3‐2 くじら座の変光星
二週連続で月曜日は祝日で、奏音ちゃんは水曜日に一週間ぶりに登校してきたが、特に変わった様子はなかった。今日も給食は私と一緒に教室へ取りに行くという。
保健室登校が二人になる話は、登校時の課題指示の際に七瀬先生がした。
「ところで、実はね、奏音ちゃん。同じ五年生の、佐野ミラちゃんってわかるかな。今、奏音ちゃんと同じようになかなか学校に来られなくて困っていて、明日から保健室に来ることになったの。時々一緒になることがあるかもしれないけど、よろしくね」
もう決まったこととして伝える形である。
「それと、これはね、先生がそうしろって言うんじゃないよ。もしね、給食を自分で取りに来たいと思ってくれたみたいに、教室の授業にも出てみたいって今後思うことがあったら、モモ先生を通してでもいいから、教えてね。専科の授業だけでもいいよ、図工とか」
七瀬先生の提案に、奏音ちゃんからのリアクションはなかった。七瀬先生が出て行かれてから、彼女は私に向けてボードに書いた。
《七瀬先生は、私がいずれ教室に戻ると思っている?》
不安げな顔をしている。
《どうかな。言葉通り、もしもの時の話だと思うけど……プレッシャーかな?》
《たぶん、教室で過ごすのは一生無理だと思う》
彼女はそこでボードの文字をすべて消した。
給食は、送り届けてもらうよりも自分で並ぶ方がやり取りの負荷が少ないと彼女が判断したから、頑張ってみただけなのだ――彼女の恐怖心の強さを感じる。
《教室は怖い。本当は悪いことが正しいところ》
新しく綴られた文字は、彼女の核心部分に触れようとしていた。
《幼稚園の頃から隠れて悪さしたり、ずるしたりする子はたくさんいた。私はそれも嫌だったけど、昔は悪いことをしたら先生に言いつけられて、叱られるのが当然だった。でも、小学校は違う。先生も見て見ぬふりしてる。三年になったらもっと変わった。もし、誰かが悪さしていても皆が知らん顔していたら、駄目だよ、って言ったらいけない。先生に言いつけたら後でいじめられる。それが暗黙のルール》
彼女は一息にボードを埋めつくし、また消した。
《私はそういうことの一つ一つが見ていてたえられない》
――そうだ。クラスとはそういうところだった。
彼女の言葉に共鳴して、私の奥から苦い思い出が次々と蘇った。
なんとなく馴染めなかったのではない。私も正義感が強くて、そういう小さな不正やずるさがいいことにされてしまう環境に身を置くのが苦痛だった。今でもきっとそうなのだ。あからさまではない形での反則、不正にいちいちハラハラして、そのくせ子どもの頃の勇敢さはなくしてしまって、嫌だな、と思いながら黙ってはいるが、我慢できなくなると自分が逃げてしまう……。
私と奏音ちゃんは本質において似ているところがあるのだ。
《その気もち、すごくわかる。私もそういうのがすごく嫌でストレスだし、おかしいと思いながら目をつぶっていなきゃいけないのは本当に苦痛》
それまでで最も警戒心の解けた目が、長く私を見つめた。
《先生はどうやって生きてきたの?》
私は、何と答えたものかわからなかった。答えられない私の前で、彼女はまた書いた。
《世の中のすべてが正しいことだけで回っていたらいいのに》
そして、書いたそばからまた消した。
うなだれる彼女に、私はあえて別のことを尋ねた。
《ここにもう一人通うようになることについては、どう? 不安だったりするかな?》
彼女は首を傾げた。
《保健室登校を許されるのが私だけというのはおかしいから、いいと思います》
なかなか大人な対応である。
《先生はまだ会ってないのだけど、佐野鏡さんのことはなんとなく知ってる?》
彼女はいきなりぐい、と身を乗り出して、私が書いた字を食い入るように見つめた。
《これ、ミラちゃんのことですか? ミラを鏡と書くって知らなかった》
《そうだよ。ミラーの当て字なのかしらね》
《一年生の時に同じクラスで、珍しくてきれいな名前だったから名前だけ覚えてます。もうずっと会ってないから顔はあんまり思い出せないけれど……。一年生の頃は皆、名前はひらがな表記だったから、なんて書くのか、カタカナの名前なのかなって気になってた》
書くところがなくなったので消して、彼女はさらに書き続けた。
《変光星のミラなのかなと思ってた。くじら座にミラという名の脈動変光星があるんです。およそ三三二日の周期で脈打つように明るくなったり暗くなったりをくり返す。名前の由来は、〈不思議な星〉。でも、鏡なんですね》
《さすが、宇宙に詳しいね》
名前の漢字表記という、ひょんなことから彼女はミラちゃんに関心を抱いたようだった。
《ミラちゃんはどうして学校に来られなくなったんですか?》
《それは先生たちにもまだよくわからないの。明日来てくれるといいね》