魔女の旅立ち
「えっと、お母さんのカプセルの瓶とこの“ウェーブグライダー”を追加! しかし……グライダーって 何だろう?? さすがにこの短さかじゃ箒の代わりに乗る事はできないし……でもまあ、リュックから飛び出さない長さで良かった。」
生活に必要な物は既に送ってあるので、旅立ちの荷物は、いつものリュックにタオルと少しの着替えを足して……それに大ぶりの瓶と鈍色の棒を入れ込んでも、リュックの中はまだパフパフと余裕があった。
「まだ十分入るわね」
「サンドウィッチか何か持って行かないの? 作ってあげるわよ」
そう声を掛ける一女に鈴女は頭を振る。
「ありがとう、お母さん。でも、オトメの胃袋はこのリュックほど余裕がありません。サンドウィッチまでいただいたら楽しみにしている駅弁が入らない! 」
この“野望”に一女は吹き出した。
「それは大変ね。それじゃまあ、好きにしなさい」
「は~い! おやつは持って行きま~す」
そう言いながらサンダルをつっかけて庭の横の物置に入った鈴女は中から脚立を出して来た。
「何をするの? 」
「おやつに持って行くびわを取ろうと思って! ほら! これから先、魔法は使っちゃいけないから、箒に乗らない日常にも慣れなくっちゃね! 」
「大丈夫? お母さん、支えようか? 」
「大丈夫! 脚立は使い慣れてる」
「そうね あなたはこんな風に普通の道具はよく使うけれど……魔法練習はどちらかというと、オサボリだったからね…… でも“西の魔女”の前では、マジメにね」
少し心配そうな一女に……枇杷の木の横に立て掛けた脚立の上から、鈴女は尋ねる。
「“西の魔女”って、おっかない人なの? 」
「さあ……私は会ったことがないから…… でも“西の世界の大厄” を免れ、一人残された魔女として何世紀も生き延びて来たと聞いているわ……だから見かけはともかく……」
「気難しいおばあさまって感じね。きっと! 」と鈴女は悪戯っぽく笑う。
そんな鈴女を一女は窘める。
「そんな事を口に出してはいけません! あなたは…… もっとお行儀よくなさいね。今も髪に葉っぱ付いてるし……」
「いけね! 」と
鈴女は自分の髪を指で梳いて、くっついている葉っぱを取り……“テヘペロ”をした。
◇◇◇◇◇◇
バス停のベンチに一女と並んで座っていた鈴女は“気が付いて”立ち上がった。
遠くからバスが近づいて来るのが見える。
一女は鈴女をしっかりと抱き、そのくちびるに深いキスをした。
…… ……
鈴女に深くエナジーを与えすぎて……一女は鈴女の肩口で息を継ぐ。
その様子が心配で……
鈴女が一女を抱きしめる。
「大丈夫……よ。 綾女のこと……どうかよろしくね。それから……こんな時期の転校で、色々大変だろうけど、勉強も頑張って、あちらでの高校生活も楽しみなさい」
「うん! 頑張る! 綾姉さまの事も勉強も」
それから鈴女はベンチに置いてあったリュックを背負って、ドアの開けられたバスのステップに脚を掛けて振り返り、手を振った。
「じゃ! 行って来ます」
◇◇◇◇◇◇
列車がいくつものトンネルを抜け、車窓が山々や田畑や工場や街並みを映し出す中、鈴女は待望の駅弁をパクついたり、ウェットティッシュを添えて、隣の席のご婦人にびわをおすそ分けしたりしていた。
また長いトンネルに入り……
いったい今、どのあたりなのだろうとスマホの地図アプリを立ち上げたところで、手元に陽の光が差し、ご婦人の「あらっ! 」という声がした。
鈴女が顔を上げてみると窓の外は海が開けていた。
地図アプリの上の現在位置を示す赤い点は海辺に沿って動いている。
「海は……地上からはこんな風に見えるんだ」
鈴女は幼い頃、お母さんに前抱っこされながら箒で飛んだ情景を思い出していた。
「その時には、眼下にヨットの帆が見えて……マストの先を触りたがったっけ……きっとあの時もお母さんを困らせたんだなぁ」
こんなふうに、今だけではなく過去にも訪れる事ができる……
「旅って楽しい」
そう呟いて鈴女は、ペットボトルのお茶をコクリと飲んだ。
◇◇◇◇◇◇
終点の駅はホームから階段を下りると大きな通路になっていて、まるで百貨店のようにキラキラお店が並んでいた。スマホの地図と行先表示とを見比べ見比べ乗換えのホームを探しながらもこれらのお店に目移りする。
「何だかまたお腹が空いてきた……お母さんにサンドウィッチお願いしておけばば良かった……いやいやそれはいけない! 一刻も早く乗換ホームを見つけ出して、この誘惑から離脱せねばブタになる……」
どうやら鈴女の目下の悩みは、こんな他愛ない……でも本人には結構深刻なもののようだ。
◇◇◇◇◇◇
目的の駅について初めての自動改札に行く手を阻まれて四苦八苦しながらようやく抜け出した。
鈴女は地図アプリを立ち上げ、予め入れておいた住所をタップする。
「これで綾姉さまのお店までナビしてくれる…… しかし都会は夜でも明るいと言うのは本当ね。」
まだ周りの人の歩くスピードになじめず、何人かやり過ごしながらようやくたどり着いたそのお店は……ブラインドの色もかわいい小さなお弁当屋だった。
そして鈴女は……懐かしい……けれども、かつて纏っていた虹色に輝くオーラが消え失せ、頬も瘦せてしまった“そのひと”を見つけた。
一女の妹……つまり鈴女の叔母に当たる人……槻水綾女を……




