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中園の場合

アパートの一室でアラフィフの男が孤独死した。その男と縁があった4人の人々の述懐。

実家を護るのは弟だと思ってた。

少なくとも父はずっとそう言っていたし、母もそれを望んでた。

奴がFラン大学を2年浪人してようやく卒業した後、就職浪人の果てにおじさんの本屋に拾ってもらった時でも、それはまだ変わらなかったが、父ががんで倒れ、たった半年で死んだ後は、母の願いは「よしちゃんがちゃんと生きていけたらそれでいい」に変わっていた。

もちろん「えみちゃん、よろしくね」という呪文付きだ。


この呪文は、物心ついた頃から幾度となく私に浴びせかけられてきた。

「えみちゃんはお姉ちゃんでしょ」

「えみちゃんはしっかり者だから」

「えみちゃんが支えてやって」

「えみちゃんは大丈夫でしょ」

たかが一年違うだけ。

なのに、いつも面倒なことは私に押し付けられ、美味しいものはあいつに渡される。

もちろん、親たちはあいつに甘いだけじゃなかったとは思う。怒鳴り声は飛んでいたし躾と称した暴力も振るわれてたけど、それは親たちの無邪気な期待の裏返しで、私に飛ぶそれとは質が違ってた。

「これくらいえみちゃんならやれるでしょ?」

「えみちゃんならもっとちゃんとしてよ」

「えみちゃんまで私達に面倒かけないで」

私は親たちに捨て置かれていた。奴のことにはキンキン喧嘩する二人が私のことには興味がなかった。

だから家を出ることにした。

東京の大学に行きたいと言った時の二人の顔は今でも忘れられない。まるで路傍の石が急に喋りだしたのを唖然として見てるみたいな顔。一転して鬼のような形相と狂犬のような罵声で私のケイキョモードーを攻め始めた。

そんな二人を見るのは初めての経験で、聞いてる内に、ああ、私は間違ってたのかもと思いかけたその時、母が言った。

「よしちゃんはどうしたらいいの!」

ああ、それか、それがあなたたちの本音か。

サーッと冷めた。おかげで、考えを曲げず、罪悪感も持たず家を出ることに全力を注ぐことが出来るようになった。ここにいたら私はこいつらにとり殺されるだけだ。

その後、私と仲の良い東京のおばさんを巻き込んで交渉した。おばさんは大学の間の身元保証人になってくれ下宿もさせてくれることになり、それが決め手になって、私は無事あの家を出ることが出来た。もう二度とこの家に来ることもないだろう。もう二度と奴や親たちと会うことも無いだろうと思ったりしたが、実際にはその後も何度か会うことになり、挙げ句、戻ることはないと思ってた実家に自分の家族と住むことになった。

その後、東京で就職、恋人を作り、結婚して子供も生まれた。その間、実家に帰ったのは父の葬式の時だけ。

子供が年長の頃、何の因果か、夫が私の郷里にある支社に転勤となった。昇進込みなので栄転なのだが、ついていくべきかどうか。

夫は、私が郷里…というか実家を嫌ってることを知っているので独りで行くよと言ってくれるが、彼は娘を溺愛している。ちょっと可愛そうだ。

そんな折、奴から連絡があった。

父の死後、奴と母とで暮らしていたが、母が入院したらしい。

父の葬式の時以来に見た母の顔は別人のように老けていた。父と同じ病。私もがん保険に入らなくちゃなぁと思った。

「あの家、あなたに譲ろうかと思うの。」

唐突に母が言った。

「え?」

「今まで、親らしいことなにもしてあげられなかったから。」

何がなんだかわからなくなった。この人は何を言ってるのだろう。クドクドと語る言葉には聞き覚えがない優しそうな響きがあった。

「もらってくれる?」

「うん、わかった…。」

なんとなくほだされてそう答えた後、気がついた。そうか、奴をセットでってことだ。

奴が独りでまともに暮らせるわけがない。母が死んだら奴の世話をする者は居ない。でも、家を譲られたらそうはいかない。

程なくして母は亡くなり、私達家族は私の実家に引っ越した。もちろん居候付きで。

奴に向ける夫の曖昧な笑顔や娘の変なものを見るような目を見て、私自身は開き直っていた。わかった。母の望み通りにしてやろう。可能な限り奴と暮らしてやろう。でも奴に遠慮する気はない。言うべきことは言うし、やるべきことはやる。奴が私達家族の生活を邪魔するなら徹底的に叩き伏せてやる。私は父や母じゃない。奴を甘やかす義務はない。

が、私の決意は肩透かしを食った。

奴は、思いの外、夫とも娘とも仲良くなった。甘え上手というか、聞き上手と言うか、肝心な時はコミュ障なくせに、なんとなく仲良くなるのは早い。夫や娘の心の広さに付け入るのが上手いのだ。私はそれを見て、なんだかわからないイライラを感じるようになった。

それをぶつけたのは、娘が中学2年の時だった。志望校を決める話をしてる時、娘は芸術系の学校に行きたいと言い出した。正直、私は娘にその手の才能があるとは思えなかった。表現行為は好きみたいだけど、それに対してトコトン取り組んでいく様な強さはない。根性がなければモノにならない世界だと思っているからそう言って反対した時、奴は娘の肩を持って賛成し始めた。

怒りがこみ上げてきた。いつもいいとこ取りしてきた男が、いつも面倒から逃げてばかりいた男が、いつも周りに迷惑ばかりかけてた男が、いつも夢ばかり見て世間のことを微塵もわかろうとしてこなかった常識知らずの男が偉そうに!!

その時奴に言った言葉はあまり覚えてない。

次の日の朝、奴はアパートを見つけてくると、翌日には家を出てそこに引っ越してしまった。


半年後、奴から電話がかかってきた。近くに来てる、会いたいという。嫌だったけど近所のショッピングセンターのフードコートで待ち合わせした。

痩せていたが、思ったよりまともな格好だった。ホームレスになってると思ってた。それか死んでるか。でも違った。

今はニャホニャホマートとかいうお店で働いてるとか、自炊を始めたとか言っていた。変わらないモゴモゴした話し方。時々交じる笑顔を見る度心がざわつくのを感じた。ああ、私これを感じる度に怒鳴ってたんだ。

別れ際「今までごめんね」と殊勝なことを言った。それが最後に聞いた奴の声だった。


孤独死した死体はひどい有様になることが多いというが、冬で、暖房がかかっていなかったおかげで、数日経ったにしては辛うじて見られるくらいの遺体だった。

遺体を見つけてくれたのは敷地に暮らしている大家さんで、滞納している家賃を取り立てに行って発見したんだそうだ。滞納分と部屋の修繕費の請求書も渡された。


遺体を見ても実感がわかなかった。

本当に奴は死んだのだろうか。

葬式は家族葬の葬儀会館で密葬で済ませることにした。スマホの連絡先には数えるほどしか登録がなかったし、連絡してもピンときてなさそうな人ばかりで、直前まで働いてた職場に電話した時も事務的な受け答えをされただけだった。唯一人驚きと悲しみをあらわに参列してくれたのは田所という同級生だった。高校からの友達だという。大学卒業後も時々会っていたらしい。あんな奴の友達をしてくれるなんていい人だ。

遺影のための写真を探してると言ったら、最後にあった時の写真があるという。見せてもらうと例の笑顔。ちょっと困ったような、ひきったような。

実家のアルバムには腐るほど奴の写真があったが、どれも遺影には若すぎた。経巡っていくと、2・3歳の頃にはあの笑顔をみせていた。

あいつが生まれた時は嬉しかった。

そう、嬉しかったんだ。その頃はまだあの笑顔を可愛いと思ってたんだ。でも、その喜びは親たちにすり潰された。

親たちが私達を平等に扱ってくれてたら、あの笑顔を愛し続けることも出来たんだろうか?

田所くんの写真が一番マシな気がしたのでそれを使わせてもらうことにした。遺影を飾ったらようやくあいつが死んだ気がしてきた。


その後の最期のお別れ、火葬、拾骨まではあっという間に終わった。お骨はとりあえず奴のアパートに置くことにした。

いずれ親の入ってる墓に入れてやることになるだろうけど、なんとなく家に連れて帰るのが嫌だった。

アパートは散らかっていた。ゴミの山、本の山、でも、奴の部屋らしいと思った。だらしなくて。ここの方が安らげるんじゃないだろうか、あの家より。

ああそうか、あいつは、ここで、自由に生きてたんだ。たぶん、人生の中で初めて、親たちや、私から逃れて。でもだったら、あんたはもっと、もっと長生きするべきだった。

その時、ようやく涙が出た。


別れ際、田所くんが、なんかあったら言って下さいと言うので、明日、奴のアパートの掃除をすると言ったら手伝ってくれるという。ありがたい。

待ち合わせの約束をしてその日は別れた。

奴の大事な隠れ家だけど、いつまでも放っておくわけにいかない。ベッドの上で死んだらしいから部への被害は少ないらしいけど、あいつの大事にしてたものは大方処分することになるだろう。

残念だろうけど、諦めてもらおう。

この世は生きてる人間の都合で動いてるんだから。

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