気なのか?」

 名取は呆気に取られたように声を上げる。

 他の授業で一緒になる友人たちにも配るのだろうか? 男子の多い学部である。知り合いの大半は男であろう。それならば、この徳用チョコは合理的で経済的ではあるが……


「いいや、それも考えたけれど、面倒くさくなった。残りは菓子棚に突っ込んでおく。名取くんも狩雨くんも、あとで好きに食べるといいよ。なにせ、今日は無性にチョコが欲しくなる日なんでしょ?」

 化粧っ気がなく少し幼く見える顔が、意地悪そうな笑みを浮かべる。これは、絶対に分かって言っている行動だ。




 そして、彼女はこの部屋にある棚にチョコをしまう。菓子棚という名で呼ばれているが、正確に言うならば、その棚は冷蔵庫である。

 ちなみに、その棚に入っているものは、この研究室を使うゼミ生ならば誰でも好きなときに食べることができる。


「……今、ここでこれをもらった意味はあるのか?」

 狩雨はチョコの包み紙の端をつかみ、揺らしながら言う。


「今日この日に、『女の手から手渡しでチョコもらうと言う行為が、嬉しいんだよ』という話をさっき聞いたんだけれど、違ったのかなぁ?」

 彼女は首をかしげている。だれに吹き込まれたか知らないが、そのネタを冗談半分で実行するのはやめて欲しい。


「そうだ、同級生だし特別サービス! もう一粒あげようか? いつもお世話になっているし」

 彼女は眼鏡の奥に笑みを見せながら、菓子棚の戸に手をかける。


「いや、いらない」

 訂正、冗談半分ではなく本気で思い込んで実行していたと思われる。しかし、こんなに心のこもっているんだか、いないんだか分からないチョコは、1粒で十分だった。


「ちなみに、チョコクッキーならもう少ししたらできるよ。幕音(まくね)先輩たちと一緒に作ったから、一人で作ったというわけではないけれども……求めているバレンタイン的な何かはこういうのだろう? この授業が終わったら昼休みだし、その頃には焼きあがっているだろうし、どう? 先輩も何人か人を呼ぶと思うけれど、名取くんも狩雨くんも食べにこない?」

「行く行く」

「食う食う」


 二人のテンションが一気に上がる。これだ、こういうのを待っていたのだ。女の子の手作りチョコクッキー!!


 ――さっさと終わりやがれ、90分の講義なぞ!




 長い長い退屈な時間が終わって、3人は廊下を歩いている。

「今回の出来立てほやほやのクッキーは」

 そのとき、彼女は衝撃の事実を口にする。

「ミドリムシが1枚に2億匹だってさ。うじゃうじゃだね」


「……え?」

 驚愕の告白に、名取は固まる。

「……そうだった! 幕音先輩と言った時にすぐに気が付くべきだった!」

 手作りチョコクッキーと言う単語ですっかり舞い上がっていたが、彼らの先輩はミドリムシの有用性についての研究や実験をしているのだ。狩雨は思い出したように、苦い顔をする。


「2億って、乳酸菌の飲料水もびっくりだよねぇ?」

「そう、だね」

「……だな」


 ミドリムシは水と光と栄養塩だけで培養でき、人間に必要な栄養素をバランスよく作り出すと言う。そして、それを食品に練りこむことで手軽に栄養のあるものが作れる、まさしくミドリムシは栄養満点で夢のような食材なのだ。

 だがしかし、乳酸菌はとにかく、あの緑色で動き回る微生物を知っている名取と狩雨にとっては、精神的にどこか拒んでいる感覚があるのだ。


「あれで、なかなか普通の味だからおどろきなんだよ」

 彼女は彼らの浮かべる微妙な様子に気が付くことは無く、ミドリムシに思いをはせているように満面の笑みで語っている。


「味は問題ないことは認めるよ。見た目も少し緑っぽいって言うだけで、何も変わったところが無いことも」

「うん、確かにそうだ、が」

 たとえ味にも見た目的にも全く問題が無かったとしても、やはり受け入れがたいものがある。


 彼女は分かってやっている……のだろうか? 先輩が大量につくりだしてしまったミドリムシを早く消費させるために、わざわざクッキーを作って配っているのだろうかと、邪推してしまう。

 いや、彼女はミドリムシが大量に含まれていることに対しては、特になんの感情もいだいていないはずだ。おそらく水に溶かしただけでも「青汁もどき」とか良いながら笑顔で平気な顔をして飲み干すだろう。それほど抵抗が無いのだ。だから、本当に善意でミドリムシ入りのクッキーを作ったから、勧めているにすぎないことを彼らは知っている。少し説明不足で誤解を与えることも多いが、悪意は無く嘘はついていないだけに、彼らはいつも責めることができない。



「昔に比べると、だいぶ慣れてきた感はあるが……おれは今日くらい普通のが食べたかったな」

 狩雨はため息をついた。

「ぼくもだよ」

 名取も頷いた。

 しかし、あきらめるしかない。ここまできてしまったのだ。一口食べてしまえば、大丈夫なことくらい知っている。ミドリムシだと思わなければいいのだ。知らなければ普通に食べられる、そのことを知っている。そうなのだ。ただそれだけの問題なのだ。考えなければいいのだ。ミドリムシを食材としてみることに慣れていないだけなのだ。


「さぁ、さぁ、行きましょう。食べましょう」

 嬉々としてしゃべる彼女は微生物を何よりも愛している。



 理系学部には女子が少ない。その貴重な彼女が楽しそうにしていれば、彼女が笑顔ならば、基本単純な彼らはただそれだけで良いような気もするのだった。

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