1‐3 原因不明の引き籠り
その小学校は郊外の小さな駅から徒歩十五分ほどの、市の中心部からも離れた閑静な住宅街にある。私の暮らす実家からは、バスと電車を乗り継いで一時間強の道のりである。
校舎は築五年と真新しく、職員玄関、職員室、保健室はすべて一階にある。初めから将来は高齢者施設にする想定で設計されたそうで、確かに廊下や間口など全体的に広く、エレベーターやスロープも設置されている。
全校児童は六百名ほどで、各学年三、四クラスあるから、そこそこ大きな学校といえるだろう。
引き継ぎのため週明けの月曜日に改めて出勤すると、恵はまず職員室で校務用パソコンの使い方を教えてくれた。就学時健診の実施計画書など、昨年度のものを雛型にしてよいという。それらのファイルがどこに管理されているのかを一通り教わってから、保健室に移動した。
「地域柄としては、あまりよくはないんだよね。この辺、戸建てが多いけど地価も安いらしくて。必ずしも共働き家庭ばかりでもないんだけど、わりとお家で放ったらかしにされてる子が多い。裕福な家庭は少ないかな」
保健室はよく片づけられ、清潔感と明るさがあった。
「だからね、例の奏音ちゃんの保健室対応の話だけど、彼女だけじゃなく予備軍まで含めたらたくさんいるの、この学校は。二学期始まったらすぐにわかるだろうけど。今の校長さんの方針で今年度は保健室登校になってるけど、本当は、あたしは保健室をそういう場所にしてほしくないんだよね。過去には校長室とか、職員室の例のテーブルを居場所にしようかって、実際に試されたこともあったんだよ」
話がそのことに及んだので、私は気になっていたことを尋ねてみた。
「もう一人不登校の子がいると言ってたけど、彼女も来るなら保健室なの?」
「ミラちゃん? ううん。でも、校内委員会ではそういう流れになりつつある。彼女のことはよくわからないんだ、五年になって急に来なくなった子で、引き籠ってるんだって。あそこはお母さんが動かない人で、教育相談とか小児精神科とか勧めても連れてかないし、スクールカウンセラーとの面談すら拒否。担任が定期的に家庭訪問してるけど、本人は顔も見せない。それでも学校としては放っておくわけにいかないから、適応指導教室の方に行ってくれないなら奏音ちゃんと一緒に保健室登校、って話になる可能性は大ね」
校内委員会、教育相談、適応指導教室……私には耳慣れない業界用語が並ぶ。
「無理なら無理って言っていいよ、保健室は保健室のことだけで本当に大変なんだから。二学期は特に忙しいし。まあ、三学期は三学期、一学期は一学期で怒涛だけど」
恵はありふれた薄緑色のカーテンで仕切られた窓辺の小さなスペースに私を招いた。学習机と椅子が一組置いてある。
「一応、ここが奏音ちゃんのスペース。七瀬先生は給食一緒に食べて、って言ってたけど、あたしはもともとその時間帯も対応があるから保健室で食べることが多くて、そこの自分の席で、別に給食時間とか待たずに手が空いたタイミングで食べてる。彼女の方でも放っておいてほしいみたいだし、別に二人で仲良くランチとかではないから」
「そうなの?」
「あの子、本当はあたしのこと嫌いなんだよ。最初に保健室が試された時のことだけど――給食はクラスの子にここへ届けてもらうのね、教室まで上がるのも無理だから――それで、わざわざ来てもらってるのに目も合わさずに黙ってるから、あたしあの子に注意したのよ。『ありがとう、でしょ』って。それくらい言いなよって。そしたら一発で嫌われて。それからその学期の間は一度も登校してこなかった」
苦々しげに、彼女は続けた。
「で、あたしのその指導が問題にされたよね。お母さんからクレーム来てさ。場面緘黙症のことちゃんと勉強して理解してくださいって。あのお母さん、そういうところあるのよ」
「へえ」
「こっちから関わらなくなったらむしろ来るようになったくらいよ。だからモモも関わらなくていいし、気をつけた方がいい。モモはあたしと違って雰囲気優しげだから心開くかもしれないけど、はっきり言って心理の専門家じゃないと無理。手に負えない。たぶんミラちゃんもね。だから是非、カウンセラーさんに投げて」
先日の忠告を繰り返すと、カーテンの側を離れ、彼女は保健室の中を見せて回った。
「そもそも給食や休み時間は色んな子が来るから大変なの。一応、あたしは保健室のルールを作ってて、そこに張り紙してあるけど、基本、ケガでも病気でもない子には出てってもらう。ただ来て入り浸りたがる子がたくさんいるの。好きにさせとくと何しだすかわからないし、本当にやかましくなるから、あたしは心を鬼にして追い出してる。モモもこのルールは守らせて。あたしが戻って来た時に無法地帯になってると困るから」