龍警団
「招集終わりぃぃぃぃぃい!!!」
腰の曲がった老人が快晴に快哉を響かせる。
その老人は右手にベルを携えている。非金属的で生々しい、生物の喉仏のような素材できているベルだ。『リュウジュの喉仏』と呼ばれ、これが『龍の咆哮』を引き起こした。
右後肢内で随一の大きさを誇る中央広場は『龍の咆哮』に共鳴した人間でひしめいている。彼らの視線が集まる中央の壇上は、祭事には祭壇にも用いられる右後肢の要地。
老人の後ろには黒い軍服をまとった集団が控えている。襟に留めてある銀の徽章の光が、彼らが『左心房』の中枢組織であり、リュウジュ全体を統制する政務官の一員であることを主張している。さらにその背後には、目深なフードで面を隠した武装集団がいる。
「ひい、ふう、みい……よし、たくさんいるな! 只今からこの一等政務官代表ナルロス・ヒュジが、貴様ら『右後肢』の民に大事な話をする。謹んで拝聴するように!」
――政務局。
リュウジュの心臓という小国家がリュウジュの心臓と呼ばれる由縁は、町の中枢にリュウジュの『心臓』があり、そこから龍脈が流れているからだ。言ってしまえば町それ自体がリュウジュの血肉であり、ここで暮らす人間はリュウジュの龍脈エネルギーを享受することで生きている。
その『心臓』を管理する人間が、左心房の政務局。
「政務官代表ってあの……市民のためにすごく頑張ってるとかいうあの!」
「後ろにお控えしているのは龍警団じゃないか!?」
「政務官がこんな辺地に来てくださるなんて!」
「でも、何の用で……?」
「よくわからんけど、きっと大変なことが起こったんじゃろう……」
彼らが具体的に何しているかは『右後肢』のような辺地の市民は知る由もんないが、彼ら政務官のおかげで自分たちの生活が穏やかに続いていることはそれとなく理解している。
市民は既に洗脳状態からは解けている。しかし、この場から逃げようとする者は誰もいない。それどころか、壇上に立つ人々をこの目で見ようと目を光らせている有様だ。
「どいて、ちょっと……くっ……!」
ソウナギは人の波に押されながらも、中央広場に押し入った。体が小さいからあやうく押しつぶされそうになったが、小さいおかげでうまく隙間を縫うことができた。なお、吐瀉物で汚れた口元はひっそりと公園の水道で洗い落とした。
中央広場に集まっているリュウジュの人間は老若男女問わずにまちまちだが、皆ソウナギと違って健康そうで、中には半袖半ズボンの者もいる。
そこにソウナギが混じっている形になるが、背伸びしても前がほとんど見えない程の細見が幸いしてか、壇上の政務官に気づかれた様子はない。彼らに気づかれると面倒くさいことになるが、そのリスクを加味しても彼らに接近する機会を見逃すわけにはいかない。
「静まれ! さっそく本題に入る。我々政務局はこの『右後肢』にバルバイが潜んでいるという情報を掴んだ! ゆえに、我ら政務官及び龍警団がこの辺境に参ったのだ!」
「なんと、バルバイが!」
「バルバイって何のことだっけ……」
「知らないのかお前、リュウジュの外にいる人間のことだ。何でもリュウジュのエネルギーなしで生活してるらしいぞ」
「おいおい、リュウジュの力なしで生きているとか狂ってるな」
「でも、リュウジュの外にいる人間とか、一目見てみたい」
「馬鹿言え、政務局の方々が言うには、リュウジュの外の人間は動物を喰らうって話だぞ。きっと野蛮な連中に決まってる」
「第一、龍脈を持ってないってことは、何もしなくても健康に生きられないことでしょ? きっと頭が悪くて体も弱いに違いないわ」
「よくわからんけど、きっと恐ろしい奴らなんじゃろう……」
市民の反応はまちまちだが、檻に捕らえられた動物を遠くから眺めるような態度は共通している
「でも、実際会ってみたらいい人かもしれないぞ」
「確かに。龍脈がないとはいえ、一応私たちと同じ人間なのでしょうし」
とはいえ、息をするだけで龍脈という幸福を摂取できる彼らにとって、幸福のかなたにある世界を想像するなど、不可能に近い。一度も城から出たことのない箱入り娘が貧民の生活を想像しようとするようなものだ。
そんな市民の有様を見て、政務官ナルロスは苛立たしそうに叫ぶ。
「たわけ! 奴らはそんな生易しい存在ではないわ! これだから平和ボケした連中は……よし、アメノ! 我らの深奥にして光輝ある歴史と、バルバイがいかに陋劣な存在かを説明せい!」
「……了解した」
そうして老人は、龍警団の一人を前に立たせる。
その瞬間、空気が変わった。
その男はいかにも武人といった出で立ちで、大きな傷が右眼に刻まれている。口元まで覆うマスクと目深に被った蛇柄のフードのせいで顔のほとんどが隠されているが、わずかに露出する暗い双眸からは、蛇を思わせる威容があった。背中に拵えてある白銀の戦斧は、上背の広い彼をして小さく見えさせる全長の幅を有している。
加えて、襟に付けられた徽章は、銀色を基調とする他の龍警団のそれとは異なり、金箔で塗装された龍の爪痕の徽章が掲げられている。
「おい、あの金の徽章……筆頭龍警団のアメノ様だぞ!」
「今まで何人ものバルバイをご自身のお持ちする『龍神斧』で葬ってきたって噂だぞ!」
「あの英雄をこの目で直接見える日が来るとは……今日ですべて終わってもいい……」
「きゃー! こっち向いて―!」
「遠くてよく見えんけど、イケメンじゃのう……」
ただ、空気はそんなに変わってなかった。
一方、猛烈に反応する者が一人。
「……っ!」
ソウナギは壇上の下からその男を睨む。そこには畏怖、嫌悪、憤懣、赫怒、あるいは憎しみの感情が乗っている。
筆頭龍警団アメノはソウナギの思いなど知る由もなく、静かな口調で語り始める。
「……かつてリュウジュという白銀の巨竜がいた。その瞳は千里を見通り、その大翼は1000夜の飛行を可能にした。そして、その白銀の鱗は炎をまとい、口腔からは絶対零度の吐息を吐いた。神話の時代には理想郷の霊峰にも例えられたかの白竜は、その強大な力を持って、全ての生物から畏れられ、敬われていた。だが、愚かにも、バルバイの民と名乗った人間の民族が白銀の巨竜を討伐すべく挙兵した。無論、強大な白竜は幾多ものバルバイを葬ったが、奴らは諦めなかった。挙兵時の兵は皆倒れ、王も往生を遂げたが、それでも奴らは諦めなかった。幾星霜を経て、ついにリュウジュはバルバイに敗北した。白竜にとどめを刺したのは、時の勇者と呼ばれた者だけが帯刀することができた深紅の剣だ。しかし、時の勇者は白銀の巨竜を完全に弑するには至らなかった。リュウジュの心臓は煌煌と燃え続ける不死の心臓。いくら金の宝剣で切りつけようと、銀の槌で叩きつけようと、地獄の業火で熱しようと、氷獄の氷塊で凍らせようと、白竜の心臓が止まることはなかった。肉体の全て――瞳、爪、舌、歯、鱗、骨、臓器――を灰燼に帰そうとも、心臓だけは完璧な生命の形を保って動きつづけた」
彼の口から語られるのは、『リュウジュの心臓』という小国家創生の歴史だ。
時に親が子にする子守歌、時に出版局の企画する演劇や書物、時にリュウジュの肉体を練り歩く吟遊詩人によって伝えられるような、太古から継がれし御伽噺。リュウジュの民は息をのんで傾聴する。
「ゆえに、時の勇者は白竜の息の根を止めることは諦め、永遠の封印を施すことにした。封印する土地は、再生のための栄養がない不毛の土地であることと、人間が踏査したことのない辺地の秘境が好ましかった。リュウジュの封印を解く者が現れないように、だ。そして、かの勇者は人生の一生を費やした長い長い旅路の果て、ついにその地を見つけた。その地は1年を通して極寒と灼熱が立ち替わり訪れ、動物はおろか、植物すら根付かないこと死滅の荒地だった」
「でも……今俺たちはここにいるじゃないですか」
誰かが口を挟んだ。アメノはその者を冷たく睨んだが、すぐに続ける。
「……その通り。我々は今この地にいる上、草木も生えている。その上、極寒も灼熱も和らいだ。仮に昔と同じだったとて対して我らの身を害さないがな。……そこの貴様、何故だと思う?」
突然アメノは壇上の下で聞き入っていた一人を指さした。
「わしか? ふむ……、よくわからんけど……なんもわからんのう……」
「……」
アメノは人選を間違えたことを悟った。
「そこの貴様、何故だと思う?」
なかったことにした。
新たに指名されたのは、『俺のドーナツ』の店主だった。
「……俺か?」
「そうだ、貴様だ」
アメノの蛇のような眼光は何も冗談を言ってはいない。店主はおずおずと答える。
「……かのリュウジュが俺たち人間にやられた行いを赦し、俺達の祖先を産んでくださったからだ」
その答えはリュウジュの市民の常識であり、それが常識であると彼ら政務局の人間に「教育」されてきた賜物である。
「その通りだ。この地で生きる貴様ら人間は皆、リュウジュの子孫だ。勇者の没後、リュウジュは深いマグマ溜まりの奥底で少しずつエネルギーを回復していった。神経系が自生するまで自己再生能力が回復すると、リュウジュは大地に血管を張り巡らせ、少しずつ土地を浸食していった。そして、リュウジュの伝説が風化するほどの時を経て、大地に土が生まれた。砂が生まれ、鉄が生まれ、金が生まれた。次に、水が生まれた。水が生まれると、苔が生まれた。蔓草が生まれた。小麦が生まれた。魚が生まれた。鶏が生まれた。豚が生まれた。牛が生まれた。最後に、人間が生まれた。皆、リュウジュの子だ。リュウジュの子である我々は、病気にかからず、老いず、悲しみや苦しみ、怒りに囚われることがない。あるのは喜びと、幸福と、感謝の思いだけだ。それだけの恩恵を与えられているのは、ひとえに貴様らがリュウジュの子であり、寛大なるリュウジュの寵愛を受けているからに他ならない。まさか、その事実に異論を挟む者はいないだろう」
リュウジュの民は、リュウジュの血を受け継いだ、リュウジュの子。
「……」
ここで一端アメノは言葉を切った。
ソウナギは唇を噛み、拳を握った。男の眼前で叫びたくなった。だが、抑えなければならない。
リュウジュの寵愛を受けずして育った人間が、ここにいると。
……。
時間が沈殿する。空気が乾く。動揺が波及する。期待が膨張する。リュウジュの民は息を殺してアメノの言葉を待つ。
満を持して、アメノは口を開く。
「ここ数年の事だ、手段は知らんが、バルバイは我々が生きていることを知ったらしい。何度も侵攻をしかけてきて、ついにリュウジュの内側にまで攻め込んできた。奴らの目的はかつての勇者の後処理。つまりリュウジュの心臓を完全に止める事――この町を破壊することだ」
バルバイは、皆の祖であるリュウジュを封印し、今もなおリュウジュを死に至らしめる悪魔のような存在。
バルバイがもたらす害を、リュウジュの民は理解する。
「よし、その辺で充分じゃ! 下がれ、アメノ」
「御意」
政務官の老人がアメノを後ろに下がらせ、声を張る。
「なので、諸君らはこの右後肢に隠れ潜んでいるバルバイの発見と確保に尽力するよう努めろい! なお、何か有益な情報をもたらしたものには政務局から恩赦を与える。情報の価値によっては、恩赦として家族ともども左心房に移住する権利を与えよう!」
「「左心房……!」」
龍脈は、政務局が管理する心臓部を中心に放射状に延びている。心臓部に近ければ近いほど龍脈のエネルギーは強く、民間人が住むことのできる区域では左心房が最も龍脈エネルギーが強い。
即ち、左心房に暮らす市民が、最も幸福に生きられるリュウジュの市民というわけだ。
「左心房に行けるなら、どんな手を使ってもバルバイを見つけなくちゃな」
「この町のことは俺達が一番よく知ってんだ! 見つけられないわけない!」
「よくわからんけど、たぶんあそこはいいとこじゃぞお……」
はちきれんばかりに膨張する歓喜の声。
「でも、どうやって我々とバルバイを見分けるのですか?」
民衆の一人が質問した。背の曲がった老人は淡々と答える。
「簡単だ。我々は皆リュウジュの子。皆、肉体にリュウジュの血が通っておるだろう? その血を持たない、即ち龍脈を持たない者には、龍紋がない」
『龍紋』とは、リュウジュの民が肉体のどこか――大抵は額か上半身――にある、龍脈エネルギーを保持するための器官だ。暗い所では発光する。
「確かにその通りですね。龍紋を持たない人間なんて、人間じゃありませんから」
その言葉を聞いて、政務官は満足げにうなずいた。
「さあ、これで招集は終わりだ! 諸君らの尽力に期待している!」
うおおおおと喚声が湧き上がる。すぐに中央広場から人の気が離れていく。
「クソ……クソクソクソ……」
狂えるほどの興奮と喧噪の濁流でただ一人、ソウナギは奥歯が割れるほどに歯を強く食いしばっていた。誰にも悟られないよう、マフラーで口元を覆って。
政府局の人間の言う通りだ。この町の人々はリュウジュのエネルギーを使って、何一つ不自由のない暮らしをしている。
なら、私は。ソウナギは思う。
私が生涯をかけて手にしようとしている幸福の源は、彼らの日常で感じ得るごく普通の喜び以下の存在だ。彼らが求める幸福なんて、私にとってはただ当たり前に生きるのに余剰な贅沢でしかない。
絶えず拍動するリュウジュの町で生み出される森羅万物は、ソウナギの身の回りに飽和するほどあふれておきながら、彼女の呼吸の温度とは交わずに、それら独自の温度の塊として律動している。
それが、リュウジュの心臓。