牙を剥く者、折れた心
「気に入らねえ」
宿の食堂に武蔵の声が響いた。
朝食を前にしているというのに機嫌が悪い。
「何がダメダメなんだ? わからん」
小次郎も悔しそうに言った。
武蔵は舌打ちする。
「あれだけ倒したのにな」
ワイチは黙っていた。
確かにその通りだった。
ハロルドの言った言葉の意味は完全には理解できない。
だが、妙な重みだけは感じていた。
だから余計に悔しかった。
「まあ、実際その通りじゃったがな」
空海が珍しく真剣な顔で言う。
「クソ坊主」
武蔵が睨む。
空海は構わず続けた。
「敵を見ておらん」
「自分達のことしか見えておらん」
「連携できておったか?」
武蔵は黙り込んだ。
言い返せない。
小次郎も同じだった。
阿国も珍しく笑顔が消えている。
皆が黙る。
暖炉の薪が焼ける音だけが静かに聞こえていた。
その時だった。
武蔵が立ち上がる。
「行くぞ」
「どこへ?」
ワイチが聞く。
武蔵は当然のように答えた。
「ハロルドんとこだ」
―――――
「ほう」
ハロルドは武蔵達を見た。
「どうしました?」
「もう一度討伐に行きたい!」
武蔵が言う。
「連携の練習だ!」
ハロルドは静かに頷いた。
「気が付いたんですね」
「このままでは先へ進めないことに」
武蔵は黙っている。
「そうか」
ハロルドは机の引き出しから地図を取り出した。
「前回とは別の場所です」
「ここなら街から近いので、私が同行しなくても大丈夫でしょう」
そう言って地図を差し出す。
武蔵が受け取った。
「今度は認めさせるからな」
ハロルドは少しだけ笑った。
「期待しています」
―――――
森の中を進む。
前回より静かだった。
武蔵も小次郎も前回とは顔付きが違う。
周囲を見ている。
ガサッ。
茂みが揺れた。
飛び出した角ネズミへ、
武蔵が反応する。
一刀両断。
角ネズミが倒れた。
だが武蔵は倒れた角ネズミを見ようともしない。
周囲へ視線を向けていた。
小次郎も同じだった。
さらに一匹。
今度は小次郎が瞬時に斬り伏せる。
「なんか少ないな」
小次郎が呟いた。
確かに少ない。
前回ならもっといた。
「妙ですね」
晴明も周囲を見回した。
皆で周囲を警戒していた、その時だった。
ガサガサガサガサッ!
森の奥から何かが飛び出してきた。
角ネズミだ。
しかし一匹ではない。
何匹もだ。
全員が戦闘態勢に入る。
だが。
角ネズミ達は襲ってこない。
武蔵達など眼中にないように走り抜けていく。
まるで何かから逃げるように。
「あれ? なんか変だ。逃げてない?」
ワイチが呟く。
次の瞬間。
ドシン。
地面が揺れた。
全員の動きが止まる。
ドシン。
ドシン。
重い足音が近付いてくる。
ワイチの足が震えた。
木々の奥から巨大な影が現れた。
「なんだ、あれは? でけえ……」
武蔵の額に冷や汗が浮かぶ。
紫色の鱗。
鋭い牙。
長い尻尾の先は三又で鋭く尖っていた。
巨大なトカゲだった。
口には角ネズミが咥えられている。
巨大トカゲは武蔵達など気にもせず、
ゴクリと角ネズミを丸呑みにした。
「なんだよ……あれ」
ワイチの足が震える。
グルルルル……
低い唸り声が森に響いた。
巨大トカゲの視線がこちらへ向く。
その瞬間だった。
「下がれ!」
空海が叫ぶ。
同時に結界が展開された。
だがワイチだけは違うものを見ていた。
(なんだ……)
(白いものがお腹に溜まっていく)
(それが口の方へ……)
「おい!?」
武蔵が振り返った。
次の瞬間。
巨大トカゲが口を開き、
ブァァァァァッ!!
黒紫色の炎が吐き出された。
結界にヒビが走る。
さらに亀裂が広がる。
「まずい!」
晴明が叫んだ。
直後、結界が砕け散り、熱風が襲い掛かった。
全員が吹き飛ばされる。
熱い。
痛い。
腕が焼けるようだった。
顔もヒリつく。
周囲の草木は黒く変色し、葉はみるみる枯れていった。
「全員集まれ!」
空海が叫ぶ。
回復術が発動した。
ワイチも慌てて皆へポーションを投げる。
「大丈夫か!」
「平気だ」
武蔵が立ち上がる。
だが顔色が悪い。
小次郎も額を押さえた。
「なんだ……身体が重い」
阿国も肩で息をしている。
空海が顔をしかめた。
「毒じゃな、厄介じゃぞ」
「関係ねえ!」
武蔵が刀を抜く。
だが先に間合いを詰めたのは小次郎だった。
ガギィィィン!!
刀が鱗に止められる。
「硬い……!」
飛び退いた小次郎の手が小刻みに震えている。
刀を見ると刃が欠けていた。
「なに……」
武蔵が地面を蹴った。
渾身の一撃。
ガァン!!
火花が散り、弾かれた。
巨大トカゲは微動だにしない。
「チッ!」
武蔵が舌打ちする。
阿国が笛を取り出した。
「このままじゃあきまへん!」
軽やかな音色が響いた。
「行くぞ!」
小次郎の姿が掻き消える。
先ほどとは比べものにならない速さだった。
鱗の隙間を狙い連続で斬り込む。
だが浅い傷が付くだけだった。
巨大トカゲは怯まない。
阿国が再び笛を吹く。
今度は重く力強い音色が響く。
武蔵が拳を握る。
全力で踏み込んだ。
ザシュッ!
鱗の一部が裂けた。
だが傷は浅い。
巨大トカゲの目が細くなる。
「ならば術です」
晴明が火の魔法を唱えた。
炎弾が放たれる。
一直線に巨大トカゲへ向かい、爆炎が上がる。
しかし。
煙の中から現れた巨大トカゲはほぼ無傷だった。
晴明の表情が変わる。
「仕方ありません」
「ならば、あの術で」
印を組み、静かに目を閉じた。
巨大な術の詠唱が始まった。
武蔵は巨大トカゲを鋭く睨み、
小次郎は次の一撃を狙う。
阿国は琵琶を取り出し、
空海は回復を続けていた。
その時だった。
ワイチの目に奇妙なものが映る。
巨大トカゲの尻尾に、
白いものが集まっているのが見える。
ドクドクと脈打つように、
どんどん白くなっていく。
意味はわからない。
白いものは尻尾へ集まり、
やがて真っ白になった。
晴明は目を閉じたまま詠唱を続けている。
「晴明!」
ワイチだけがその異変に気付き、
叫びながら飛び出した。
晴明が目を開き、声がする方を見た!
巨大トカゲの尻尾が弾かれた矢のような速度で放たれた。
ワイチは晴明を突き飛ばした。
「なっ!?」
次の瞬間。
ドゴォッ!!
鈍い音が森に響く。
ワイチの身体を尻尾が引き裂き、勢い余った尻尾は大木を何本か倒しながら、木に突き刺さっていた。
ワイチは地面に叩きつけられた。
「ワイチ!!」
武蔵が叫ぶ。
突き刺さった尻尾には鮮血が垂れていた。
ワイチは動かない。
「クソがぁぁぁ!!」
武蔵が吠え、小次郎も同時に動いた。
二人の斬撃が巨大トカゲへ叩き込まれる。
だが。
巨大トカゲは嘲笑うかのように微動だにしない。
空海が血相を変えて叫ぶ。
「ワイチ!」
地面には大量の血が広がっていた。
ワイチの腹部から血が流れ、服が赤く染まっていった。
空海がことの重大さに青ざめた。
「まずい……」
回復術を発動するが、血が止まらない。
傷が深すぎる。
晴明が立ち上がり、自分がいた場所を見るとワイチが倒れていた。
もし、あのまま詠唱を続けていたら、間違いなく自分だった。
晴明が唇を噛む。
「空海殿!」
「黙れ!」
空海が怒鳴った。
晴明が言葉を失う。
空海は必死だった。
震える手で回復術を重ねる。
「死ぬな……死ぬなよ……」
ワイチの意識が微かにあり、声が聞こえる。
だが身体が動かない。
視界がぼやける。
周りの声も音も、だんだん遠くに感じていった。
武蔵の怒鳴り声。
小次郎の声。
阿国の声。
全部遠い。
「目を開けろ!」
「ワイチ!」
ワイチの意識は闇へ沈んだ。
―――――
治療院
「急げ!」
ワイチが運び込まれる。
床へ血が滴り落ちていた。
「ワイチさん、頑張って」
ナリアが腹部を回復している。
血色も悪く、呼吸も弱い。それでも治療をやめない。
「お願い……お願いだから……」
回復の光が溢れ、消え、また光る。それを何度も繰り返した。
部屋には治療の光だけが揺れていた。
やがて。
「……血が止まった」
ナリアがその場に座り込む。
「峠は越しました」
看護師は別室にいる皆へ説明し、その言葉に全員が安堵した。
ナリアは壁にもたれながら目を閉じる。
空海はそんなナリアを見つめていた。
―――――
ワイチはゆっくりと目を開けた。
見慣れない天井。
薬の匂い。
身体を動かそうとして激痛が走る。
腹が焼けるように痛い。
「よかった、目が覚めましたね。今、先生を呼んできますね」
看護師が慌てて部屋を飛び出していった。
しばらくしてけたたましく扉が開いた音がした。
「ワイチ!」
入ってきたのは空海だった。
ワイチは少し笑いながら
「酒は?」
空海は答えず、黙ったまま椅子に座った。
ワイチも自分に起こったことを思い出し、震えた声で
「……生きてる?」
「生きとる」
空海はしばらく黙ってホッとした顔を一瞬見せたが、顔つきが変わり
「馬鹿者」
それだけ言った。
ワイチは天井を見ながら
「だよね」
空海はワイチをずっと見つめていた。
部屋に静寂が流れ、
やがて
「晴明は?」
ワイチが聞いた。
「無事じゃ」
「そっか」
ワイチは目を閉じ、安堵の表情を浮かべた。
空海はそんなワイチを見つめ、
そして小さく息を吸い、優しく話した。
「お前は死にかけたんじゃぞ」
「うん」
「あと少し遅ければ助からんかった」
「うん」
ワイチは静かに答えた。
空海が拳を握り
「なんであんな無茶をしたんだ」
「わかんない」
そう答えた。
「気付いたら動いてた」
空海は顔を伏せる。
怒っているのか、安心しているのか。
ワイチにはわからなかった。
その時だった。
扉が勢いよく開く。
「起きたか!」
武蔵だった。
後ろには小次郎。
阿国。
晴明。
全員いた。
「うるさっ」
武蔵は目を真っ赤にしていた。
「馬鹿野郎!」
部屋中に声が響く。
「何勝手なことしてやがる! 死んだらどうするんだ!」
小次郎も珍しく険しい顔だった。
「本当にそうだ、洒落にならんぞ!」
「みんな心配したんやで」
阿国は優しく話しかけた。
ワイチは苦笑いしかできなかった。
皆に心配をかけて怒られた。でもそれが少し嬉しかった。
仲間っていいな。
俺は仲間に恵まれた。
ワイチはしみじみと思っていた。
そして武蔵がワイチをじっと見ながら言う。
「ワイチ、ぬけろ」
次回予告
ワイチです。
もうこんな世界にいたくないです。
早く帰りたい。
帰れる方法が知りたい。
どうにかして……
もう嫌だ。
次回
「俺はいらない」




