プロローグ1 自分より恋人が優秀だとわかると嫉妬する男、いますよね
「ふう……」
私『紗良』は山積みの書類の前でため息をついた。
(まさか、また元の世界と同じ仕事をすることになるとはね)
私はこの世界に転移するまでは日本であるマーケティング会社に勤めていた。
大学で学んだマーケティングの知識を活かせると思って一生懸命働いており、少なくとも同期の中では一番の営業成績を収めていた。
……だが、私の会社は「優秀な人を評価する」というシステムを採用していなかった。
「はい、その伝票全部今日中に入力しといておいて?」
「会場スタッフ足りないから、現地で案内してね?」
そんな風に、もののようにこき使われる毎日。
入社してから数年後、私に回される仕事は、時間だけかかる雑用ばかりになり果てた。
(私が結果を出して脅威になるのが、よっぽど気に入らなかったのよね、課長は)
私がそんな扱いを受けた理由は明白だ。
課長にとっては、部下である私が自分より大きな仕事を取ってくること、ひいては自分の地位が脅かされることが気に入らなかったのだろう。
「課長、すみません! 今度のコンペの資料代わりに作ってもらって!」
「いいんだ。君もよく頑張ったんだからな。……まったく、あいつも見習ってほしいものだな」
「ありがとうございます! 課長が上司で良かったです!」
そのためか、課長はむしろ自分より仕事のできない部下にあえて大きな仕事をさせ、失敗させる。
そして自分がその尻拭いをすることで「会社に必要な人材」と思われるように、振る舞っていた。
私に回されるのは、誰でも出来る簡単な、それでいて多大な労力を要する仕事ばかりだった。
そんな日々が続く中、疲労のあまり私はトラックにひかれ、気づいたらこの世界に転移していたのだ。
そんなふうに昔のことを思いだしていると、隣から『テイラー』という男がやってきて、私に頼みごとをしてきた。
「おい、会議室の掃除は終わったのか?」
「はい、やっておきました」
そういうと彼は、途端に不機嫌そうな顔をしてきた。
「あのさあ! 棚の上とかカーテンとか、全然綺麗じゃないだろ? それくらいきちんとやっとけよ?」
「あ、すみません...」
そんなはずはない。
きっちり部屋全体を綺麗にしたことを最後に確認もしている。……だが、それを言ってもテイラーの火に油を注ぐだけだと思ったため、私は何も言い返さなかった。
彼は気持ちよさそうに、私を罵倒してくる。
「つーかさ、謝るよりさ、メモくらい取っておけよ。全く、お前は仕事できないんだな」
「はい……」
……残念なことにこの男は、一応私の婚約者だ。
彼は私に対して、不快そうな表情で大量の書類を見せた。
「それと、この資料の検算も今日中にやっとけよ」
「は、はい……」
「そうそう、その代わりにロッツ司教にお前が提案した教会の予算案は俺の方で渡しとくから、感謝しろよ?」
「え、ちょっと待ってください!」
それはおかしい。
その予算案の提出は、私があちこちに根回しをしながら作った、貴重な資料だからだ。その資料を見せて、直接顔を合わせて契約を取るところだけあなたがやるのはズルい。
いかにも「おいしいとこどり」をしようとしていることが分かった私は思わず声を上げるが、テイラーは不愉快そうにこちらを睨みつける。
「なんか文句あんの? お前が仕事遅いからかわってやったんだけど」
テイラーはフン、と高圧的に言ってきた。
(何を言っても無駄ね。……多分こいつ、最初から私が作った予算案を自分が作ったことにする気だったのね……)
教会の予算案は、私が元の世界で得たマーケティング知識を活かして作った会心のものだった。
その手柄を横取りして、代わりに地味で面倒や仕事を押し付けてくる彼のやり方は、元の会社の課長を思い起こさせた。
だが、ここで文句を言っても百倍に言い返されるだけだ。私はあえて口をつぐんだ。
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、あとは頼むな。俺は同僚と約束があるから」
どうせまた今日も飲み会に行くのだろう、テイラーはそう言って部屋をあとにした。
部屋に一人取り残された私は、心底彼の言動に失望しつつ、ため息をついた。
(はあ……まさか、あんなに小さい男だったなんてなあ……)
初めて会った時のテイラーは優しい男だった。
この世界に転移したばかりで右も左もわからない私を、何も事情を聴かずに家に住まわせてくれ、この国の文化や歴史などを教えてくれた。
また、テイラーはこの中世風の世界「アルドラン王国」の若き将軍であったこともあり、文官として私を登用するように便宜を図ってくれた。
(あの時のテイラーは、かっこよかったんだけどなあ...)
特にありがたかったのは、そもそも戸籍のない私を市民として認めてもらうために、形ばかりのものとはいえ、婚約をしてくれたことだ。
……正直、私はその時には本当に結婚してもいいかなと思うようになっていたが、それは大きな誤りだった。
(あの時は私は、彼のために一生懸命に頑張ってたんだけどなあ……)
私は婚約してから、少しでも彼の役に立たないと行けないと思い、必死で彼の仕事を手伝った。
確かに最初の内は、彼も「お前がいてくれて助かったよ」「やっぱり、お前は大事なパートナーだな」と言ってくれて喜んでくれた。
……だが。
「テイラー。あなたが悩んでいた治水工事の件、私の方で業者を手配しといたわ?」
「え? ……あ、ああ……けどさ、こういうのは根回しとかもあるだろ? だからさ、もっと慎重になるほうが良くないか?」
「そう思って、内務大臣とも相談しておいたけど? 問題ないって言ってたから安心して? 次から、私がこの仕事まかされてるから、任せて!」
「ふうん……。つーかお前何? 俺のことバカにしてる? 偉そうな態度取られるとさ、こっちもやる気なくすんだよな……」
私が仕事で結果を出せば出すほど、彼はそんなふうに不愉快そうな表情を見せていた、
……要するに、この世界でもまた、私は嫉妬を買ってしまったのだろう。
(あんな奴でも、昔は優しかったものね...だから、我慢しないと...)
それでも私はそんなふうに自分に言い聞かせて、仕事を続けていた。
...だが、数日後にこの生活は思わぬ形で終わりを告げる。
「お前との婚約を破棄する!」
執務室で、大勢の文官がいる前で私はそう怒鳴られた。