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その想い出を辿りゆけ  作者: 日戸 暁
その想い出を語りゆけ〜二木の語り〜
6/8

甘いひと時、溶けて消え

渡会教授に、津田とのあれこれを話すよう促されはしたものの、ここにいない彼奴の想い出話に興じること自体が彼奴の葬儀みたいで、俺はすごく嫌だった。それでしばらく俺は黙っていた。

 三堀さんはなんで津田さんのこと嫌うんですかぁ、と丹波が涙声で三堀をなじっている。三堀はそんな丹波におろおろしつつ、でも佐倉教授の前ではっきりと理由を言えずに困っている。

その様子を眺めながら何の気無しに軽く揺らした拳の中で鈴が転がり、くっくと鳩の鳴き声に似たこもった音を立てた。誰かが控えめに笑った時のような。俺はその音に少しだけ何かを感じた。三堀が困っているのを見て笑うなんて、お前な。と彼奴に心の中で呆れた。そして、鈴の音に背中を押されるように俺は口を開いた。

「三堀と津田がな~んとなく険悪になりがちなのってさぁ、」

去年の秋、九月半ばのアレがきっかけじゃないかと、俺は思ってるんだよな。

「おい、津田。これ」

佐倉ゼミの部屋にずかずか入ってきて、渡会教授が津田に何か渡した。青い包装紙に緑のリボンのかかった、小さな細長い箱だ。

プレゼントなら渡し方ってのがあるだろうに。

「あ、有難うございます。そろそろペンのインク切れそうだったので助かります」

中身はペンらしい。なんでペンを渡されたって分かるんだろう。

「今年で5本目だ、さすがに飽きないか?」

渡会教授は、ふっと笑って言った。

なるほど、毎年のようにペンを贈ってるってことか。

プレゼントの中身が決まってるのって、貰うほうは、似たようなものを自分で買わないで済むし、贈るほうは選ぶの楽だし、メリットはあるだろうけど、やっぱりそのうち贈るのも貰うのも飽きそうだな。と俺は思ったが、津田は

「使い易いのでとても気に入っています。飽きません。でも今年はもう貰えないかと」

と言いながらいそいそとリボンを解き、包装紙は破らないよう丁寧に剥がしている。

箱の中身は、銀と濃い緑のボディが格好いいボールペン。頭の部分は判子になっている。「へぇ、ネームペンってやつ?」

四方田が興味を示す。

「そう。便利だよ、印鑑付いてて」

なんか、大学入ってから、二学期の初め頃に毎年くれるんだよね。と津田は嬉しそうに言っている。

二学期の初め。つまり9月の上旬? 毎年、その頃にプレゼント。

……もしかして津田って9月生まれですか?

俺が渡会教授に耳打ちして訊ねると、教授は肯き、声を潜めて言った。

「彼奴は分かっていないが、あぁやって素直に受け取るだけで充分だ」

今年は、9月初めは俺が多忙で、翌週は彼奴がお前らのゼミ旅行に同行させられていたから、渡しそびれたんだぞ。と渡会教授がぼやいている。

津田は、佐倉ゼミ室内に何故かある自分の占有スペース“鰻の寝床”から、昨年貰ったペン(こちらは銀と紅色のボディだ)を取ってきた。それを新しいペンと並べて眺め、

「来年で最後かぁ……修了したら貰えなくなる。ということは留年もありだな」

なんて馬鹿なことを言ってる。そんな冗談を言うぐらい、渡会教授からのプレゼントが嬉しいんだな、此奴。

「戯け、きちんと論文仕上げて修了しろ」

渡会教授は呆れて言った。

「だってさぁ……こんな、ラッピングにリボンまで掛けた贈り物なんて、滅多に……」津田が照れたように小さく笑って言葉を濁す。

確かに、大人になると何か特別に物を貰う・贈る機会って減るかもな。そんな機会があるとすれば、結婚、女性であれば出産などの、人生の節目節目の大きなイベントで、贈り物の、意味や重みが全く違う。誕生日だって、クラスでお祝いなんてするのは小学校まで。それ以降の知り合いに至っては、祝う以前に誕生日なんて知らない奴のほうが多いし、そういえば大学に入ってからは連中とは全然連絡を取っていない。もっと古くからの親しい友人たちでさえ、トークアプリでやり取りするお祝いメッセージは年々減っている。むしろ近況をSNSで知れれば良い方で、今どこにいるのかも分からないくらい疎遠になった旧友も少なくない。

なんか、それって寂しいな、と俺はふと思った。

特に此奴らとは、来年を含めてたった2年間の関わりでしかないんだよな。ましてや津田は、ゼミの同期ですらない。

ちょっとでも皆との思い出みたいなのを増やしたいな。俺の中にも、津田の中にも。

せっかくのチャンスだ、津田の誕生日祝いなんてどうだろう。

理由もわからずペン一本贈られただけで、これだけ喜ぶんだ、ちゃんと祝ってあげたら津田はどんな反応するかなと、興味もある。

ゼミ生達も居る。佐倉教授は今日は不在だけどその分、部屋を自由に使える。あとは皆が良いと言ってくれたら……と思いながらゼミ生の様子を窺うと、八戸が何故か俺を見ながら、「腹減った」と呟き、十郷も四方田も「何か食うか」、「3時だもんね」と小芝居もどきをしてやがる。

……此奴らプレゼントの意味に気付いて、それを口実に豪華なおやつを期待してるな。それでもいいか、皆で楽しめれば。

「なぁ、津田、……俺、無性にケーキ食いたいんだけど、今から買いに行こうよ」

と試しに津田を誘ったら、じゃぁ帰りに寄ろうなんて言うから、

「違う! 今、ここで、食うの! そーゆー気分なの!」

俺はゼミ室で食うことにこだわって駄々を捏ねた。本当の目的を言うわけにいかねぇし。恥ずかしいことさせるなよ、津田の馬鹿。

他のゼミ生達は、なんで俺が此処でケーキ食おうとしているのかは分かっているから、爆笑して「俺も、ここで、食う!」、「僕も、そーゆー気分!」などとノッてきた。

……三堀が席外してて本当によかった。あいつはこういう時、面白がるんじゃなく馬鹿にしてくるタイプだから面倒くさいんだ。

津田は俺たちの様子にきょとんとしていたけれど、

「二木がそんなに言うなんて珍しいね。いいよ、じゃぁ今から行こうか」と微笑み、

「“パティスリー・シャノワール”のケーキなんてどうかな。皆もケーキがいいの?」そこに居るゼミ生達にも訊いている。

3人とも、あのケーキ屋? 食う食う!と身を乗り出した。

食う食う食うくうくうくうくーくーくー。

いつまで連呼するんだ此奴ら。騒ぐ院生たちに渡会教授も眉をひそめ、

「何だ、その黒猫のケーキ屋とやらは旨いのか」

店名、わざわざ和訳する人、初めて見たわ。

「とっても美味しいですよ。都心の一等地の高級店より美味しいかも」

津田がそうも高く評価するケーキ屋はかなりレアだ。

「流石に値段は張りますが。ケーキが1切れ1,000円とか」

 そう、だから俺らは、その店のケーキを食ったことがない。ただ一度、津田が其処のクッキーを持ってきて、その旨さにゼミ生全員、目を剥いた。あの、“食い物は質よりの量”の八戸でさえ、あまりの美味しさに、少しずつ大切そうに食べていたのが印象に残っている。あ、奴はもちろんいつものように量も沢山食べようとして、津田が「キミはこれ以上食べちゃだめ」って数枚だけ小皿に取り分けて、クッキー缶をどこかに隠していたっけ。

「外出の準備するからちょっと待ってて」

津田が“鰻の寝床”に再び引っ込んだ。上着と財布を取りに行ったみたいだ。

「これ、津田に出させるわけに行かないよな?」、「お金、あとで割るから、ちょっと借りていい? 俺、今、3千円っきゃ手元にないわ」とひそひそ喋っていたら、俺は渡会教授に肩を叩かれた。

「持ってけ」

と突きつけられたのは折り畳まれた一万円札。

「え?」

「あー、これで、7切れ買ってこい。釣りはいいから焼き菓子とか買え」

ケーキ7切れ?学生は、三堀を含めて6名だけど。……まさか。

「二木、お待たせ……景晴も食べたいの?」

津田に訊かれ、渡会教授がむっと渋面になった。

「悪いか」

「甘いの好きだものね。景晴の好きそうなの選んでくる。ペンのお礼」

津田、それは違うそうじゃない。とも言えず、俺は津田と一緒に買いに出かけた。


 大学の裏手から出て、バス通りから一本奥、細い路地を進むとその店がある。

建売住宅がずらりと並ぶ区画の[[rb:際>きわ]]の小さな店だ。ただ奥には売り場よりもずっと大きな厨房があって、男性の菓子職人がたった一人、忙しく立ち働いているのが道からも見える。黒猫のシルエットが描かれたガラス戸を開け、店に入る。「いらっしゃいませ」とレジのお姉さんが明るく応じてくれる。

レジカウンターの下の冷蔵ケースにはたくさんの種類のカットケーキが並んでいる。どれも綺麗で、見た目からして洗練されている。ショートケーキ一つ取っても全然違う。ごてごてのホイップクリームで見栄え良くして、中身はすっかすかのスポンジに申し訳程度の苺の薄切りとかじゃない。なんだこれは。俺の知ってるケーキじゃないぞ。見た目だけでもう美味しいのが分かる。だけども。値札を見て、ウッと俺は固まった。そんな俺の横で津田が

「僕はこの、【栗・ザンテーム】一択だな」

「そちら、今月のみの限定商品です」とレジのお姉さんがにこやかに応じる。

「僕は毎年これを楽しみにしていて、だからここに行こうって言ったんだ。……価格がアレなのは分かってるけども」

津田が俺に詫びるように言う。

いちごと生クリームのショートケーキが900円。いちごのジュレとムースが層になったものは一切れ1,300円……?

「いやいや、美味いケーキに思い切って奮発するのも楽しいじゃん」

と言いつつ俺は、渡会教授から貰った一万円札をポケットの中でそっと握りしめた。

心強いぜ諭吉さん。

「二木はどれにする?」

「うーん、思った以上に種類豊富でびっくりしてる」

「ここのお店のものはどれも美味しいから、苦手な食材のものさえ選ばなければ大丈夫」

何だそのとても悩む勧め方。どれも美味しいんだったらどれも食べたくなるじゃないか。これとこれがお勧めって絞ってくれよぉ。途方に暮れる俺に構わず、

「十郷と四方田には何がいいかな。八戸はどれでも喜ぶと思うけど逆に好みが全然分からないや。……【フリュイ・ド・セゾン】と【ロワ】と【クロネコ】は買おう」

つらつら言いながら、マスカットのショートケーキみたいなのと、チョコレートケーキを2種類選ぶ。レジのお姉さんは、まだ注文が増えると察したのか、ケーキをまだ冷蔵ケースから出さずに、オーダーのメモを取りながらにこにこして待っている。

「三堀はそこまで甘いの好きじゃないからなぁ」

津田はくるっと向きを変えて壁際の焼き菓子コーナーへ行って

「……よし、あった。このチーズクッキーは彼でも口に合うだろ。それとこのスパイスクッキーは外せない。マドレーヌも欲しいね」

小さな籠に焼き菓子を詰めていく。それから、その横の、蓋のない冷蔵ケースから夏限定のシュークリームとプレーンのダックワーズを流れるように2個ずつ取る。ケーキのショーケースに戻ってきて

「とはいえ彼奴、自分だけ“ケーキ”が無いのも嫌がるだろうしな。この【モカロールケーキ】か、そっちの【フロマージュブラン】か。両方買っとくか」

ちょっと、いったい幾つ買うつもり!?

「ちょ、津田、買いすぎじゃね?」

「僕も諭吉くんを連れてきているので問題ないよ」

「いや、食べ切れる?」

「大丈夫だろ。八戸と景晴もいるし」

そこで渡会教授の名前も挙がるとは。あの人、結構な甘党なんだな、見た目に似合わず。

「二木、候補は絞れたの?」

「俺、まだ悩んでる、悪い」

津田が選んでいないやつから選ぼうと思ったけども。正直、商品名を見てもこれがどんなケーキか分からない。見た目で選ぶか? これは抹茶の羊羹みたいな色形をしている。なんかちっこいプリン乗ってる丸太みたいなのもある。この真っ白いドームはなんだ? ちょっと菱餅みたいな、ピンクと緑の2層のケーキ【ロゼエベル】、かわいいな。

「じゃぁ、こっちは冷蔵ものもあるから先に会計しちゃうね」

津田はレジのお姉さんに籠のものを一旦預けて

「ところでこのピスタチオとフランボワーズのムースはいつまでありますか?」

などと聞いている。

菱餅ケーキ、緑の正体はピスタチオなのか。……フランボワーズって何だっけ?

「えぇと、こちらの【ロゼエベル】は今月いっぱいで終売となります。ピスタチオを原料としますお菓子は当店では基本的に夏から秋のお品物ですので、今年は、早ければ来月中に入れ替えとなるかと」

レジのお姉さんはてきぱきと箱に保冷剤とシュークリーム、ダックワーズを詰めつつ津田にそう答え、さらには

「こちらの【ロゼエベル】は、フランボワーズ……ラズベリーと、ピスタチオの2種類のムースを層にしてありまして、ベリーの酸味でお口をさっぱりさせつつ、最後までピスタチオのコクと香りを飽きずに楽しんでいただけるかと」と俺にまで説明してくれた。

「よし、[メニューに悩んだら期間限定モノの法則]を発動するぞ俺は。【ロゼエベル】、キミに決めた!」

ようやくケーキを決めた俺に津田がふふっと笑い、

「すみません、【ロゼエベル】1つ追加で」

「ありがとうございます。では、ケーキの個数と種類、ご確認下さい」

【ロゼエベル】、【モカロールケーキ】、【フロマージュブラン】、【フリュイ・ド・セゾン】、【ロワ】、【クロネコ】、【栗・ザンテーム】。

ケーキはちゃんと7切れだったし、焼き菓子と合わせてもぎりぎり税込み1万円で収まった。もっといっぱい買ってる気がしたけど……。それから津田は、私用にとクッキーの詰め合わせを一つ買っていた。

「さ、早くゼミ室に戻ろう」

津田は嬉しそうにケーキの箱を抱えて言った。鼻歌でも歌い出しそうだ。

「ケーキ皿、無いんだよなぁ、ティーカップのソーサーを代用して……あ、ポットのお湯足りるかな?」

紅茶か珈琲くらい、皆飲むだろ? と津田が少し心配していた。

急ぎ足でゼミ室へ帰る道すがら、俺宛に十郷からメッセージがこっそりと届いた。

[電気ポットお湯沸いた。紙皿とプラのフォークある。あとはケーキを待つのみ]

普段もこのくらい、ちゃっちゃと動いてくれないかな、此奴ら。


「たっだいまー、ケーキ買ってきたぞー!」

「いぇーい!」「待ちくたびれた」

八戸と四方田が既にテーブルについてワクワクしている。三堀も戻ってきていて、退屈そうにテーブルに頬杖をついている。

ケーキを持って給湯室へ直行した津田が「紙皿が待機してる」、「お湯が増えてる」と笑っているのが聞こえる。

あくまで普段通りに、配膳は津田に任せておく。今日だけ俺たちがやろうとしたら怪しまれるからな。

「はい、これが皆の分のケーキ」

まずは、お盆に5切れのケーキを載せて持ってきた。講義に使う大きなテーブルにずらっと並ぶケーキたち。

「どれも旨そう。どれも食いたい」

八戸が呟く。四方田が慌ててケーキをテーブル中央に押しやり、八戸がちょっと恥ずかしそうに、「流石に勝手に取って食べたりはしないぞ」と言っている。

「おい、津田。なぜショコラ系を2種類買うんだ、悩むだろうが」

チョコレートケーキが好きなのか、渡会教授は。

津田は笑うばかりで答えず、

「紅茶飲む人?」

と飲み物のオーダーを取っている。俺と四方田、それから意外なことに渡会教授が紅茶を選び、他は珈琲を注文した。

「焼き固めてあるのがビターチョコのガトーショコラ、層になってるのが、いわゆるオペラです」と津田は給湯室に引き返しながら渡会教授に答えた。教授は、オペラか……と腕組みして考え込んだ。

「なんで皆してケーキ食おうって話になったわけ? 俺、ンなに好きじゃねぇよ。コーヒーくらいなら付き合うけどさぁ」

案の定、三堀が文句を言い始めた。

「そのロールケーキはコーヒークリームだからそこまで甘くないよ」

と言いつつ、津田は人数分の飲み物と残りの菓子などを運んできた。

「でもよ、クリームって基本甘いじゃん。やっぱり甘いうちに入るだろ」

それは無視して津田は

「二木のはこれね」と俺の前に【ロゼエベル】と紅茶のカップをおいてくれる。

皆にフォークを配りながら

「ケーキ一個じゃ物足りない人にはシュークリームとダックワーズ、チーズクッキー、マドレーヌがあります」

「じゃあ俺チーズクッキーにするわ」といち早く手を伸ばす三堀に津田が言う。

「三堀、その薄い黄色のケーキはベイクドチーズケーキだよ、少し酸味のあるタイプ」

びくっとして、三堀の手が彷徨った。……ケーキかクッキーか、迷い始めたな此奴。

「僕は、ケーキは【栗・ザンテーム】が食べられれば良い」と自分のケーキを死守して津田が席につく。

「俺はガトーショコラを貰おうか」と渡会教授が述べる。それを受けて、津田が残りをざっと紹介する。

「今残ってるのはマスカットのショートケーキ、チョコとコーヒーのケーキ、コーヒークリームのロールケーキ、ベイクドチーズケーキ。あとはバニラクリームのシュークリームが2個とアーモンドクリームのダックワーズが2個。マドレーヌが1個。チーズクッキーが1枚」

あれ、さっきからスパイスクッキーが出てこないぞ?

津田が俺の視線に気づいて、しーっと唇に指を当てる仕草をした。

「俺、そのロールケーキとシュークリーム貰っていい?」と八戸。

最初っからケーキ1個じゃ足りない見通しらしい。

「僕、マスカット食べていい?」

「俺、オペラ食べちゃおうかな」

「俺、チーズケーキなら食えるわ」

「よし、じゃぁ、皆飲み物とケーキが揃ったところで……」

俺が仕切り直す。

「津田、ちょっと過ぎてるけど、誕生日おめでとう!」

わーーーっ!と俺、十郷、四方田、八戸で盛大に拍手する。

「え、これ、そういうこと?」と驚いているのは三堀。

やっぱり十郷たち、此奴には目的知らせてなかったんだな。絶対にノってこないの分かってるから。

「そ。津田の誕生日会だよ。ケーキでお祝いだ」

「……え、確かに、僕、9月生まれだけど……おいわい……?」

ありゃ、すごく狼狽えてる。うーん、こうやって大々的にお祝いされるのは苦手なタイプだったのか。

「お前は他人を言祝ぐことはあっても、自分がされることは無いからな。まぁ、たまには良いだろう。今回は特別だ。素直に受け取っておけばいい」

渡会教授がさらりと言い、ようやく津田が安心したように笑った。

祝われるのに伯父の許可が要るのかよ。不思議な家だな。

「……正直、驚いていて、うまく言葉が出ないけれど、とても嬉しいよ、皆、ありがとう。さぁ、食べよう。ケーキが[[rb:温>ぬる]]くなる前に」

津田の笑顔に、俺はほっとした。

各々、選んだケーキを頬張る。

意外にも三堀が、ひとくち食べて「うまっ! 何これ!?」と叫んでいる。

「クリームが全然重くない、口に入れた途端アイスか綿あめみたいに、ふわって溶ける」「コーヒークリーム、結構しっかり珈琲味なのにむっちゃ食べやすい」

「だよな、こっちのもチョコもコーヒーもちゃんと味がわかるのに味がバラバラにならないっていうか……」

「え、このムースすごい、フォーク入れたらしゅわって音する、超エアリー!」

わいわい騒ぎながらケーキを食べる。渡会教授は無言だけれど、一口ずつゆっくりじっくり味わっているみたいだ。

「津田、その“栗・ザンテーム”って、なに味のケーキなの?」

と俺は聞いてみた。

小さなドーム型の土台に渋い薄茶色の小さな菊の花が咲き乱れたケーキだ。

「菊は細く絞り出したマロンバタークリームだね。栗の旬には早いが、重陽の節句以降発売される。クリザンテームとはフランス語で菊のことだ」

重陽の節句だから菊かと感心する俺の横で、「その花、コスモスじゃないのか、どうりで色が」と、早くもシュークリームを頬張りながら八戸がぼそっと言って、「流石にこんな色のコスモスはどうかと思うよ」なんて津田が返している。和やかなひとときだ。

文句垂れの三堀も、初めの叫びのあとは一心不乱にフォークを進めている。津田が一番、食が進んでいない。あんなに楽しみにしていたくせに。

津田はまだ1口しか食べていないケーキを見つめて、不意に立ち上がって給湯室に行き、ガサゴソとなにか探している。

「わ、どうした?」

と四方田が叫ぶ。

「ナイフがこれしかなかった」と包丁片手に津田はてくてくと席に帰ってくる。

いきなり包丁提げて来たら誰だってびっくりするわ。

津田は自分のケーキをすぱっと切って別の紙皿に取り、

「味見、よかったらどうぞ」

と元の大きさの5分の4以上のケーキが乗った皿をこちらに押しやった。さっそく八戸と四方田、それから十郷がそっと一口ずつ食べた。

「旨いなこれも。なんでもう要らないの? お前これ食べたかったんじゃないの?」

十郷が訊く。

「なんか、胸がいっぱいで……」

津田は自分の皿に残ったほんの僅かなケーキを口に入れ、ゆっくりと味わっている。

「このケーキがいわゆる誕生日ケーキになるとはね。今後はこれを食べるたびに僕は嬉しい気持ちになれる」

津田はしみじみと言って、微笑んだ。

「また、来年9月に皆で食おうよ、なぁ」

「来年かぁ……」と遠い目をしてから、津田は言った。

「十郷の8月11日は来年を待つけれど、八戸の10月10日、四方田の1月17日、三堀の3月13日、二木の3月25日。当日は無理でも、誕生月に何か……ゼミ生だけで飲み会とかしたらどう?」

ゼミ生だけでって、その言い方……お前、来る気無いだろ。というか、なんで俺ら全員の誕生日知ってるんだよ。

「通学定期の見せ合いしてたろ、春に」

あー、そういえば。

院から独り暮らしを始めて通学経路が変わった四方田が、新しい定期も学割が利いたことに感激して、定期券を眺めていたのをきっかけにそんなことをしたな。

外部生の十郷以外とは、学部の頃から顔見知りだったけれど、つるむ仲ではなかった。だからお互いの家なんて知らなくて、院進したこの春、皆、住んでるとこ案外ばらばらだねとか、そんな話になったっけ。

家の最寄駅は皆違っていて、大学までの経路もターミナル駅から来る奴、在来線の駅から来る奴でICカードの種類も違ったりして。

ついでに、十郷のICカードがもう擦り切れて印字が薄くて、肝心の経路が読めないのを皆で面白がった気がする。

「そん時見たのを、覚えてたわけ……?」

と一同が驚くなか、十郷があっと声を上げた。

「もしかして、わざわざ山の日に映画誘ってくれたのって。たまたま二人組半額クーポン使えたけど……」

「そうだよ十郷。君が誕生日割を使えるかと思って」

「お前な。誕生日=色々安くなる日なのか」

渡会教授はすっかり呆れ返っている。

「それ以外に何が?」

と首を傾げた津田が、ん?と何かに気づき、例のペンを掲げて渡会教授に訊いた。

「もしかして、これ、誕生日プレゼントというものですか? 毎年恒例のペンの支給ではなく」

渡会教授が危うく紅茶を吹きそうになった。

「お前、なんだよ、ペンの支給って、」

「ペンと判子、これで仕事が捗るだろうというメッセージかと」

としれっと言って退けてから津田は、この僕が、誕生日プレゼント貰えてたなんて……と嬉しそうに呟いている。その様子に、渡会教授の眼差しがふんわりと優しいものに変わる。

その間に【栗・ザンテーム】が食い尽くされていた。あ、俺、味見し損ねた……。

「さて、食い終わったからな、俺はもう本業に戻る」

辞去しようとする渡会教授を引き止め、津田は給湯室から紙袋を取ってきた。

「あ、あの、渡会さん。こちら、箱入りのクッキーとスパイスクッキー1枚だけ入れてあるので、どうぞあの御方に、お疲れ様でしたと……」

さっきまで名前で呼んでいたのに、急にどうしたんだ、津田?

渡会教授は紙袋を受け取りつつ、言った。

「……お前、彼奴は……いや、いい。俺から渡しておく」

「お願いします」

ぺこっと頭を下げ、津田は渡会教授を見送った。

「え、クッキーもっと買ってたの? 俺らにはぁ?」

と四方田が残念そうに言った。

おい四方田、このティータイムの主旨を忘れたのか?

「皆の分はまた今度買ってくるよ。今日はケーキがメインだったし。それと、あれは、(いわ)いの儀式が済んだ僕の従弟いとこにたくさん食べてもらうために買ってきたもの」

「祝いの儀式?」

てかお前、従兄弟いとこいるんだ?

「従弟は9月7日生まれで、その一週間前から当日まで精進潔斎をしていた。身を清めるために一切の肉食を絶ち、食事は1日2杯の重湯のみの生活を強いられていたんだ。今も胃の負担を考えて精進料理が続いているが、甘味は許されるし、本人が望んでいるので」

カップとソーサーを盆に載せて流しに運びながら、津田はあまりに当然のように言うけれども。

「前から思ってたけど、お前ん家って……どういう家なの」

十郷に問われて津田は、うーんと悩み、

「術師、祈祷師、陰陽師……平たく言えば祓い屋だね。そういえば君たちも、旅行の時にちょっと見ただろ、御狐様」

見たと言われても。俺らにあのおキツネ様とやらは視えないし、十郷を紅葉のばけものから助けたらしいけど、俺はその様子を見ていない。

ただ、やたら必死に鳴り続ける鈴は実際に見聞きしたので、何か不思議なものってのはいるのかもしれないな、と俺個人は思っている。

「は、何それ厨二病かよ、キショいわ」

三堀が心底馬鹿にしたように言った。

「闇の力が〜とか、呪いが〜とか言っちゃう感じ?」

津田は至って真面目な顔付きで

「説明は難しいが、僕にも、霊力というものが備わっているし、妖や幽霊、人ならざるもの,この世に在らざるものが視えるけど」と返している。

「何いってんだよ、いるわけねーよ、ンなもん。幻覚でも見えてんじゃね?」

津田は三堀には答えないまま、てきぱきとテーブルを片付ける。

三堀も、別に津田の返事など期待してないようだ。自分はテーブルと応接セットの間に立ち、ソファに腰掛けて珈琲の残りを飲んでいる八戸に向かって、津田のことを悪く言っては一人で面白がっている。

「 家族揃ってそういうもん見えてて、ヤバい宗教にハマってるってことだろ。精神科行ったほうがいいよな? 八戸、お前もそう思わね?」

話を振られて八戸はすっかり困り顔だ。

一方、津田は三堀の悪言をきれいに聞き流している。重ねた紙皿の上にフォークと包丁を乗せ、給湯室へ運ぼうと、津田が三堀の横を通り過ぎる。

「もうさ、閉鎖病棟に入れってんだ、犯罪予備軍って奴だよな」

おい、それはいくらなんでも、と俺と十郷が止めに入ろうとしたとき。

三堀に背を向けるようにその傍らを過ぎた津田が、彼の後ろで足を止め、妙に落ち着いた声で言った。

「三堀。そのまま真っ直ぐに3歩歩いて僕から離れろ。此方を決して振り返るな」

「は? 何言って……」

だが三堀は首を巡らせて津田を見て、そして言葉を失った。

左手に紙皿を持って三堀に背を向けたままの津田が、顔の前でくの字に右腕を折り曲げ、左頬の横にある右手には包丁を握っていた。

その刃先は明らかに、三堀に向けられていた。

三堀が流石に青ざめて包丁を見つめた。

「それ、おま、俺のこと……」

刺そうとしたのか? と直接問う勇気は無いようだ。

津田は三堀を見もせず、淡々と言った。

「振り返るなと僕は言った。……説明したところで、君は信じまい。だから何も弁明しない」

津田の手は、包丁の柄を力いっぱいに握りしめているのか、小刻みに震えている。

でも俺たちは確かに見た。

津田が三堀の横を過ぎざま、包丁が勝手に浮き上がったのを。その時、俺らのすぐ傍を風が吹き抜けたのも感じた。なんなら今も、ざわざわと此処だけに風が吹いていて、津田の髪が揺れている。

俺たちには見えない何者かが確かにここに居て、明らかな意図をもって包丁を盗り、それを津田が力ずくで押さえ込んでいるのか。

そこへ、

「おい、ソラマル……!」

勢いよく渡会教授が駆け込んできた。

……ソラマルって何?

「修羅場です」

津田が包丁を不自然に握ったまま、無表情で答えた。

「……僕の仕事のこと、斎いの儀式のことを少し……彼らに話した。クッキーの宛先の繋がりで」

津田がぽつぽつと渡会教授に伝える。

「……それで、色々と三堀が言って、……要は、僕が精神医学的な意味での妄想を呈しており、社会生活を送るべきではないと……」

津田は深くため息をつき、

「ソラマルは、僕の苛立ち、怒りに反応しただけ。ここに刃物があったのは僕のせい。全ての非は僕にある」

言って津田は項垂れた。すると風がぴたりと止んだ。津田は包丁をようやく紙皿に寝かせて置いた。

俺はそっとその紙皿ごと包丁を回収した。

二木、ごめん。ありがと。

津田が弱々しい声で呟いた。そして、

「ソラマル。お前が人を害することがあれば僕は、お前を殺さねばならない」

はっきりとそう告げた。

だからソラマルって何? 俺には見えないけど、やっぱりここに何か居るの?

それから津田はふらふらと渡会教授に一、二歩近づいた。そこで足を止め、途方に暮れた顔をして無言のまま立ち尽くす。

そんな津田に今度は渡会教授が歩み寄り、そっと抱き締めた。

「お前の中に、三堀に対する殺意は欠片も無い。それは断言できる」

津田の頭をぽんぽんと優しく叩きながら言う。

「お前に視える世界は、徒人に見える世界と違う。虚言、幻覚、妄想と悪しざまに言われることも多い」

こくんと津田が小さく肯いた。

「紅葉の怪異も、幼い妖狐も、浄めの鈴も。お前が直接なにか為したワケではない。だからこの戯け共はあれらの出来事を手品か、よくて超自然的現象と捉えているに過ぎないだろう」

こくこく。津田の頭が小さく動く。

「辛いだろうが、諦めろ」

「……かげはる、仕事? 僕もついて行っていい?」

きょうは、もう、ここに、いたくない。

消え入りそうな声で津田が訴えた。

「本家で依頼を振り分けるだけだからな。居ても構わん。せっかくだ、菓子はお前から渡せ」

津田がぱっと顔を上げた。目元がうっすら赤いのは、泣きそうになっていたのだろう。渡会教授に縋りつきながら、それでも涙も声も堪えて、必死に泣くまいとしていたのか。

「え、良いの? ナカちゃんに目通りしていいの?」

「自分の従弟に会うのに、目通りも何もあるか。……本人がお前に会いたいと言っているんだ、行ってやれ。だが、少しは身なり整えろ、黒とんぼめ。ほら、ワイシャツに着替えて、あのラフなジャケット着てこい」

ぱんぱんと手を打って、渡会教授は津田を急かす。

津田が俺らには目もくれず、“鰻の寝床”に駆け込む。テーブルと廊下側の壁の間の通路は狭い上に段ボール箱が積まれていて、とても通りにくいというのに、テーブルをそちら側へわざわざ大回りして行ったのは俺らを[[rb:避>さ]]けたためだろう。

渡会教授は俺らを順繰りに見て、淡々と言った。

「我が渡会家は、祓い屋を生業としている。依頼を受けて妖を討伐し呪詛を打ち消すのが務めだ。この事実を……信じるも信じぬも、話を枉げて理解するも、お前らの勝手だ。だが、勝手に疑念を抱いて負の感情に囚われ、今のように妖に襲われても我々はその責を一切負わない……渡会家の先代の当主は俺の兄で、妖に喰われて死んだ」

ぱんぱん。再び教授が手を打った。

「ねぇ、景晴。結界張ってまでしなきゃならないヒソヒソ話って何さ、お陰でここまでテーブル大回りする羽目になったじゃん」

と、津田があのスペースから大声で言った。

え?……結界? 俺らの傍を通りたくなかったんじゃなくて、通れなかったってこと?

「そんなに話の中身が気になるか」

「まぁね、結界のおかげで僕には聞こえなかったから」

「大した話ではない、気にするな」と返してから、「お前なら俺の作った結界など容易く破れるだろが」と渡会教授が呟く。俺らに聞こえるかどうかの小さな声だったのに、

「結界なんて無くてもこの距離じゃどうせ聴こえないのに。わざわざ張った結界、壊すのも悪いかと思って」

津田が向こうから返事をした。

……やはり結界が必要だろうが。と渡会教授がぼやいた。

やがて、プロセスチーズみたいな薄い黃色のワイシャツに暗めのビリジアンブルーというか、グリーングレーのジャケットを合わせ、髪はかき上げて項で一つに括り、メガネも取って素顔をさらした津田が、いつものスペースから出てきた。津田は俺たちのそばへ来て、何故か少しかがみ込んで言った。

「ソラマル。三堀に、一言謝るぐらいしなさい」

渡会教授も津田も、三堀の横、誰もいないところを見ている。

そこに突然、少年が現れた。俺たちは驚いて言葉も出ない。三堀は、ひぃっと小さく声をあげ、怯えた様子で後ずさる。

「嫌だ。こいつはツダを傷つけた。許さない」

その少年の背に、白い翼が広がった。猛禽のように大きく立派な翼だ。

「ぎゃぁぁ!」

バカでかい悲鳴をあげた三堀が逃げ出そうとして派手に転び、ソファにどてっと倒れ込んだ。

「ソラマルっ! 一生封じられてぇのか、この戯け!」

……怒鳴ったのは津田だ。口調からして、てっきり渡会教授かと思った。やっぱり伯父と甥、似てるところがあるんだなぁ。

その子は津田に怒鳴られたのがショックだったのか、しおしおと俯いた。そして翼を畳むと、ソファにひっくり返っている三堀の傍に佇んだ。

「……ボクが、刺そうとした。悪かった」

とぼそりと言って、津田のところへ戻ってきた。

「これで良い?」

「そういうことにしておこうか、ソラマル」

「ねぇ、ツダ。もう、心は、冬じゃない?」

津田は虚をつかれたように、僅かに目を瞠った。そして、少し考えてから

「常冬だよ。普段はとても静かだ」

と津田は答えた。

それは、いったいどういう意味だろう。

でもソラマルはその答えに一つ肯いて、淋しそうに笑うと、ふっと消えた。

「ば、ばけもの、なに、変なもん見せるなよ、なに、」

三堀が震えて床に座り込んでいる。津田は三堀にそっと近づいてかがみ込み、

「もしかして、三堀って、さっきの……いつも以上にひどい言い方も、ただ、こわ」

首を傾げながら言いかけるのを、渡会教授はさっと後ろから腕を回して口を塞いで止めた。

渡会教授とさほど背丈の変わらない津田だけど、今、教授の胸の高さに頭がある。口を押さえられた上、膝を曲げたまま上体を後ろに大きく反るというかなり無理のある体勢にされ、津田が藻掻いている。

「津田。ここは黙って退散したほうがいい」

渡会教授は嘆息混じりに言い

「面倒をかけたな、佐倉のガキ共」

と俺らに詫びて、津田をそのまま半ば引き摺りながら佐倉ゼミ室を出て行った。


ゼミのテーブルの上に、白い羽根が一枚、落ちていた。

俺がそっとつまみ上げるとそれは、雪が溶けるみたいに儚く消えてしまった。



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