邂逅
――
――確かに私は龍脈が流れていない。だから寒さを感じるし、背は伸びないし、人に優しくなれない。
しかし、龍脈を持たないわけではない。私はリュウジュの子だ。他の人と同じくリュウジュの血を受け継いでいると、確信を持って言い切れる。ただ、龍脈のエネルギーが体内で上手く機能していないだけ。母なる巨竜の寵愛を受けられなかっただけだ。
ただ、親に愛されなかっただけ。
ともあれ、ソウナギは龍駅に着いた。
通りすがる人に指を差されて「こいつバルバイだー!」と叫ばれることはなかった。仮に今正体がバレるならとっくの昔にバレているはずだ。それに、彼女は実際にバルバイではない。
このまま龍車に乗って左心房に向かい、編集局を尋ねて原稿を届ける。それまで自分の正体を隠し通せれば問題はない。
構内の時計を見る。それもリュウジュの肉体の一部で、長針が動脈、短針が静脈の色をしている。ようやく正午に差しかかろうという時刻だ。締め切りの午後5時まで猶予はたっぷりと残されている。
しかしソウナギは、愕然とする羽目になった。
「え、左心房行きの列車、出てないんれすか?」
せっかくだからと駅地下で注文したいちごクレープを落としそうになった。駅弁を平らげた次に注文した、期間限定商品。
「はい、右後肢に潜伏しているバルバイを封じ込めるために運行を停止するようと、政務官様からお達しがありました」
窓口にいる若い女性の駅員がさらりと答える。駅内にはソウナギと同じく龍車を利用したかった人々で溢れているが、ソウナギと同じ説明を聞いて、「バルバイ捜しならしょうがない」とすんなり納得している。
「でも、ずっとってわけじゃないですよ。政務官の人達が龍紋の有無を探知できる特別な装置を龍車に設置して、バルバイの人が使えないようにするらしいです。その装置を取り付けたらまた元通り運行が開催されますよ」
「それは、いちゅまれれすきゃ」
「え? ごめんなさい、もう一度言ってくれますか?」
「……」
ソウナギは悲しくなった。
「……それは、いつまれ、まで、ですか」
「ああ、いつまで……。遅くとも1週間以内に終わると言っていました」
「1しゅう、かん……」
こめかみのあたりが殴られたように痛む。
――間に合わない。
「ああでも、緊急の用がある方は、政務官から認可を受ければ利用可能になります。これも龍紋を用いた認証を行うとか言っていました。ただいま丁度、駅長室に政務官代表様がいらっしゃるので、そちらまで案内しましょうか?」
「……!」
龍駅は既に政務官が抑えている。招集の時から懸念していたことだが、現実はいつだって限りなく最悪の方向に傾くものだと思い知る。
「いえ、緊急ではないので……失礼します」
慌てて去ろうとすると、
「あ、ちょっと待ってください」
脈絡もなく呼び止められる。
ソウナギは静かに焦る。何か怪しまれる態度をとったか。……とっていたような気もすりゅ。する。
いや、原因はどうでもいい。とにかく切り抜けなければ。事が大きくなれば政務官たちに私の存在が勘づかれる。
いざとなったら、『あれ』を差し出してでも切り抜けなければならない。
ソウナギはコートの内側に手を忍ばせる。
――駅員はにっこりとほほ笑んで言った。
「お客様、お口にクリームがついてますよ」
「……どうも」
大丈夫のようだ。ソウナギはさっと口元をぬぐい、一礼だけして構内を出ようとする。
――受付口を出て改札の前から離れようとしたとき。
カン、カン、と磁器質のタイルを何か硬いもので打ち付ける音がする。
槍の石突と、杖が床を打ち付ける音だ。
――政務官と龍警団。
普段なら、持ち前の警戒心で接近の前に気づくことができた。少し考えれば、ここに政務官が集まっていることくらいわかっていたはずだ。だが、色々な不幸が重なり、気が動転していた。無策で敵の根城に潜りこんでしまったようなものだ。
「あっ、政務官代表様。お出かけですか」
一等政務官代表――ナルロス・ヒュジ。腰の曲がった老人と侮るなかれ。この老人が一等政務官という立場に至るまでにどれだけの修羅場を乗り越えて来たのか、その瞳の色の陰険さと、遠目では皺に見えていた無数の切り傷から察することができる。
べちゃ。
全身が硬直して動けなくなり、クレープが手から滑り落ちた。薄ピンクのクリームがタイルの床に弾け散り、飛沫がソウナギのブーツにもいくつか付着する。
「おや」
老人は潰れたクレープを一瞥する。そして杖でタイルを打ち付けながら、ゆっくりとソウナギに近づいてくる。腰の曲がった老人の背は、ソウナギよりは低かった。だのに彼女は動けない。足が震えている。まるで凍ったようだ。龍警団が老人の背後から迫ってくる。
政務官代表はしかとソウナギに目を合わせると、好々爺のように微笑んだ。
「これで新しいのを買いなさい」
ソウナギの手に一枚の硬貨が与えられた。彼女は老人の手の感触を意識する。自分のそれより一回り大きく、それでいて硬く、皺ばみ、乾いている。それはリュウジュの身体に似ていた。
「……」
この老人が何を考えているのか、ソウナギにはわからない。何か言わなければならないように思えたが、何も言わない方が良いかもしれないようにも思えた。
「さて、いくぞお前たち」
老人は身を翻し、自身の何倍の膂力を持ちそうな龍警団の群れを連れて龍駅を後にする。数人の龍警団の背後を見送って、ようやくソウナギは脱力した。反対に窓口の駅員ははしゃいでいた。
「み、見ましたお客さん!? あれが政務官代表様……かっこい~~~!」
あの老人の引き連れる龍警団の中に、ソウナギの探し求めるあの男はいなかった。
「しかし……どうしようか」
あれから特に怪しまれずに駅の外に出ることができた。バルバイ探しが始まったと言っても、皆が皆躍起になっているわけではない。こればかりは彼らの楽観主義に助けられた。
ちなみにあの老人からもらったお金で新しいクレープは買った。キャラメル味。
外の風は冷たく、街路樹の葉を枯らす力を持っている。それでも、行きかう人間は寒さとは無縁そうで、みな人畜無害な笑顔を浮かべている。ここに私の居場所はない、とソウナギは感じた。
あてもなく歩いていると、鉄棒とブランコがそれぞれ一つづつあるだけの小さな公園を見つけた。ソウナギはふらふらと立ち寄り、ブランコに腰かけた。彼女のほかは誰もいない。ブランコの鎖が錆びており、ソウナギの手に嫌な臭いをすりつける。
編集局まで行く方法は途絶えた。龍車は右後肢のような僻地では唯一と言ってもいいほどの交通手段である。自動龍車のような高級品を所持している人はこの町にはいない。
「なら、歩いて……」
と考えて、ソウナギは即座にぶんぶんと首を振る。それも無理だ。ここから左心室まで徒歩で行くとしたら、甘く見積もっても8時間はかかるだろう。ひ弱な彼女の足でその距離を歩くには、あまりにも長すぎる。
……だけど。
ソウナギは考える。少女一人見逃せないほどの完璧な包囲網がしかれているだろうか。それに、他の町の龍車もこの町同様に止まっているだろうか。1、2時間歩いた先にある町でも、同じように龍車を停止させているとは考えにくい。いくら政務局でもリュウジュ全体の交通を麻痺させるのは厳しいだろう。どうにか奴らの目を盗んで、この町から脱出することができれば、途中で龍車の運行している区域を見つけ、そこから出版局まで行くことができるかもしれない。
「いや、ダメだ」
むしろ、その方が危ないだろう。バルバイとしては、潜伏していることがバレてしまったこの町からは一刻も早く脱出したいはずだ。しかし龍車は既に奴らの手中に抑えられている。となるとこそこそ監視の目を縫って抜け出すしかない。――当然、政務官側が対策しないはずがない。なんなら町の外側は内側以上に厳重な監視が敷かれていてもおかしくない。あの集会を行った時点で、バルバイを逃がさないようにするための準備は万端と表明しているようなものだ。
落ち着け、考えろ。頭を動かせ。燃費の悪いこの脳味噌は、ドーナツとクレープの糖分くらいはすぐに使い切ってしまう。
足で地を蹴り、ブランコを漕ぐ。体が揺れる。世界が揺れる。風を頬に感じる。うすら寒い。
政務局はこの町に潜むバルバイを捕らえるために動いた。それは事実だろう。だが、本当の目的は、この私を捕らえることだ。それがソウナギの結論だった。今まで彼らに何度も命を追われてきた経験が、根拠としては充分すぎた。
彼女は知っている。龍脈を持たない自分が、政務局にとってどれほど都合が悪い人間なのかを。それも、巷を騒がしているバルバイよりも、よっぽど厄介で忌むべき存在だと。
リュウジュの子でありながら、龍脈が機能しない不出来な人間の存在。それは、リュウジュの力が衰え、肉体が死に向かっていることを示す何よりの証拠になる。
あの駅内で自分を捕らえなかったのは、人目につくところだと何か不都合があったのか、希望を与えて摘み取るような下衆な真似でもしたいのか、とにかく運がよかったことだけは確かだ。
――リュウジュが死ねば、龍脈エネルギーは枯渇し、この町は死ぬ。
この町の人間たちは、悲しみを知らない。孤独を知らない。痛みを知らない。冬の寒さを知らない。それに何より、空腹を知らない。
別に、彼らに自分のような苦しみを知って欲しいとは思っていない。ただ、彼女は自分の苦しみには意味があるんだと、己を肯定したいだけだ。
――。
「見つけたミャ」