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Gemini 秘密の親友  作者: せっか
第5週 いないものがいる
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5‐4 奇妙


 自分が声を出して話したことを、奏音(かのん)ちゃんは明らかに自覚していなかった。その瞬間の意識と記憶は飛んでいるようだった。


 印刷室で明日の職員会議の資料を印刷する間、嫌でもそのことがずっと頭の中を渦巻いていた。印刷機が規則的に紙を吐き出すバタン、バタン、バタン、バタンという単調な音の間に、さっき聞いた声が延々と繰り返される。


 いないよ、そんな子。いるわけないでしょう……。


 キセが現れたのだと、私は感じた。どうしてこんなことになったのだろう。

 「酒井先生、ミラちゃんが来ました」

 印刷室の入口から声がかかった。音楽専科の若い女の先生である。

 私はぎくっとして、壁時計を見た。三時間目、来られれば植田(うえだ)先生の算数の個別授業の時間だった。だが今日も来たことに私は驚いた。保健室登校が始まってから、なんだかんだと彼女は毎日来ている。給食の特別待遇は続いている。

 「おはよう、ミラちゃん。よく来たね」

 私は印刷機のところから声をかけ、ついで音楽専科の先生に植田先生の授業の時間で、場所は会議室だと伝えた。そこのところはまだ職員に周知されていなかっただろうか。なんだかあまりにも色々なことがありすぎて、既に把握しきれなくなっている。

 ミラちゃんは入口の所からじっと私を見ていた。音楽専科の先生に促されてようやく、ランドセルを背負ったまま会議室の方へと消えた。


 紙の束を抱えて保健室に戻ると、奏音ちゃんは一人でもちゃんと自習を続けていた。普段と変わった様子は特にない。昨日聞いた録音の話も、今朝の一件も、まるで私の夢であったかのように思えてくる。ただ声が出ないだけで、知的で星や宇宙に詳しい真面目な女の子、奇妙なファンタジーや闇など抱えていない――彼女についてそう信じたい自分がいる。

 奇妙なのはミラちゃんで、奏音ちゃんまでおかしいとは思いたくない自分が。


 四時間目になると、ミラちゃんは会議室から保健室に戻って来た。一時間みっちり算数を教わって疲れたのか、四時間目の漢字ドリルの自習は明らかに身が入らない様子だった。勝手にお絵かきこそしないものの、ちらちらと自由帳を開いては自分の作品を見ていた。

 昨日の私のお願いを聞いてくれてか、ミラちゃんから奏音ちゃんにキセの話題を振ることはなかった。二人はただ並んでそれぞれの課題をこなし、給食はミラちゃんだけが私と一緒に食べ、時間が来ると下校していった。


 二人を帰して職員室でほっと一息つこうと、スティックコーヒーにお湯を注いでいた時である。誰かにひそひそ声で呼ばれた。

 「酒井先生」

 見ると、件の植田先生だった。昨年度で定年退職されて、今年度からこの学校で非常勤として再任用されたという、小柄だがどっしりとした貫禄のある先生だ。私に小さく手招きをしている。ミラちゃんのことだと直感し、コーヒーは脇へ置いて呼ばれるままに付いて行くと、職員室の外まで連れ出された。

 「先生、ミラちゃんのことなんだけどさ」

 「はい、お世話になりまして」

 植田先生は周りを見回すと、さらに声を潜めて囁いた。

 「ごめんね、変なこと言うよ。あの子、エスパー?」

 びっくりして目を見張ると、先生は私の肘の辺りを押してさらに職員室から遠ざかった。

 「あたしも教員生活長いんだけどさ。三十年くらい前の教え子に一人いたのよ、そうとしか考えられない子が……。ミラちゃんは今日初めて算数教えたけど、あの子見てたらなんだか思い出しちゃって」

 「何か奇妙なことがありましたか?」

 私も自ずとひそひそ声になった。

 「前情報として被害妄想強めって聞いてたんだけどさ。妄想っていうより、あの子あたしの腹の中全部見抜いてたわね。先生はそう感じること、ない? あの子と接してて」

 「……実はそうなんです」

 やっぱりね、というように、植田先生は顎に手を当てた。

 「そりゃ生きにくいわけだねえ」

 「どうしたらいいですか? 私の口から誰にも言えなくて」

 「まあ言えないよねえ……。担任はどう思ってるんだろ」

 腕組みをして、何か考えを巡らせているようだ。私は助けてほしかった。

 「先生はその当時、どう対応なさいましたか? そのお子さんはどうなりましたか?」

 しかし先生の返事は、拍子抜けするほどざっくりとしていた。

 「うん……転校していったね。結局は」


 ミラちゃんについて少なくとも植田先生とは共通理解ができたといっていいのだろうか。


 私は悶々としていた。コーヒーのことを忘れて保健室に戻り、昼間印刷しておいた資料をステープラーで左肩留めしている間も、ずっとそのことを考えていた。二人のこととキセのことを。製本作業が終わり、職員室に戻って両管理職、先生方の机上に「よろしくお願いします」と資料を配り終えてから、ようやくコーヒーを飲もうとしていたのを思い出した。

 置いたままの場所で冷え切ったスティックのカフェラテは虚しい味がした。

 気を取り直して、何かコンビニに軽食を買いに出ようと考えた。十七時半だったが、その日はまだやり残した仕事があって帰るわけにいかなかった。

 だいぶ日が短くなった。空には残照が残っているものの、家々は夕闇に沈んでいる。その薄暗がりの道ばたに子どもの姿を見て、私はギョッとして立ち竦んだ。


 そんな時間にランドセルを背負ったまま、学校のすぐ前の通りをミラちゃんがふらふらと一人で歩いていた。



次週「動き回る影」火曜~金曜毎朝7:00投稿

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