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常識  作者: Noa.
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第1章 教条

俺は善良な人間で、正しい「常識」を持ち合わせているつもりだ


あれ以来、一度も自分の価値観を疑ったことはない


だから俺は必死に学業に励み、指導者になった


その道のりは決して楽ではなかったが、苦労した価値はあったと思っている


これほど俺に向いているものは他にないからだ


今日も、勤め先の千賀郷高校へ向かう


大きめのバッグに詰めた制服と、いつものように背負った道具袋の重みが肩に食い込む


通勤・通学ラッシュの電車の中


片田舎の路線だからか、毎朝それほどパンパンという訳でもないが、やはり乗客は多い


人の熱気と、春半ばで気温が上がったこともあり、シャツがじんわりと汗で滲む


しかし体温が上がっている理由はそれだけではない


「怒り」

 

腹の底から確かに感じる「怒り」が、俺の身体を滾らせている


また見つけてしまった「非常識」


車内なのにも関わらず、集団で、しかも大きな声で話し、やかましい雰囲気の高校生男女グループ


制服を見たところうちの生徒だ


今すぐここで指導してやってもいいのだが、車内で怒鳴ればそれこそ迷惑だ


俺自身が「非常識」に成り下がってしまう


ここは一旦落ち着いて、学校に着いてからみっちり「常識」を叩き込んでやろう


大丈夫、奴らの顔はしっかり覚えた


電車を降りて少し歩き、正門から校内に入る


顔見知りの警備員に挨拶をして、職員更衣室へ向かう


更衣室に着き、バックから生徒名簿の一覧を取り出して開く


奴らの顔を思い出しながら、ページをゆっくりとめくる


高田俊樹、岡本祐介、西村理沙、鴨田真由美


全員の顔と名前が一致したのを十分に確認した後、俺はそれぞれの生徒の「要指導」の欄に日付を書き込んだ


日中の仕事をそつなくこなしながら、放課後になるのを待った


ホームルーム終了を知らせるチャイムが鳴り、生徒たちがゾロゾロと教室から出てくる


この高校ではホームルーム後、一部の生徒は振り分けられた場所へ移動し、各自で清掃を行う


いわゆる「掃除当番」というやつだ


俺は2年3組の教室の前で待っていた


すると、すぐに高田俊樹と岡本祐介が出てくる


相変わらず大きな声で話しながらこちらの方へ向かってくる


「高田君、岡本君、ちょっとこちらへ」


俺は二人に声を掛けた


怪訝な顔をする岡本をよそに、高田が言う


「なんすか?俺ら、今週は掃除当番じゃないっすよ?先週やったんで」


「確かにそうだ。だが先ほど2年3組担任の竹田先生から、君たちの態度について報告があった。今朝の電車内でやかましく騒いでいたとのことだ。私も同乗していたからそれをしっかり確認している。こういった『非常識』は厳しく指導するように言われている」


「はぁ?別に騒いでねぇよ。竹田っちからもそんな事言われてないし」


「この事は竹田先生から一任されている。いいから着いてきなさい。これから特別清掃指導だ。言う事を聞けば今回の件は水に流す。進学に響いても知らないぞ?」


そう言うと、二人は不満な表情を露骨に浮かべつつも、渋々俺に着いてきた


「ったく、マジかよ…」


「今日バイトあんのによぉ…」


小声で愚痴を言い合う二人を無視し、俺は彼らを校舎の西側へと案内する


授業が終わった校舎は、次第に静けさを取り戻しつつあった


部活動のある生徒たちはそれぞれの活動場所へ、帰宅部の生徒たちは足早に下駄箱へと向かい、各々帰路につく

人気のない廊下を進み、階段を降りる


1階から更に地下へと続く階段を示すと、岡本が眉をひそめた


「地下?何で地下なんすか?」


「特別清掃の場所だ。普段使われていない教室がある」


二人は互いに顔を合わせ、一呼吸置いた後、ゆっくりと階段を下った


地下への階段は薄暗く、蛍光灯の一部が切れていた


二人は相変わらず不安げな表情を浮かべている


地下に降りると、空気が一気に湿っぽく冷たくなり、埃っぽい匂いが鼻を突く


右に曲がり、更に奥へと進む


かつて倉庫として使われていた部屋が並ぶ廊下の突き当たりに、「立入禁止」の札が掛かった鉄の扉が見えた


「ここが今日の特別清掃場所だ」


鍵を取り出し、錆びついた鍵穴に差し込む


鈍い金属音とともに扉が開く


「何だここ…マジ汚ねぇ…」


岡本が文句を垂れる


部屋の中は、長年放置されたような埃と汚れで覆われ、壁にはカビが生えてきていた


かつての理科室と見られるその教室は、古びた実験台が数台並び、壁には黒ずんだシンクと配管が見える


天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がり、床には何かの染みが広がっている


奥の壁には「実験中は換気扇を回すこと」という黄ばんだ注意書きが貼られていた


「じゃあここを清掃してもらおうか。とりあえず並んでいる机をキレイにしろ」


俺はバックの中から、準備しておいた清掃道具と洗剤の入った容器を取り出す


「冗談っすよね?こんな汚い部屋、俺らがちょっと掃除したところで手遅れっすよ」


「そもそも何でこんな部屋掃除する必要があるんすか?使ってないんでしょ?」


二人はまだ反抗的な態度を隠さない


俺はフッと鼻で笑い、洗剤の入った容器を彼らに手渡す


「汚いから掃除するんじゃないか。しばらく放置されていたらしいから、汚れも手強いだろう。特別強い洗剤を渡すから、ちゃんとキレイにするんだぞ」


受け取りながらもまだ不満気な表情の彼らに、俺はまた怒りが湧く


「公共の場のマナーすら守れないお前らは、こういう場所の価値も理解できないんだろうな。この部屋も、かつては多くの生徒が学びの場として使っていた。『常識』のある者は、その歴史と価値を理解し、敬意を示すことが出来るはずだ。君たちには人が持つべき『常識』が欠けている。今日の清掃を通して、心を入れ替えるんだ!」


「だから騒いでねぇって言ってんだろ!友達何人かと喋ってただけじゃねぇか!」


高田が爆発したかのように啖呵を切り、俺を睨む


しばらく睨み合っていると、岡本が間に割って入った


「もういいじゃんか俊樹。ちゃっちゃとやって帰ろうぜ...」


暗く、汚れた教室に、しばらくの静寂が訪れる


まだ不満そうな岡本は呟く


「ちっ...分かったよ。やりゃあいいんだろやりゃ」


「では終わったら俺がチェックする。不十分なら、また明日も来てもらうからな」


そう言い残し、俺は教室から出て、扉をしっかり締めた


向かいの壁にもたれかかり、二人が逃げ出せないよう外の小さな窓から監視する


二人は渋々用意された雑巾と洗剤を手に取り、机の汚れを落とし始めている


そう時間はかからないはずだ


今日も無事に「非常識」を浄化する瞬間が訪れたことに安堵し、俺は満足げな顔を浮かべる


その表情が、地下教室の小さな窓に反射して映っていた

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