第1話:隣の幼馴染は恐竜に興奮する変態
「びええええええん!! 怖いよぉぉぉ~!!」
「おいおい、しっかりしろよぉ、食べられたりなんてしねーよ」
「だってぇ!!」
あれは、幼い頃に遊園地に行ったときの事だ。
家が隣で家族ぐるみの付き合いが多かったからか、こうして一緒にレジャーに出向く事も多かった。
そんな時、作り物の恐竜を前にして、あまりのリアリティに──当時の霧島 照(6歳)はギャンギャン泣き、隣の幼馴染に飛びつくのだった。
「ありゃあ、ニセモノだぜ。本物だったらとっくに食べられてるよ」
「うわあああああああああん! 怖いんだもんっ!! なんでアキ君は怖くないのぉ……!?」
今思えば、当時から幼馴染はやたらと達観していた、と照は思う。
作り物の恐竜如きでは全く動じず──そればかりか彼女の腕を引っ張って言ってのける。
「だってワクワクするだろ!? こんなデッカい生き物がいるなんてさ!!」
「ううう……食べられちゃうよ、わたしたち」
「もし恐竜がやってきても、俺がペットにしてやるよ!」
「どーやって……?」
「恐竜の事、何でも知ってる父さんみたいになる! そしたら、怖いものナシだろっ!」
大きなスピノサウルスの作り物の前で、高らかに彼は言ったのを照は今でも覚えている。
「俺は──世界一の恐竜博士になるんだっ! そしたら、もし恐竜が襲ってきても……照の事、守ってやれるだろ?」
※※※
──あれから、11年後。
「アキ君……んぅ……あれ、もうこんな時間……げっ」
霧島 照は少し前まで、自分の事をちょっとオシャレが好きな平凡で普通の女子高生である、と考えていた。しかし──その幻想は儚くも、一週間ほど前に崩れ去った。
「ま、また伸びてる……」
思春期に身体の異変はよくある事だ。男女関係なく。
だが昨晩切ったばかりの爪が──10cmくらい伸びているとかは、果たして成長期の一言で済ませられるのだろうか。いや、無い。
ネットを調べてもそれらしい記述はなかなか出て来ないし、彼女自身もこの珍妙な症状に覚えなど無かった。
(いやいやいや、伸びすぎだよーッ!? こんなんじゃあ、ネイル付けられないよーッ!!)
ヤスリで爪に傷をつけて、ハサミで大きく伸びた爪を切る。そして、残った部分を爪切りで綺麗に取り除く。そして最後に綺麗にヤスリを掛ける。
これで漸く昨晩と同じ綺麗な爪になったものの、己の身に起こった怪現象にゾッとする。奇妙な事に、恐ろしい速度で伸びているのは手の爪だけなのである。
こんな姿は、クラスメイトに見せることなど出来はしない。
だが、此処最近のモーニングルーティーンには、すっかり伸びきった爪を元の長さまで切る作業が加わってしまっていた。
他に身体に異常はなく、こんな事で病院にかかるのも恥ずかしいので、誰にも言えないのだった。
爪を切り終えた後、照は──ふとカレンダーを見た。
「ああ……そうだ。今日、アキ君帰ってくるんだった……」
二週間前にアメリカへ短期留学に言った幼馴染の事を思い出す。
もしも彼に、この爪を見られたら──何と言うだろうか、と考える。
──文句なしにカッケーよ、てるてる!! えーと具体的な種類を挙げるとするなら──
(絶対に言う……多分絶対に言う。アキ君、デリカシーないし)
勿論、乙女のプライドにかけて、そのように言われるのは嫌だったので、しっかりと処理を行い、いつも通り学校へ出向くのだった。
※※※
「きゃー、照ちゃんネイル上手ー♡」
「そ、そーでもないよー……あはははは……」
「おい嬉しいのが隠せてねーぞぉ、愛いヤツめー」
霧島 照の趣味はネイルアートである。
今日も朝礼前のひと時に、クラスメイトの1人にネイルアートを施す。相手の爪を磨き、グルーを少量ネイルチップの裏に塗って速やかに接着。
その上にネイルアートブラシで彩り豊かな蝶の模様を置くように描いていく。だが、この日の彼女のネイルアートは輪をかけて派手であった。
次第に爪の上は豪華な装飾が増えていき、最初は嬉しそうにしていたクラスメイトの顔も徐々に曇り、「ストップ」をかけるようになっていく。
「おい。照ちゃん? 照ちゃーん? 聞いてる?」
「あえっ!? ご、ごめん、つい……止まらなくなってたよ」
「もうウチの爪、宝石箱みたいになってんだわ」
「ゴメン……夢中になってた」
「全く無我夢中かよォ……ん? そう言えば今日て確か」
「な、何?」
「……ははーん、成程ぉ、浮かれてますなあ霧島嬢は」
ギャルの友達の言葉に照は顔を真っ赤にする。色々察したのか、友人たちも揶揄うように笑うのだった。
彼女が上機嫌になる理由など、それしか思いつかないからであり、クラスメイトにとっては周知の事実だったからだ。
しかし、今日彼女が上の空だった理由はそれだけではない。照は自らの掌を見やる。まだ、爪は指先からはみ出る程は伸びていない。
「ち、違うんだよ……ホントに。ちょっと考え事をしてて……」
「考え事って何? まーたどうせ、あの恐竜バカの事を──」
「うおおい、皆の衆、出席取るじょお」
カツラを被った担任のおじいちゃん先生の今道が入って来たことで、教室内にまばらに散っていた生徒達は席に座っていく。
ネイルアートに興じていた照も、キットを急いで鞄の中に戻すのだった。
「そーいやぁ、古田君って、今日アメリカから帰ってくるんじゃなかったっけぇ? ……霧島君! 確か君ら家ェ隣同士じゃなかったかのォ?」
「え!? い、いや、それが今朝はまだ影も形も無く……」
名指しで「彼」の居場所を聞かれた照だったが、当の彼女も全く連絡が付いていないため、全くの不明だ。そもそも日本に帰ってきているなら、何処かで出くわしていてもおかしくないので、やはり彼は帰ってきていない。
「ありぃー、困ったのォ。帰国一日目で遅刻かいのォ? それともまだアメリカ? 言うてまだ1分あるけども──うん?」
バリバリバリバリバリ……。
その時である。
風を切るような重厚な音、そしてカーテンが思いっきり浮かび上がる光景。
クラスメイト達は窓の方を見やった。日本の日常生活では先ずお目に掛かれないもの──即ち、巨大なヘリコプターが宙に浮いているのだった。
「あえぇぇぇぇ!? 何でぇぇぇ!?」
「何処だ!? 何処のヘリ!? 米軍!? それとも自衛隊ィ!?」
「何処でも大問題だわーッ!?」
「待て! 誰か降りてくるぞ!!」
そのハッチから一人の少年が開け放された窓に向かって飛び込み──颯爽と教室に入ってくる。
あまりにも常識破りな「登校」に、先生以外の全員はあんぐりと口を開けている事しか出来なかった。
少年の頭は三本の立派な角の角竜・トリケラトプスの化石を模した被り物で覆われており、それをヘルメットの如く無駄に無駄の無い無駄にスタイリッシュな動作で外す。同時に、狂気と無邪気さを孕んだ笑みが露わになるのだった。
ブレザーの埃を手で払った少年は、眼鏡をくいくい、と指で押し戻すとデカデカと叫ぶ。
「おはようございまァァァすッ!! 古田 亜紀良、2週間のアメリカ短期留学から只今帰還しましたァァァーッ!!」
そのまま彼は、唖然とするクラスメイトを差し置いて担任の今道に「あ、これ粗品ですが……今道先生にお土産です」とマカデミアンナッツの缶を渡す。今道もそれに対しサムズアップで返すのだった。
そして、何事も無かったかのように空いていた自分の席に堂々と座り込み、鞄を下ろす。家も隣だが、席も隣の幼馴染に対し、これまた何事も無かったかのように亜紀良は微笑む。
「オッス、てるてるー。元気してた?」
「あ、あ、あ、アキ君ゥん!? なにやってんの!? ヘリコプターで登校するなんて、恥ずかしいどころの話じゃないよ!! てか、その被り物は──!?」
「土産と書いてドサンな、てるてるにあげるわ」
「要らないよ!! 仕舞ってよ!?」
【アメリカ土産:トリケラトプスの被り物 日本円換算3980円】
「いやーワリワリ、ちょっち飛行機が遅れちまってさぁ。そんで父さんの昔馴染みに、ヘリで直に空港から送って貰ったわけよ。だって帰国早々遅刻したら内申に悪ィだろ」
「遅刻どころの話じゃないよ!! こんなの内申点マイナスどころかゼロ点だよ!!」
「うむぅ!! 古田君は相変わらず元気があってよろしい!! そんじゃ出席取るじょぉー」
「ほら、先生も良いって言ってるし良いんじゃね? いやー、自由な校風で良かった良かった」
「アキ君も学校も自由過ぎるよーッ!! 誰かツッコミを入れてーッ!!」
照は頭を抱え、机に突っ伏す。教室も、彼の寄行を前に「そういやこいつはこんなヤツだったな」と思い出したように順応するのだった。
正直、もっと普通に登校し、普通に再会したかった、と彼女は切に思う。
だが──同時に、古田 亜紀良という少年はこういう型破りで破天荒な男であり、「普通」などと言う言葉で彼を抑え込む事など誰にも出来はしない。それこそ平凡な自分では釣り合わないような、特別な星の下に生まれた少年のように思えて仕方なかった。
(そーだよ……アキ君は……いつだって、こうだったよ……)
※※※
──古田 亜紀良。樹羅高校2年生で、座学の成績は学年内でもトップクラス。体育の成績もそこそこ。
得意分野は──英語、地学、生物学。
そして好きなものは──考古学と、そこで扱う古生物全般だ。
今回の留学の目的も、志望校としている海外の大学のオープンキャンパスであり、プログラムの中には発掘現場の見学といったものもあったという。
当然、留学ともなればその土産話を聞きにくるクラスメイトも多く、昼休みの亜紀良の周りには人だかりができていた。
「スピノサウルスの帆の発掘現場にお邪魔させて貰ったんだけども、いやアレは凄いよ──端的に言えばバッキバキになったね。思い出しただけで……おほっ♡」
ぼたぼたぼた、と音を立てて机に鼻血が物凄い勢いで垂れた。
周囲の級友たちは音も立てずに一歩下がる。この古田 亜紀良という少年は、年頃の男子高校生とは思えない特殊な性癖の持ち主であった。
ズバリ──恐竜に限らず古生物の部位、それも実物を見ると性的に興奮してしまうというものである。
今もまた、回想だけで鼻血を流す始末。とてもではないが、健全とは程遠い所に居るのであった。
「あの曲線美、トゲトゲ、やっぱり、良い!! 思い出しただけでヨダレが出るね!! エッチだ……」
その為、彼の土産話は自慢話ではなく性癖の開示という非常にレベルの高いものになってしまうのだった。同級生たちは皆ドン引きである。
「キッショ……」
「頼むからその姿で近付かないでほしい」
「おっといかんいかん自制自制……そんなわけで、実のある短期留学だったわけだよ」
「鼻血は自制できてねーぞ古田ァ!! しかも鼻血垂れたの俺の席ィ!!」
そうしてクラスメイトにどつかれているのも、いつもの光景である。
とはいえ、彼の狂気的なまでの考古学に対する熱量や、その目的の為に手段を択ばずに邁進し続ける姿から、彼を慕う者は多い。
何だかんだ人だかりが消えないのを、自分の席から照は見つめているのだった。
熱心に恐竜や化石の話をする亜紀良の姿は──いつも輝いている。
「ねえ、照ちゃん……照ちゃん?」
「……」
「照ちゃん?」
ぽーっ、と亜紀良の方を見ていた照は友人の声で漸く我に返った。弁当の箸が全く進んでいない。
言葉とは裏腹に、ずっと幼馴染の事を見つめていた照に、友人たちは嘆息した。あまりにも男の趣味が悪すぎる。
「う、うんっ!! そーだね!! あんな変態!! 全然好きじゃないよ!!」
「いや、誤魔化せてねーし」
「何なら顔赤いし」
「うう……大きなお世話だよっ。ほら、早く弁当食べよっ」
「いや、ウチらとっくに食い終わったから」
空の弁当箱を見せられ、照は言葉に詰まってしまう。完全に亜紀良に視線が釘付けだったのを言い訳出来なくなってしまった。
照の目の前には、全く手が付けられていない重箱のような弁当箱が置かれている。
「てか照ちゃん。いっつも思うんだけど、その身体の何処にその量が入るんの……? てか今から食い切れる?」
「し、失礼なっ! ちゃーんと全部食べるよっ!!」
がつがつがつ、と小柄さに合わない健啖っぷりですぐさま弁当に手を付け始める照。 昼休みの時間は後10分程度しかない。
「食べるんだ……てか、食いきるつもりなんだ、その量……日を追うごとに食う量増えてんな」
「ちょっと困ってるんだよ……でも食べないとお腹空いちゃうし」
「そんな照ちゃんが飯の事忘れるなんて、よっぽど古田の事好きなんだねえ──でも、ぼうっとしてたら危ないぜ? 例の神隠し、まだ見つかってないんでしょ?」
その場の空気が──ざわつく。触れてはいけない話題を出してしまった事に気付いたのか、神隠しを話題に出した女子は「あ、悪い」と決まりが悪そうに言うのだった。
「……なんつーの? 皆もっと、ああいうのに食いつくのかと思ったからさ。部活もその所為で中止になってるし……」
「居なくなったらウチの部の後輩じゃなかったらな……ウチももっと、面白おかしく話してたんだろな」
「そ、そうだったの!? 居なくなったの、よっつんの後輩……!?」
よっつん、と呼ばれたギャル風の女子は頷く。
「ああ。バスケ部の後輩だ。照ちゃんは、もう知ってたよな」
「う、うん。たまたまその時……先生と話してたよっつんの話、聞いてたから」
「そーだったのかよ……この話は……」
「見たんだよ」
「え?」
「ウチ、見たんだ」
よっつんは──青い顔で告げた。
「……あの日。後輩が二人、居なくなった日……体育倉庫に用事があって、外に出たんだけど。一瞬だけ、そばを過ぎ去っていくのを見たんだ」
「……?」
「大人達は誰も信じねーけど……黒くてデカい、トカゲみてーな影、ウチは見たんだよ」
「トカゲ……?」
「もっと言うなら……」
よっつんは、鼻血を出し過ぎて倒れている亜紀良の方を見て言った。
「……誰かさんの好きそーな……恐竜みてーに、二本足で地面を走ってた」
※※※
──その日の放課後。
家も隣の照と亜紀良は、揃いも揃って同じ帰路についていた。
しばらく、よっつんから聞いた「黒いトカゲ」の話を反芻していた照は、ずっとそのことで頭がいっぱいだった。
「おーい、てるてるー?」
「ッ! な、なぁに、アキ君──ぐべっ!!」
振り返った瞬間、彼女は目の前の電柱に顔からぶつかり、鼻を抑えて倒れ込む。
「おいウソだろお前、なんにも見えてないじゃんか」
「痛いよぉ……」
「ほら、鼻血出てねーか」
「アキ君じゃないから、出ないよ……!! もうっ!!」
涙ぐみながら立とうとする照の腕を、亜紀良は引っ張り上げて「全く世話が焼けるヤツだぜ」とからかうように言った。
「電柱があるなら、もっと早くに言ってよう!」
「しゃーねーだろ、お前がドン臭いのは昔っからだけど、そんなんじゃあ神隠しに遭うのも時間の問題だな」
「! ……聞いてたの」
「ああ。学校……ってかバスケ部で行方不明者が出て、部活は全部中止。俺だって本当は残って勉強してーけど、許可が下りなかった」
「……もしかして、”黒いトカゲ”の事も?」
「あん? 黒いトカゲ? 何じゃそりゃ」
ぴくり、と眉を動かした亜紀良は──口角を思いっきり引き上げる。その形相は歯を剥き出しにした悪魔の如く。黄昏の日差しを浴び、余計に怖い。
「……そんな面白そうな話、俺に黙ってるなんて事しねーよな、てるてるは」
「ひえっ……! 言うんじゃなかった……!」
「おい、教えねえなんて有り得ねえだろ。俺達の仲だよな、どういうことなのか話せよ」
「ううう、だって教えたら絶対アキ君探しに行くんだもん、学校に……!!」
「ははーん? そこまでして隠すって事は、大方”黒いトカゲ”とやらは恐竜に似てるとかそういうオチだな?」
「しかも無駄に察しが良い……」
「ハハ、バカ言え。現代が恐竜が生きてるわきゃねーだろが。きっと何かの見間違いに決まってる。黒い恐竜が神隠しの犯人? 馬鹿げてるね、荒唐無稽だ。とんだ三文小説のネタだっての」
そう言って、亜紀良は回れ右。思いっきり学校の方へ向かうのだった。既に想像だけで興奮しているのか、鼻血が垂れている。
「……だから、これは”黒いトカゲ”が何かの見間違いであることを確かめるための調査なのさ」
(アキ君……思いっきり探す気だぁぁぁーっ!!)