依頼「妻の仇を取ってくれ」
「妻を殺した魔獣を殺してほしい」
朝飯の最中、じいさんはそう言ってきた。
ああ、あんたはそう決めたのか、と俺は理解した。
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「そういえばあんた何か仕事はしているのかい?
嫌なら答えなくても良いんだけどね」
昨日の晩、
葡萄を食べ終わる少し前にじいさんは聞いてきた。
まあさすがに気になるよな。
こんななりだし、今までが優しすぎたくらいだ…
俺は、特に隠すことなく自分の仕事を打ち明けた。
「復讐代行ってやつですね」
「復讐…代行?」
聞いたことないよなそりゃ。俺も知らなかった。
「はい。簡単に言うと、人の何かに対する負の感情、
つまり復讐心を請け負って、晴らす仕事です」
「……………」
「…それは……なんでも出来るのかい?」
じいさんの纏っていた穏和で包まれるような空気が、
一気に張り詰めた気がした。
「はい、依頼されたことは何でも。嘘でなければ」
「じゃあ…………」
それ以上は何も言われない。
俺たちは食卓上の葡萄に一切手をつけることなく、
数分間黙ったままだった。
「じいさん?」
さすがに長かったから聞いてみる。
「あ、すまない。何でもない。
聞かなかったことにしてくれ」
ああ。よく見るものだ。
復讐代行という職業があると聞いて、
自分の中で一度解決したはずの感情が
沸き上がったんだろう。
それは人間のもっとも深く重い感情。
言わずもがな復讐心だ。
奥さんが亡くなって五年。しかも老衰ではない。
他人からすれば、五年は長いと感じることが多いだろう。
じいさんも自分にそう言い聞かせて、
この存在してはならないと思わなければいけない感情を、
人間の道徳や倫理観によって蓋がされるこの感情を、
自分の中で抑えて、乗り越えたと思っていたんだろう。
いいんだよじいさん。五年はあまりに短すぎる。
こんな歳月であんたが負った傷が癒えるはずがない。
「二階に客用の部屋があるんだ。
今日はそこを使ってくれ。
明日は朝飯を準備するよ」
葡萄を片付けながらじいさんは言った。
結局さっきの話を振り返ることもなく。
「何から何までありがとうございます」
「いいよいいよ。話聞いてくれてありがとうな」
そう言いながらもどこか考え込んでいる様子だったが、
俺は見て見ぬふりをした。
復讐は誰かに強制されてするものじゃない。
悪く言ってしまえば、自分の中で渦巻き続けるものを
解放するための行動。
誰かのためだと言ってしまえば聞こえは良いが、
結局は自分のためだ。
だが、それでいいと俺は考えている。
復讐心は表裏一体。
原動力であり、生き方を狭めてしまう枷でもある。
それを超えて生活した先を、
見るか見ないかは依頼者次第。
俺が何か言えたものじゃない。
俺は、誰かが誰かに復讐しようと決めた先に立つ
唯一手助けすることのみが許された存在。
俺は今、待つことしかできない。
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「分かりました」
俺はじいさんの依頼にただそう答えた。
「…………」
「じゃあこの制約を読んでもらえますか?」
俺は自身の影から制約書 兼 誓約書を取り出し渡した。
おそるおそる、そして長い時間をかけてじいさんは
それを読んだあと
「……この嘘っていうのは」
そう心配そうに聞いてきた。
「ああ、たまに自分が悪いのに相手を悪にして
善人を殺そうとするやからがいるんですよ。
そういうときのためのものです」
「じゃあこの大切なものっていうのはいったい…」
「文字通り大切なものですよ。人によるんです。
俺にも何を受け取るかは分かりません」
俺は嘘をついた。
「分からないものを何で……」
「それが仕事ですし、執行人の魔法なんです」
「そうか…ではあとは頼む…妻の仇を取ってくれ」
それ以上、じいさんが俺に何か聞くことはなかった。
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じいさんが制約書へのサインを終え、
俺は集落西の森へと入る。
五年前じいさんの奥さんは山菜を取りにここへ入った時、
不運にも魔獣"ガズー"に殺されてしまったようだ。
ガズーは、家畜用馬の二倍程の体格で
額には一本の角がある肉食の魔獣だ。
幼体でも人間の大きさをすぐに超え、
普通の人間が襲われたらひとたまりもないだろう。
集落が土塀で囲まれていたのはそのためらしい。
まあ、それでどうにかなる相手でもないが。
三十分ほど辺りを歩くと、
ガズーのすみかである洞窟を発見した。
こりゃ相当集落から近いな。
俺の気配を察知したのか、
すぐに中からぞろぞろと奴らは出てきた。
幼体含めて六体…だいぶ多いが、まあなんとかなる。
俺は、自身の影から剣を取り出した。
躊躇する必要はない。
一度人間の味を知ってしまった獣は
人間を襲いやすくなる。
魔獣は存在すること自体不道理な生き物なのだから。
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始末するのにそれほど時間はかからなかった。
辺りには赤く染まった樹木と
輪切りの肉塊が散らばるのみ。
他の生き物の糧となって消える。
それでいい。
それが魔獣の今の存在意義だろう?
他にも用があったので俺は洞窟の中へと進む。
「あ、あった」
指輪だ。
魔獣は獲物をすみかに持ち帰り喰らうが、
金属類は消化することが出来ないため口にしない。
辺りには他にも
人間のものと思われる小物が散らばっていた。
一応持ってくか。
洞窟をあとにして外へ出ると、
小動物たちが先程までガズーだった肉を喰らっている。
まだまだ日差しが垂直に差すなか、
俺は集落への帰路についた。
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「ありがとう…本当に…本当にありがとう…」
じいさんは持って帰ってきた指輪を手渡すと
暫くの間、声を洩らしながら泣いた。
四十年前、
帝国領で奥さんと一緒に買ったというその指輪は
今でもじいさんの薬指に光っている。
集落では他に、昨日奇怪な目で俺を見てきた
住民たちも俺の帰りを待っていたらしい。
ガズーによって家族を殺されたのは
じいさんだけではなかったようだ。
念のため持ってきたいくつかの小物を見せると
泣きながら俺に感謝してくる者もいた。
誓約書を書かせず、
依頼を行ってしまったのは失敗だったが、
じいさんの優しさに免じて今回は何も受け取らない。
「仕事ですから…色々お世話になりました。
本当に感謝しています。また何かご縁があれば」
本当にお世話になった。
しかし、あまり長くここにいることは出来ない。
俺は交わす言葉もほどほどに、
集落に背を向けて歩き始めた。
「あ、あんた」
「?…はい?」
じいさんが最後に声をかけてきた。
「依頼を解決してくれたんだ。
大切なものっていうのはいったい何を……」
「ああ…それはもういただきましたよ」
「そ、そうなのかい」
じいさんはびっくりしていた。
まあ仕方がないだろう。
それが俺の執行人の魔法だ。
「では改めて、失礼します」
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元いた山道へと戻ってきた。
今回はしっかり対価として
復讐心をもらうことが出来た。
次はどこへ行くか……あ!
そういえばじいさんが、ここから東の沿海部に
凍らない港町があると言っていたな。
行ってみるか、ニスヴェールへ。
数ある作品の中から選んでいただき、読んでいただいて
ありがとうございます。
これからの為に、どんなに低い点でも良いので
評価していただけるとありがたいです。