アオイとおじいちゃんのおもちゃ
「サンタなんていないよ」
カケルが急にそんなことを言い出すものだから、アオイはびっくりしてしまいました。いつも二人だけはあたりが暗くなるまでおかあさんを待っていたので、カケルとは保育園で一番仲のいい友達でした。さっきまでは、もうすぐクリスマスだね、とお互いに楽しくお話をしていたのです。
「そんなことないよ。サンタさんはいるよ。毎年ちゃんとプレゼントくれるもん」
しかし、カケルはいないと言ってゆずりません。
「おれ、去年見たもん。おとうさんがこっそり置いていくの。アオイのだって、アオイのおとうさんが夜のうちにこっそり置いているにきまってるよ」
アオイはぜったい違う、と思いました。なぜなら、おとうさんやおかあさんがアオイに嘘をつくわけがないからです。しかし、アオイはカケルのように口が回るほうではなく、上手く言葉が出てきません。全身の毛が逆立つような感覚に我慢ができなくなって、気がついたら、カケルの肩を思い切り突き飛ばしていました。
◆◆◆
「ダメでしょ。お友達とケンカなんて」
保育園からの帰り道。
迎えにきたおかあさんにそう言ってたしなめられ、アオイはしゅんとしていました。おかあさんに手を引かれて眺める風景はいつもと同じ道なのに、いつもより寒々として見えました。
カケルとケンカをしたことはすぐにおかあさんに伝わっていました。おかあさんが迎えにきた時には、仲直りしてもう二人とも泣きやんでいたのに。
なんで言うんだよ。
先生が告げ口したに決まっている。アオイはそう思いました。いつもは大好きな先生のことが、こういう時だけは心底憎らしく思われました。
「あ、ほら。アオイ見て」
唐突に声を上げたおかあさんが指差した先には、電飾で飾り付けられキラキラと輝くお家がありました。
「きれいだね」
アオイにだって、おかあさんがアオイを喜ばせようとして、見せてくれたのは分かっていました。アオイもこのキラキラを見るのは大好きでした。けれど、いまは気分が落ち込んだままです。先生に言われてカケルと仲直りはしましたが、本当のところ、まだカケルの言ったことを許すことができずにいました。
「あ、そういえば、もうすぐクリスマスだね。サンタさんにお願いするプレゼントは? もう決まった?」
アオイは、すぐには返事ができませんでした。カケルが言ったことを思い出していました。
――サンタなんていないよ。
「……そんなこと、ないもん」
「ん? なに?」
アオイがあまりに小さく呟いたものだから、おかあさんの耳には届かなかったようで、おかあさんは聞き返してきましたが、アオイは二度は言いませんでした。そのかわりに、
「……おじいちゃんの汽車。おじいちゃんの汽車がいい」
そう答えました。
見上げると、おかあさんは困ったような表情を浮かべていました。
アオイのおじいちゃんは、近所の材木屋さんから余った木材をもらってきて、おもちゃを作るのが趣味でした。アオイの家にはおじいちゃんが作った積み木や、木製のおもちゃがたくさんありましたが、その中でも、アオイが生まれた時に作ってくれたのだという汽車のかたちのおもちゃが、アオイの一番のお気に入りでした。アオイはいつも、どこへ行くときもおじいちゃんの汽車を持っていきました。
今年に入ってすぐのことでした。おじいちゃんが亡くなりました。
アオイにはまだよくわかっていませんでしたが、もうおじいちゃんに会えなくなったのだということだけはわかりました。
おじいちゃんの御葬式が終わって、家に帰ったとき、手元に汽車がないことに気がつきました。
アオイが泣いている間、おとうさんはあちこち探し回ってくれたようでしたが、結局、おじいちゃんの汽車は見つかりませんでした。
おじいちゃんの汽車が、お金を出せば買えるというようなものでないことも、あれだけ探しても見つからなかったのだから、きっともう二度と手元に返ってくることはないだろうことも、アオイにはわかっていました。もちろん取り返したい気持ちもありましたが、アオイはおかあさんやおとうさんではぜったいに手に入れられないものを言おうと思ったのでした。
サンタさんがおとうさんやおかあさんじゃないなら、おじいちゃんの汽車を探して持ってきてくれるかもしれない。
◆◆◆
日曜日。
おとうさんが近所の公園に連れていってくれました。あと何日か寝ればクリスマスです。
公園の土を、昨日の夜から降り続いた雪がすっかり覆っていました。
おとうさんは、公園に着くなり仕事の電話が入ってしまい、アオイのことはそっちのけで電話の向こうの人と話し続けていました。おとうさんとゆきだるまを作りたかったアオイはひどくがっかりしてしまいました。
退屈していたアオイでしたが、ひとりの女の子の姿に釘付けになりました。女の子は理由はわかりませんが、必死に公園の雪を、ほとんど穴を掘るようにして、かき分けていました。
おとうさんを振り返ると、なにやら頭を下げながら、まだ電話の向こうの人と話をしていました。話に夢中でこっちを見もしません。
ちょっとの間くらいなら離れても怒られないかな。
そう思ったアオイは女の子のもとに駆け寄りました。
「どうしたの?」
女の子の肩がビクッと大きく跳ねました。ゆっくりと振り返る顔は雪のように白く、寒さのせいか頬が朱に染まっていました。女の子はいまにも泣き出してしまいそうな様子でしたが、声をかけられたことに驚いているようにも見えました。
「なにか、さがしもの?」
聞こえなかったのかと思い、もう一度尋ねてみると、女の子はためらいがちにぼそぼそと話しはじめました。
「……おじいちゃんの仕事部屋で見つけたおもちゃで遊んでいたの。もちろん遊び終わったら返そうと思っていたの。でも、いつの間にか失くしてしまってて。
おじいちゃんにとってとても大事なものだから、失くしてしまったらとても困ったことになるの。だから、落としたかもしれないと思うところを探しているのだけれど」
女の子の手は雪をずっと触っていたせいか、真っ赤になっていました。
「手に持ったまま色々なところを歩いたから、どこかに落としたに違いないの。けれど、全然見つからなくって」
女の子の顔がまた泣きそうに歪みました。アオイはそれを止めたくてとっさに、
「ぼくもさがすよ」
と、言ってしまいました。
少しの間、公園の雪をかき分けて探してみましたが、それらしいものはなにも見つかりませんでした。出てくるのは小石やゴミばかり。
「ねえ。他のところをさがさない?」
女の子にそう言ってみたのは、早めにこの場を離れたかったからでした。おとうさんがこっちに気がついたら、他の場所を探しになんて行かせてもらえないと思ったからです。
女の子はしばらく考えた後、「本屋さん」と答えました。
アオイは、近所に本屋さんがあるなんて知りませんでした。おかあさんたちに連れて行ってもらうのはいつも駅前の複合施設の中の本屋さんでした。
「この近くにあるの?」
「こっち!」
女の子はそう言うと、いきなりアオイの手をつかんで走り出しました。
公園を出てすぐ向かいは住宅街らしく家が建ち並んでいます。その塀と塀の間、細い隙間を通って向こう側に出ると――。
次の瞬間、一気に視界がひらけました。と同時に、さっきまであんなに寒かったのに、暖房の効いた部屋に入った時のように急に暖かくなって、アオイは着けていた帽子とマフラーをその場で脱いでしまいました。
目の前には木々に囲まれた不思議な家が建っていました。
それは、いつか絵本で見た魔女の家のようで、カラフルで楽しげなのにどこか不気味さを漂わせています。
女の子があまりの気軽さで中へと入っていくので、アオイには止める間もありませんでした。アオイは仕方なく、手を引かれるまま後ろをついていきました。
女の子の背中越しにそっと中の様子を伺うと、そこに外観に感じたような不気味さは欠片もなく、静けさとホコリっぽさだけが充満していました。
部屋の中には床から天井まで届く巨大な本棚が壁際に隙間なく並び、壁から離れた所にも等間隔に並んでいるため、大人だとカニのように横向きで歩かなければ通れないかもしれません。
本棚に入りきらなかったのか、床のあちらこちらにも本が平積みにされていました。本はどれも分厚く、表紙や背表紙には煌びやかな装飾が施されていて、まるでそのどれもが特別な本かのようでした。
「こんにちは。本屋のおばさん」
女の子が奥の方に向かって声をかけると、うずたかく積まれた本の隙間からしわくちゃの顔がぬっとせり出して、アオイは思わず声を上げてしまいました。
しわくちゃの顔はアオイのほうを一瞥した後、女の子の方に向き直って、目を細めました。
「馬鹿いいなさんな。あたしは本屋のおばあさん。間違えるんじゃないよ」
そう言って、カラカラと笑うおばあさんはどうやら悪い魔女ではなさそうでした。
「――おもちゃ?」
女の子はおばあさんに、さっき来た時に持っていたおもちゃを知らないかとたずねました。しかし、本屋のおばあさんにはどうやら心当たりがないようでした。
「さあ。見てないねえ。ここにはこの通り、本しかないから、落ちてたらすぐにわかりそうなものだけれど」
おばあさんの答えに女の子はがっかりした様子でした。
お礼を言って、次に行こうと踵を返したところでした。「待ちな」とおばあさんから再度声をかけられました。
振り返ると、なにやらテーブルの上にカードのようなものを並べているところでした。
「せっかく来たんだ。少し占ってあげよう」
なにやらぶつぶつと言いながら、カードをめくっていく姿はこんどこそ本物の魔女のように見えました。
おばあさんはまず女の子に向かって、
「大丈夫。一生懸命探せば、さがしものは見つかるよ」
と満面の笑みで言いました。女の子も笑顔で返しました。ありがとう、と言って、お店を出て行く女の子の後を追おうとすると、もう一度、おばあさんに呼び止められました。
「あんたはまだ子供だから仕方がないのかもしれないが、自分のことばかりを考えているようだ。だが、それではいけない。間違えることになる。
選択に迫られた時は、かならず自分以外のことを、相手のことを考えて選びなさい。それがきっとあんたのためにもなる」
「……どういう意味?」
「いまは意味がわからなくってもいい。言葉だけ覚えておけばいい。その時になったらわかるさ」
アオイにはおばあさんの言葉の意味がわからず、ただ手を振って別れを告げました。
本屋を出ると、あまりの眩しさに少しの間、目を開けていられませんでした。
結構長い間、店内にいたように思いましたが、日はまだ高く本屋の不思議な外観を照らしています。
向こうで女の子が手招きしているのが見えました。その先には木々が立ち並び下草が生い茂っています。
女の子に手を引かれて歩くうち、辺りはどんどん暗くなっていきました。それは日が暮れてきたというのではなく、木々が日の光を遮っているのだと女の子は言いました。
二人でしばらく森の中を歩きました。アオイはまだ一人で出かけたことがなかったため、家の近くにこんな場所があったなんてちっとも知りませんでした。
しばらく行くと、土がアオイの背丈の三倍くらい盛り上がった所に小さな木製の扉が付いているのが見えました。
扉を開けると中は大きな空洞になっていて、棚やテーブルが置いてあるところを見ると、人が住んでいるようでした。壊れたテレビやパソコンや冷蔵庫に自転車など、がらくたが無造作に積み上げられていて、それらが部屋の半分を占めていました。
「おもちゃ屋さん」
女の子ががらくたの山に向かって声をかけたのを聞いて、アオイはびっくりしました。
おもちゃ屋? ここが?
がらくたの一部が崩れてきて、アオイは後退りました。がらくたの山の天辺に近いところでなにやらもぞもぞと動いたかと思うと、アオイたちと同じくらいの背丈のおじいさんが大きな酒瓶を抱いたまま起き上がりました。
「なんじゃあ。まぁた来たんか」
真っ赤な顔をしたおじいさんはがらくたの山にあぐらをかいて、こちらを見下ろしながら言いました。
「何回きても答えは変わらん。おれはもうおもちゃは作らん」
「ごめんなさい。その話じゃないの」
女の子はさっき持ってきていたおもちゃを失くしてしまったことを伝え、落ちているのを見なかったかたずねました。
「知らん。あってもわからん。いくらでも探していけばいい」
そう言って、おじいさんはまたがらくたの上に横になりました。
アオイたちはがらくたの山の中を探すことにしましたが、いくらも経たないうちにおじいさんがむくっと起きあがりました。
「しかし、あんたが持ってきていたのは、木でできたおもちゃじゃなかったか? そんなもの、ここにあったらすぐわかりそうなもんだがな」
「でも、ぜったいにないとは言い切れないんでしょ?」
女の子の問いにおじいさんは無言で頷きました。
二人のやりとりを聞いていて、アオイは、たぶんここにはないのだろうな、と感じ、そうなるとがらくたの山の中を探そうという気が起きなくなってしまいました。
女の子が懸命に探しているのを横目に、アオイはがらくたの山を登っておじいさんの横に座りました。
「おじいさんはおもちゃを作るひとなの?」
「作ってたよ。昔は」
しばらく黙った後、おじいさんは拗ねたような口調で答えました。
「なんでやめちゃったの?」
「なんで? なんでと聞いたのか?
おれはな。いらなくなったもの、忘れられたものから子供たちのためのおもちゃを作っていたんだ。昔はそれなりにいいものができた。
だが、このがらくたどもを見ろ。近頃のものには、夢も希望もなんにも詰まってやしない。心のこもっていない本物のがらくたばかりだ。
こんなものからおもちゃなんて作れやせん」
そもそも依頼自体がめっきり減っちまったしな、と付け加えると、おじいさんは再び横になって、いびきをかき始めました。
おじいさんが寝てしまったので、アオイはがらくたの山を下りて女の子のそばに戻りました。女の子はずっとがらくたを取り分けて、おもちゃを探しているようでした。
アオイはがらくたの中のひとつを手にとって眺めてみました。もともとなんだったのかもわからない機械の部品のようなものを見つめていると、たしかに、こんなものからおじいちゃんの汽車のようなおもちゃができるとは思えないな、と感じました。
しばらく女の子と一緒にがらくたの山を切り崩しながら探しましたが、おもちゃは見つからず、これ以上やるとおじいさんの寝ている辺りまで崩れてしまいそうだし、ここを探すのはもうやめようということになりました。
アオイには、これだけ探してないのなら、ここにはないのだろうと思えました。
女の子がおじいさんに向かって頭を下げてから出ていくのを見て、アオイも同じように頭を下げてその場をあとにしました。
また森の中を二人で歩きました。
おもちゃ屋さんでのことがアオイの頭から離れませんでした。
女の子があんなに一生懸命おもちゃを探していたのに、アオイは途中でいやになってサボってしまいました。それが後ろめたさとなって小さな両肩に重くのしかかりました。
女の子がまったく気にする様子も見せないことが、余計に後悔を増すのでした。
森を抜けると、今度はとても大きな建物が目の前に現れました。
図書館や役所、テレビで見た美術館などに似ているようで、そのどれとも違うようにアオイの目には映りました。真っ白な石でできた壁面が日の光を幾重にも反射していました。
大きな扉を開けると、エントランスはとても広く、両脇から階段が壁沿いに伸びていて、張り出した廊下越しに二階にもいくつも扉があるのが見えました。
女の子と一緒にひとつひとつの部屋を確かめて回りました。
どの部屋にも大小様々な時計が壁やテーブルの上に所狭しと飾られ、そのすべてが別々の時間を差していました。
アオイは、なんできちんと時間を揃えないのだろう、と不思議に思いました。よく見ていると、秒針の動く速さもタイミングもバラバラのようでした。
時を刻むあの微かな音が、そこかしこでバラバラに鳴り続けているのです。アオイはだんだん頭が痛くなってきました。
「ここは、なに?」
「時計屋さんよ。変ね。さっきはこの部屋にいたのに」
女の子は平気そうな顔で答えます。
「次の部屋を探しましょ」
女の子は事も無げに言って、次の部屋へと向かいます。アオイは時計の音から逃げたい一心で部屋から出ると、もう女の子の後をついていくことができませんでした。
アオイは、エントランス一階部分にあったベンチに座って、女の子を待つことにしました。時計の音があんなにも辛いものだなんて、アオイは初めて知りました。
「そう。あれはほんの少しずつ死や崩壊に近づいていく音だからね。聞く者によっては苦しいかもしれない」
かすかに風が吹いたかと思ったら、突然、隣から声がして、アオイは驚いて声のした方を見ました。
いつからいたのか、アオイの隣に一人分くらいのスペースを空けて、それはそこに座っていました。様々な蛍光色の生地を継ぎ接ぎしたような派手なスーツを着ていて、すらりとした長身で手足も長く、足を組んで座っている姿が妙に様になっていました。ただ、そんなことよりなによりアオイの目を引きつけたのはその顔でした。
「まあ。僕にとっては心地よいことこの上ないのだけれど、ね」
そう言って、ウインクしてみせたその顔が、どこからどう見ても鳥だったからです。
「ん? どうかしたかい?」
「……その顔は、着ぐるみ?」
鳥は首を傾げながら、確かめるように手で顔を撫でています。
「なるほど。君にとっては、目の前で話している人物がこの顔であるということはとても奇妙なことなのか。ひとつ答えるとするならば、この顔は着ぐるみではない。正真正銘わたしの顔だ」
見たこともない不思議なものが目の前で話し、動いているというのに、アオイの心は驚くほど平静でした。目の前の鳥人間がまったく怖ろしくもなく、また、なんの興奮も感じません。そんな自分を不思議に思いました。
「話を戻そう。時間は進み続ける。けっして戻ることはない。なにか大きな失敗を取り戻そうとしても、どうしようもないのさ。普通はね」
「……普通は?」
「そう。ごく稀に例外はある、ということだ。
人というのは実はそれぞれ自分の中に時計をひとつ持って生まれる。そして、その時計が刻む時間の速さはそれぞれ違うのさ。ここにある時計たちのようにね」
「どういう意味……?」
鳥は芝居がかった所作で首を横に振りました。
「たいした意味はない。ただ自分と他人は違うという、それだけのこと。そして、時間というのは、実は一定ではない、ということさ」
アオイには目の前の鳥の言っていることがよくわかりませんでした。
「君はなにか大事なものを失くしてしまったかもしれない。そして、それは永遠に返ってはこないのだと思い込んでいる」
「……思い込みじゃないよ」
「思い込みさ。人はいつでも何かを知ったつもりになるが、その実なに一つ知ることはない。
その大事なものは、君が望みさえすればいつでも君の手元に返ってくるよ」
アオイはだんだん目の前の鳥を疎ましく思いはじめました。
そんなことぐらいで返ってくるのなら、苦労はない。返ってこないから、僕もあの子も悲しいんじゃないか!
アオイは腹が立って、その場を離れました。時計の音で辛くなったことも忘れて、まだ中を確認していない部屋の扉を開けました。
部屋の中は、やはり他の部屋と同様、多種多様な時計であふれていました。それらが自分勝手にかき鳴らす秒針の音に頭が痛くなりながらも、部屋から出る気にはなりませんでした。部屋から出たら、またあの鳥に出くわすかもしれません。
ちょうど部屋の真ん中にたどり着いた時、足先に硬い感触があったかと思うと、自分の足音とも時計の秒針ともまったく違う硬質な音がやさしく響きました。
アオイは遠ざかっていく音を目で追いました。なにかアオイの足と同じくらいの大きさの物が床の上を滑っていきます。
近づくにつれ、その物に見覚えがあることに気がつきました。
「……これって」
それは木でできたおもちゃで汽車のかたちをしていました。
◆◆◆
「ねえ、おじいちゃん。なんでさいしょが汽車だったの?」
去年のアオイの誕生日でした。お祝いに来てくれたおじいちゃんにアオイはなんの気なしに尋ねました。
「うーん。なんでだろうなあ」
おじいちゃんはしばらく頭をひねっていましたが、そのうちにそのままの姿勢で話し始めました。
「まあ。じいちゃんもアオイのおとうさんも列車が好きだったからなあ。アオイもきっと好きになるだろうと思ったし、それに……」
「それに?」
◆◆◆
「――おじいちゃんの汽車……?」
それはおじいちゃんがくれた木製の汽車にそっくり。というより、それそのものにしか見えませんでした。
アオイは無意識に入り口のほうを振り向いていました。扉は閉まったまま。女の子はまだ2階を探していて、きっとまだこの部屋には来ないだろうと思えました。
再び手の上のおもちゃに目を移したアオイは、いっそのこと、このままこのおもちゃを持って来た道を引き返そうかと思いました。
目の前にあるのはどう見てもおじいちゃんの汽車です。それならこの汽車はアオイの物のはず。失くしてしまったけれど、アオイの物のはずでした。
きっと、アオイのお願いをどこかで聞いたサンタさんが、ここに用意してくれていたんだ。だったら、持って帰っていいに決まっている。そう思いました。
女の子に会わないうちに、そっと時計屋を出て帰ってしまえばいい。そうすれば汽車はずっとアオイの物です。持って帰って、おとうさんとおかあさんに向かって汽車をかざして、とびっきりの笑顔で――
そこまで想像して、アオイはその先を考えられなくなりました。
おかあさんに物凄く叱られた時のように、胸が苦しくなって涙があふれてきました。
そんなわけない。僕は悪い子だ。悪い子にはサンタさんはプレゼントなんてくれない。あの女の子があんなに必死で探しているのに、黙って持って帰ろうと思うなんて。僕は悪い子だ。
ひとしきり泣いたあと、アオイは部屋を出ました。鳥人間の姿はどこにもありませんでした。女の子を捜そうと階段を上りかけたちょうどその時に、女の子も階段を下りようとしているところでした。
「「あ」」
どこ行ってたの、と階段を下りてくる女の子に見えるように、後ろ手に持っていたおもちゃを目の前にかざしました。
「あったよ、おもちゃ。これでしょ?」
女の子の表情は一瞬固まったかと思うと、ぱっと明るくなって、その次には涙でぐちゃぐちゃになりました。
「よかったあ”あ”あ”。あっだああ”あ”あ”」
アオイは女の子を宥めるのにとても苦労しましたが、これでよかったのだと確信しました。
木製の汽車は、女の子の手の中で日の光を浴びて、やわらかく輝いて見えました。
アオイたちは時計屋を出て、来た道をゆっくりと引き返していました。少しずつ日が傾いていましたが、不思議と辺りが暗くなることはありませんでした。
「ありがとう」
前を向いたままそう言った女の子は泣きすぎたせいか、目も頬も赤いままでした。
アオイはいまさらながら、女の子の名前さえ聞いていなかったことを思い出しました。そして、自分は女の子に自分の名前を伝えただろうか、とも。
「あのね。僕、アオイって言うんだ」
君は? と聞こうとしたのに、それは言葉になりませんでした。急速に意識が遠のいていくのを感じました。
◆◆◆
気がつくと、目の前におとうさんの顔がありました。おとうさんの顔はいまにも泣き出してしまいそうに歪んでいました。
「よかった、気がついた! どこ行ってたんだよ、心配するだろう!」
アオイは雪の積もった公園のベンチの上に横になっていました。
さっきまであんなに暖かかったのに、あまりの寒さにアオイは身震いしました。
「あれ……? あの子は?」
辺りを見回しても女の子の姿はなく、おとうさんの他には公園で遊んでいたと思われる近所の親子だけでした。
「いつの間にかいないと思って、慌てて探し回ってたら、いつの間にか戻ってて! 勝手に歩き回ったらダメだろう! 事故にでも遭ったらどうするんだよ!」
アオイは、おとうさんに泣きそうな声で怒鳴られて、家に帰るとおかあさんにも叱られました。なぜかおとうさんもアオイの隣に座らされて叱られていたのがおかしくて、普段なら泣いてしまうくらい叱られたのに、アオイは一度も泣きませんでした。
夜、アオイは布団に入ってからも全然眠れず、おとうさんとおかあさんの寝息を聞きながらその日のことを思い出していました。
叱られっぱなしで散々な一日になってしまいましたが、アオイは女の子との冒険を思い出すとなんともいえない楽しい気持ちになりました。
――その大事なものは、君が望みさえすればいつでも君の手元に返ってくるんだ。
ふいに、鳥人間の言葉が頭を過ぎりました。
今日、もう一度手にしたからなのか、おじいちゃんの汽車の色もかたちも手触りも、なにもかも鮮明に覚えていました。それは、思い出している間、ほとんど手の中にあるような感覚でした。
おじいちゃんの汽車は失くしてしまったけれど、いつでもここにあるんだな、と、この瞬間、アオイにはそう思えました。
アオイは目を閉じて、おじいちゃんの汽車を想像しながら、明日保育園に行ったら、カケルに今日あったことを話そうと思いました。もしかしたら、信じてもらえないかもしれないけれど。
カケルの言う通り、サンタさんなんていないのかもしれない。けれど、それは、アオイがいままで思っていたようなサンタさんがいないのだと思いました。
サンタさんはいい子にしていたら、子供が望んだおもちゃをくれる、わけではなくて、その子に必要なものだけをくれるのかもしれない。
あれ? もしかしたら、あの女の子がサンタさんだったのかも……?
そんな取り留めもないことを考えているうちに、アオイはいつの間にか眠っていました。
◆◆◆
「ねえ、おじいちゃん。なんでさいしょが汽車だったの?」
「うーん。なんでだろうなあ」
「まあ。じいちゃんもアオイのおとうさんも列車が好きだったからなあ。アオイもきっと好きになるだろうと思ったし、それに……」
「それに?」
「汽車なら、アオイを楽しい明日へ連れて行ってくれそうじゃないか?」
おじいちゃんはそう言って、にっこりと笑ったのでした。