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アメノ


「りぃだぁぁぁぁ……りぃだぁぁぁぁ……」

 マオは走り続ける。とめどなく溢れる涙が散っていく。

「マオ、泣きながらだと速度がでない」

「おみゃあ、薄情だみゃあ……」

「ごめん、私はついさっき会った人のために泣けないから」

「みゃんと謝るあたりはいい奴だみゃあ……」

 ソウナギにとっては、バルバイの彼女らがどうなろうと大して興味はない。ただ、自分の居場所を確保できればそれでいい。リュウジュはいつだって強大で、無慈悲で、非道な存在だった。奴に復讐するのを目指すよりは、奴の目の届かない所へ逃げる方がよかった。

いつだって逃げるのが最善だった。せいぜい、自分に関わりのある範囲――母を殺したあの男に何か罪悪感の一つでも与えられれば、それで十分だと思っていた。

 だから、この選択が正しいはずだと、思っていた。

「……」

 それなのに、ずっと耳鳴りが止まない。痛みをごまかすように口を動かす。

「……あの男がお母さんを殺した」

「みゃ! みゃあのおとんとおかあも殺されたみゃ」

「世界一嫌な奇遇ね」

「まったくだみゃ」

「それより、リーダーさんが勝つ可能性を考えたりは」

「それができたら一番いいけどみゃあ……あの男にはりぃだぁでも勝てないみゃ」

「……でしょうね」

 ソウナギは同意した。

「ん? おみゃあ、りぃだぁを舐めとんのか……ってナギナギィ!?」

 いつの間にか、ソウナギはマオの随分後ろでがくがくと膝を震わせて停止していた。

「わらし……かりゃだ……よはい……はしゅりゅ……みゅり……」

「疲れすぎて滑舌がひどいことになってるミャ!」

「それは……もとから……」

「とにかく、担いでも持っていくミャ」

 マオはソウナギを担ごうとする。だが、龍脈を持たないバルバイの彼女には、ソウナギの身体であっても重荷となる。

「そんなことしなくても……私の事は、放っておけばいい、のに……。私は……あなたたちの……仲間じゃないんだから……」

 聞くや否や、マオは眉間に皺をよせ、ソウナギを叱り飛ばす。

「はぁ!? 何を馬鹿なこと言ってるミャ! ナギナギを助けるのに仲間とか仲間じゃないとか関係ないみゃ!」

「……っ!」

 そのマオの覚悟に、ソウナギは問わずにはいられなかった。

「……それは、貴方がバルバイだから? バルバイだから、私を助けようと思うの?」

「何言ってるミャ! 人間が! 人間を助けるのは! 当然みゃ!」

「……人だから」

「あぁでも結構つらいから早く回復して自分の足で歩いてくれみゃあ!」

 人間。

自分たちがその名の形容するところの存在なのに、そのフレーズには長らく触れてこなったと、今更ながらに思う。

 私はリュウジュの民。この人はバルバイ。バルバイはリュウジュの民の敵で、私もリュウジュの民の敵で。

「ぜっ、はっ、はっ……」

 マオはソウナギを担いで走る。もはや走っているというより、巨大な荷物を担いで歩いているだけだが、それでも足を止めない。進みつづける。

「ちょっと、重いなら無理しなくても」

「いや、重くはないみゃ。みゃんたってナギナギは胸の脂肪がみゃいからみゃ」

「ちょ」

 ソウナギは自分の胸とマオのそれを確かめた。

……負けている?

「ふふん、これには毒舌少女もたじたじかみゃ」

「マオは今どこに向かっているの?」

「無視……? ……みゃあの仲間のところみゃ」

「仲間って、あの囮に出たっていう……」

「確かにりぃだぁの作戦で、皆はみゃあとりぃだぁを生かすため、囮を買って出たミャ。でも残りわずかに、奴らには絶対見つからない場所に隠れているみゃ。ほとんど子供みゃけど……子供みゃからこそ、生きることに最大の価値があるんだみゃ」

「絶対見つからないなんて保障、どこにあるの」

「それはみゃ、りぃだぁがリュウジュの弱点を見つけたんだみゃ~」

 マオは努めて明るく振舞う。その真意は。

「絶妙に答えになってない」

「みゃはは、とにかく皆の元に辿りつくんだみゃ。奴らもいい加減疲れてるみゃろうから、あとはここをしのぐだけなんだみゃ」

「……仮に、その場所がダメだったら、私にあてがある。たぶん、筆頭龍警団相手でも守り通せる」

 マオは団子にまとめた髪をぴこんと揺らす。

「ミャ! それは朗報だみゃ。ナギナギの隠れ家かみゃ?」

「隠れ家ではないけど……マオ一人くらいなら匿う余裕はあると思う。口の悪い同居人がいるけど、悪い人ではないから」

 それはつまり。

「……その時は、ナギナギに頼らせてもらうミャ」

 ソウナギは思う。彼女は――マオは、仲間が助からないことをわかっている。リュウジュの逆鱗に触れた時点で、逃げられるすべはないのだ。

 元気を振舞いながらも、死相を漂わせる彼女。それでも、背中越しに震える彼女の体温が、ソウナギには不思議に心地よく思えた。それは、彼女が比較的ソウナギと年が近いだからだろうか。生まれは違えど、共にリュウジュに反抗する存在として生まれたからだろうか。

 あるいは。

「びゃっ」

 ――小さな悲鳴と共に、ドスン、と鈍い音がした。

ソウナギは宙に放り出され、リュウジュの筋線維の上に倒れこむ。

「マオ!?」

「ミャアァァァァ! 痛い! 痛いみゃあ!?」

 ソウナギを支えてくれた小さな勇者の子孫は地面でのたうち回っている。視界の先で赤い塊が見える。

 その悲痛な叫びの背後で、一瞬だけ残像が揺らめいた。

「バルバイは皆殺しの命を受けている」

 影より早く動いたそれは、既にマオの首根っこを掴んでいる。彼女は首だけで立たされ、猫のように伸びている。

 筆頭龍警団、アメノ。

 マオの首筋には深紅のナイフが突き立てられている。ニニギが使っていたものだ。加えて、アメノが背に抱える白銀の戦斧には、赤い血がべっとりと付着している。刃渡りの角には、人間の皮膚のようなものも付着している。

 つまり、そういうことだ。

が、完全に無傷というわけでもないらしい。口元まで覆うマスクは半壊し、唇が露出している。加えて蛇柄のフードは切り裂かれ、隠しようもなく顔から血が噴き出ている。徽章の外れかかっている外套からも赤黒い血が染み出ており、だらんと垂れた右肩を左腕で押さえている。

 だが、それでも小娘二人殺す程度わけもないのは明白だ。

「……私の事も殺すの?」

 ソウナギは問う。

「我々の目的はリュウジュの体内に潜りこんだ異物の殲滅であって、生来から持つ潜性遺伝子については何も言われていない」

 それはつまり、ソウナギには手を出さないということだ。

「ぎにゃっ!?」

「マオ!?」

アメノはマオを地面に突き倒し、戦斧を振り上げる。

「バルバイは皆殺しだ」

 思えば『龍の咆哮』を聞いた時から、すべての覚悟はできていた。

だから無理をして中央広場に押し入ったのは、確信があったからだ。

 私の母を殺した男がここにいると――。

 このまま黙っていれば、ソウナギは生き延びられる。ウミヒコの家に帰れば、温かいスープと共に出迎えられる明日がある。ウミヒコの原稿を届けるという目標こそ失敗してしまったが、彼のことだからしゃーねぇなと言って頭を掻くぐらいで終わるだろう。

「みゃぁぁぁ、やだ、やだやだ、しにたくみゃいぃぃ……!」

「動くな。静かにしていれば、一瞬で終わる」

 だが、それでいいのか。その決断を、耳鳴りが妨げる。風邪を引いたときにも感じたあの耳鳴りだ。確か、あの時は母が慣れない様子でおかゆを作ってくれた。それは大して美味しくなかったが、食べ終えたとき、心の底からあったまったような気がした。

「……させない」

 白銀の少女は芋虫のように身をよじり、天高く掲げられた戦斧の前までつくばる。

「……何をしている、ソウナギ」

 リュウジュの戦士は呆気にとられた様子でソウナギを見ている。

「……この子は殺させない」

 リュウジュの心臓を管理する政務局にとって、ソウナギはいてはならない存在。だからバルバイを葬る目的で政務官が派遣され、龍警団がその手先として駆り出された。

 だが。

ソウナギは思う。

彼らの――彼の、アメノの本当の目的は、むしろバルバイから私を守ることでは。

 アメノは戦斧を振り上げたまま、固まる。無論、振り下ろせばソウナギごとバルバイを葬れる。そして任務を達成できる。

「……それは決して、ソウナギが守るような仲間などではないはずだが」

「仲間にはなれなくても……初めての友達になれるかもしれない人だから。それに……」

 ――あるいは。つい先ほど、ソウナギは己に問うた。答えは用意されていた。

 ……あるいは、マオはソウナギのことを友達と認めていたからかもしれなかった。

「人が人を助けるのは、当たり前……」

「……」

 ズオオ、と戦斧が風を面で受ける音がする。鋭利な刃は死神の鎌のようだ。アメノはいま一度マスクをかぶり直した。破れて露出した口端から血が滴っている。

「そうか。そうだとしたら――」

 悪いことをしたな。

 みなまで言うことはなかったが、ソウナギには最後まで彼の言葉が聞こえた気がした。

「それはそれとして、俺は今からそいつを殺さなければならない。だからどいてくれ」

「駄目。私を先に殺して」

「馬鹿なことを言うな、ソウナギ」

「お母さんを殺したみたいに、一思いに殺してよ」

「……!?」

 アメノの掲げる戦斧の重心がぶれる。

「わかっているだろう……あれは仕方がなかった……。お前の母は……」

「もちろん、知ってる。お母さんは自分の命と引き換えに、私に龍脈を与える秘術を行おうとしていた。でも、それはリュウジュを殺すために勇者が編み出したバルバイの秘術……。だから、殺したんでしょ。リュウジュの命令通り、リュウジュを守るために。だったら、私も同じように殺せばいい。リュウジュのために」

 元から、死んだような命だった。リュウジュのできそこないとして生まれた自分に形だけでも愛を教えてくれたのは、母だけだった。

 その母も、この男に殺された。

 アメノは確かに動揺している。反対に、ソウナギは確固たる決意を小さな胸にたぎらせている。

 ――母を殺したこの男に対する復讐。

 それは、リュウジュに反旗を翻した一家の母と娘、二人の死をもって完遂される。それは命の価値を知らないこの男に癒えない罪悪感を植え付ける。人の心を教えることができる。

二重に絡まった罪の鎖は、永遠にほどけることがないだろう。

「……っ!」

 アメノは戦斧を振り下ろす。

 ソウナギは目を閉じた。数舜後の世界を想像し、そこに自分が帰る家などないことを悟った。


 ……

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