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 7月。夏休みを間近に控えた週末の新宿駅は、文字通り、()()()()()()()混雑だった。


 ノイズキャンセリングイヤホンでも相殺しきれない喧騒(けんそう)が耳に(さわ)り、思わず顔をしかめる。


 東京ではここのところ突発的な雷雨が頻発(ひんぱつ)していて、吐いた息をそのまま吸い込んでいるのかのように空気が熱く、重い。立っているだけで吹き出してくる汗が肌にまとわりつき、窒息(ちっそく)しそうだ。


 派手な格好をした若い女性が、ガードレールに腰を預けて携帯の画面を叩いている。 

 外国人観光者は、体の前後に巨大なバックパックを抱えてバスターミナルへ向かっていく。


 誰も彼もがアスファルトの上で蒸し上がっていた。


 甲州街道に沿って歩く人波は、募金の呼びかけをする若い男性を避けて、川の中洲(なかす)のように割れている。


 私の歩く先の道もあくようにと念じつつ、人の流れに乗って駅を離れる。



「どうぞ」


 面談室の扉をノックすると、女性の声で返事が返ってくる。ドアを開けると、人の良い丸顔をニコニコさせた胡桃坂(くるみざか)に出迎えられた。


 二ヶ月に一度、私は彼女に会いに来る。


 駅から程近いクリニックビルの三階、メンタルケアを専門にした医院で、彼女はカウンセラーとして働いている。私はクライアントだ。


「暑かったでしょう」


 八畳ほどの室内は空調が効いていて、冗談みたいに快適だ。 


「暑いなんてレベルじゃない」


 入り口横の荷物入れにカバンを入れる。中央に置かれたローテーブルを(はさ)んで、白い布張(ぬのば)りのソファが向かい合って置かれている。


 私は左手に回るついでに、窓の外を(なが)めた。


 大通りに面したはめ殺しのガラス越しに、(あえ)ぎながら下界を流れる人の(むれ)が見下ろせる。 


「何か面白いもの、見える?」(ほが)らかに胡桃坂が覗き込む。


「面白いもの?」


 窓の下には私よりも苦しそうな人が大勢(おおぜい)見えます。可笑(おか)しいですよね。


 そう答えようか少し迷って、結局、首を()って視線を外す。


 空は急激に雲がかかり始めていた。ひと雨来そうだ。


 私がソファに座ると、胡桃坂は斜向(はすむ)かいに腰を下ろした。


「さて。調子はどう?」


 世間話のように胡桃坂が始める。


「別にどうも。普通です」


「つぐみちゃんの高校も、もうすぐ夏休みだよね」


「そう」


「どこかへ出かけたりするの?」


「どうかな。通学以外で私が外に出るの、親は嫌がるから」


 胡桃坂の表情が(くも)る。


「そっか」


「だから、積極的に外出したいとは思ってるけど」


 返答に困ったようで、軽く(うなず)くと胡桃坂は話題(わだい)を変えた。


「学校はどう? クラスメイトとはどんなお話をするの?」


「お話は知らないけど。ぶつかりおじさん探しが流行(はや)ってる」


「ぶつかりおじさん?」


「駅でわざとぶつかってくる、おじさん」


「ああ」


 ぶつかりおじさんは、最近問題になっている迷惑行為者(めいわくこういしゃ)だ。


 駅構内(えきこうない)で若い女性をターゲットにして、後ろから体当たりしそのまま逃げていく。


 抑圧(よくあつ)されたストレスの吐け口にしているのか、とにかく自分より弱そうな相手を選んで加害(かがい)する卑怯(ひきょう)さが大衆の嫌悪感(けんおかん)を誘い、世を(さわ)がせている存在だ。


 我が校の生徒たちは、学業の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、そういった、社会的に明確(めいかく)に悪と見做(みな)される(やから)を探し、動画を()り、SNSに(さら)し上げては、点数を付けあって遊んでいた。


「それはまた、ずいぶん危ない遊びだね?」感心しないな、と胡桃坂は(つぶや)く。


「かもね」


「SNSに上げるのも、よくないし」


「でも、こういうの、どっちもどっちっていうんじゃないの」


 分かりやすい弱者は標的(ひょうてき)にしやすいし、わかりやすい悪行は袋叩(ふくろだた)きにしやすい。


 ぶつかりおじさんも学生も、やっていることは同じ。フェアと言えなくもない。


「まさか、つぐみちゃん」


「SNSには興味ないので」


 胡桃坂がほっと息をつく。


「私より、先生の方が気をつけた方がいいんじゃないですか。こういうのは、私には関係ありませんけどねって顔してるやつからターゲットにされる」


ニュースで見ただけでも、新宿駅では今月二回は発生していた。「私ならそうする」


「そうね」あまりピンと来ていないのか、胡桃坂は続けて言う。「あまり危ないことしちゃ、だめよ。あなた自身を守るために」


「危ないことなんてしなくても、被害者は巻き込まれてる」


「それはそうだけどね。(やぶ)をつついて(へび)を出すっていうでしょう」


攻撃(こうげき)は最大の防御(ぼうぎょ)とも言うよね」


 そこで少し沈黙(ちんもく)が流れる。


 少し前に()り出した雨が、シャワー放水(ほうすい)のように窓を(あら)っていた。


 稲光(いなびかり)雷鳴(らいめい)がほぼ同時にやってきて、これは近いぞ、と嬉しくなる。


「それはそうと」気を取り直した胡桃坂が口を開く。「今でも見えている?」


「何がですか」私はわざととぼけて言った。


(◉Θ◉)oO ( 長くなってしまったので前後編に分けます。後半は本日中にUP予定です。

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