三度も婚約破談になった侯爵令嬢の縁談相手は、六歳年下の伯爵令息でした。
三回。三回である。
――何がって?
侯爵令嬢である私、ユーフィミア・ハートランドの婚約が破談になった回数である。
一人目。十五歳の頃に婚約した伯爵家嫡男。
後に女癖が悪いと判明した上、なんと王太子の婚約者にまで手を出そうとしたため伯爵家を勘当。当然ながら相手側の有責で速やかに婚約破棄した。慰謝料も相応にたんまり戴いた。
二人目。十八歳の頃に婚約した侯爵家三男。
王女殿下の護衛騎士にまで抜擢されるほどの才気溢れる方だったが、それが仇となり王女殿下自らが彼を熱烈に所望。結果として私との婚約を解消して王女殿下を娶った。ちなみに示談金という名の慰謝料を王家と侯爵家の両方から委縮するくらい頂戴した。
三人目。二十二歳の頃に婚約した子爵家嫡男。
本来的には家格が釣り合わない相手だったが、私の年齢のこともあり成立したこの婚約。しかし数か月後に彼は年若いメイドと駆け落ちした。勿論、真っ青になった子爵家からは平身低頭の謝罪と慰謝料を受け取った。ちなみに彼らの行方は未だ不明のままだが、私個人としては見つからずに遠いどこかで幸せになって欲しいと思う。
――こうして思い返してみれば、私にきちんと求婚してくれたのは十年以上前に避暑地で懐かれた六歳の男の子くらいのもので、それ以降の人生といえば親に請われるまま婚約しては破談になることの繰り返しだった。
虚しい。とても虚しい。
そんな私も既に二十三歳と貴族令嬢としてはほぼ詰みの年齢である。
無駄に爵位が高いせいで下位貴族からは遠慮され、高位貴族の同年代の令息たちはほとんどが売約済み。
社交界では完全に行き遅れ扱い。おまけに全て相手側の有責とはいえ、三度も婚約破談したという事実だけみれば私自身が訳あり物件として見られるのも避けられない。
「……はぁ、もう、人生に疲れたわぁ」
自室でチクチクと贈る相手もいないハンカチに刺繍をしながら、私はポツリと呟いた。
既に真っ当な縁談は望めない。相手も訳ありか、どこかの後妻か、修道院か。その三択が頭の中をぐるぐると駆け巡る。個人的には修道院を希望したいところだが、両親はとても悲しむだろう。三度の破談にも責任を感じている彼らの手前、自分から修道院行きは言い出しづらい。
かといってこのまま未婚を貫く訳にもいかない。侯爵家を継ぐ兄は既に既婚で子持ち。小姑の私に居場所などない。状況が状況のため、兄も兄嫁も両親も痛いほど気遣ってくれるが、それだって限界はある。
「この際、愛とか恋とかはどうでもいい……人間的に真っ当ならそれだけで」
三度の破談は、私の女としての矜持を打ち砕くのにも十分な威力を持っていた。
誰からも望まれない、愛されない、選ばれない女。
それが私だ。事実だ。認めるしかない。
先日、藁にも縋る思いで出席した夜会で寄って来たのも手癖が悪いと評判の令息や、好色と噂される自分の父親と歳の近い男性くらいのものだった。現在の私の市場価値などその程度のものなのである。笑い話にもならない。
「はぁ~……誰か私に求婚してくれる人はいないかしら? ……いるわけないか、あはは」
そう天井を仰ぎながら虚ろな目でぼやいた、次の日。
「――ユーフィミア、お前に縁談が来た」
「ええっ!?」
お父様から告げられたのは、私が心から待ち望んでいた話題だった。思わず前のめりになる。
「お、お相手の方はどなたなのですか!?」
「クローバー伯爵家の御嫡男ヨシュア殿だ」
「……ああ、なるほど」
私はクローバー伯爵家という家門で瞬時に理解した。だから表情を平時に戻して淡々と返す。
「持参金目当てですわね」
クローバー伯爵家は十年ほど前に大凶作に見舞われた結果、多額の借金を負ったことで有名な貧乏伯爵家である。最近は回復傾向にあると噂されているが、訳あり物件である私に縁談が回ってくるということはまだまだ金策の必要があるのだろう。
三度の破談の結果として私が唯一得たもの――それは多額すぎる三回分の慰謝料だ。
行き遅れの侯爵令嬢を娶るのだから相応の持参金を期待するのは当然である。その上で三度の破談に対する我が家への慰謝料も社交界ではそれなりに有名な話なので、そこを当てにされている可能性は非常に高い。
やはり私自身を望まれたわけではないのだ。
分かってはいたが、ほんの僅かに胸の奥が軋む。
「ちなみに」
勝手に傷ついていた私を知ってか知らずか、お父様はやや言いづらそうに表情を歪めた。
「お相手のヨシュア様は今年成人を迎えたばかりの十七歳だ」
「っ!? じゅ、十七歳……ですか」
「そうだ。お前よりもだいぶ年若いが容姿端麗で非常に優秀な人物だと聞いている」
「それはまた……」
二十三歳である私との年齢差は六つ。その事実に思わず額を押さえて俯いてしまう。
クローバー伯爵家は借金のことさえなければ古くから王家に仕え領民からの支持も厚い優良な家門だ。そこの年若い嫡男との縁談など私にとっては紛れもなく良縁。
しかし相手からすれば行き遅れの年増を押し付けられる完全な貧乏くじである。
おまけに本人は容姿端麗で優秀となれば、相手も選びたい放題だっただろうに――
「……可哀想」
思わず本音が口から零れ落ちた。
だが幸いにもお父様の耳には届かなかったらしい。
「それでユーフィミア、どうする? お前が嫌なら断ってもいいんだぞ?」
三度の破談以降、お父様は私の意思を何よりも尊重しようとしてくれている。
しかし本音ではこの縁談を受けることを望んでいるだろう。私は微かに痛む頭を振り払うように顔を上げると、毅然とした態度でお父様に告げた。
「――その縁談、謹んでお受けしますわ」
その日のうちに我が家から使いの者を出した結果、次の日には婚約が成立した。……早すぎません?
しかし肝心の相手であるクローバー伯爵家のヨシュア様にはお会い出来ていなかった。
彼はまだ王立学院に所属している生徒である上、現在は領地経営を学ぶ一環で外国に短期留学中とのこと。それも数日中には戻って来るとのことで、今は彼の帰国待ちの状態である。
「それにしてもまだ学生だなんて……十七歳って本当に若いわよねぇ。私なんて五年前に卒業してるわよ?」
「……お嬢様、あまり年齢のことを気にされるべきではないかと」
私の髪を結う侍女に窘められ、思わず苦笑いが漏れる。今日はこれから王家主催の夜会があり、高位貴族は余程の理由がない限りは強制参加となっている。今はその準備中なのだが、愚痴のひとつも吐きたくなるというものだ。
「だって絶対に今日の夜会でヒソヒソされるわよ……金で年若いご令息を買った行き遅れの年増だってね」
「そんな事実はございません! お嬢様は望まれて伯爵家に嫁がれるのですから!」
「うーん、望まれてるのは私というよりは私の持参金なのよねぇ」
「お嬢様!」
咎める侍女の声を聞き流しながら私は鏡の中の自分を確認する。
映るのは二十三歳相応の女の姿だ。決して不美人とは言わないが、化粧をしてもやや地味めな顔立ち。髪の色も瞳の色も平凡な薄茶色。卑下するほど老けてはいないが、十代の令嬢たちと比べれば当然、若くはない。ついでに華やかさもない。残念なことに色気もあまりない。
「……まぁ、なるようにしかならないわよね」
いつの頃からか、期待することを止めていた。だって既に三回も裏切られているのだ。相手に何かを期待するのは怖い。
もし今度も何かの拍子に破談になったら?
そう考えるだけで本当は恐ろしさに身が竦んでしまいそうになる。自分には何の価値もないと思い知らされるのはもうたくさん。
それでも貴族家に生まれた以上は責任を果たさなければならない。だから今の私に出来ることはヨシュア様と無事に結婚して跡継ぎを生むこと。それ以外はヨシュア様を束縛したりしないし、邪魔にならないよう慎ましく生きていく覚悟もある。大丈夫。六つも年が離れているのだから、相手は旦那様というよりももはや弟みたいなもの。そう考えれば辛く当たられようが女として見られなかろうが傷つかない。
心身共にすり減った私が欲しいのは平穏のみ。だから何を言われても気にしないでいよう。
本当にそう思っていたのだが――
「ハートランド侯爵令嬢! ヨシュア様と婚約したというお話は本当ですの!?」
「……はい?」
会場に足を踏み入れるや否や、十代の貴族令嬢たちの群れにあっという間に人気のないテラスへと囲い込まれてしまった。こんな事態は初めてで流石の私も困惑を隠しきれないが、そこは腐っても侯爵令嬢歴二十三年。自分より年下の少女たちに無様な姿は見せられないと気をしっかり持って毅然と対応に当たる。
「私がクローバー伯爵家のヨシュア様と婚約したことは事実ですが、それが何か?」
「そ、そんな……!? どうして貴女みたいな行き遅れがヨシュア様と!」
「まったく釣り合っていませんわ!」
「どんな卑劣な手段でヨシュア様を篭絡なさったの! 答えなさいな!」
令嬢たちの剣幕に圧倒された私はしばし目を丸くすることしか出来なかった。しかし彼女たちの話を読み解くのならば、どうやらヨシュア様は令嬢たちから大層人気の令息であるらしい。
確かに縁談話と共に送られてきた姿絵はハッとするような黒髪金眼の美青年だった――ちなみにどこか見覚えのあるような気もした――が、まさかこれほど秋波を集める存在だとは思わなかった。
……しかしそれならそれで妙だ。これほど人気のある令息ならば、クローバー伯爵家の借金を肩代わりしてでも縁づきたい令嬢が出てきても不思議ではない。その証拠に私を囲む令嬢たちの中には裕福で知られる家の娘も数名、確認出来る。
「どうせ侯爵家の力で伯爵家を脅したんでしょう!?」
「我が家だって貴女の家と同等の持参金くらい用意出来るのに!」
「三度も婚約を破棄される貴女のような方のワガママを許しているハートランド侯爵家はもっと現状を恥じるべきですわ!」
「ヨシュア様もヨシュア様よ! いくら伯爵家が困窮しているからってこんな女を娶るだなんて……っ!」
「っ……いい加減、何とか言いなさいよこの年増!」
こちらが黙ったままなのに焦れたのか、令嬢の一人が私の肩をグッと掴んだ。
爪が食い込んで地味に痛い。だがここで怯むわけにはいかない。
私は肩に乗った令嬢の手をやや強引に振り払うと、背筋を伸ばして顎を引いた。
「……先ほどから聞くに堪えない言葉を吐いて、貴女たちこそ恥を知りなさい」
「な、なんですって!」
「私個人のことはともかく、我がハートランド侯爵家やクローバー伯爵家を侮辱するような発言は見過ごせません。正式な抗議文を送られたくなければ今すぐに撤回なさい」
私の発言に令嬢たちの何人かが動揺を露わにする。
そう、腐っても年増でも行き遅れでも私はれっきとした侯爵令嬢である。
社交界では散々な言われようだが、それはあくまでも噂話や陰口の範疇でのこと。こうして面と向かって喧嘩を売られるのであれば対処せざるを得ない。それが社交界のルールだから。
「……この場で発言を撤回し謝罪なさるのであれば不問としますが、どうしますか?」
その場が静まり返ってしまったため、私は敢えて逃げ道を用意して誘導を試みる。すると、
「も、申し訳……ございません……っ」
一人の気弱そうな令嬢が小さく謝罪を口にしたのを契機に、次々と他の令嬢たちも頭を下げ始めた。
しかし私と同じ高位貴族出身の令嬢はプライドが許さないのか忸怩たる表情でこちらを睨んでくる。はぁ、面倒臭い。私はこれ以上付き合う義理はないと思い、委縮する令嬢たちの横を通り抜けようとした。謝らなかった令嬢たちの顔は覚えたので、そちらには後ほど侯爵家経由で抗議文を送るとしよう。
「っお待ちなさい!」
しかし背後から金切り声と共に伸びてきた手に今度は二の腕を掴まれる。痛みに眉を顰めながら振り返り、抗議の声を上げようとしたところで――
「――何をしている」
底冷えするような男の声がテラスを制圧するように響いた。驚いて咄嗟に顔を声の方へと向けた私は、そこで黄金に輝く瞳に射抜かれる。綺麗だった。思わず見惚れてしまうほどに。
宵闇のような黒髪を持つその瞳の持ち主は、不意にこちらから視線を外すと私の腕を掴んでいた令嬢へと足早に近づき、彼女の手首を掴んで私の腕から外させた。その表情からは侮蔑の色がありありと読み取れ、それを真正面から浴びせられた令嬢は目尻に涙を浮かべながら震え上がっている。
「ヨ、ヨシュア様……」
悲鳴のような誰かの言葉で、彼が自分の婚約者となった青年なのだと改めて理解する。
確かに目を瞠る程の美丈夫だ。十七歳にしてはだいぶ大人びて見える。背が高く身体つきもガッシリしている影響もあるだろう。ただそこに立っているだけで存在感と威圧感がある。
しかし絵姿を見た時と同様、彼の顔を見ると不思議と既視感を覚えてしまい、そのことにも内心で動揺してしまう。
「……ユーフィミア様」
「っ……は、はい?」
だから唐突に名を呼ばれた結果、みっともなく声が上ずってしまった。淑女として恥ずかしいと反省しつつ、私は彼と向き合うべく姿勢を正す。すると私を見下ろしていた彼はその瞬間、今までの高圧的な雰囲気から一転して蕩けるような柔らかい笑みを浮かべた。
笑うと年相応に若く見えるな、と場違いなことを一瞬考える。
「お会いしたかったです、ユーフィミア様――僕の愛しいひと」
「っ!?!?」
そのまま流れるように膝をついた彼は、私の右手をそっと取ると恭しく口づけを落とす。瞬間、周囲から大小さまざまな悲鳴が上がった。
私は私でこちらを見上げながらうっとりと目を細める年下の美青年にどう対処したらいいか分からず固まってしまう。
……というか、なんでこんなにも好意的なの?
今までの婚約者もそれなりに丁寧な対応をしてくれたけれど、根本的に違う。彼らはこんな風に私を見つめたりはしなかった。
そう、こんな、どうしようもないほど愛おしいというような目は――
「ユーフィミア様、ここは冷えます。中に入りましょう」
「えっ、あ、……そ、そうですね」
彼はスッと立ち上がると私の腰に手を回して悠々と歩き始めた。ちなみに彼を呼び止めようと声を上げる周囲の令嬢たちの存在は完全に無視である。そして私は誘導されるがまま、彼のエスコートで夜会のメイン会場まで戻って来ることが出来た。室内の温かさに思わずホッと息を吐けば、頭上から労わるような声が降ってくる。
「……すみませんでした。助けるのが遅れてしまい」
「いえ、こちらこそ恥ずかしい姿をお見せしました。改めまして、ハートランド侯爵家のユーフィミアと申します。……ヨシュア様、とお呼びしても?」
「勿論です。本当はヨシュアと呼び捨てにしていただきたいのですが」
先ほどから笑顔を全く崩さないヨシュア様だが、とにかく距離が近い。背中側がほぼ密着している。そのおかげで物理的に温かいのは事実だが、いくらなんでも初対面の距離ではない。
「あの……近すぎませんか?」
「いいえ、まったく。テラスは寒かったでしょう? 遠慮なく僕で暖を取ってくださいね?」
明確な好意からくる発言のため非常に断りづらい。しかも相手は年下で婚約者だ。強くは出れない私は曖昧な笑みを浮かべながら、仕方なく話題を変える。
「……その、御留学先からお戻りになられていたのですね」
「ええ、つい先ほど。貴女が夜会に出席していると聞いて居ても立っても居られずにその足で駆け付けました」
「まぁ! それはお疲れでしょうに、私との顔合わせなら後日いくらでも――」
そんな私の言葉を遮るように、彼がこちらの耳元で甘く囁く。
「愛するひとに一秒でも早くお会いしたかったので。疲れなんて全く感じませんよ」
「あ、愛するって……っ」
何を言ってるんだこの子、と私は思わず背の高い彼を仰ぎ見る。すると彼は彼で私の瞳を覗き込むようにしながら、何故か凛々しい眉をへにょりと下げた。その表情の落差に思わず心臓を撃ち抜かれる。美形のしょんぼり顔ってこんなに可愛いものなのか。ちょっと反則すぎやしないか。
「……まだ、思い出していただけませんか?」
「どっ、どういう意味、ですか……?」
「だって約束しましたよね? 僕が成人したら貴女のお婿さんにしてくれるって」
私は思わず目を見開いた。その言葉には覚えがあった。
けれどあれはもう、十年以上前の――
「ヨ、シュア……? え、まさか、あのスペード家の……!?」
恐る恐る訊き返せば、彼は喉をくすぐられた猫のようにご満悦な表情を向けてくる。
それで確信した。私は彼を知っている。そう、あれは十年以上前のこと。
十二歳の私がとある避暑地にひと月ほど逗留していた折、そこで小さな男の子と出会った。
スペード男爵家のヨシュア――当時六歳の可愛いその少年は私にとても懐いてくれていた。
避暑地である男爵領に居る間、ヨシュアにせがまれるままに絵本を読んだり追いかけっこをしたり、時には川で水遊びなんかもしたっけ。懐かしい。ヨシュアは事あるごとに私と一緒に居たがって、お昼寝は勿論のこと男爵家に宿泊した際には夜も一緒のベッドで眠る程だった。私は私で弟が出来たようで嬉しくて、避暑地にいる間はヨシュアをとことん甘やかして可愛がった。
そんな私が男爵領を去る前日。
小さいヨシュアは泣きながら私に訴えたのだ――私のお婿さんになりたい、と。
私はその時、自分がこの可愛い男の子の初恋になったのだと少しばかり感動しながら、優しく諭すようにこう言った。
「『いいよ、貴方が成人しても気持ちが変わらなければね』――貴女は確かにそう言いましたよね?」
言った。確かに言った。認める。
でも、それは当然ながら本気じゃなくて……っ!
「成人するまでの間は本当に地獄のように長い日々でしたけど……ようやく捕まえた」
「ひゃっ!?」
唐突に、混乱する私の手を優しく引いたヨシュア。そのまま彼は私をダンスフロアまで連れて行くと、曲の開始に合わせて優美なステップを踏み始めた。私も長年の癖ですぐに身体が反応し、ヨシュアのリードを受けながら足を動かす。
曲が比較的優しいワルツだったのも幸いだったが、ヨシュアのリードもかなり上手い。身長差がそれなりにあるのに踊りやすいのは相手の力量によるものだ。あの小さいヨシュアがこんなに大きく立派になったと思うとそれはそれで感慨深いものがある。
そうやって曲に耳を傾けながら身体を動かしていると頭の中の混乱も少しずつ治まっていく。曲半ば、なんとか落ち着きを取り戻した私は小さく息を吐くと、次いで咎めるようにヨシュアへ視線を向けた。
「――昔はこんなに強引なことをする子じゃなかった筈だけれど?」
すると私の反応が意外だったのか、彼は僅かに瞠目した後で楽し気に口角を上げる。
「すみません。でも、こうするのが一番手っ取り早いので」
「手っ取り早いって何が?」
「僕たちが婚約者同士だってことを知らしめるのに、ですよ」
そう言って笑うヨシュアの顔には六歳の頃の面影が確かにあって。懐かしさに思わず目を細めれば、彼は彼で黄金の瞳をよりいっそう蕩けさせていく。まるで蜂蜜のように甘くて優しい色。あの頃と変わらない、私の可愛い小さなヨシュアのままだ。なんだか少し安心する。
そこでふと疑問が湧いた私はヨシュアの耳元に顔を近づけると内緒話を始める。
「でも貴方ってスペード男爵家の子じゃなかったかしら?」
「実は数年前にクローバー伯爵家の養子になりました。クローバーとスペードは遠縁なんですよ」
「貴方はとても優秀だって聞いたわ。それで伯爵家の養子にと請われたの?」
「それもありますけど……僕も望んで縁組して貰いました」
「どうして?」
「貴女に求婚出来る爵位が欲しかったからです」
耳元でくすりと笑われて思わず息を呑んだ。先ほどの安堵から一転して顔が熱くなっているのが自分でも分かる。
まさかそんなにも昔から本気で私自身を望まれることがあるなんて、予想外過ぎて。未だに信じられない。なのにヨシュアの言動ひとつひとつが私にこれでもかと伝えてくるのだ。彼の本気を。その熱意を。
「わ、私との縁談は……持参金目当てじゃないの?」
悪あがきのようにそう問えば、ヨシュアがそれすらも見透かすように金の瞳を細める。
「六歳の頃から、僕は貴女以外と結婚する気はありませんでした」
「っ……!」
「だから出来ることは全部やりました。けど年齢だけはどうしようもなくて、貴女をここまで待たせてしまったことは謝ります。でも、その分これからは僕が必ず幸せにしますから」
「ヨ、ヨシュア……っ」
「――愛しています、ユーフィミア様」
そんな睦言を耳に流し込まれながら、一曲目が終わる。しかしヨシュアは私の腰に手を回し指先を拘束したまま、嫣然と微笑んで見せた。
「最低でも三曲、付き合ってくださいね?」
三曲続けて踊れば、それは婚姻前提の関係だと周知するも同じこと。
とても十七歳とは思えない彼の色気に当てられて頭がクラクラする。それでも私の身体は曲に反応し、二曲目も三曲目も無事に踊り切ってしまった。ただ体力だけは如何ともしがたく、三曲目が終わると同時に私はヨシュアの胸に身体を預ける形で息を調える。情けない。
「ユーフィミア様、大丈夫ですか?」
「ええ……でも、もういいわよね? 流石に疲れたわ」
「はい。ここからは何もしなくて良いですよ。僕が勝手にしますので」
「うん……うん?」
その不穏な響きに顔を上げようとした私だったが、相手の動きの方が早かった。
ヨシュアは私を軽々と抱き上げると、周囲の目など関係なしとばかりに私の唇に自分のそれを重ねる。
時間にしたら数秒もなかった筈だ。だが確実に多くの人間がそれを目撃したのが空気で分かった。
あまりの事態に何の抵抗も出来ずに固まった私へ、ヨシュアが心底嬉しそうに目じりを下げる。
「これでもう、貴女にも僕にも縁談なんて来ませんよね?」
まさかの狙いに驚きすぎて声も出ない。そこへ彼はさらに追い打ちをかけるように囁く。
「本当は貴女の歴代の婚約者たちが羨ましくて妬ましくて仕方がなかった。でも、全部破談にしたし、もうこれから先は僕だけのユーフィミア様ですから……その事実だけで、我慢しますね」
その声と表情から滲み出る独占欲が、私の内側を焼き尽くすように全身に広がっていく。
正直、嬉しいと思ってしまった。相手は六歳も年下の男の子なのに。胸の高鳴りが止まらない。もう二十三歳なのに十代の令嬢みたいに感情が表に出てしまって、それが恥ずかしくて堪らない。
きっとこの子だけは、私を一番に選んでくれる。愛してくれる。求めてくれる。
その事実だけで――絆されるには十分だった。
かくして色んな意味で逃げ場を失った私はとにかく何かに縋りたくて、ヨシュアの首に腕を回すとぎゅっと抱きついた。そして小さな声で「もう帰りたい……」と子供のように強請ってしまう。
私の方が大人なのだから、本当はヨシュアの暴挙を叱って自分の足で歩いて会場を退出すべきなのに。
もうそんな当たり前の対応が不可能なほどに、私の精神はいっぱいいっぱいだった。
すると彼は私を抱きしめる腕の力を強めながら「ええ、一緒に帰りましょう。僕たちの家に」と笑う。そして未だに顔を上げられない私の耳の縁に再び唇を落としたのだった。
ちなみに私がハートランド侯爵家に帰り着いたのは、夜会から三日後のことだった。
【了】
お読みいただき、誠にありがとうございました!
2023年最後の更新となりましたが、少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします!