細い縁(えにし)を手繰り寄せ
[妖精不在のお茶会は]
俺が話し終え、軽く咳払いをしていると、「あ、お茶、要りますか」と丹波が気を利かせて声をかけてくれた。
「ケーキの話聞いてたら小腹減ったわ」
八戸が言って席を立ち、丹波についていく。なんか駄菓子でもつまみに行くのかと思ったら、給湯室の上の棚に入ってる紙コップを取って丹波に渡してやっている。あの棚、丹波じゃ手が届かないものな。
「どうやっても、あの美味しい麦茶にならなくて。だからこれでゴメンナサイ」
戻ってきた丹波が肩を竦めて言った。冷蔵庫で冷やしたペットボトルのコンビニオリジナル麦茶を紙コップに注いで俺にくれる。
「なんかまじないとかしてたのかな、お茶淹れるときも」
と誰かが言い、どうだろう、普段はおまじないはしてなくね?とか、皆でわいわい言い合う。そのうち、八戸がお湯を入れたカップ麺を持ってくる。「お前、ほんとに食うんかい、しかもカップ麺て」と四方田に突っ込まれている。
「ラーメンといえばさ、二木。イオリのラーメン食べそこなったね」
十郷が俺に話をふる。
「なにそれ、ラーメン屋?」
ずるずる、ずるるるっとカップ麺を豪快に啜って、ものの数口で食べ終えた八戸が興味津々といった様子で身を乗り出してくる。
いや、なんで俺が喋らにゃならないのさ、十郷が話せばいいのに。と思いつつ、俺は、その“イオリのラーメン”の話をした。
[chapter:細い縁を手繰り寄せ]
学会の会場からホテルへ戻る途中で、俺と十郷は知らない駅で電車を降りた。駅前のロータリーを左に入り、小さな商店街を進む。十郷が、とある店の前で立ち止まる。
「あ、ここだ」
学会に参加するのに、ホテルや周辺の食事処を調べていた時。その辺りで先々月、仕事の後の夕暮れ時に、なかなか味わい深いラーメンを食べたな。と津田が言っていたのだ。俺らはそのラーメンが気になって、夕飯はここにしようと、わざわざ立ち寄った。
擦りガラスに、短く切ったピンクのビニールテープを貼りあわせて描かれたカタカナ3文字は、津田に聞いた通りの店名だ。
引き戸を開けると
「らっしゃーせー、空いてるとこ、どーぞー」
若い男性店員がこちらを見もせず、投げやりな挨拶をよこす。正直、印象の悪い店だ。でも、入ってしまったのだからと腹を括って、入口付近のテーブルにつく。他に客は全く居ないけど、なんか店の奥まで行くのも気が引けた。
だって、もう日暮れ時だというのに電気が半分しかついておらず、薄暗いんだもの。
なんかこの店、津田のイメージと合わないね。と十郷が囁いてくるのに肯きながら、俺は卓上のメニューを開いた。さっさとラーメン食って出よう。
「あれ?」
十郷が首を傾げ、店内に貼ってあるメニューも確認して、また首を傾げた。メニューのどこにも、ラーメンがない。そもそもこの店、ラーメン屋でも中華料理屋でもない。肉料理がメインの定食屋だ。
「あの、すみません。ここ、ラーメンって置いてないですか」
俺が店員にきくと、そいつは、
「え……」
と言ったきり、その場に立ち尽くしてしまった。いや、何だよその反応。
「友人が、此方で“味わい深いラーメンを食べた”って言ってて、来てみたんですけど」と俺が重ねて訊くと、そいつは途端に駆け寄ってきて、目を潤ませて言った。
「じゃぁ、お客さん、つださんのお知り合い!?」
「え、あ、まぁ、はい」
俺と十郷が訝しみつつ肯くと、
「……そっか。うん」
1人納得して、その店員は涙を拭いた。
「うち、もう、ラーメンやってないんです。わざわざ来てくれたのにすんません」
からっと笑い、
「初めてのお客さんにはこれとこれ、オススメ」
と『唐揚げ定食』と『もつカレー定食』を勧めてくれた。
「じゃぁ、それで」
俺がもつカレー、十郷が唐揚げ定食を頼む。メインにみそ汁ときんぴら、ひじきの煮物、さらにドリンク1杯がついて千円。なかなかリーズナブル。
「お水、セルフでよろしくおねがいします」
どどんとピッチャーとコップをテーブルに置いて、その店員さんは厨房に入っていった。え、あいつが作るの?と俺と十郷はびっくりした。
10分ほどで出てきた食事は、かなり美味かった。この味で、どうして客がいないんだ。
「もつ、嫌な臭い全然しない。ルーは辛めだけど食べやすい辛さだわ」
「唐揚げ、むっちゃジューシー……どうしよう、もう5個くらい食えそう」
俺と十郷が舌鼓を打ちながら食べ進めていると
「やー、まさかねぇ、つださんと縁ある兄さん方とは」
店員兼料理人の彼は俺らの隣にわざわざ椅子を持ってきて座った。
「ねぇ、つださんは来ないっすか? オレ、めっちゃ会いたい」
と屈託なく笑う。
「来ないけど、じゃ、せめて電話、しましょうか」
俺が提案した時。
店内に“通りゃんせ”のメロディが流れた。なんでこの時間にこの音楽?
「や、いいッス、そこまでしてくれなくていいッス!」
その音楽は何かのアラームなのだろうか、彼は大慌てで店の奥に駆けていってしまった。
「ちょっと、仕込みあるんで手ぇ離せなくなるかも。お代、伝票に挟んどいてください」
向こうから大声で彼は言ったきり、俺らが帰るときにも姿を見せなかった。
夜7時を回り、すっかり暗くなった道を俺らはビジネスホテルへ向かって歩いていた。その道中で、ふと思い立って、津田に電話してみた。
「そうか、彼に会えたのか。本当に細い縁を手繰り寄せたね、君たちは。実にいい時間に店に入った。僕も彼に会いに行こう……時間が限られているし、明日の夕方、そちらへ行くよ」
俺らは明日の朝にはチェックアウトして、学会に参加してそのまま帰る予定なんだけど。せっかくだし、合流して昼飯食おうよと誘ったら、津田は淡々と言った。
「あの店は今、夜8時からしか営業していないから、昼飯は食べられないよ。それに店主は彼のお父さん。彼は居ないよ」
え?と困惑する俺に、電話の向こうで津田が少し寂しそうに言った。
「日暮れ時までしか、彼は店に立てないんだよ」