第6章
俺たちは街道沿いにあった小さな宿屋で、遅い昼食と休憩を取っていた。
目の前のテーブルでは、フィリアさんが身振り手振りを交えながら、さっきの戦いの武勇伝をそれはもう楽しそうに語っていた。
「それでですね! あの虫歯兵がこう、ガーッて来たところを、私がシュバッて避けて、背後からザクッと! まさに電光石火でした!」
「はあ、そうでしたね」
「あと、あの《キャビティハンター》って名前、どう思います? 私、なんだか天啓のように閃いちゃって! 良くないですか!?」
「ええ、まあ、分かりやすくていいんじゃないでしょうか」
俺は生返事をしながら、運ばれてきたパンをかじる。
正直、話の半分も頭に入ってこない。
なにせ、ずっとこの調子なのだ。
あのクールで儚げだったフィリアさんは完全に鳴りを潜め、今は底抜けに明るいおしゃべりマシーンと化している。
まあ、暗い顔をされているよりは百倍マシだが。
彼女の笑顔を見ていると、こっちまで不思議と明るい気分になってくる。
このパワーアップ、精神面への影響が凄まじいな。
俺がそんな分析をしていると、フィリアはスープを一口飲み、ふう、と満足げな息をついた。
「ああ、おいしい! 生きてるって感じがします! これも全部、佐々木さんが歯を……」
そこまで言いかけた、その時だった。
フッ。
まるで、ろうそくの火が吹き消されたかのように。
フィリアの身体を包んでいた薄荷色のオーラが、前触れもなく、かき消えた。
「あれ?」
彼女の明るい声が、ふと途切れる。
キラキラと輝いていた瞳から、光がすっと引いていく。
ふわりと逆立っていた銀髪も、力なく元の位置へと戻った。
テーブルを挟んで向かい合う彼女の表情から、天真爛漫な笑顔が消え失せ、あの硬い表情へと戻っていく。
「あ……」
彼女の唇から、小さな、乾いた声が漏れた。
「……終わっちゃった」
その呟きは、祭りの後のような、寂しさに満ちていた。
俺たちの間に、再び重たい沈黙が落ちる。
さっきまでの喧騒が嘘のようだ。
俺はなんて声をかければいいのか分からず、とりあえずパンをもう一口かじった。
やがて、彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめた。
「先ほどは……その、取り乱してしまって、申し訳ありませんでした」
声のトーンも、すっかり元通りだ。
丁寧で、冷静で、そしてひどく他人行儀な響き。
「いえいえ、すごく強かったじゃないですか! あっという間でしたよ」
俺は慌てて、努めて明るく言った。
あの無双っぷりは本物だった。
そこは素直に賞賛すべきだろう。
しかし、俺の言葉は彼女には届かなかったらしい。
「でも、これが本当の私です」
彼女は、自嘲するように、ふっと唇の端を歪めた。
「弱くて、何の役にも立たなくて……。さっきのは、ただの借り物の力。私自身の力じゃ、ありません」
その声には、深い絶望の色が滲んでいた。
せっかく敵を倒したというのに、彼女の心は少しも晴れていない。
むしろ、パワーアップする前よりも、さらに深く落ち込んでいるようにさえ見える。
「あの力があれば、王女様を……お守りできるかもしれませんが……」
そう言って、彼女は自分の拳を強く握りしめる。
その横顔は、力への憧れと、それに依存してしまうことへの恐怖とで、複雑に揺れ動いていた。
「……また磨けばいいじゃないですか」
俺は、単純な解決策を口にした。
原因が分かっているなら、対策は簡単だ。
敵が出てきたら、その都度、俺が歯を磨けばいい。それだけのことだ。
だが、フィリアは静かに首を横に振った。
「そんなに何度も……迷惑を、おかけするわけにはいきません」
「迷惑なんてことないですよ。ものの数分で終わるんですから」
「いいえ、そういうわけには……」
彼女は頑なに、それ以上を語ろうとしなかった。
その瞳は、まるで分厚い壁の向こう側から俺を見ているようで、ひどく遠く感じられた。
なるほど。問題は、思ったより根が深いらしい。
単にパワーアップの手段が見つかっただけでは、本当の解決にはならない、か。
俺は、テーブルの上に置かれた『浄化の歯ブラシ』を眺めながら、静かにため息をついた。
異世界も、現実世界も、結局は人の心が一番やっかいだ。