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Gemini 秘密の親友  作者: せっか
第2週 声のない少女
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2‐1 うつむき、頷きすらしない

九月も半ばに差し掛かりようやく登校してきた奏音は、ノート大のホワイトボードを筆談用に持参していた。奏音とモモの対話が始まる。

一方職員室は、一向に改善の見られないミラの不登校に焦りを滲ませる。



 《先生もこれに書いて答えて下さい》


 私は目を上げ、彼女の顔を見た。相変わらず、険しい顔つきである。

 「私も声を出さない方がいい?」

 彼女はすぐにボードに書き足した。


 《私が書いたことを他の人に聞かれたくないから、先生も声に出さないでほしい》


 ――なるほど。


 私が手を差し伸べると、彼女はボードとマーカーを渡した。その流れで私たちは、彼女の定位置ではなく、保健室の長椅子に並んで腰かけた。ごくありきたりな茶色の長椅子に。


 《紙ならあるけど、このボードがいいの?》


 私が書いて尋ねると、彼女は即座にこう書いた。


 《紙は残るから嫌》


 すでにボードはいっぱいである。彼女はそれを一度すべて消した。


 《前に私がノートを持ってきていたこともあったけど、先生に隠れてコピーされた》


 それは嫌だったね、と返事しようとしたが、彼女がボードを渡してくれないと書こうにも書けない。そういうコミュニケーションの仕組みなのだ。


 《秘密を守って下さい》


 「奏音(かのん)ちゃん!」

 ガラリと保健室の戸を開けて、七瀬先生が入って来た。奏音ちゃんは半ば慌てたようにボードの字をすべて消した。

 「あら、さっそく! お話できてたの?」

 私の目を見た七瀬先生の顔が輝いていた。すごいすごい、と興奮されているようである。

 「ほんの少しだけ……。プリントはまだこれからなんです。――ね」

 ごく自然に、私が代わりに答えていた。奏音ちゃんはといえば、ボードを胸の前にきつく抱いてうつむき、また口をかたく結んで、頷きすらしない。

 「よかったね。今、五ノ三では算数やってるよ。教科書持ってる? やるところ教えるから、出して」

 七瀬先生はまったく気にしない様子で彼女を学習机の方へ連れて行き、支度をさせ、手短に課題を指示した。手際がいい。クラスをおそらく自習させている間に、よく個別指導をなさるものだ。――その様子をぼんやりと見守りながら、私の頭の中にはさっき彼女の書いた文字が渦巻いていた。

 《秘密を守って下さい》


 初日に彼女から働きかけてきたのは、朝のそのやりとりだけだった。

 確かに、担任の七瀬先生に指示された内容を黙々とこなし、まじめに自習をしている。休み時間に様々な学年の子たちが来て騒々しくなっている間は、締め切ったカーテンの中で気配を消していた。ケガの子の処置をしている間に、一人の低学年の男の子が、普段開いているカーテンが閉まっているのに気がついて近づこうとした。かろうじて気がついた私は、やや強い声を出して注意した。

 「そこは開けないよ」

 「誰が入ってるの?」

 男の子はニヤニヤして尋ねた。

 「休んでいる人がいるんだよ。勝手に覗き込んだら駄目なの、わかるでしょう」

 「なんでここにいるの?」

 男の子はなおもカーテンの側から離れずに、中を覗きたそうにしている。

 「いろんな人がいるんだよ。君だって具合が悪くて保健室で休んでいる時に、知らない人が突然カーテンを開けて覗いてきたら、嫌でしょう」

 私が近づこうとすると、男の子は逃げるように離れ、少しの間保健室内をうろついていたが、やがて出て行った。

 (めぐみ)に頼まれた通り、なるべく保健室のルールを守らせてはいるのだが、今のように手が塞がっていると、結局用のない子が二、三人は紛れ込んで、勝手なことをしている。

 休み時間は毎日慌ただしくて、始業のチャイムが鳴るたびにどっと疲労が押し寄せた。

 ――ケガや病気の処置はいいが、子どもの相手は私には向いていない。

 三時間目の予鈴が鳴り、ようやく全員を保健室の外に出すと、私はふと気になって、カーテンに近づいた。

 「奏音ちゃん。さっきは驚いたよね。怖かった? ごめんね」

 当然、返事はない。

 そっとカーテンの縁に手をかけて中を覗いてみると、彼女は持参したらしい本をパタンと閉じて、私を見た。

 学校の図書室にありそうな本ではない。児童書というより、もっと難しそうな、宇宙に関するらしい本だった。地域の図書館で借りてくるのだろうか。彼女がまだその学年では習っていないだろう漢字を多用するわけがわかった気がした。


 《大丈夫です》


 机上に置かれていたボードに、彼女はそう書いて応えてくれた。


 《三時間目は体育で、七瀬先生から何も言われてない。本を読んでいていいですか》


 どういう取り決めなのか知らなかったが、私はひとまず許可した。


 《本を読むのが好きなんだね》


 その時彼女は、初めて頷き返した。表情も今朝ほど強張っていないことに気がついて、こちらも少し気分が軽くなる。邪魔をしても悪いと思い、側を離れた。四時間目にはまた七瀬先生から課題の指示があり、私はほとんど彼女の存在を忘れて、一か月後に迫る就学時健診の計画書の練り直しに集中した。


 十二時半を過ぎた頃、聞いていた通りにクラスの女の子たちが三人がかりで給食を運んできた。お盆を掲げた子の後ろに、仲良しなのだろう、二人付いている。似たり寄ったりの、髪の長い、ませた雰囲気で、私たち七瀬先生に言われて来ました、と顔に書いてある。

 「どうぞ、奏音ちゃん」

 学習机の上に配膳してもらって、やはり彼女はうつむいたまま硬直していた。

 「どうもありがとう。いただきます」

 私が代わりに言うと、女の子たちは顔を見合わせて、プッと笑った。

 「先生が言うの、ヘンだよ」

 「この子喋らないの、あたしたち知ってるから」

 「下膳はいつも職員室の方に混ぜることになってるんで。お願いしまーす」

 口々に言うと、何か囁き合い笑いながらそそくさと出て行った。

 奏音ちゃんはしばらく、給食に手を付けなかった。

 私はその様子を横目に見ながら、一緒に食べようかと誘うことはせずに、自分の給食をデスクで食べた。一応、恵がそうしていたという通りに。


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