意外と役に立ちますよ
「ちょ、ちょちょちょ、お嬢様、急に何を言い出すんですか」
慌てたリナが、レフィアの肩を揺らす。
「私、変なことを言いましたかね」
「言いましたよぉ、国を奪い取るとか物騒な」
「でも、私の父上を通して元老院に働きかけるとか、そんな不確実で遠回りなことをするくらいなら、シルヴァさんが皇帝の座におさまってしまったほうが話は早いですよ」
「変な本ばっかり読んでるから、そんな変なこと言いだすんですぅ」
「ふっ、ははは」
ドアの奥から笑い声が聞こえた。
それは会った時からずっと不愛想だったシルヴァの初めての笑い声だった。
「とんだ聖女がいたものだ。伊達に皇子に暴言を吐いたわけではないようだな」
「その件については、ちょっと反省しています」
「ほう」
「大勢の前ではなく、個室に移動して罵倒すべきでした。おかげで目立ちたくないのに、目立ってしまいました」
「はっ」
ゆっくりと、数日ぶりに扉が開いた。
眼光の鋭い黒髪の美丈夫が、不敵な笑みでそこに立っている。
「国を奪う。面白い話だが、この場をごまかすだけの適当な方便なら後悔することになるぞ」
「ひっ」
シルヴァの右手がゆっくりと腰の剣の柄にかかり、リナが小さな悲鳴を上げる。
レイファは瞬き一つせずに、辺境伯の顔を見上げた。
「興国の祖、金獅子王がこの国を拓いて約千年。千年帝国とも呼ばれるロズワルド帝国は確かに盤石の体制を誇っているかのように思えます。しかし、その実、あちこちに歪が生まれているのは、あなたも肌で感じているはず」
「……」
「中央の繁栄は地方の負担でまかない、歴代の支配者は能力よりも血統が重視され、叡智はすっかり淀んでいます。元老院は既得権益のためだけに動き、同じ場所で踊っているだけ。奢っている間に、他国が着々と力をつけていることにも気づいていない」
「だが、簡単には揺るがない。それが千年帝国だ」
「ええ。しかし、巨大な戦艦でも、水が浸入し続ければいつかは沈みます。そして、この帝国にも小さな穴は既に幾つか空いています」
「その一つがここベスキアか」
「その通り。既に中央に対する反意の芽がここにはある。同じように考えている地域もあるでしょう」
「地域の繋がりを強化し、中央対地方の図式を作る」
「そのためには一つ条件があります」
「ベスキアが他地域から、宗主として認められるだけの力と実績を持っていることだ」
「ええ、ベスキアならついていこう。他領地にもそう思わせる必要があります」
「あれ、なんか話が噛み合ってきてる……?」
リナがレフィアとシルヴァを交互に眺める。
レフィアは軽く肩をすくめた。
「なんだ……辺境伯。あなたも同じようなことを考えていたんですね。ベスキアの待遇改善はあくまで第一手という訳ですか」
「はっ……」
シルヴァの眉間の皺が消え、剣の柄から指が離れる。
リナがほっとしたのも束の間、シルヴァはこう続けた。
「与太話はここまでにしておこう。そろそろお引き取り願おうか」
「え?」
リナがぽかんと口を開けた。
「なんで? 今いい感じに意気投合しそうだったじゃないですか!?」
「帝国転覆などできる訳がないだろう。人質としての価値がなくなった時点で、お前達は用済みだ」
「ひ、ひどーい」
リナが頬を全開まで膨らませて、レフィアに目を向けた。
「価値がなくなったら追い出すなんて、やっぱりベスキアの男なんてただの獣じゃないですか。ふーんだ、こっちから願い下げですよ、ねえお嬢様」
「……やっぱり、顔の割には、意外と優しいんですね。辺境伯」
「ええっ?」
メイドは目を丸くする。
「お嬢様。なにをどう好意的に捉えたら、この男が優しいなんてことになるんですかっ」
「リナ。辺境伯は私達の身を案じているのですよ」
「……は?」
「ここは隣国や害獣との小競り合いが多く、領地も痩せて、そもそも住みにくい場所です。それに、辺境伯が帝国転覆を本気で考えているとすれば、彼の妻になれば否応なく巻き込まれることになる。人質としてであれば言い訳が立ちますが、その価値がなくなった今、私達に余計な害が及ばないよう遠ざけようとしたのです」
「え、そ、そうなの?」
リナが恐る恐るシルヴァの顔を見る。
だが、相変わらずの仏頂面を見せるだけで、何を考えているかよくわからない。
救国の聖女を早々に引退して、父を大貴族に押し上げた母のことをレフィアは思い出していた。
聖女という肩書ではなく、戦地に向かう母を一人の女性として心から心配し、止めようとした父と半生を歩むことを母は決めたのだ。
まあ、シルヴァは気弱な父とは真反対の人間だけれど――
レフィアはふっと微笑んで、シルヴァに一歩近づいた。
「辺境伯。会ったばかりで、婚約破棄は早いと思いませんか。私の内助の功、意外と役に立つかもしれませんよ」