釣られたものは
[戯れ遊べよ鈴の音に]
俺が話し終えた途端。
りぃん!りんりん!りりりぃん!
丹波の鈴と俺が握ったままの鈴が同時に鳴り出した。
「ぎゃっ、なに、今度は何ッ」
三堀が喚く。この怖がりが。
「鈴は気にするな」
と渡会教授。自分で紙コップに麦茶を注いで飲みつつ、なんでコンビニの麦茶を買うんだ、Y農園のほうが旨いだろと文句を付けている。その間にも2つの鈴は勝手気ままに鳴っている。
俺が拳を開き、賑やかに鳴る鈴をつまみ上げると、しぃんと鳴り止んでしまった。手の平に置くと勝手に[[rb:独楽>こま]]みたいにまわり出し、りんりん!と楽しげに鳴る。
丹波のも変わった鳴り方をしていて、紐を揺らしても鳴らないのに、そっと鈴を撫でるとりぃりぃと甘えるように鳴る。独りでに鳴るというのはちょっと怖いのだけれども、
「津田め、俺らと遊んでるつもりなのか」「なんか可愛いですね」
その鳴り方が面白くて俺と丹波が少し笑うと、渡会教授が眉をひそめ
「あいつが、遊ぶか?」と呟いた。
「え、津田ですか? 遊びに行きますよ。映画とか」
俺が言えば、
「独りでふらっと出歩くことはあるだろうが、まさか鶴、お前、津田と遊んだことがあるのか⁉」
渡会教授がわざわざ執務机を離れ、俺の前に立つ。威圧感が怖いんだってば、渡会教授。
「あ、ありますけど、一応」
答える俺の両肩をがっと摑み、
「詳しく聞かせろ」
話します、話しますから、離れてください!鈴よりあんたの方が怖いです、渡会教授!
[釣られたものは]
「津田。釣りって、どういうものか知ってる?」
「……魚に餌をやること。僕らの場合は」
そんなやり取りを交わす俺と津田の間のバケツには、まだ水しか入っていない。
向こうで、男児が釣り上げた金魚を掲げ、歓声をあげて跳ねている。
何故、男二人で釣り堀になど来ているのか。
津田と俺は、朝一で上映された映画を観終えたところだ。観たいものがたまたま一致しただけで、一緒に出掛けることにあまり意味がないようで、津田は映画館を出るなり、解散を提案してきた。それはいくらなんでも素っ気ないだろと引き止めたが、確かに、他に行きたいところも特になく、昼を食うにはまだ早い。人づきあいに慣れていない津田とどう過ごしていいものか、俺も正直考えあぐねていた。
十郷とも何回か映画を観に行ったと聞いたけれど、彼奴とはどんな風に過ごすんだろう。時間潰しに駅の周辺をぶらついている時に、ふと目に止まったのが
【駅裏フィッシングセンター《鯉釣り:1時間1200円、3時間3000円》《金魚釣り:1時間1000円》】の文字。つまり釣り堀の看板。
「アクアリウムショップだったはずだけどな」
首を傾げる俺に
「やってくかい?……金魚1時間」
と津田が言う。此奴から誘ってくることなど滅多にない。津田がやりたいならと、俺は二つ返事で承諾した。
「俺、釣りやったことないけど」
「僕も初めてだ」
おい。俺が呆れて見上げると、彼は、ふふっと小さく笑い
「魚の泳ぐのを眺めるだけでも、いいかと」
と言った。僕が言い出したことだからと、津田が俺の分の釣り竿代も出してくれた。
金魚の池は子連れのお客で賑わっている。小学生になったどうかくらいの幼い子ども達が、きゃいきゃいと楽しそうに池の周りで騒いでいる。微笑ましい光景だ。
……いい歳した男二人が割って入るのが躊躇われるほどに。
だけど、津田はそんな様子を気にもせず、
「あそこ、並んで座れる」
と、二家族の隙間を埋めるように席を取る。津田の隣は、幼い3兄弟とお母さん。彼女は釣り竿を3本持っている。釣りをするのはお母さんと、小学低学年くらいの長男、あとはお父さんも後から来るのかな。なんて想像しながら俺は椅子に座った。
俺の左隣は、……これはお祖父ちゃんと孫かなぁ。
子連れで混み合う中、バケツを置く場所に迷ったのか、津田は自分のバケツをあっさりと、椅子の下に仕舞い込んだ。
……釣りあげた金魚を干涸らびさせる気か。
俺はバケツに水を汲み、津田と俺の椅子の間に置いた。ここなら二人で使えるはずだ。それを見て、津田が軽く肩をすくめて微笑んだ。すまん、ありがとう。の意味を込めた仕草だろう。最近、俺は、此奴がジェスチャーで言わんとすることがだいぶ分かるようになってきた。ちょっと誇らしい。
……いや、こいつの口数の少なさ、言葉の足りなさ、どうにかならねぇかな。
色々と思いを巡らせつつ、俺が、米粒大の餌を針にもたもたつけている間に、津田は、バカでかい練り餌を針を覆うように付け、早くも糸を垂らしている。金魚が気味悪いぐらいの群れになって集まってくる。
「二木、獲って」
……遊び方、違うぞ? 津田。
「一匹も掛からない。……大人二人してこれは虚しい」
俺がぼそぼそと呟くと、津田は餌の盗られた針に次の餌をつけながら答えた。
「そうだね、そろそろ、釣ってみるか」
は? と聞き返した俺の目の前に、びちばち暴れる真っ赤な金魚。
「引き上げたら、魚に針が刺さるから、餌食い尽くされるのを待っていたんだけど」言いながら、津田はそっと金魚の口から針を抜いてやり、バケツに放している。
ん? お前、本当に餌やってただけ、というか、わざと釣らなかったの?
俺がぽかんとして彼の横顔を見ていると、視界を小鮒みたいなデカさの黒っぽい魚(多分きっと金魚)がぴくぴくと震えながら横切って行った。
「……津田、釣りが初めてなんて嘘だ、詐欺だ」
と俺が言う間にもう一匹。小柄な赤黒の斑の個体だ。
動かないけど、この金魚大丈夫か? さっきまでポンコツだった津田にあっさり釣り上げられて、愕然としてるのか?
釣るのは津田に任せて、俺はその様子を眺めた。釣れる割合は5回に1回程度だけれど、引き上げ、餌を付け、針を投げ入れる一連の流れが速い。手際が良い。バケツには既に7匹。第一号を釣り上げてから10分ほどしか経っていない。
……バケツの水が少ないな。と心配する俺の横で、津田はおもむろに椅子の下から自分の空バケツを取り、水を汲んで、金魚のバケツに足してやっている。
「餌、要るかな」と呟き、釣った魚にも、練り餌を小さくちぎって与えている。
津田がバケツに餌を撒いているのに気付いて、隣の家族の末っ子が、ぺたぺたと駆け寄ってきた。俺たちのバケツを指して
「おたたぁ」
と舌足らずに言う。次男に手を貸して一緒に釣り竿を持っていたお母さんが、慌ててこちらへ来た。まぁ、長身長髪サングラスの津田だ、ちょっと怖い人に見えるのも無理はない。突然放り出された次男くんが
「ママ!? どこ行くの!?」
と半べそかいて叫んでいるのがちょっと可哀想でもあり、可愛くもある。
一方、幼児に絡まれた津田は、
「うん、魚だね」
とにこやかに応じている。それを見てお母さんも少しほっとした様子で、俺たちに挨拶してくれた。津田も微笑んで会釈を返す。
この幼児は津田のどこを気に入ったのか、なおも話しかけてくる。
「んちゃ、これ、おたたぁ?」
「そうだよ、お魚。きんぎょって言うんだよ」
「○くんね、にぃにとね、ままとね、ぱぱとね、◎☓#@!」
「うんうん、家族みんなで遊びに来たんだね。お喋り上手だねぇ、ボク」
あの、他人に無関心で愛想もない津田が、幼児と戯れている……。感動している俺の前で、津田がもう一匹釣り上げた。
「わぁ……」
感嘆の声をあげたのは幼児の母だ。
金色の体に大きな鰭がはためいてとても綺麗だ。
持ち帰るならその金魚が良いな。なんて俺も思った。
と、その子どもが、釣り糸に下がったままの美しい金魚をむんずと掴んだ。
「○くん!?」
お母さんが、我が子の暴挙に息を呑む。
津田が素早く針を除けてやる。
子どもの手に針が刺さるんじゃないかと思って俺もヒヤッとした。
針に掛かっているときはおとなしかった金魚が、途端に暴れ出した。びちびち動く金魚に驚いて、子どもがぱっと手を離し、生け簀に金魚を落としてしまった。
金色の美しい魚は、すっと水底に沈んで泳ぎ去り、姿が見えなくなった。
「あ……」
俺と、お母さんが思わずがっかりして声を漏らす横で、
「見事なキャッチアンドリリース」
津田が真顔で呟いた。お母さんが吹き出す。津田はそれをきれいに聞き流し、針に練り餌を丁寧に付けている。
「あの、お兄さん、ごめんなさい。せっかくの金魚を、うちの子が……」
お母さんが津田に謝る。
「どうぞお気になさらず、……お子さんと釣りを楽しんで。お兄ちゃんが困ってますよ」津田がひらと掌で示す。長男は一人で黙々と釣りに勤しんでいるが、次男は竿を一人で操れず途方に暮れている。
「ママぁ……」
ぺこぺこ頭を下げながら、急いで席に戻って行く母と子を見送り、
「お母さんというのは、大変な仕事だねぇ」
なんて津田は言う。母子を見つめる眼差しはとても優しく、柔らかで、……。
そして、津田は何を思ったのか、たくさん釣った金魚をみな、生け簀に放してしまった。……写真の1枚くらい、撮ってから放せばいいのに。
「二木、君も釣りなよ」
と笑って、津田が練り餌を俺の釣り竿につけてくれる。
だんだんと、金魚が針や糸に触れた時の重みが俺にも分かるようになってきた。水面から持ち上げたときに、針から金魚が逃げてしまうことも何遍かあった。
「お兄ちゃん、頑張ってー」
と、さっきの親子連れの、長男くんに励まされ、津田と二人で大笑いした。
残り時間を目いっぱい使い、俺は焦げ茶の金魚を一匹、何とか釣り上げた。津田が、バケツの中でのびのび泳ぐ一匹を、スマホで撮っている。
「いやー、案外、楽しかった。いい思い出になるわ」
金魚を放し、道具を片付けて釣り堀を後にする。
「隣の家族も、微笑ましかったね」
と津田が言う。
「家族連れも多いし、居心地悪いかと思ったけどな。また来ようぜ、津田」
俺の言葉に、津田は
「今度は、弟さんと来たら?」
なんて言ってくる。
「別に、家族と一緒でなくても良いだろ」
と言ってやれば、津田は目を丸くして俺を見つめてくる。津田にそういう思い出はほとんど無いのだと、察しがつく。友人と遊びに行ったことも、家族と出かけた記憶も。
「……俺と、友達と遊びに行くってのも思い出だろ」
と小っ恥ずかしいのをこらえて言ってやれば、津田は目元をほんのりと赤く染め、小さく頷いた。
こんな表情を不意打ちで見せてくる津田に、俺はますます、心惹かれてしまったのだった……。