第3章 齟齬
俺は西村と鴨田への指導を終え、彼女らを家に帰した
残りの仕事を片付けた後、帰宅しようと正門に向かう途中、後ろから誰かに呼び止められた
「あの...すみません...」
聞き覚えのある声だなと思い振り返ると、そこには昼休みにイジメられていた女子生徒が立っていた
俺は少し面食らったが、すぐに冷静を装った
「君は昼休みの...どうした?」
「あの...その...今日はありがとうございました...」
「礼なんかいいよ。それより、怪我してないのか?」
「はい...一度蹴られて倒れてただけなので..」
「良かった。しつこく痛むようなら、すぐに手当てするんだぞ。そのメガネも無事か?」
「何とか...割られなかったので...」
彼女がメガネをかけ直す
「安心したよ。今日はもう遅いし、早く帰りなさい。暗いから気を付けて」
「はい...」
彼女はまだ何か言いたげな顔をしていたが、俺の忠告を聞くと、大人しく帰路についた
わざわざこんな時間まで俺を待ってくれていたのか
やはり彼女は「常識」のある人間だ
イジメの標的になるのは、いつだって俺たちのような人間なのだ
そんな善良な人間の優しさに漬け込み、搾取する西村のような人間を俺は絶対に許さない
そう感じ、また自分の中に確固たる「常識」が形成されていく気がした
次の日、俺は昨日取り損ねた昼食をいつもの食堂で取っていた
すると隣の席に誰かが座った
「あの...こんにちは」
隣に目をやると、またしても昨日の女子生徒だった
今度ばかりは、動揺を隠しきれなかった
「あぁ...こんにちは。どうかしたか?もしかして、また奴らにイジメられたのか?」
彼女は少し間を空けて答えた
「いえ...今日は全然...何もされてません」
「そうか...良かったよ。なら、一体どうした?」
「あの二人の事でちょっと...」
「西村と鴨田に何か?」
「はい...あの...鴨田さんが...なんか少し様子が...ヤケに大人しくて」
「昨日あんな事があったからこたえてるんだろう。いい事じゃないか。しばらくは大人しいはずだ」
「それだけじゃないんです。西村さんに関しては今日学校にも来てなくて...体調悪いみたいで...だから...その...」
俺は言い淀む彼女を見つめながら言った
「だから何だ?」
「その...もしかして...昨日何かあったのかなって...」
彼女の意図する所が分からなかった
鴨田は大人しくなり、西村は学校にも来ていない
彼女にとっての「非常識」は消え去り、イジメからも解放された
なのに、なぜ彼女は二人の事を気に掛けている?
「そう言えば、名前を聞いてなかったね。名前は?」
「正田です...正田優子」
「正田さん、別に隠しておく事もないから伝えるけど、昨日俺は二人に少しばかりの説教と、心を入れ替え反省してもらう意味を込めて、清掃をしてもらっただけだ。見たところ俺を少し警戒しているようだが、おかしなことは何もしていない。仮に俺がどこかへ連れ込んで暴行でもしたんだとしたら、彼女らは傷だらけのはずだろ?今日来ている鴨田を見てみろ。そんな形跡はないはずだ」
彼女は俯いたまま黙っている
「それに、君は奴らからひどいイジメに遭っていた。その君が、どうして彼女らを気に掛ける必要がある?やっと自由になれたんだ。これからはもっと伸び伸びと高校生活を謳歌すればいい。鴨田はこたえているだけだ。西村だって、君と学校で顔を合わすのが気まずいだけなんじゃないか?」
彼女はまだ黙っている
ますます何を考えているか分からない
しばらくの沈黙の後、俺は再び口を開いた
「俺は仕事があるから戻るよ。あまり気にかけない事だ、いいね?」
食器類を載せたお盆を持って立ち去ろうとする俺に、彼女が小さな声で呟いた
「清掃...させたんですか?どこを...?」
俺は立ち止まって答えた
「それを知って何になる?」
「いえ...ただ気になっただけで...罰として掃除させるとしたら...汚い所?トイレ...とかですか...?」
「...そうだ、トイレ掃除はみんなちゃんとやりたがらないからな。学校側としても丁度いいんだよ」
「そうですか...分かりました。ありがとうございました」
そう告げると、彼女は食堂を後にした
その日の夜、自宅で療養していた西村理沙の容態が急変
救急車で搬送され、アナフィラキシーショックで亡くなった事を知らされた