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政務官

 ……


 ソウナギの首元で着地したそれはいかなる人間の命・・・・を引き裂かず、ソウナギのマフラーを千切り、地面に根を張るピンク色の龍脈を粉砕しただけだった。リュウジュの血が立ち上がる気力もないソウナギの頬を濡らし、いくらか口に入った。

まずい、とソウナギは思った。

「……」

 ソウナギはじっとアメノを見つめる。彼の顔は複雑に歪み、泣いているような、怒っているような、曖昧な苦しみを浮かべている。彼は赤く染まった斧をそっと引き上げた。手が震えている。そしてキッとソウナギを睨み、叫んだ。

「あれは……違う!」

 リュウジュ最強の戦士「筆頭龍警団アメノ」を知る者が見たら仰天しそうな、極めて人間的な動揺。だがソウナギは動じない。

「何が違うの!」

「あの方法では二人共死んでしまう危険が高かった。だが、あれはソウナギが苦しんで生きるくらいなら、死んだ方がましだと言った。……俺にはそんなこと、到底思えなかった。苦しんででも、ソウナギが生きてくれた方がいいと思った。今でもそう思っている。だから――」

「そんなこと言っても、結局私のことは助けてくれなかった」

「うるさい! この――」

 ソウナギは叫んだ。

「お父さんのバカ!」

 心から。

 アメノの持つ戦斧がバタンと地面に倒れ、膝から崩れる音がした。それはアメノの心が折れた音でもあった。

「そうか……、俺は……馬鹿か……」

 筆頭龍警団アメノは勇者の末裔との勝負よりも深い傷を負った。

 ソウナギはその様子をじっと見つめた。

 そして聞いた。

「罪悪感、感じてる?」

「ああ……ものすごく……」

 復讐は達成された。というより、元から達成されていた。父はずっと母を殺したことを悔やんでいた。

「……秘術さえなければ、二人共生きていられた。出生局ならあのときのソウナギを治す手段があったのも確かだ。だが、それは……逆効果だった。本当に許されないことをしたと思っている。許してくれとは言わないが……」

「話が長い」

「……すまない」

 アメノはいつの間にか土下座していた。ソウナギは父の憐れな姿を見て、まんざらでもないと思った。そして言った。

「私を殺させることで一生苦しんでもらおうと思ったけど、気が変わった。私は生きる。それで私を生かしたことを後悔させる」

「ふふっ、そうか」

 アメノは笑った。

「何がおかしい」

 口を尖らせるソウナギに対し、アメノは彼女の頭を撫でようとする。

「大きくなったな、ソウナギ」

「触らないで」

 パシッと跳ねのけられた。

「今さら父面しないで」

「これが俺の罪か……」

ソウナギは父のことを許すつもりはなかった。


 ――ガランガラン!


 甲高いベルが轟く。『龍の咆哮』だ。耳元で何度も反響するようなけたたましい破裂音に近い。

「バルバイの隠れ家を発見した! 一人残らず捕らえろい!」

 政務官代表の声がする。それと同時に、道々に散らばっている人間たちが人形のような足取りで一直線に動き出す。マオの言っていた残りの仲間が見つかったのだろう。やはり時間の問題だった。

「あ……」

 まずい。

頭が真っ白になった。

 元から色々限界だった。ここで臨界点を超えたのも無理はない。

 ソウナギは崩れ落ち、龍脈流れる大地に倒れる。ちょうど龍脈が拍動して、苦痛に顔を歪ませる彼女の身体を乱暴に押し上げる。

 発作だ。

「おい、どうした。ソウナギ……」

 アメノは彼女の身体にただならぬ事態が発生していることを察する。

「……薬……バッグに……」

 正気を失ったかすれた声で、それでも瞳は真っ直ぐ前を向いている。

「薬……これか?」

 アメノはカプセル剤を飲ませ、水筒で飲ませる

「……かっ……! けほっ……!」

 むせる。嚥下する力が残っていない。

「おい、しっかりしろ。おい……」

 朦朧とする意識の隅で、アメノの声がぼんやりと聞こえる。

 死。

 それは常に彼女の周りをうろついていた。何度か小石を投げておちょくってきた。今は彼女の目の前までやってきて、頬を優しく撫でようとしている。

 そいつに触れることは一つの安らぎの訪れに思えた。求めつづけた幸福に似ているとも思えた。

 そいつに向かって腕を伸ばす。向こうは笑って彼女の手を受け止めようとする。

あと少し。

あと少しで終わる。

あと少し――。

 だが、直前で腕を引っ込めた。何か違和感があった。

 何か、残っている。この手に触れるまでにまだ……。

 ソウナギは死が投げつけた石を見た。

『心臓』と書かれていた。

――ああ、そうだ。

 まだ残っていた。やり残したこと。

 ソウナギは懐から『あれ』を取り出した。それは、『心臓のない少女』第五巻の原稿の入った封筒だった。

「この中に、私の恩人が書いた小説が入ってる……。もし私に何か後ろめたい思いがあるのなら……、『心臓のない少女』の原稿、……お父さんが、届けて……!」

「……っ!」

 アメノはおずおずと封筒を受け取り、ざっと確認した。そこにはウミヒコのペンネームが書かれていた。

 アメノはこの瞬間にソウナギが今まで右後肢で生きていられた理由を知った。

「確かに受け取った」

「お願い……」

 ソウナギはゆっくりと目を閉じた。しばらくして、穏やかな呼吸を始めたのをアメノは確認した。薬が効いてきたらしい。

アメノはしばらく見ない間に大きく成長した娘を背に抱えた。随分と軽い、とソウナギの父親は思った。

 ――だが、父親として与えられた時間はすぐに終わりを告げた。

とん、とん、と龍脈の上を杖が叩く音がする。

「アメノ、何をしている。貴様の任務はバルバイの殲滅だろう。せっかく私がリュウジュの弱点を囮にして奴らの残党を狩場に集めたというのに」

 始めから全てを掌握していたかのようにタイミングよく、その老健にして老獪なリュウジュの片腕、一等政務官代表ナルロスはアメノ達の前に現れた。

「ナルロス殿、せめてこのバルバイとは無関係(・・・)な(・)この子供を安全な場所に送らせて欲しい。リュウジュの民を守るのは我々の義務のはずだ」

「それより一つ聞きたい。筆頭龍警団様はここで何をしていたのかな」

 政務官代表ナルロスは懐からタバコを取り出し、次に近くにあった木組みの龍脈を千切った。繊維状にほつれた。断片を持ち上げると、それは発火した。ナルロスはそれで火をつけた。ふっと息をついて、タバコを楽しむ。

「……バルバイの始末をしていた」

 アメノの足元では、バルバイの少女が倒れている。肩から血を流し、全身を痙攣させている。

(いつの間にか血が止まってるし、途中から感動で体の震えが止まらなかったみゃ~)

 普通に生きていた。

 政務官ナルロスはぽりぽりと頬を掻き、タバコを吸い始めた。

「そっちじゃない。問題はもう(・・)一個(・・)の方だ」

「……」

アメノは背中から伝わる穏やかな呼吸のリズムを感じる。それは新春に萌える若芽の呼吸に似ていた。そして言った。

「ただの親子喧嘩です」

「そうか」

 アメノの肌を一陣の風が抜ける。防寒機能のない龍警団の装備だけでは到底防ぎきれない、冷たく悲しい風だ。だが、寒くもなんともない。龍脈が流れているからだ。

 ナルロスはぽうと息を吐く。灰色の煙が空に溶ける。

「そうだな、アメノ――。よし、今から貴様には別の任務を与える」

「は」

 ナルロスはタバコをぽとりと地面に落とした。

「その小娘をその者が待つ者のいる家に帰し、小娘より渡された原稿を出版局まで届けろ」

じゅっ、と『竜眼』が焼ける音がした。

「は……」

「そして、この私にハードカバー製本で『心臓のない少女』の新刊を送るように。あの小説の続きが気になって夜も眠れん」

「ナルロス様……」

 ナルロスは落としたタバコを杖で叩きつけ、念入りにすり潰す。

「4巻は最高だった。『心臓のない少女』は世界に拒絶された存在。だからこそ、自分の足で歩き、誰にも頼らず、たった一人で世界に抗おうとしてきた。1、2巻では心臓のない少女とそうでないものとの差異を通じて、人間の深層にある無自覚な差別心を描こうとした。3巻で彼女を理解してくれる仲間ができ、『心臓のない少女』が本当に求めていたのは孤独を満たす友であったことがわかった。そこから紡がれた4巻では今までの不死龍の行動が全て伏線となって――」

 急に早口になった。

「ナルロス様……?」

「可能だったら作者からサインをもらってきてくれ。そうさな、この布教用に持ち歩いてる1巻の表紙にお願いする」

ナルロスの懐から『心臓のない少女』第一巻の初版が出てきた。

「ナルロス様……!」


――



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