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その想い出を辿りゆけ  作者: 日戸 暁
その想い出を辿りゆけ〜十郷の語り〜
3/8

他生の縁に袖を振れ

【語る時間は穏やかに】

「そうか」

渡会教授が、僕の話を聞き終えて一つ頷いた。

「渡会教授、佐倉先生、あの、」

紅葉の怪異話が終わるのを待って、二木が何か言いたそうにしたけれど

「鶴と虎の二人には確認することがたくさんある。だが、全て後で良い。今は、お前たちの知る限りの、津田のなした祓いの儀……、“津田マジック”の話をしろ」

渡会教授の半ば命令に、僕らは顔を見合わせた。

「あ、僕も、先輩方がご存知の、津田さんのこといっぱい聞きたいです!」

純粋に津田の思い出話を聞きたがる丹波に後押しされて、僕は

「津田マジックと言えるか分かりませんけども」

渡会教授、佐倉教授に絡んだエピソードを続けて話した。

[chapter:【他生の縁に袖を振れ】]

1限の講義が終わってゼミ室に戻ってくるなり、「なんか、久しぶりにマートランチの気分」と誰かが言った。マートランチというのは、大学の購買、◎◎マートだけで売っている日替わり弁当のことだ。学生食堂の調理場で作られているその弁当は大人気で、中でも、月に1度だけ限定販売されるツナコロ&ハムきゅうサンドスペシャルボックス(通称:ツナコロ弁当)は、内部生なら誰でも知ってるB級グルメらしい。外部生の僕はまだ見たこともないんだけど。

「今日、ツナコロデーじゃん」

◎◎マートのSNSをチェックして、二木が飛び跳ねた。

「俺、買いに行く」

財布を引っ掴んでゼミ室を出ていこうとする。

「え、僕も行っていい? まだ◎◎マート行ったことないんだ」

僕の言葉に、二木が振り返り、

「よし、行こう、色んな食いもんあって面白いぜ」

と笑った。

◎◎マートは、G棟という建物に入っている。佐倉ゼミのあるJ棟からはそこそこ遠い。しかもG棟はロの字型の造りになっていて、J棟側からだと、中庭を突っ切って一番奥の建物まで行かなきゃならない。

J棟を出るときに津田に出会した。いつもの黒いロングシャツにブラックジーンズ。それに灰色のボディバッグ一つで、身軽な格好だ。

「あれ、皆揃ってどしたの。教室移動じゃなさそうだけど」

と、教科書も何も持たない僕らを見て小首を傾げている。

「今日、ツナコロデーらしいぞ。津田も◎◎マート行こうよ」

二木が津田を誘う。

「あぁ、まぁ……行こうかな」

ちょっと苦笑しつつ、二木に言われるがまま、津田も一緒についてきた。

「そのままロジニワで昼飯にしちまおうかねー、俺、腹ぺこ」と二木が言う。

G棟の中庭は、内部生達には“ロ(の字の)G(棟の)庭”と呼ばれているのか。

着いてみると、中庭はベンチやテーブルまで設えてあり、小洒落た公園のようだ。天気の良い日の昼時には、学生たちでごった返すというのも納得だ。

見れば、わざわざレジャーシートを広げている連中もいる。

「大学でピクニックかよ」

と呆れる四方田に

「一応、大学というのは勉強する場なのだけどねぇ」

ほんわかした口調で津田も言う。そこへ三堀が

「論文書かずに、よそのゼミ室を私物化して、布団持ち込んで寝てるお前がそれ言う?」と噛みつく。

この二人は、ゼミ旅行の後にいざこざがあったため、何かと険悪な空気になりやすい。まぁ、三堀が一方的に津田に絡んで、津田の気分を害しているせいなのだけど。

「あのスペースは、佐倉教授の許可を貰った上で占有している。教授の研究の手伝いの見返りとして。……今の僕は、キャンパスへは佐倉教授の雑用のために来てるようなものだよ。必修単位は前期で取り終え、修士論文も書き終えているから」

さらりと答える津田に、皆、絶句した。だって今はまだ、修士1年の十月初めだ。

「本当にもう、単位も修論も……終わったの?」

二木に聞き返され、津田はこくんと肯いた。

「後は修了式を待つばかり。それまで死なぬよう、せいぜい気をつけて過ごそうかねぇ」しれっと言って、津田は歩きながらうーんと伸びをした。


 そんなやり取りをしつつ購買にたどり着く。

コンビニのように陳列棚が並ぶ店の奥に、購買限定弁当の売り場がある。朝食には遅く、昼には早い時間だけれど、弁当売り場は学生で混雑している。既に2限が始まっている時間なのにこんなに学生が購買に居るなんて。此奴ら、ちゃんと講義に行っているんだろうか。

陳列スペースは、馬鹿でかいテーブルを壁にくっつけて据えただけで、そこに所狭しと並んだ品を学生たちが代わる代わる手にとっては無造作に置いていく。どこに何があるのか、パッと見ただけでは全然分からない。日替わりのマートランチ以外にも、おにぎりとおかずのセットや色んな種類の惣菜パンなど、品揃えは豊富なようだ。どれにしようか悩んでその場から動かない連中もいて、弁当を取ろうにもなかなか売り場の最前列に割り込めない。

「くー、ツナコロ弁当、なぜ壁際に……」

なんとかテーブルの縁に行き着けたものの、そこからでは目当ての弁当に絶妙に手が届かず、二木が指先をわななかせている。

その様を見かねて横合いから、無表情のまま津田がひょいとツナコロ弁当を取ってやる。あれに手が届くなんて。背丈だけの差じゃないな。

「わー、さんきゅ、津田!」

礼を言って二木がはしゃぐ。そこへ、

「津田? やっぱり! 津田くんだよね」

と、誰かが後ろから声をかけて来た。呼ばれて振り向いた津田が、

「あれ、ナガセくん!? 君、まだ居たの?」

珍しく、驚いたような声を上げる。

ナガセと呼ばれた相手は、津田が自分を覚えていたことが嬉しいようで、満面の笑みを浮かべた。

「津田くんは院生?」

「そうだよ、渡会教授の研究室」

「へぇ、あのオカルト同好会」

「同好会呼ばわりしたらさすがに怒られる」

「祟られる?」

「教授は一応あれでもまだ人間だよ、祟ることはできない」

「それマジレス? 冗談? あ、ついでに僕にも弁当取って。手が届かない」

「食べるの? どれ?」

「その、豆腐ハンバーグとおにぎり3つの。見るだけ」

「へぇ、これ豆腐ハンバーグなの?」

「そうだよ、津田くん好きそう、これも最後の一個かぁ、……津田くん食べる?」

「いや、いいよ。昼、持ってきてるし」

「何しに購買来たの」

ここで津田は、会話についていけずに固まっている僕らをちらっと見て、

「この人たちは、佐倉ゼミの修士1年」

知り合いへ非常に雑に僕らを紹介し、

「……彼らにお誘いいただいたので、たまには購買弁当争奪戦でも観戦しようかと」

と続けた。え、それだけの理由で付いてきてたの、こいつ。

「あ、どーも。佐倉ゼミの二木です」

「あ、僕、ナガセって言います……津田とは学科が同じで、第二外国語とか統計とか、まぁ、学部4年間、講義ほとんど被ってる系の顔なじみです」

どもども。よろしく。いえいえこちらこそ。

こういうとき、気後れせずに挨拶できる二木、すげぇな。

そうこうしている間にも、昼食を求めて学生たちが押し寄せてくる。

「外、出よっか」

弁当を津田に取ってもらえた二木は、他の学生に場所を譲り、レジへ向かった。

津田とナガセとやらも二木に続いてその場を離れようとする。でも二木の抜けたスペースに割り込む学生とかち合って、もたついている。その時、

「あ、あの……眼鏡の、背の高いお兄さん、ゆでたまサラダパン、あったら取って……ください」

消え入りそうな声で、小柄な女子学生が津田に頼んだ。

彼女は頬を赤らめ今にも泣き出しそうだ。相当緊張しているんだろう。

初対面の年上男性に頼んでまで食べたい惣菜パンなのか。

「……これかな? ゆで卵とコールスローサラダを挟んだロールパン?」

津田は優しく微笑み、女子学生にそっとパンを渡してやっている。

「ありがとうございます!」

その女子学生はぺこりとお辞儀をして、そそくさと逃げ出すように離れて行った。

人混みをすり抜けるには、小柄な体格のほうが向いているようだ。

津田は、二木、ナガセ、女子学生と3人立て続けに弁当を取ってやったせいだろう、それを見ていた他の学生達からもアレとソレとコレ取ってと頼まれてしまった。

それらにも応じてやりつつ津田が呟く。

「僕、いつの間にか、弁当取る係に任命されてる……?」

そのぼやきに、ナガセが笑い、

「よ、マジックハンド・津田!」

「あのねぇ、」

「津田リーチャーこちらです!」

「……使用料徴収してくれるなら役目を負ってもいい」

などと嘯き、津田は壁際に追いやられた商品をぱぱっと手前に寄せた。

「さて、これでもう僕が取ってあげなくて良いだろ」と人の波をかき分けてやっと売り場から抜け出してくる。

「おつかれー、津田くん。ねぇ、これからお昼? 一緒に食べない?」

ナガセが意味ありげに僕らを見ながら言った。

「久しぶりだものねぇ」

なんて津田も気安く答えている。

僕らと購買に来たのは、一緒に飯食うためじゃ無いんかい。と僕が内心呆れていると、

「はん、そーしろそーしろ、そもそもな、俺らと食う気ねぇなら来んじゃねぇよ。お前、ちょっと声かけられたくらいで何、ボクもゼミのオトモダチですみたいな顔して。社交辞令ってのが分かんねぇの?」

三堀のあんまりな言葉に、僕たちは唖然とした。ナガセもぽかんとして、三堀と津田を見比べている。津田も、さすがに困惑している。さらには四方田と、あの普段とても鈍感……いや、食以外の事柄に無関心な八戸までもが、変なものを見る目つきで三堀と津田を交互に見て首を傾げている。

「……あぁ、……うん、すまなかった、三堀」

戸惑いながら、津田は謝った。

「いや、津田が謝るとこじゃねぇよ。おい、三堀ッ」

会計を終えて戻って来た二木が声を荒げる。

自分がその場を離れた僅かな間に、三堀が津田にちょっかいを出していて、二木にしてみりゃいい迷惑だろう。

「購買行きたかったのも、津田を誘ったのも、津田と飯食いたいのも俺。文句あるなら俺に言え」

きっぱりと三堀に言い渡す。

へいへい、津田のおかーちゃん登場〜、なんて三堀は二木におどけてみせる。

それに二木が深いため息をついた。

「二木、お昼誘ってくれたのに、今更ごめん。……ナガセくんも、久々にこっちで会えたのに、その……こんなことになって」

すっかり恐縮している津田に、ナガセは言った。

「びっくりしたけど、何、津田くん、佐倉ゼミの人と仲良くないの?」

「……どうなんだろう。僕は……いや、少なくとも三堀は、僕のことが、目障りなんだろうよ。ゼミ違うのに佐倉教授の部屋に居着いてるから。でも、嫌でも顔なじみだから、二木は気を使って僕にも声をかけてくれる、というのが実情かな」

それを聞いて二木が何とも言えない淋しそうな顔をした。それに津田は多分気づいていない。

「や、佐倉教授のとこに出入りしてんの、入学してすぐからじゃん? 津田の、子どもん時からの知り合いだから、何かと手伝わされてたじゃん」

「そうだけど、ナガセくん、」

「部屋替えして、J棟に移ってからも、泊まり込みで色々やらされてたじゃん」

「ナガセエレン。……もうやめて」

その頃のことはもう思い出したくないと言わんばかりに、津田が頭を抱えた。そして、「ナガセくんも、二木も、誘ってくれてありがとう、でも、僕は、一人でその辺で食べていくよ」と言い残し、芝生の隅の方へふらふら歩いて行ってしまった。三角座りをして、ぎゅっとボディバッグを胸に抱きしめ、本当に苦しそうだ。

学部生時代に、佐倉ゼミの部屋で何があったというのだろう。

「この人数で固まって食えるスペースは無さそうね。各々好きなとこで食べよっか。俺、その辺(﹅ ﹅ ﹅) で食うわ」

二木まで、俺らにひらっと手を振って行ってしまう。

どこへ行くのかと思ったら、津田の右隣へ陣取っている。絶妙に距離をあけて。

ナガセとやらも、津田の左隣に腰を下ろしている。

「そごー、ツナコロ弁当ご開帳するぞー」

と二木が僕を呼ぶ。

「あれ、十郷、飯買ってないの?」

あ、そういえば。ナガセと津田に気を取られて、僕はまだ何も買ってなかった。

「仕方ない、十郷、これ食いなよ」

「え、でも、二木、食べたかったんじゃ……」

「学部生ん時から食ってるし。今日は十郷に譲るよ」

二木は笑顔で僕に弁当をくれる。

「二木は何食うのさ」

どうしようかなー、あとで何か買うよ。と二木が苦笑する。

「……あー、渡会教授」

津田が、僕と二木などいない風な顔で電話し始めた。

「すみません、……教授の分のお弁当、手に入りませんでした。人気なんですね、やっぱり」

言いながら、津田はボディバッグからマートランチのパックを取り出し、二木にぐいぐい押し付けた。……ツナコロ弁当だ。

え、と津田を見やる僕らをよそに、彼は渡会教授との電話を続けている。

「はい。来月は第3金曜だそうです。では、失礼します」

通話を切り、自分は手製の塩にぎりのラップを剥がしている。

「あの、津田……」

「渡会教授の昼食は、別にそれでなくても構わない。……自分の、2限の講義に遅れて来た学生を問い詰めたら、ツナコロ弁当を買っていたためと白状したそうだ」

それで、自分の講義よりも大事な弁当とはいったいどんな代物かと気になっただけだ、どうしてもそれを食べたいわけじゃない。

淡々と言い、ぱくりと塩むすびを頬張る。

……渡会教授って、そういうことする人なんだ……?

「じゃぁ、遠慮なく。いただきまーす」

二木が嬉しそうに弁当を開く。僕もそれに倣い、ツナコロサンドにかぶりついた。

コロッケの具にツナが使われていて、これがなかなか旨い。コッペパンの柔らかさと、コロッケのパン粉のがりっと硬い食感の対比も面白い。ちなみに、ハムときゅうりのサンドイッチは耳のない白い食パンでできている。さらに、鶏の唐揚げ、玉ねぎと豚肉の焼き物、卵焼きとプチトマトなどのピンチョスが数本入って、お値段税込み500円。あ、あとで僕は……津田にお金を返せばいいかな。

「うんめぇ……」

がりりとツナコロサンドを齧り、二木が呟く。それを聞き拾ったのだろう、ふっと津田が小さく笑った。それに気付いて、二木は照れ隠しに

「津田、トマトあげる。塩むすびだけじゃ栄養が偏ります」

プチトマトの刺さったピンチョスを津田の口元に差し出す。

「君こそ、野菜も食べなさい」

津田はこちらを見もせず言う。

「えー」

二木がしつこくピンチョスの先で津田の頬をつつく。

「ほれ、津田、あーん」

全く……、と津田が呆れたようにチラと二木を横目で見る。そして、軽く顔をこちらへ向け、あ、と小さく口を開けた。

二木が楽しそうにプチトマトを津田の口へ放り込む。さっさとそれを咀嚼して

「ん、ごちそうさま」

津田がちろっと舌なめずりをした。

「わー、なんだ、仲良しじゃん」

二木のだる絡みを受け入れた津田にナガセが笑って肘鉄を喰らわす。

「……二木は僕にトマトを食べさせただけだろ」

と津田が渋い顔をする。

「俺は津田のこと好きよ」

二木はさらっと言った。

「だから飯にも遊びにも誘うし、こうやってふざけたりとかもしてるの」

ぱくぱくとツナコロサンドを食べ進めながら二木は続けた。

「さっきの、津田の。俺が津田に気を遣ってるっての、俺、傷ついたんだからね」

津田はじっと二木の横顔を見つめている。

「ごめん。……ありがとう」

やがて、ぽつんと津田が言った。口元に仄かな笑みを浮かべている。

「つーわけで、この弁当、お前の奢り〜」

なんて言って二木はからっと笑った。

だが、そのやり取りに今度はナガセがむっとした顔になる。

「なに、フタキ君。お弁当買わせて仲良しアピール?」

いったい何がナガセの癇に障ったのだろう。

「津田くんも津田くんだよ……、お昼たかられてるの気付こうよ」

僕はそんなことしなくてもちゃんと津田くんの友だちだよ?

ねっとりと続けられた言葉に、津田が困り顔になった。

「……それはありがたいけれど、ナガセくん。別に、二木は本気で僕にお昼ご飯を奢らせたいわけじゃないし、奢らなければ友人じゃないと言ってるわけじゃないと思うのだけど?」

「ごめん、俺が変なこと言った」

二木が口を挟むのへ、ナガセがぎろっと睨みつけてきた。

「フタキ君。奢れだのなんだの、普段から津田にお金出させてるんじゃない? 佐倉ゼミの部屋に居るからって」

「……いや、そんなことは」

二木の反論に耳を貸さず、ナガセは言い募る。

「そうやって、いっつも津田くんのこと安い労働力みたいにして、自分たちばっかいい思いして。それで? 利用価値があるから友だち?」

「ナガセ」

津田が止めに入るのも聞かず、ナガセは尚も続ける。

「何それ、勝手すぎる。そんなの友だちじゃない」

「ナガセ、黙れ。二木に謝れ」

津田が静かに言った。怒りを抑えているのがはっきり分かる声音だ。

「何で? 津田くんもはっきり言いなよ、佐倉ゼミに扱き使われるの懲り懲りだって」

「扱き使われてなどいないし、二木はこんな僕を友人だと言ってくれる……君こそ、僕の何を知って、何を以て僕を友人だと?」

「僕だって君が好きだし、一緒にいたいと思って、お昼誘ったんだよ? せっかく久しぶりに会えたのに」

「つまり何だ、普段から顔を合わせている二木じゃなく、今日偶然再会した自分を優先しろと、君は僕にそう要求しているのか?」

津田の身も蓋もない言い方に、ナガセは流石にぐっと言葉に詰まった。

「君は何故僕に執着する? 僕は君の顔馴染みに過ぎないんだろ?」

津田の言葉に、ナガセがぶち切れた。

「執着? ふざけるなよ、いっつも独りで講義受けてて、友だちの居ない君が可哀想で、僕は何かと気にかけてあげていたのに? 学部の時、ずっと、君の傍に居たのはこの僕だろう?」

「その代償に、今は独りぼっちの君に同情して付き合えと言うのだね」

言い返す津田の瞳が苛烈に光る。

「僕が? 独りぼっち? お前と一緒にするなよ」

ナガセがこめかみに青筋を立てた。そこへ

「お?津田パイセンじゃん、おひさ〜、じゃーなー」

通りすがりの誰かが津田にだけ挨拶をする。

「同期のトガミくん、何でまだ居るのか訊かないが、講義レポートは自分で書たほうがいいよ?」

と津田も返事をし、トガミが向こうで笑っているのが聞こえた。ただそれだけの会話に、ナガセの顔色が変わる。

「今のは、君も3年次の実験の班で一緒だったろ。顔馴染み程度なら、君と違って僕にはいくらでもいる」

「言ってろ、誰のお陰で学部4年間、独りにならずに済んだと思ってる」

ナガセは津田の胸ぐらを掴み、

「僕との縁を切って、後になって悔やんでも知らないぞ」

凄んでみせるも、津田は全く動じない。

「君との縁もこれまでならば、最後に袖の一つも振ってやろう」

津田の冷淡な返しに、ナガセはかっと赤くなった。

「絶対、後悔させてやるから」

泣きそうな声で言って、ナガセはどすどすと苛立ちも露わに歩き去り、その姿は人混みに紛れて消えた。

「……何か、凄い人だったね」

二木が呆然とナガセを見送って呟いた。

「僕は何か間違えただろうか。でも、その誤りを探してただす気も、彼と関係を修復するつもりも無い。僕はおかしいか?」

津田は、襟元を直しながら僕らを見て訊いた。

おかしいかどうか、僕には分からない。ただ、一つ言えるのは、津田は昔馴染みのナガセを切り捨てて、今の友達である僕らを選んだということだけだ。勿論、それは手放しに喜んでいいことではないのだけれど、僕はナガセとやらに対して微かに優越感を抱いた。

そこへ八戸がやって来て、ナガセの居たところにどっかりと座った。レジ袋いっぱいに惣菜パンを買い込んでいる。後から来た三堀と四方田も何かしら買ってきたようだ。

「何か、ここ、寒くね?」

腕をさする八戸の肩に、津田がボディバッグから取り出した大きな黒い布を掛けてやりながら言った。

「これを掛けておけ。今生で絶えたはずの縁が、どうしてか再び結ばれそうになったので、無理に断ち切ったばかりだ。色々と障りがあって当然だ」

ん?

「ところで、二木と十郷はともかく、何故か三堀も僕にご執心のようだね」

ナガセの姿が見えるだけでなく、言葉も聞こえてたんだろ? そこで張り合わないでくれよ。と津田がぶつぶつ言っている。

「津田、どういう……」

訊ねる声が上擦ってしまう。

「あまり良くない噂のある連中とつるんでいた彼は、同学年に親しい友人もなく、何かと僕に絡んで来たが、……僕が仕事でしばらくキャンパスに来なかった間に、彼はパシりにされたり金品を巻き上げられたりした挙げ句、交通事故に巻き込まれた。昨年のちょうど今頃だよ」

「は?」

三堀、僕、二木が見事に唱和した。

「なに、また、人じゃないものが視えてた的な……?」

恐る恐る尋ねる二木に、津田はうーん?と悩む素振りを見せ、

「ねぇ、八戸。弁当売り場で、僕はずっと、独りで(﹅ ﹅ ﹅) 何か言ってたろ?」

と八戸に話を振った。

「……誰かと喋ってた風だけど、誰に向かって言ってるのか、よく分からなかったし、三堀と二木も返事?してるけど、津田とは噛み合ってない感じで、ちょっと不気味だった」

豚の生姜焼きと千切りキャベツが挟まれた特大コッペパンにかぶりつきながら、八戸が答えた。

「さっきのはナガセの生き霊だ……本人は意識不明の重体。この世に何ぞ、未練でもあるのかねぇ……」

などと言いつつ、塩むすびをもう一個、ためつすがめつ見ている。食べようかどうしようか迷っているようだ。

「……未練は、お前じゃね?」

二木が言って、津田が眉根を寄せた。

「何でそうなる?」

「お前への独占欲というか、執着心で、……」

「ならばもう断ち切ってしまったな」

津田は淡々と言った。

「改めて袖の一つも振ってやろう」

薄く笑うと、左右の手の人差し指と中指を、右手は交差させて輪のようにし、左手は揃えて伸ばした。映画で観た陰陽師もこういう印みたいなポーズしてたな。

津田は何かごにょごにょと唱えて、右の輪を左の2本指で切るような仕草をした。

「今生の縁を切り、再び結わうことのないように」

躊躇うことなくばっさりと“えんがちょ”をして退け、津田は何事もなかったように、塩むすびにかぶりつく。

八戸が、

「やっぱ暑いわ。これ、返す」

と肩に羽織っていた黒布を津田に押し付けた。


秋の風がばさりとその布を煽る。

かすかに線香が香った気がした。



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