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冬の町

 原稿の入った封筒をバッグに収めて、ソウナギはリュウジュの町を進む。万全を期すために用意したリュック型のバッグはウミヒコの私物で、ソウナギの小さな体を丸ごと覆える大きさだ。中には住人証明書や財布(お金はウミヒコの財布から徴収)、緊急時の薬、コンタクトを落とした際のメガネとそのケース、うさぎがデザインされたハンカチ、ブドウ味の飴玉、耳当ての予備ぽんぽんしてるやつ、その他外出に必要なものから必要のないものまでいろいろ入っている。何が起きるかわからないという用心に加えて、何を持っていけばいいかわからなかったというのが理由だ。

 ソウナギは新雪に覆われた白い街並みを歩く。途中で『リュウジュの右後肢』と書かれた看板を目にした。この区域の名称だ。名前通り、リュウジュの心臓中心から見て右後の末端に位置する、辺境の田舎町だ。

数日前から間断なく、しかし緩やかに降っていた粉っぽい白雪は早朝の訪れと共に降りやんで、街路に白という無彩色を無造作に散らした。ウミヒコの家には透明な無色が兆していたが、外の世界は逃げ場のないような厚い白で塗られていた。さくさくと雪の大地を踏むたびに、ぬかるんだ雪の感触を感じる。

 右後肢から編集局のある左心房までは、駅まで徒歩で30分、一般列車で20分揺られ、左心房行きの特急列車に乗り換えて40分過ごし、中央駅で降りて駅前のバスに乗る。20分もすれば編集局のあるビルに到達する。大体2時間あれば到着するだろう。

現在時刻は午前9時。人によってはまだベッドにうずもれているような静かな朝。流れと勢いで発ってしまったためにいささか早すぎる気もするが、時間に余裕をもたせておくに越したことはない。締め切りは午後5時までだとウミヒコが言っていた。デッドラインまでは8時間。猶予は6時間もある。

開けた公道まで出ると、すでに除雪作業が行われているようで、白い厚みの底から血色の良い『龍地』が露出していた。人間が暮らすために舗装された街路に、龍脈が蜘蛛の巣のように張り巡らされてできた、龍脈の輸送路だ。たまにどくんと拍動して大地が盛り上がる。薄いピンク色を基調として薄い青と赤が混淆している龍脈の大地は、リュウジュの血管そのものであり、それは爬虫類の表皮に浮き出た血管の感じにも似ている。

いたるところに龍脈エネルギーを広域に分布させるための『龍柱』が地面からにゅっと突き出ている。上端から方々に伸びる抹消神経から『龍線』が走り、各家庭に龍脈を行き届かせている。

リュウジュの民が暮らす建物の数々には、土嚢や漆喰、煉瓦、リュウジュの排出する灰のような物質を固めたコンクリートが用いられている。高級な宅地ではリュウジュの皮膚を直接家の支柱に据えていたりもする。一般的な宅地であっても、長い間放置された廃屋に蔓草が絡まるように、生々しい色をしたリュウジュの血脈がレンガ壁に絡みついて、赤色と青色に枝分かれした毛細血管の隙間に鳶色の瞳を咲かせているところもある。それは『龍眼』と呼ばれるリュウジュの肉体の一部で、身動きの取れないリュウジュ本体に代わって体内での人間の活動を「見守る」ために体内に生えているという伝承がある。

「……」

生々しい生命の鼓動とたくましい人間の文化の調和。リュウジュの民にとって当たり前である眼前の光景が、ソウナギには風邪をひいた時に見る悪夢が起きても続いているように見えている。

 だが、この気色悪さにも慣れてしまった。

足裏に張り付く魚卵が弾けたような感触から、彼女は無数に群生する『龍眼』の一つを踏みつけたことに気づく。

ソウナギは薄く笑った。


 適当な店のガラス張りのウインドの前で彼女は今一度自分の恰好を確認する。

白い髪をしまい込んだキャスケット帽、ヘッドホンタイプの耳当て(ぽんぽんしてるやつ)、チェック模様のマフラー、彼女に合わせたサイズのダッフルコート、ミトンの手袋、ロングスカート、厚手のタイツ、厚底のブーツ(身長も伸ばせて一石二鳥)。

「……センスいいよなぁ。ウミヒコのくせに」

 ぼそりとつぶやく。認めると、何かに負けた気分になる。

 蠅も眠る冬の真っただ中とはいえ、この町でこれだけ着こんでいるのはソウナギくらいだ。龍脈を持つ「普通の」人間は防寒を行う必要がないため、町の服屋ではソウナギの凍えを解くことのできる防寒具は売られないからだ。ゆえに今ソウナギが着ている服は全部ウミヒコが造ったものである。そのためデザインも彼が考えたものであるが、ソウナギはウミヒコのセンスを気に入っている。絶対本人には言ってやらないが。

「あったかぁ……」

 この町でただ一人、冬風に体を震わせる彼女は、ただ一人、人の作った服の暖かさを知ることができる。熱い息が冷えた空気と交わる。

ガラスの前で後ろ髪を払うと、長い白髪が風になびく。透明にも似た色素の薄い髪。その先端をつまんで指先でいじりながら、再び自分を目にする。今度は衣の内側の、自分という領域を見る。――厚手の服装でも誤魔化しきれない自分の華奢な線、背の低さ、シルエットの小ささ、言いようのない体の不安定感。体躯も中学生くらいのそれからほとんど成長しない。胸が育たないのも……たぶんきっと絶対そうだ。

ウミヒコを弱さではからかえないな、と彼女は思った。

そのとき。

 ――ぐぅ、とお腹が鳴った。

「……何か食べるか」


 家から徒歩五分のところにそれはあった。過剰すぎるくらいの甘い匂いが目印、いや鼻印のその店は、『リュウジュの右後肢』では珍しい、移動販売式のキッチンカーだ。上部の荷室には『俺のドーナツ』と、甘いスイーツを売るとは思えない堂々とした男らしい店名が書かれている。

 この時間はちょうど焼きたてのドーナツが出来上がる時刻だということをソウナギは知っている。ウミヒコと二人で散歩するとき、よく連れてきてくれる。

ガラス窓に貼り付けてあるメニュー表を見る。そこには『リュウジュの外皮』から採れると言われる『龍柔核』を加工して印刷されたドーナツの画像と共に、各商品の宣伝文が乗っている。

 グレーズ、シナモン、チョコチップと、様々なトッピングを楽しめる王道のイーストドーナツ――バターをたっぷり使い、表面をチョコシロップでコーティングしたフレンチドーナツ――砂糖をまぶした表面をかるくあぶって、中にカスタードを入れたブリュレドーナツ――焼きたてほかほかもちもちふわふわな画像付きのメニュー表を見るだけで頭に甘い刺激が走る。

「この前はあの軟らかくてふわふわのやつ食べたしな、今日は王道の感じのを攻めるか。いやでも変化球でこの細長いやつも捨てがたい……」

 それにしてもこの少女、まあまあのボリュームで独り言をつぶやいている。

「おう、作家先生の居候じゃねぇか。今日は一人か?」

 メニュー表の上から、ドーナツ屋の店主がドスの効いた低音で声をかけてきた。ソウナギはまさか声をかけられるとは思っておらず、「へ」と「は」の中間音のような声を出した。

 その男は声の印象に違わず筋骨隆々で、スキンヘッドにサングラスと、ドーナツよりはどこかの工房でガラスでも焼いてそうな風貌だ。だが、肥大化した胸筋ではちきれんばかりのエプロンを着ながらも、ドーナツ生地の入ったボウルをせわしなく掻きまわす姿は紛れもなく菓子職人のそれだ。菓子作りは結構筋力を使うと以前ウミヒコが言っていた。

「ど、どうも……」

 ソウナギは店主から目線を逸らしてメニューを見る。逃げたとも言う。そして、世間話でもされないうちにと、さっさと注文のメニューを決めることにした。

「あの、これとこれとこれをくりゃさ、ください」

 その数3つ。

「あいよ。ここで食べてくかい?」

「うにゅ、うぃ……」

 もはや言葉の体をなしていない。

キッチンカーの近くに折り畳み式のテーブルセットがいくつか存在する。早朝ということもあり、今は他に誰もいない。店主は手際よくドーナツを紙袋に包んでいく。

「へい、お待ち」

「……どうも」

 ソウナギはウミヒコの財布を開いて料金を渡し、紙袋を受け取る。そしてさっそくテーブル席に座り、袋を開ける。

 すると、注文したドーナツに加えて、未注文であるはずの抹茶ラテが入っていた。

「あの、これ、頼んでないけど」

 そういうと、店主ははにかんで、

「いいってことよ。嬢ちゃんは作家先生と一緒によく来てくれるからな。サービスだ。甘いもんばっかだと舌が飽きるだろ?」

「あ、ありがとう……ごじゃいます」

 ソウナギは軽く謝辞し、テーブル席に座って早速いただく。ドーナツは中央が空洞だから、ソウナギの小さな口でも入りきらないということはない。その代わり、唇の端からぼろぼろとこぼれる。

 熱々の甘さが舌の上で一斉に広がり、とろけ、幸せな刺激が頭ではじける。

「おいひぃ……」

 幸せを噛みほぐし、全身が至福の甘味で浸される。この時間のためだけに生きているという錯覚が舌の先から全身にしみこむ。

「嬢ちゃんは相変わらずうまそうに食べるなぁ。ドーナツ屋冥利に尽きるってもんよ」

店主はそう言って豪快に笑う。ソウナギは何となく恥ずかしくなり、紙袋に入ってた紙ナフキンで口元の食べかすを拭いた。

「それにしても、今日は先生は一緒じゃないのかい? 先生には新作ドーナツの宣伝文を書いてもらう依頼をしようと思ったんだが」

 先生が書いた宣伝文は、文字を見るだけで涎が出るって評判いいんだぜ、と店主は目を細める。ソウナギは確かに、と思った。

「ウミ……先生はお仕事で忙しかったかりゃ」

 事実である。

「そうか。ま、今度は先生と一緒に来てくれよな。そしたらまたサービスしてやるぜ」

「そう、する。どうもありがとう」

 段々と緊張も解けてきた。ソウナギは2個目を口にする。

「んまっ」

 ソウナギはしばらく至福の時間を堪能する。その様子に店主は満足げにうなずいて、新たなドーナツを作る用意を始めた。

 だが、すぐに至福の時間は終わりを告げた。

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