第ニ話【再会と、Encounter】
--なぜ、外を出歩こうと思ったのだろう。
なぜ、バスに乗ったのだろう
反対側のルートをなぜ、選ばなかったなのだろう
今、この自分の感情に折り合いがついていない状態で一番会いたくない人と遭遇してしまった
彼女と遭遇しない選択肢が無数に存在しているというのに…
悪い予感は当たってしまった
透也が『引きこもり型ニート』になってしまったのは、少なからず彼女にも原因がある
遡ること、2年前…
目の前に立つ美しい女性、善道香織はかつて透也の恋人であった
今でこそ透也はルックスのカケラもない不健康青年であるが
当時は、可憐な姉の弟は良い男という定説(?
)に逆らうことなく、普通の男前だった
馴れ初めは、単純かつよくある共通の友達から知り合い
時間と共に恋仲に発展していき、彼女から別れを告げられて…つまり、透也がフラれて恋は終わった
ただ、透也にとって初めての『恋人』だったので今だに『好意』を捨てられずにいた
「隣、いい?」
と透也に聞いただけで、返事を待たずに同じ座席に座る
透也は、固まっていた
ただじっと天災が過ぎるのを待つように固まっていた
会いたかったけど会いたくない人
初めて、恋というものを教えてくれた人
不甲斐ない自分のせいで、幸せにすることができなかった人
人生で一番愛してる人
『善道香織』
この名前を聞いただけで、鼓動が収まらなくなる
「透也くん、凄く変わったね。驚いたよ。」
透也は喋らずとも、香織は話を続ける
「見ない間にパパになったんだね。」
香織は少し、切なそうに達也を見て頬をプニプニと突いた
「ち、違う。これは姉貴の…!」
あれだけ開かなかった透也の口が、咄嗟に言葉を吐き出した
その勘違いだけは、訂正しないと透也の心は持たないと、自ら感じ取った
「ふふふっ…冗談よ。透也くんに似てないもん。」
香織のその言葉にホッと安堵が胸に広がる
「透也くん、やっと喋ってくれたのにまただんまり?」
「あ、いや、…その…。」
ただ歯切れの悪い言葉を並べるしかできなかった
--香織が視界に入ってからまともに頭が回らないのだから
「抱っこさせてー!」
香織は、そういいながら達也をすでに抱き抱えていた
口より早く行動を起こしてしまうその性格…2年前と比べて香織は何も変わっていない
変わり過ぎてしまった透也は、何も変わっていない香織に安心感を覚えた
「可愛いー!!お肌スベスベだね!名前は何て言うの?」
達也に頬擦りをしながら香織は聞く
美人に抱かれて、達也はどこか機嫌がよさそうに見えた
きっと自分の思い込みだけど、と透也は納得して
「達也だよ。」
と透也は答えた
バスが大きく揺れた
最初は地震と思ったが違うみたいだった
他の乗客も、目の前にいる香織も騒ぐような様子はない
勘違いか?と答えの出ない自問自答して再び、二人に視線を戻す
バスが再び揺れる
次は確かに、はっきりと大きく揺れて地震ではないことを確信した
バスが揺れたのではなく、自分の視界が揺れていたのだ
視界を揺らすほどの強烈なデジャヴ…
香織が赤ん坊を抱いて、まったく同じセリフをどこかで聞いたことがある
脳内のどこを検索してもそんな光景は目にも耳にもしたことがない
が、透也の心はそれに反するように「どこかで絶対に見たことがある」という感覚に襲われていた
「どうしたの?大丈夫?」
考え込んでいた透也を気遣って、香織は心配そうに目を大きくして見つめた
「大丈夫。」
そう言葉を返して、自己嫌悪に陥る
ついに自分の頭は変な妄想…というより幻覚だ
幻覚を見てしまうほどやられてしまったのか、と透也の肩は落ちた
デジャヴにしては鮮明過ぎて、奇妙な気分で気味が悪い
『次は~松ケ枝町です。御降りの方は停車ボタンを押して下さい。』
透也の家の目の前の停留所の名前が車内に響く
透也は停車ボタンに腕を伸ばすが、すでに香織が押していた
「次で降りるよね?」
「あぁ、うん。」
気まずい雰囲気は、相変わらずだが、やはり別れの時が近くと、名残惜しさが透也の胸を掻き回す
達也を返してもらって、長かった散歩はクライマックスを迎える
何か、言わなければいけない気がした
けど、このフワフワに浮ついて行き着く先が見当たらない気持ちを言葉にする術を透也は持ち合わせていない
前方に家が見えてきた
言い出すタイミングを計っていたが
「元気そうでよかった。」
満面の笑みを透也に向けて、放ったその香織の一言で、透也のタイミングはまたしても完全に逃してしまう
『松ケ枝町~松ケ枝町です。』
機械的な声が別れの場所の名前を告げる
「また、どこかで。」そう言い残して、バスから降りた
車内から笑顔で香織は手を振っていた
しかし、その笑顔はどこか寂しさを漂せていたことに鈍感な透也も気付いていた
◇◆◇◆◇◆◇◆
汗ばんだ身体をシャワーで洗い流し、透也はベッドに倒れ込んだ
日は沈まりかけて、鮮やかなオレンジが窓から差し込む
ベビーシッターとしての1日目の終盤戦
まだ2日間もあると思うと身体がベッドにめり込むような重たさを感じた
身体を奮い立たせて、寝ているはずの達也の様子を見に行くため、リビングに降りていく
善道香織…
その名前だけで、彼の心を強く揺さぶる力を持つ
彼女がみせた最後の切ない笑顔は、何を意味していたのだろうか
1階へと続く階段を降りながら透也は、一人で考えても到底解決できそうもない疑問に頭を悩ませていた
リビングの中央にはやはり達也が深い眠りについていた
母親に丸一日会わなくても、全くと言っていいほど、泣き叫んだり、「ぐずる」ことはなかった
よくよく考えれば、凄いことで今更ながら、透也はその事実にさっき気付いた
見れば見るほど、天使のような寝顔だ
ただの赤ん坊ではない…雰囲気を達也は持っていた
それは一体何なのかとは断定できないけれど、達也と一緒にいるだけで自分が変わっていくのを強く感じる
昨日と今日で劇的に変わった…気がする
透也の回りは、何も変わってないし彼が「変わったか?」と聞けば、「何も。」と返してくるだろう
しかし、彼の中では劇的に変わっているのだ…恐らく
断言できないのは
まだ自分の変化に対して抵抗があるから
変わりたいのか、変わりたくないのか
まだ彼の中で決めかねているから
まだ断言はできない
◇◆◇◆◇◆◇◆
もうすぐ、母が帰ってくる時間だ
珈琲を飲みながら、テレビを眺めているのは透也
もちろん、隣で達也が眠っているから消音
BGM感覚で眺めているだけだから、消音でもなんら問題はない
時計の針が動く音
夏虫の音色
『明日は何をしようか』
夏の空気を吟味しながら透也はそんなことを考えていた
2年ぶりに明日が待ち遠しく感じる
達也の子守は、楽ではないが嫌でもなかった
それほどこの小さな命は魅力的な色を放っている
汗ばんだ達也の額をハンカチで拭きとったその時だった…
「……!」
夏虫が静まり
時計の動く音も聞こえない
そのかわり、強烈な耳鳴りが透也を襲う
油断すると意識が飛びそうなほどの大音量
達也にもこの怪音が聞こえているのだろうか?
大声で泣き叫んでいるが、透也の耳に入ってこない
謎の音が収まると、テレビも部屋の照明も一斉に消えた
透也は急いでカーテンを開ける
この家だけ停電したのではなく、町内一帯に光が見えない
まるで、別世界の景色のように一つも明るみのない闇夜がそこにあった
「何が起こってるんだ…。」
思わず透也の口から漏れる困惑
大停電に対して、落ち着きを取り戻そうとダイニングキッチンの蛇口をひねって、コップに水を注ぐ
コップの水が揺れる
透也の手が震えているのではない
再び、あの強烈なデジャヴの時の様な視界の揺らぎが透也を襲う
魂とその入れ物が別々に引き裂かれそうな揺らぎ
『空気の振動』というより、『空間の振動』
ただ、透也は達也を守るように被さり、パニックにならないようにじっと冷静に耐えるしかなかった
振動が始まって1分を超えたその時、家から数百メートルも離れていない場所で爆音と共に、世界の終わりが始まった
◇◆◇◆◇◆◇◆
黒鉄の鎧を身に纏う巨人が一体、闇夜にその身体を溶かせて静かに立っていた
ただ鎧の隙間のスリットから、血のように紅い色が不気味に輝いていて、頭部の両眼は虚空を眺めている
その世界の理から外れた存在に気付いた人々は、叫びを上げて逃げる者もいれば、祈るように立ち尽くす者、身体を動かせずに震えている者もいた
闇に覆い被るその町は混乱の渦へ飲み込まれていた
透也も騒がしい外の異変に気付き、再び窓から様子を伺う
耳鳴り、振動、爆発、巨大ロボット…
今起きた出来事を冷静に脳内で並べたが、理解できる術も時間も透也に残されていなかった
黒鉄の鎧を纏う、巨大ロボットは、一歩一歩力強く透也の家へ近付いて来る
このまま家にいても、瓦礫と共に押し潰されてしまう
最低限の水と食料をリュックに詰めて、達也を抱き抱えて家を出た
透也の姿はTシャツにトランクスという風貌だったが、その姿でも違和感なく町を走れるくらい、現状は危機的状況だった
静寂だった夜が、一変して人々の悲鳴と巨人の歩く地響きによって混乱の夜に変わる
この町は山に面した住宅街なため、主な道路は普段でも車が通行するには幾分か細い道
逃げ戸惑う人々でその細い道も車一台もまともに走れない状態であった
所々で、乗り捨てるように置かれた車が何台も目にする
恐らく、車で逃げようと試みたが降りるしかないと判断したのだろう
透也はリュックと達也を背負い、必死で脚を回転させる
体力なんてとっくに失くなっていて呼吸も荒く、汗が止まらない
それでも逃げるしかない、まだ死にたくないから
達也を死なせたくないから
こんなに必死になっているのは、なぜなんだろう
自分の部屋に篭っていた時は、いつ死んだって悔いはないと思っていた
いざとなったら、やっぱり死にたくない
死ぬのが怖いんじゃなく…やっと『明日』を見つけたから
胸が苦しくなる
透也の頬には、涙が流れていた
それは恐怖ではなく、後悔の涙
--母さん、迷惑かけてごめん。まだ謝れていないし、ごめん。
--姉ちゃんも心配かけてごめんなさい。
--香織…。また会いたい。
走りつづけていたスピードが次第に落ちてくる
人間の速度では、やはり巨大ロボットとの差は縮まってきている
全長約18メートルの巨大な一歩は想像以上に距離があった
右に左に曲がれど、後ろを振り向けば巨大ロボットが正面を向いている
最初は勘違いだと思っていた
巨大ロボットの後ろに回り込むように逃げていたのだが、背中は一向に見えず、眼光はこちらを捉えている
透也の疑問は確信へと変わった
「なん…でだ…よ。なんなんだよ!!」
息を切らしながら漆黒の巨人に向けて叫び声を上げる透也
巨人の狙いは十中八九、透也と達也
街を破壊するでもなく、ただ淡々と逃げる透也の後を追っていた
その証拠に同じく逃げていた周囲の人々は、いつのまにか難を逃れ、透也と達也だけが孤立している
なぜ、狙われているのだろうか…透也にはそんな心当たりはもちろんない
対面して、さらに圧倒的な質量差の違いを身体で感じる
逃げている間に幾分か冷静さを取り戻せたが、それでも透也の頭はパニックになっていた
静かに見下ろしている漆黒の巨人が、手の平を広げた右手を透也に向ける
すぐに死が待っていると覚悟した透也は後方にあるゴミ袋の塊に向けて、達也を放り込もう決意
背負っていたリュックもろとも投げるモーションで構えた時だった
空間が再び、振動する
透也の膝がガクッと折れて、両手で地面を付く
両手からリュックだけが滑り落ちていてそのまま地面に叩きつけられる
達也は、地面に衝突することなく浮いていた
すぐさま透也は立ち上がろうとするが、地球の重力が何倍も強くなったように目に見えない力で身体を押さえ付けられている
それとは逆に目の前で、達也が泣き叫びながら万有引力の法則に反して宙を漂う
--あの漆黒の巨大ロボットの力なのか?
もはや、何が起こっているのか、どうなってしまうのか推測もできず、混乱を極めた
成す術もなく、伏せることしかできず、達也と巨人とこの世界の行く末を透也はじっと見つめる
漆黒の巨人が目の前で膝を立てて、しゃがみ込む
頭部に対して二対に大きく伸びるアンテナは、鋭い角
左右と真ん中にある3つのアイカメラ
そして、分厚く闇より深い漆黒の鎧
悪魔、魔神と表現するのに何ら違和感なく
と言うより、悪魔や魔神という言葉はこの巨大ロボットを表現する為の言葉だと透也は感じていた
圧倒的で異質で絶望を具現化された存在それが今目の前に立ちはだかり
その巨体の胸部からハッチが開き、中から魔神を操るパイロットらしき人物が、まるで目に見えない階段を降りるように宙を歩きながらこちらへ近付く
人間なのか、人の形をした宇宙人なのかはっきりとわからないが
なぜか『人間臭さ』を透也は感じ取っていた
風貌はいかにも宇宙人、というくらい肌に密着する紫のラインが入った銀色のボディスーツを身に纏いフルフェイスヘルメットを被っている
男か女かも判断しにくい線が細い身体と、幻想的な雰囲気が更に不気味さを増す
ゆっくりと、一歩一歩こちらへ近付く
そして透也はすぐに感じ取った
--この異質な者の狙いは、『達也』だ
…と。
なぜ、達也を狙うのか?そんな理由を考えるより、体を奮い立たせる
もうすでに達也の目の前まで、異質な者は来ていて、透也は自由の効かない身体を必死で動かす
抵抗を続ける透也に気付いたのか、異質な者は顔だけ(フルフェイスだから表情は読めないが)を伏せる透也の方向にむけて、指を一つ
パチンッ
と鳴らした
その音を聞いた直後、透也の身体を押さえ付けている見えない力が更に強まり、 骨や筋肉、内臓が悲鳴を上げる
顔を上げるどころか、声を上げることも困難になり、目だけを動かして達也と異質な者を見つめる
異質な者は、両手を広げて泣き叫び、暴れる宙に浮く達也を抱き寄せた
それはまるで、念願の宝が手に入るかのように大切そうに彼を抱いた
抱き抱えると、パッと振り返り天を登るように来た道をひきかえしていく
透也は小さく遠ざかっていく、異質な者の背中を目で追いかけることしかできなかった
◇◆◇◆◇◆◇◆
異質な者の背中を見たのが最後の記憶で、どうやら意識が飛んでいたらしく視界がはっきりとした時には達也も巨大ロボットもいなかった
街も、静寂な夜と家の明るさを取り戻していた
一瞬、悪い夢を見ていたのかと思ったが、それは単なる現実逃避だと思い知らされる
「…っく!!」
見えない力から解放され、透也は立ち上がろうとしたが全身を強打したような痛みが彼を襲い、すぐさま膝をついた
痛みが夢ではないということを嫌でも知らせ、明かりを取り戻した街も人気を感じなかった
空虚な心が胸いっぱいになり、自失呆然なった透也は道路の真ん中で大の字で横たわる
「…夢じゃ…ないか。」
悪い夢であって欲しい…そう願いながら夜空を見上げる
彼の暗闇の気持ちも知らずに、散りばめられていた星達は美しく輝いていた
その星々が急に数を増やす
いや、空間が振動を始め、揺れ動く視界がそう錯覚させていた
--あの耳鳴りと共に。
透也にはもう動揺も驚きも見受けられない
半ば、この一連の出来事について思考を働かせることに対し、諦めの気持ちが大きく『次は何が起こるんだ?』といった傍観者的にこの事象を見守っていた
再び、街の光はぽつぽつと消えていき、星達が一層に輝きを増し
耳鳴りとはいっても、どこか心地好く、天使の歌声のような音が辺りを響かせる
--その出逢いは、一瞬だった。
--その出逢いが、彼を大きく変化させる旅へと誘った
視界というのか、空間というのか
適切な表現が思いつかないが『景色』が3秒ほど大きく捩れ、次の瞬間には元に戻っていた
捩れと共に出現したのは、漆黒の巨大ロボットではなく
白と青、原色のコンストラクションが機体に映える、戦闘機が一機、姿を現わせ、透也の目の前で垂直に着陸した
戦闘機というのを実物で、しかも真近で目にしたことはないが
静寂な起動音と、垂直着陸が可能なことから、戦闘機という表現があまりにも似つかわしくないほど高性能な機体だと容易に推測できる
--…あの巨大ロボットと、何らかの関係は必ずある。
それが透也にとって味方なのか、敵なのかわからないが
達也を取り戻す唯一の手掛かりだということは理解していた
戦闘機の胴体部分の下部ハッチが開き、パイロットが降りて来る
「ちぇ~、EDポイントはここであってるはずなのに…また逃しちゃったよぉ~。」
宇宙人でもなく、未来人でもない
ただのどこぞのセーラー服をきた女子高生が戦闘機から降りてきた