金が尽きる前に
とにかく、最初の俺はH鋼に潰され死んだ。そして転生した俺は、この世界、リムの街で暮らすことになった。
転生した初日の晩、外で食事をした時、俺は女王からもらった金がどれくらいの価値があるのか分かった。
計算すると外食を続けても、食費だけを考えるならソウタと二人で、一ヶ月は持ちそうだった。
他にどんな費用がかかるのか、生活していく中でわかっていくだろう。
この部屋の家賃がかかるのか、光熱費がかかるのか、とか。
一ヶ月の食事が確保出来れば、その間に何か仕事も見つかるだろう。
ああ…… 成人式前に、いきなり就活か。
元の世界で大学を卒業することができなかったのは悔やまれるが、必要であればこの世界でも学ぶことは出来るはずだ。生きていくために先だつものが必要だ。
とにかく、まずは転生できたことに感謝しよう。
ソウタと俺の暮らしが始まり、数日過ぎた。
リムの街の様子も分かってきた。
Codeを見ることにも慣れてきた。
女王に頼まれた女性を探すこともしなければならない。
だが、その前に安定した収入が必要だ。
そう考えた俺は、喫茶店の面接を受けにいくことになった。
この世界にコーヒー豆はない。
いや、あるけれどこの世界の人間が発見していないだけ、ということも考えられるが、リムの街でコーヒーを飲む文化はなかった。
コーヒーはないが、茶葉はある。
お茶を飲む文化があるのだ。
茶葉は自分がいた世界と同じで、様々な発酵度合いと乾燥方法の違い、煎じてしまうものまで種別はほぼ同じだけ種類があった。
変わっているのは、飲み方が全て砂糖やハチミツを加えるなど、甘くして飲むことだった。
ものによってはミルクを加えることもする。
緑色のお茶が甘かったのは少々驚いたが、そういう文化なのだ。
喫茶店が女性に人気なのも元いた世界と同じだった。
俺は、そんな喫茶店で働こうと思っていた。
しかも、女性従業員の多い店。
意識はしていなかったが、大学デビューで出来なかったことを取り返そう、としていたようだ。
俺は店に入るなり、店員と店の客に奇異の目にさらされた。
原因はわかっている。
俺は後ろを振り向いた。
「ちょっと!」
俺は服の裾を引っ張ってついてまわる『ソウタ』に言った。
「なんでずっと俺の後ろをついてくるんですか!?」
「だって……」
「ついてくるのはいいとして、ずっと裾を引っ張ってなくても」
ソウタは『見かけ』は女性だ。毎朝、Codeを書き換えて、ゴシックロリータな娘になりすましている。
中身はおっさんなのに。
こうやって強く叱ると、俺が悪者のように思えてくる。
「いつもいつもそうじゃないですか」
「方向音痴なにょ」
店全体が『なにょ』に反応した。
笑顔と小さい笑い声が、そこらじゅうに広がった。
俺もつられて笑いそうに崩れそうな顔を、無理やり、しかめて言った。
「そうにせよ、です」
「アラタが一人で店から出ないなら、手を離してもいい」
「面接するんですから、店から出ませんよ」
裾を摘んだまま、ソウタが上目遣いに俺を見てくる。
「帰る時はまた掴んでいい?」
可愛げなその姿に、心が溶けそうになる。
だがこの見かけに騙されてはいけない。この娘は『おっさん』なのだ。
「ね?」
漫画なら、射抜かれたハートが描かれるだろう。
俺は慌ててそのハートから矢を抜き取り、傷口に絆創膏を貼る。
「分かりました」
俺たちのやりとりを見ていたのか、店の奥から、俺より身長が高い女性が近づいてくる。
俺を爪先から、頭のてっぺんまで舐めるように見た後、口を開いた。
「アラタさん。私が店長のリリー・エピカドです。採用面接、奥の部屋でやりますから」
店長は、他の店員と同じように髪を後ろでまとめ、エプロンをしていた。
年齢は、俺より一回り上、アラサーだろうか。
「分かりました」
俺はそう答えると、ソウタに言った。
「お金を渡しておくから、ここでお茶でも飲んで待ってて」
「うん」
ソウタはお金を受け取ると小さく頷いた。
奥で店長のリリーが扉を開けて手招きしている。
俺はそれに気づくと、店の奥へと進んで行った。
部屋に入り扉を閉めると、店長が言った。
「店の状況見たでしょ? うちは女性の店員しかいないの」
店員を募集している紙に、そんなことは一つも書かれていない。
だが、そう言うことか。表立って書けない裏のルールがあるのだ。俺は不採用を覚悟した。
「あなたが連れてきた娘なら採用できるかな」
「つまり、それは俺は不採用ということですか?」
別の仕事を探すか。俺は他の仕事のことを思い浮かべていた。
店長は、その点については答えない。
「何度か、店に来てたわよね。どうしてこんな状況なのを知っているに、ここで採用されると思ったの?」
「店に来ていたこと、覚えてくれていたんですか」
「いつもあの娘を連れてきているでしょ? 誰でも覚えるわよ」
それくらいソウタの格好は奇抜なのだ、と俺は思った。
元いた世界でもゴシックロリータを着た娘は、そうそう見かけるものではない。
俺自体を覚えたのではなく、ソウタの連れとして覚えられたわけだ。
「アラタさん、あなたも、今、店に連れてきている娘も『転生者』よね」
女王が言っていた。
転生者は数はいないものの、この世界の人間の間ではある程度認知されている。
「どうしてそれを」
店長は微笑んだ。
もしかしたら、ソウタが転生者であることは分かっていたが、俺がそうなのかは知らず、かまをかけられたのかもしれない。
俺はなんとなくそう思った。
「転生者なら、常識が違っていても仕方ないわね」
言葉が優しくなってきた。
「どうしてもここで仕事したいんでしょ?」
「ええ」
俺はのってみた。
「カフェの仕事をするのは初めてですが、頑張ります」
「それだけじゃダメね」
「人の倍働きますから」
いや、やったことがない仕事だ。本当に人の倍働けるかはわからない。あくまでアピールとしての表現だ。
店長は首を傾げながら、俺をじっと見た。
「私のいうことをきける?」
「もちろんです」
「じゃあ、手始めにこれから『買い出し』を手伝ってくれるかしら?」
何か店で使用する茶葉とか、食器類を買い出しに行くのだろうか。
俺はそう考えて、承諾した。
「じゃ、すぐ出かけるわよ」
「あの、俺は採用なんですか?」
「それを決めるためよ」
俺は頷いた。
これからこの世界で生活できるかどうかがかかっている。
店長の後について、裏口から店を出た。
裏口は細い路地につながっていて、右も左もわからない道だった。
まだ転生したてで、リムの街を熟知しているわけではない。
店長においていかれると、道を戻って店に戻れるかも怪しい。
裏の路地は狭く、曲がりくねっているため、気を緩めるとすぐに見えなくなる。
俺は彼女の動きを追い、ついていくので必死だった。
しばらくそうやって裏通りを歩くと、やっと大通りに出た。
今度は、人が多くて人混みを避けることが障がいになった。
一瞬、店長の姿を見失い、俺は立ち止まって周囲を探した。
「こっちよ」
呼ぶ声の方を見ると、彼女が手を振っていた。