第4章
気まずい。
めちゃくちゃ気まずい。
フィリア・ホワイトシャイン嬢に「あなたに何がわかるんですか」と斬り捨てられてから、俺たちの間には気まずい沈黙だけが流れている。
城門を出て、のどかな街道を歩いているというのに、空気は葬式会場みたいに重たい。
俺の隣を歩く彼女は、美しい顔を固くこわばらせ、一言も発しない。
時折、ちらりとこちらを窺う視線を感じるが、目が合うとフイとそらされてしまう。
なんだよ、喧嘩を売ってきたのはそっちだろうが。
まあ、いい。俺は寛大だ。
それに、彼女のあの追い詰められたような表情には、何か事情があるのだろう。
王国最優秀の騎士が、あんなに自信なさげなんて普通じゃない。
きっと、他人には言えない深い悩みがあるに違いない。
……と、大人な対応を心掛けてはみるものの、やっぱり気まずいものは気まずい。
何か話のきっかけは……。
「いい天気ですね」
「……ええ」
会話、終了。ダメだこりゃ。
コミュニケーション能力、ゼロかよ。
俺が次の話題を探して必死に脳を回転させていた、その時だった。
ザザッ、ザザザザッ!
道の両脇の茂みが、不自然に激しく揺れる。
小動物の立てる音じゃない。もっと大きく、もっと数が多い。
「なっ……!?」
フィリアが警戒して剣の柄に手をかける。
その視線の先、茂みの中から、ぞろぞろと奇妙な連中が姿を現した。
それは、黒くて、ゴツゴツしていて、どこかヌメっとした光沢を放つ、人型のナニカだった。
大きさは人間くらいだが、頭部は歪に欠けていて、手足は木の根のようにささくれている。
よく見ると、身体のあちこちが黄色や茶色に変色していた。
「……あれは、虫歯兵」
フィリアが、か細い声で呟く。
虫歯兵? ネーミングセンスはさておき、見た目がグロテスクすぎる。
まるで、巨大な虫歯そのものが歩いているみたいだ。
奴らからは、甘ったるくて腐敗したような、不快な匂いが漂ってくる。
「来ます! 下がっていてください!」
フィリアが俺を庇うように前に立ち、シュイン、と綺麗な音を立てて剣を抜いた。
白銀の剣が朝日にきらめく。その構えは完璧で、隙がない。
……はずだった。
「はっ!」
気合と共に、フィリアが先頭の虫歯兵に斬りかかる。
だが、その動きは驚くほど鈍重だった。
剣筋はブレ、踏み込みは甘い。
まるで、重い鎖でも引きずっているかのように、身体が言うことを聞いていないように見える。
ガンッ!
虫歯兵の硬い身体に、剣が浅く弾かれる。
「くっ……!」
フィリアの顔に、焦りの色が浮かぶ。
虫歯兵たちは、そんな彼女を嘲笑うかのように、ジリジリと包囲網を狭めてくる。
「だめです……私では……」
まただ。また、あの弱気な呟きが漏れる。
おいおい、マジかよ。こっちは丸腰なんだぞ。
あんたがやらなきゃ、俺たち二人、まとめて虫歯菌の餌食だ。
「俺も何か……!」
俺は懐から『浄化の歯ブラシ』を取り出し、とりあえず構えてみる。
もちろん、何も起こらない。
ビームも出なければ、刃が伸びたりもしない。
ただの歯ブラシだ。知ってたけど。
その間にも、フィリアの動きはどんどん悪くなっていく。
虫歯兵の一体が、大きく腕を振りかぶるのが見えた。
まずい、やられる!
フィリアがぎゅっと目をつぶった、その瞬間。
俺の視界の隅に、彼女の口元が映った。
苦悶に歪む、小さな唇。
その隙間から覗く、真っ白な歯。
……いや、違う。
奥歯だ。右下の、第二大臼歯。そこに、ほんのわずか、ごく小さな、茶色い着色が……!
「あ、ちょっと待ってください!」
俺は叫んでいた。気づけば、身体が勝手に動いていた。
「えっ?」
虫歯兵の攻撃が迫る中、俺はフィリアの前に飛び出し、彼女の顔に手を伸ばす。
「危ない!」
「大丈夫! それより、ちょっと失礼しますよ!」
「え? なにを……んむっ!?」
俺はフィリのの困惑を無視し、その小さな口に、寸分の狂いもなく『浄化の歯ブラシ』をインサートした。
「ちょ、い、今!? なんで!?」
フィリアの碧い瞳が、驚きと羞恥で見開かれる。
頬がカッと赤く染まり、口の中で暴れる歯ブラシの感触に、身体がびくっと震えている。
「ちゃんと磨かないと虫歯になりますよ! 特に奥歯! 利き手じゃない側は磨き残しが多いんですから!」
「んんーっ!」
俺は歯科衛生士もかくやという正確無比な手つきで、問題のステインをターゲットにブラッシングを開始する。
シャコシャコシャコ! 完璧なストロークだ。
その時、異変が起きた。
フィリアの身体が、突然、まばゆい光を放ち始めたのだ。
「え? え? なにこれ!?」
光はどんどん強くなり、俺は思わず目をつぶる。
身体の内側から、弾けるような力が溢れ出してくるのがわかる。
髪はふわりと逆立ち、その毛先までがキラキラと輝き始めた。
そして、俺の鼻を、強烈なミントの香りが駆け抜けた。
やがて光が収まると、そこにいたのは、さっきまでの彼女ではなかった。
全身から薄荷色のオーラを立ち上らせ、その碧い瞳は自信に満ちた輝きを宿している。
口元には、天真爛漫な笑み。
「うわー! すっきり!」
彼女は高らかに叫ぶと、剣を構え、敵に突進する。
その動きには、さっきまでの鈍重さなど微塵も感じられない。
「さあ、いっくよー!」
ハイテンションに振り返った彼女の笑顔は、朝日よりもまぶしく輝いていた。
……え、何この状況?