1-3 可愛い妹分のルチナと謝肉祭を頑張ろう
元の世界で培ったマーケティングスキルを生かして、アデル兄妹と一緒に道具屋で働く生活を続けていたある日。
私は珍しく早朝に目が覚めた。
「……ああ……一度見に来た方がいいかと」
「……ええ。やっぱり……はい、そうお伝えします……」
そんなアデルの声が聞こえてきたので、私は階下に降りてきた。
「アデル……誰の話していたの?」
「サラ? 珍しいな、こんなに早く」
どうやら、話をしていた相手はちょうど入れ違いに店を出ていったらしい。
アデルは一瞬戸惑うような表情を見せたが、すぐにいつものニコニコとした表情で答える。
「実は王国の伝令が来たんだよ。どうやら最近、この近辺に泥棒が出るから気をつけろってな」
「そうなんだ……」
そういってアデルは王国からの通達を見せてくれた。
恐らく、その話自体は昨日近所の人たちも話していたから嘘ではないのだろう。
しかし、アデルの表情はどこか他にも何か隠しているような気がした。
「ねえ、アデル……何か隠し事してない?」
私がそうやって顔を近づけるが、アデルは平然と答える。
「……いや、別になにも。それよりさ、今日は朝から謝肉祭だろ? サラの企画、すげー評判いいからさ。今のうちにたっぷり薬を用意しとかないとな!」
「え、ええ……」
「折角早く起きてくれたんならさ! 手伝ってもらえると助かるよ。俺、朝から行商に行くから手伝えないしな」
アデルは今日は、隣の国に商品を売りに行く約束をしていたことは私も知っている。
……というより、うっかり私が今日が謝肉祭だということをわすれて予定を立ててしまったのだから仕方がないのだが。
そのことに対する負い目もあるし、そもそもこれ以上追及しても多分アデルは何も言わないだろう。
そう思った私は、
「うん、任せて? ……今日の謝肉祭は、絶対成功させるから!」
そういうと、アデルとともに準備を始めた。
そして数時間後。
謝肉祭は開催され、町中が文字通りのお祭り騒ぎになった。
「さあ、安いよ! この伝説の魔剣が金貨10枚だ!」
「うちのステーキはどうだい!? 銅貨30枚で好きなだけ食べ放題だよ!」
そんな喧騒が街の外から聞こえてくる。
「凄い騒ぎね、今日は……」
「うん! 年に一度のお祭りだもん! そりゃ、盛り上がるよ!」
外からは子どもたちの声もキャッキャと楽しそうに聞こえるのを耳にして、私は元の世界にいた時のことを思い出した。
(なんか、子どもの頃の縁日を思い出すな……それよりずっと規模は大きいけど……)
そして私は、ポケットから少しの銀貨を取り出し、ルチナに差し出した。
「……ルチナ、良かったら遊びに言ってもいいのよ?」
「ううん? きっと私たちのお店にもいっぱい人が来るもん! 稼ぎ時だから頑張らなくっちゃ! ね、お姉ちゃん!」
「そ、そうね……」
「それよりそのお金でさ! お兄ちゃんが帰ったら一杯ご馳走してあげない?」
「ああ、アデルに? ……いいわね、それ!」
恐らくアデルが帰ってくるのは夜だろう。
だが幸いルチナも明日は休日なので、多少の夜更かしは問題ないだろう。
「やったあ! それじゃ後で私、ケーキ買ってくるから! 楽しみだね、お姉ちゃん?」
そういうと、ルチナは私の腕をきゅっとつかんでニコニコと笑ってくれた。
……本当に良い子だな、ルチナは。
「そうね! 頑張らなきゃ!」
私はそう言いながら店の準備を始めた。
……だが、その日の客の入りは想像以上だった。
「はい、傷薬一つ毎度あり!」
「よっしゃ! じゃあ、くじをひかせてもらうぜ!」
そういうと、男はアデルが作ってくれたルーレットを回した。
それを見守るのはルチナだ。
「……ああ、くそ! ハズレか……!」
「おじちゃん、ざんね~ん! それじゃ。残念賞で人参3本で~す!」
「はあ……次当ててえな。来年もやってくれよな!」
そういうと、お客さんの中年男性は悔しがりながらも、どこか嬉しそうにその場を去っていった。
「ねえ、お姉ちゃん! 凄い大ヒットだね! このやり方!」
「ええ。これも『マーケティング』のやり方よ」
私はこの日のために『ルーレット制度』を導入した。
一定以上の買い物をしたお客さんは、買い物を終了した後に会計前にこのルーレットを回す。
これは大体20分の1の確率で大当たりが出るようになっており、それを引いたら今日の会計が無料になるというシステムだ。
実はこのシステムは一見こちらが大損するように見えるが、期待値的には5%オフを行っているのと変わらず、他の謝肉祭をやっているお店と割引率は大差ない。
元の世界では使い古された手法ではあるが『期待値』という概念は、きわめて高等な数学知識だ。
そのため、この『ルーレット制度』は事前にビラで告知していたにも関わらず他店では真似をせず、そのおかげでお客さんが詰めかけることとなった。
(……日本に住んでいた時には意識もしなかったけど……誰もが当たり前に『期待値』の概念を理解出来るようになる、私たちの世界の義務教育って、今思うと凄いことのね……)
そう思いながら私はお客さんを裁いていると、やにわにルーレット台の方が騒がしくなった。
「おめでとーう! 大当たりでーす!」
そういいながらルチナが教会から拝借してきたハンドベルを鳴らしながら叫ぶ。
「よっしゃああああああ! 今日の俺、超ついてる! おい、見てたか、セドナ!」
「ええ、やったじゃない、ベルッタ!」
どうやら男女の二人連れがルーレットであたりを引いたようだ。確かあの二人『セドナ』と『ベルッタ』は、近所の福祉施設で働いていた元兵士だったと記憶している。
最近は兵士も縮小傾向にあり、自主的に退役して第二の人生を歩んでいるものも増えていると聞いている。
ベルッタと呼ばれた男は少し残念そうな表情を見せた。
「けど、当たったのは包帯と消毒薬だけかあ……。もっと買って置きゃよかったな、セドナ」
「アハハ、まあそんなものよ。当たっただけラッキーと思わないと」
値段としては現代日本の換算で3千円くらいか。
まあ、妥当なところだろう。
そして、そんな二人にルチナは楽しそうに叫ぶ。
「じゃあ、今日は全品無料です! もってけドロボー!」
あはは、ルチナは私が教えた『日本流の言い回し』を使っているみたいだな。
かわいらしくそんな風に叫ぶ姿を周囲はにこやかに見つめていた。
「それじゃあ、次の方~!」
「よっし、俺だって当ててみせるぞ!」
「私も!」
そんな風に忙しくしながらも、楽しくお客さんとやり取りをする時間は過ぎていった。
……そして閉店間際の時間帯になった。
「さあ、次のお客さんは誰?」
「俺だ! ぜってールーレット当てて見せるからな!」
「ルーレットもいいけどさ! 今日中にたっぷりと大豆シャンプー買っとかないと! 隣町のみんなも欲しがっているんだし!」
遠くから来ている行商人もいるのだろう、人によってはまとまった量の買い物をする人もいる。
加えて謝肉祭は今日一日しかやらないこともあり、忙しさはピークになっていた。
(……ん?)
だが、そんな時にチャリーン! ……と、銅貨をぶちまけてしまったお客さんがいた。
見たところ14歳くらいの少年だろうか?
最近食べていないのか、どうもあまり顔色が良くない。
「あ、大丈夫ですか?」
だが、そこで私はそれを見てカウンターから出てしまった。
……これが良くなかった。小銭をばらまいて注意を引く方法など、泥棒の常套手段だというのに。
「……ゴメンなさい、お姉さん!」
そういうと、その少年はカウンターの脇に置いておいた商品……日持ちする大量の保存食だ……をがさっと掴み、
「あ、ちょっと!」
「おい、何すんだ!」
お客さんたちを押しのけ、そのまま窓の外に飛び出していった。
「……あ……」
一瞬呆然としたが、ルチナが私に向けて叫ぶ。
「お姉ちゃん、大丈夫? 早く追いかけないと!」
「けど、お店が……」
そう思わずいうが、状況を見たお客さんたちは『気にするな』とばかりに首を振る。
「俺っちも商売人だから分かるぜ? 盗みってのは許せねえよな? 急げばまだ間に合うはずだろ?」
「ああ! 奴さん、あの窓から出たなら、行先は多分公園だな……。俺たちも追おうか?」
「ううん、良いわ?」
こう見えても私は、元の世界ではリレーの選手に選ばれたこともあるほど、足の速さには自身があった。
それに、どう見ても運動不足なここのおじさん連中は見てもらっても足でまどいだろう。
「ルチナ、ゴメンね? ちょっとの間、お店を任せるわ?」
「うん、気を付けてね、お姉ちゃん!」
私はそういうと、全速力で街の外に駆け出していった。