1‐2 場面緘黙で保健室登校
座らされたのは、校長・副校長席の傍らにある、打合せ用とみられる六人掛けのテーブルである。七瀬先生は正面に、恵は私の隣に座った。
「実はね、先生、私のクラスの五年生の女の子なんだけど、三年の頃からしぶって教室に入れなくて、ずっと保健室登校を促している子がいるの。来れば一応、与えた課題はちゃんと取り組むんだけど。恵先生にはこれまで見守りと、一緒に給食を食べるのをお願いしてて、その形だったらたまには出て来られるから、先生初めてなのに申し訳ないけど、是非その形を継続したくて。お願いしていい?」
「はあ」
不登校もしくは保健室登校。
一人だけなのだろうか?
薄らとよぎったその勘は、当たることになる。ただその時頼まれたのは一人だけだった。
「堤奏音ちゃんっていう。場面緘黙の」
横から恵が補足するように言った。
「緘黙。まったく喋らないんですか」
「まったく喋らない。それはもう入学した時からずっとなの。幼稚園の頃からだったかな。とにかく学校では一度も声を出したことがない。関係ができれば筆談には応じる」
七瀬先生は早口で答えながら、でも根は真面目ないい子なのよ、と続けて、私が嫌だと言い出さないか気にしているようだった。
「本当は今日この後、もうそろそろ、あゆみを取りに来るように言ってあるんだけど。先生まだお時間いい? 恵先生もいるうちに一度会っておいてほしいの」
「七瀬先生、奏音ちゃんが」
職員室の扉近くの、誰か男の先生が言った。噂をすれば、来たらしい。七瀬先生が席を外すと、恵が小さな声でぽつりと言った。
「本当はもう一人不登校いるんだよね。同じ五年で、佐野ミラちゃんっていう。クラスは別なんだけど。字は〈鏡〉と書いてミラと読む」
「カノンちゃんに、ミラちゃん。今どきの子だね……」
やはり一人ではないのか……。どんどん気が重くなる。
そこへ恵が、私だけに聞こえる声で忠告するように囁いた。
「モモ、この話はあんま深入りしなくていいからね。ただそこにいさせて、何かあったら全部カウンセラーさんに投げて。七瀬先生は色々期待するかもしれないけど、関わろうとしなくていいし、結構やばい子たちだから深入りしない方がいい」
「恵先生、酒井先生」
恵のその言葉の真意を問う暇もなく、七瀬先生に二人揃って呼ばれた。
「奏音ちゃん。これがその酒井桃先生。恵先生のお友達で、とっても優しい先生だよ。これまで通り、保健室で対応して下さるから。安心して。二学期も待ってるからね」
母親の陰に隠れるように立っていたその子を見て、正直私は、意表を突かれた。
奏音ちゃん、という可愛らしい名前から想像していた容姿とはだいぶ違う。
見た目は男の子のようで、髪も短く、そしてかなり目つきの怖い子だった。拳を固く握りしめ、口を真一文字に結び、こちらを睨みつけるように、ギラギラと光る目で私の喉元辺りを見据えている。
場面緘黙の子どもに私は初めて出会った。皆こんなにオーラがあるのだろうか?
「よろしくね、奏音ちゃん」
私は愛想よく挨拶したと思うが、彼女の存在感に圧倒されていて、果たして「とっても優しい先生」に見える微笑みを作れていたかどうか、定かでない。
もちろん、返事はおろか、頷きも返っては来なかった。
「娘がお世話になります。よろしくお願いします」
代わりに短く答えた母親も、どこか表情が硬かった。あゆみを受け取り帰っていく母娘を、私は呆然と見送った。小五にしては背が高い。百五十以上あるかもしれない。着ているTシャツとハーフパンツも恐らく男の子用で、手足はガリガリである。
(ええと。私は二学期からここの保健室の先生をやるんだよね?)
なんだか、あの子の相手が主なミッションなのかと錯覚しそうだった。奏音ちゃんとの出会いは私にとってそれほど衝撃的だった。